ブダペスト
何年か前に中欧を旅した。
季節は年の暮れも近い12月のことだった。ブタ゛ペスト〜プラハ〜ウィーンへと3国を一度に体験できるのが魅力の「JALパック」であった。最大のお目当てはウィーンであったが、いろいろ面白い体験が出来た旅でもあった。今回はハンガリーの首都ブダペストとチェコのプラハについて写真を中心にしてコメントしてみたい。
このツアーは私以外総て女性で、夫婦者も我々だけだった。若い人々が多く総勢15名程度だった。一般観光客は少なかった。日本人でもこの時期、海外に行く機会をもてるのは少ないし、欧州の人々がクリスマスシーズンに旅行することは先ずありえないことなのだ。
通貨がフォリント、コルナ、シリングとめまぐるしく変わり面食らった。

プラハ

ブダから見た市街

ブダの王宮

ドナウ川の畔

飲食店街

ブダペスト

◆チロリアン航空

ツアーのルートはオーストリア航空でウイーンへ直行し、チロリアン航空のプロペラ機に乗り換えてブダペストに到着した。ウイーンから1時間足らずのフライトだった。
チロリアン航空のプロペラ機は50人乗り程度の小型旅客機でブーンという音をたてて飛び立ったがこれでもれっきとした国際線なのだ。この飛行機にはその後の移動の際何回かお世話になったが大変ユニークだった。
空港は質素だった。日本の地方空港より規模が小さいように感じた。到着したとき空港ロビーはガランとしていた。

◆観光名所
観光案内などによるとここは「ドナウの真珠」などとも言われているようだが、この街の中央にドナウ川が南北に流れ、西側がBuda、東側がPestで異なる地区がいっしょになったものがブダペストだという。よく「ブタペスト」と云う人がいるが全くマチガイだそうで正確にはブダペシュトだそうな‥知らなかった。観光ルートはお定まりのもので、取り立てて説明するまでもない。
今でも記憶が鮮明なのはマーチャーシー教会、王宮、漁夫の砦、英雄広場などだ。

いずれも素晴らしい景観だった。さすがに世界遺産に指定されるだけのことがある。今にも雪が降りそうな、中欧の空が広がっていた。旅行は晴れた日が良い。しかし、冬のどんよりと曇った日もしっとりとした趣があっていいなと思う。
この時期気温は低く、日中でもプラス5℃以下だと思うが、風がなく雪もないので体感温度はさほどではなく、観光には差し支えはなかった。因みにここでは真夏でも20℃程度だそうだ。
ここはヨーロッパでは珍しく「温泉」で有名だが、水着をつけてプールのようなところへ入るとのことであり、誰も希望する人はいなかった。

◆センテンドレその他
郊外にあり、「おとぎの国」にでも迷い込んだようなかわいらしい街であった。バスで片道二時間ほどかかる。道すがら感じたことは、この国は大平原が延々と続いているということだ。この街の歴史は古く14世紀にトルコの襲撃から逃れてきたセルビァ人によって形作られた街だという。
規模は大きくないが、ハンガリーを代表する芸術家の作品を展示している美術館が数多く存在している。観光客に人気の街だというが納得がいった。
小さいが凝ったつくりのカフェに入りコーヒーとケーキを注文した。マダムらしい中年の女性一人で対応していたが中に入ると奥に地下室があり、ここは酒場となっていた。客は現地人らしい人がチラリホラリ。我々が休んでいるのを目ざとく見つけたご一行様の女の子が数人入ってきて、店はにぎやかになった。冷えた体に生クリームのついた熱いコーヒーは美味かった。


センテンドレ

ジプシーオーケストラ

現地ガイドと

夕食に入ったレストランでジプシー楽団の演奏を聴いた。レストランの名前は覚えていないがブダ側の高い丘の上にあり、大きな店で薄暗い感じだったが雰囲気はなかなか良かった。ワインを飲みながらの食事も美味かったがバンドの演奏が結構面白かった。(これは日本人観光の定番コース)バンドはヴァイオリン、ビオラ、コントラバス、クラリネット以外にツインバロンという民族楽器を使っていた。これは小さいピアノに似た楽器の弦を、木のスプーンで叩いて音を出す楽器で独特の雰囲気を出していた。
一渡り演奏が終わると彼等の一人が録音したカセットテープを売りに来た。一つ1000円で熱心に売り込んでいた。お土産に一つ買い求めしばらくカーステレオで聴いていた。ハンガリーは世界的な音楽家を数多く生んだ国でレベルは高いので、土壌は整っていると思われる。彼等の演奏は達者だった。
面白いと思ったことはこの国の言語だ。公用語はマジャール(ハンガリー)語で、アジア系の非ヨーロッパ言語だという。隣接のウイーンがドイツ語圏なので不思議だった。永年にわたり旧ソビエト・ロシアの統治を受けていた国だが、モノも豊富に出回っていた。

