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今回の『高田の語り部おおいに語る』は、区民ひろば高南第一近くの『根生院』(クリックで地図表示)の中村修盛住職にお寺の歴史を語っていただきました。
 『根生院』は、徳川家三代将軍家光の乳母の春日局が発願し、家光公自身が『根生院』の名を定めました。故に徳川家にゆかりの深い寺院として‘赤門’を許された数少ないお寺の一つでもあります。
 目立たない場所に佇んでいるお寺のため、近隣に住んでいながら来歴を知らない方も多く、お聞きしたお話は大変新鮮なものでした。 
 中村修盛住職は、大手ゼネコンの清水建設にお勤めの傍ら住職を兼務していた時期もあり、お寺の維持管理には大変ご苦労されたようです。清水建設を退職後、本格的にお寺の修復や資料の整理を行っておられるようですが、空襲による資料の焼失の壁は厚いとのことです。
 しかし、境内にある石碑や石仏は空襲等により傷みながらも、その由緒あるお寺の歴史が刻まれているのを垣間みることができます。