![]() フランクフルト〜 ミュンヘン 行き帰りともパリ経由 「エールフランス」で出発し、パリで「ルフトハンザドイツ航空」に乗り換えた。 |
これもまた古い話で恐縮ですが‥ 60歳を過ぎてから初めて国外に出張する機会を得た。 在籍していた子会社のK社長から「長い間ご苦労さん」の意味も込めて行って来いとの指示ガあった。「日刊自動車新聞社」主催の見学旅行であった。 趣旨はドイツとフランスの「自動車業界の視察」と「公害問題への取り組み」を見聞すると云う企画であった。 当初は「どうせ遊びだ」とタカをくくっていたが、出発前、突然一行の団長を引き受けて欲しいと頼まれ困惑したが、イヤともいえずしぶしぶ引き受けた。 私が一番年長者というだけで選ばれたのだった。 同行の面々はトヨタ、ヤナセ、日本ラジエーターその他メーカーや販売会社などの選ばれた人々で、同業のホケン屋はいなかった。 総勢10名、皆会社の指示で出張命令を受けていた。とても緊張したが公式行事は何とか無事に消化できた。このお陰で妙な自信がつき、よい体験だった。業務出張なのでレポートは直ちに会社に提出したが、それ以外の体験について少しお話してみたい。 |
![]() パリ |
モーターショー入り口![]() |
![]() 会場内部 |
![]() レーマー広場 |
![]() 旧市庁舎 |
![]() オペラ座 |
![]() マインハッタンビル? |
![]() ゲーテハウスの応接間とストーブ |
![]() 市内を流れるマイン河 |
![]() ザクセンハウゼンのレストラン |
![]() 同行の各社そうそうたるメンバー |
成田で 出発前に主催者事業開発室長が現れ、空港の一室で挨拶の後、結団式が行われ私が挨拶し各自自己紹介が行われた。 もうこの時から緊張し、気が重くなっていた。ビールで乾杯して機上の人となった。メンバー以外に世話役として同行したのは近畿日本ツーリストのKさんというツアーディレクターであった。 フランクフルトへ到着 パリ、シャルルドゴール空港でトランジットのために長時間を要し、到着は現地時間の10時を過ぎていた。まだ9月末なのにひどく寒かった。この空港はヨーロッパのハブ空港だというが、その大きさに驚いた。 直ちに迎えのバスでホテルのソフィテルへ。ホテルはこじんまりした規模だが、市の中心街にあり、便利なところだった。 ロビーで明日の予定を確認し直ちに部屋へ。 T部販のS取締役以外は2人一部屋で私はヤナセのI課長と同室だった。因みに前記S氏は航空機も一人ビジネスクラスであった。同室のI課長の勤務先は外国メーカーのクルマの販売を業としており、ドイツには何回か来たことがあるとの事だった。 彼は免税店でいつの間にか仕入れたウイスキーのビンを取り出し一緒に飲もうと言ってくれた。 しばらく歓談し就寝したが、彼のイビキは真に物凄く、疲れているのに殆ど眠れなかった。この後帰国するまで彼のイビキにずっと悩まされ続けるのだが、今まで聴いたことがないイビキであった。 彼は寝つきが極めて良く、床に就くと3分も経たないうちに熟睡できた。睡眠薬でも持ってくるのだったなぁ‥と後悔したが‥ これを除けはI課長は、気さくな非常に好感が持てる人物であった。 外車に関するいろいろな知識を専門家の立場で親切に教えてくれた。簡単なドイツ語の会話もこなしていた。 モーターショーの見学 これは公式行事の一環であるが、セレモニーは予定されておらず見学だけなので気が楽だった。会場には徒歩で10分ぐらいで到着。 基本的には幕張で秋に行われているモーターショーと同じだが、規模がかなり違うように感じた。トヨタ、ニッサン,ホンダなど日本車のコーナーを訪れたが、日本人は見かけず現地スタッフだけだった。 まだ朝10時頃なのに出店でビール片手にソーセージをパクついている人が大勢いたが‥ とにかく皆体がデカイのにビックリした。 見学は丸一日の予定であり、その他のメンバーは自動車業界の人なので時間が足りないようであったが、私は半日で済ませ、世話役の了解を得て勝手にタクシーを使って市内の何箇所かを見て回った。因みにタクシーはベンツかBMWであり当初驚いたが考えてみれば当たり前のことである。 レーマー広場、市庁舎、オペラ座、ゲーテハウス等を回ってみた。 フランクフルトはヨーロッパの金融の中心地であるが、市内は新旧の建物が混在しておりレーマー広場にあるような古いドイツの歴史を感じさせるものがある一方、マイン川をもじったマインハッタンビルといわれる超高層ビルが林立していた。 夕刻ホテルに戻ったがまだ誰も帰っていなかった。 