Xmasの頃の中欧

プラハ

例のチロリアン航空のプロペラ機に乗り、ウイーン経由でプラハに向かった。
いずれに行くにしても1時間程度なので国境を超え他国に入るという実感が湧いてこない。入国手続きは「日本人団体」なのでいずれも形式だけの簡単なものだった。
プラハも長い間ナチスや旧ソ連の圧制の下にあったが幸い大きな戦禍を免れることが出来たので、中世の古い歴史的建造物が数多く残されている。どれを見ても素晴らしいとしか言いようがなかった。
言葉での説明はナンセンス、見て歩いた観光名所の写真の何点かを紹介するに止めたい。日本でも話題になったモーツアルトの映画、アマデウスの舞台となった建物が面白かった。

ボヘミアガラス

プラハ城・現大統領府

城の正面入り口

アマデウスの舞台?

カレル橋

黄金小路の商店街

ヴィート大聖堂のステンドグラス

旧市庁舎広場

プラハの春
戦後、ソ連の軍事介入に対して民主化、自由化を推し進めたチェコの運動は「プラハの春」と呼ばれているが、この広場でチェコフィルが帰国したラファエルクーベリックの指揮で、チェコの生んだ大作曲家のスメタナの連作交響詩「わが祖国」を感動的に演奏したと言われている。

ここはチェコの人々にとっては非常に大切な歴史に残る場所だ。この国で、もっとも古い建物が残っている場所でもある。

◆プラハの郊外


古城・カルルシュタイン

ご一行様

美しい風景

ワインの注ぎ方
ある晩ワインセラー直営の店に出かけた。寒い夜だった。道路は白くカチンカチンに凍り付いていた。地元のバンド演奏を聴きながらワインを傾け、軽い食事をとる。そのこと自体は別に珍しくもなんともない。ビックリしたのはワインの注ぎ方だった。


ワインセラーのバンド

ワインの注ぎ方

先ずグラスが半分くらいになるとボーイが目ざとく見つけて一杯になるまで注ぎ足すのだ。ワインは安いのでいくら飲んでも知れている。何しろご一行様は私を除くと全員女性であり、私が飲む方は一手に引き受けた。もっとも結構飲める女性も多かったが‥ ワインは普通のボトルから注ぐのではない。肩から吊るした大きなガラスのビンに細い管がついており、グラスからはるか離れたところから注ぎ足すのだ。ワインはまるで赤い糸のようになってグラスに注ぎ込まれるのだ。周りにこぼしたりすることはなく見事なものだった。調子に乗ってボトル一本分くらい軽く飲んだのではないか。
因みにこの季節は赤が主で屋台では日中でもワインをお燗して売っていた。ホットワインで体が温まる。日本の屋台のおでん屋で熱燗をグィとやるのと全く同じであり、どこでも同じだなぁと思った。

コワーイ体験
最後に少しイヤな体験談をお話したい。現地のガイドから予めスリについて十分気をつけて欲しいと何度も注意された。彼女が言うにはその技術水準?は神業だという。また日本人のパスポートは非常に珍重され大変な高値で取引されているという。その時聞いた話では確か50万円?という法外な値段だった。日本人の信用は絶大でこれさえ持っていればフリーパスだという。
ところが観光の最中、家内ともう一人の女性が見事にバッグの中身を掏られたのだ。但し、パスポートや日本円の一部はホテルの金庫に預けてあったので最悪の事態は免れることが出来た。
私は過去日本では酔っ払って財布ごと無くした?ことがあり、信用ゼロだったが、家内は用心深い方でこのような失敗がなかったため非常に悔しがっていた。しかも宗教的な大聖堂を見学中のことであり、カネもさることながらプライドが傷つけられたとその後いつまでも機嫌が悪かった。ホケンは十分付けていたが、現金の被害であり、警察等への届けの煩雑さやツアー運行に迷惑がかかると判断し、黙っていた。
私の方は地下鉄内で屈強な大男数人に囲まれ、身動きが取れなくなりヤバイと感じたので、バッグを胸に抱え、身を硬くし大男の壁をこじ開けるようにして脱出、下車したが、プラハは結構コワーイ街だ。被害は無かったが乗客の目がある中で堂々と?このような行為に及ぶことにあきれた。この面ではあまり良い印象は持っていない。
現地の女性ガイドは悪い事するのはチェコ人ではなく国境を超えて密入国してきたロシア人のなせる業だとしきりに弁解していた。(03/12/11作成)

 前にも述べたとおり、プラハは戦禍を受けることが無かったため、古い町並みや歴史的な建造物の宝庫だ。これら素晴らしい建物の写真がIGARASHI Taro Photo Archivesというサイトに載っており、リンクさせていただいたので是非ご覧になることをお勧めする。

プラハの建築物の写真集にリンク
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