夕食会 夕食はマイン川の南岸にあるザクセンハウゼンのレストランに出かけた。ホテルからタクシーで20分程度のところだった。 この時分散して乗ったタクシーの運転手は乱暴極まりないオトコだった。顔はリチャードウイドマークに似ていたが、何が気に食わないのか最初から怒りまくっていた。理由はわからなかったがメチャメチャに飛ばし、カーブでは車輪を軋ませていた。 ドイツにもコワイ野郎がいるなぁ‥とビクビクもので乗っていたが。 ここはフランクフルトの飲み屋街としても有名である。 ここで名物料理の「豚の脛骨肉の丸ごとロースト」(正式名称は失念)したものを食べたが、皿の上に黒光りした豚の足が丸ごとどーんと置かれたのにはビックリした。美的感覚はゼロで見ただけで食欲が減退してしまった。日本料理のナントきれいで繊細なことか‥ これをナイフで薄く切り食べるのだが、味はともかく量の多さに辟易した。 ビールやリンゴ酒なども飲んだので3分の1食べるのがやっとで、残したがこれを見たマスターは両手を広げ、天を仰いでガッカリしていた。 辺りを見るとドイツ人は女性でも大ジョッキ片手にぺろりときれいに平らげていた。 ◆ドイツ料理の定番は スープ⇒ビーフコンソメが美味い ソーセージ⇒種類が豊富でウマイが飽きる。 ザワークラウト⇒すっばいキャベツの漬物、美味くない。 ポテト⇒主食でいろいろな食べ方がありいける。 ビール⇒銘柄を云わないとダメ、総てがグーだがピルスナーといわれる種類がウマかった。 ここは屋台の居酒屋が軒を連ね、ビジネスマンが酔っ払って騒いでいる様は日本とあまり変わらなかった。
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![]() ◆これからミュンヘンにいってみたい方は開いて下さい。ミュンヘンの公式案内を見る
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公式行事
「ダイムラーベンツの直営工場」と「バイエルの環境省」を訪問する予定が組まれていた。中身は省略するが、団長サンの私はかなり緊張した。いずれも日本人の現地同時通訳が同行してくれたので、挨拶やお礼の言葉は日本語でしゃべればよい。
ただいくらなんでも「こんにちは、有難う、さよなら」と言うわけには行かない。相手はいずれも責任者がキチンと応対してくれた。
予め主催者側が用意してくれた日本のお土産を手渡し、来意を告げ、見学またはミーティングの後、質問応答と日本側の総まとめを行った。通訳は女性であったが毎回変わったので初対面は訪問時のバスの中であった。
私は必ず彼女の横に座り、短時間ではあるがコミュニケーションを図った。打ち合わせをする時間はなく、ぶっつけ本番だった。
別れ際にダンケシェーンと云といい握手を求め、相手もビーダーゼーエンと応えてくれた。
同時通訳の日本人女性はいずれも反応が早く、非常に優秀であった。
ベンツで印象に残ったことは「マイスター制度」であり環境省の会議で博士の資格を持つ技官が強調していたのは「NOx(窒素酸化物)対策」であった。
ホーフブロイハウスでビールを堪能
当時ビール祭りでにぎわっていた。日本人観光客が大挙して押しかけるビアホールへ行った。広い店だった。
現地の人々と我々観光客の飲み食いのフロアーは異なっており周りは殆どが団体と思しき日本人であった。
とにかくジョッキの大きさに驚いた。片手で持ち上げるのは危なっかしく一杯飲むのがやっとだった。
例によってソーセージやポテトがてんこ盛りで出され見ているだけでウンザリした。
ここでも元気が良いのは日本人のオバサンたちであり、音楽隊に合わせて踊って回り、ゲンナリしている我々のところへ来て一緒にダンスしようと言うのだが、オトコは照れ笑いして誰も応じようとしなかった。
メンバーが「団長!疲れたので早めに引き上げたい」と云い出したので早めに店を出た。
ドイツの人々のフロワーをのぞいて見ると大勢の客がジョッキを高く掲げ足を踏み鳴らし大合唱の真っ最中だった。酔っ払っている筈なのに全員の統率が取れており何か「ハイルヒットラー!」を思い出してしまった。
「整然としたヨッパライ」というのははじめて見た。日本人みたいにヨレヨレになっている酔客は見かけなかった。
ミュンヘンの魅力
この古い街も第二次世界大戦で壊滅した。
しかし、復興に際しては新しいビルに建替えるのではなく、元の状態に戻すことに力を入れたとの事で、キレイな中世の街に入ったような気になった。総てが絵になると思った。秋の日の空気は澄み切っており非常に気分が良かった。
近代的な建築物はオリンピック会場の近くにあるBMWの展示館くらいである。
夜若い人2名と共にクラシックの室内楽を聴きに出かけた。
チケットはフロントに頼んでおいた。場所は歌劇場の傍のホールだったが雰囲気は素晴らしかった。彼等はエンジニァでありクラシック音楽には詳しくなかったが、非常に感激し堪能したようだった。
市庁舎や美術館も良いが一つだけ上げるとすればニンフェンブルグ宮殿である。ここの庭園も素晴らしい。
◆泊まったのは「ホテル・アラベラ・ボーゲンハウゼン」といいアメリカンスタイルのホテルだったが部屋は広く快適だった。
花の都パリについてへたくそな紀行文を書いても始まらないと思うが、ナイトライフについての感想を中心に述べてみたい。
凱旋門、シャンゼリゼ、コンコルド広場、エッフェル塔、ノートルダム寺院、ルーブル・オルセー両美術館、ルイビトンなど日本人が見物するところは回ったがいずれも素晴らしい。
解説はヤボである。フランス料理はウマイ!特にソース類が絶品である。
![]() プジョー工場の内部 |
![]() ルーブル美術館 |
![]() コンコルド広場 |
![]() ノートルダム寺院の入り口 |
![]() オペラ座 |
![]() リドのショー ポイントすると他の画面 |
公式行事
フランスのクルマを代表するメーカーの一つ、プジョーのデーラーが郊外にあり訪問したが、状況は前記ミュンヘンと同様である。
但し、訪問したときの印象はかなり違っていた。
ドイツでも来訪者に対してお愛想笑いなどは決してしないが、スマイル程度のことはする。しかし、ここで現れたマネージャーの対応はドライだった。終始ニコリともせず硬い表情だった。
ただ、社内の案内や説明は理詰めでキチンとしていた。質問にも誠意が感じられた。これはお国柄だと思った。
私は学生時代の第二外国語はドイツ語だったのでフランス語はまるでダメで挨拶すら出来なかった。
同時通訳の彼女には大変お世話になった。バスの中で世間話をしてコミュニケーションを図ったが、アタマの回転が速く素晴らしいセンスを持っている人だった。
キャバレー 「リド」
海外の楽しみの一つは「夜遊び」である。毎晩午前様であったが文句をいう「山ノ神」はいないので大いに羽を伸ばした。
シャンゼリゼに面した「リド」へ入った。ここには日本のオトコの夜遊びとは異なる大人の世界が広がっていた。
キャバレーは私が若い頃流行し通っていたが、女性とチークダンスする妖しげなところではなかった。ダンスは幕間に同伴の女性とする。背広にネクタイをつけ食事をしながらショーを見るのだがそのバラエティと洗練されたセンスに感心した。
日本からのツアー客もかなり見られたが元気なオバサンも多かった。女性より魅力的なボーイがサービスしてくれるが、宝塚の男装の麗人よりはるかにキレイだった。
ショーは広い劇場の真ん中に舞台があり、美女のハダカ踊り、歌、寸劇、マジック、サーカスと盛りだくさんで飽きることがなかった。
一大スペクタクルだと思った。夜12時ごろ終わって外に出ると入り口に人が並んでいた。次の部に入る人たちだった。このショーは徹夜でやっているのだ
結構なお値段なのでオプションであり、参加者は半数の5名だったが、団長サンの責任?もあり同行し楽しんだ。
最後の晩餐
パリ最後の晩、宿泊先のサンジャックホテルで主催者側が慰労会を設けてくれた。
この時飲んだフランスワインの美味かったこと!
肩の荷が下りてやっとリラックスした気分になれた。やはり団長サンという責任感で気が休まるヒマがなかったのだ。また、あの雷のようなI課長のイビキとも今日でお別れだ。ウレシイ!
途中少し体調を崩したメンバーもいたが大事には至らずホッとした。目的の公式行事が予定通り終わることが出来たので達成感ですっかりハイになり騒ぎまくった。
他のメンバーも同様で何か連帯感のようなものも生まれた。若いメンバーの一人は会社の了解を取り、滞在を少し延期するとのことだった。
最後に世話役として同行しいろいろなセッティングをしてくれた近ツリのKさんに心からお礼を述べた。
彼は若かったが有能な人物で他の一流企業から転職し、世界中を飛び回っていた。しっかりした考え方を持っている頼もしい若者だった。
話の中で「プロとしての添乗は、同行したツアー客が海外で急死した場合の対処がきちんと出来て初めて一人前だ」と云ったのが印象に残った。 おわり
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