バルセロナの朝
前夜遅く、空路グラナダから到着した。

朝食後、近くの小高い場所に位置する広大な公園に案内された。モンジュイックの丘というところで、港や市街が一望の下に見通すことができた。
近くにオリンピック会場があったのを覚えている。市街は朝もやでかすんで見えたが彼方にガウディのサグラダファミリァの高い搭らしきものをはっきり見通すことができた。
市街をバスで走ってみた感じは、今まで見てきたスペインとはかなり異なるという印象だった。
ここは地中海に面した港町であり近代的な国際都市なのだ。現地ガイドの話を聞いていて納得した。説明によると、この地方はカタルーニァと云い、独特の歴史と文化を持っていた。
この地方の歴史は、その言語と結びついているのだ。日常語は、ラテン語から派生した、フランス語とスペイン語をミックスした言語で、一般的なスペイン語(カスティーリア語)の方言ではない。
独自の歴史を持っている誇りが、具体的な言語に現れ、カタルーニヤ人の強い民族意識の土台になっている。これが、バルセロナの町の発展を支えている。
この町が、「スペインらしくない」の印象が強いのも、歴史を知ると、納得できる。なるほど、バルセロナの街を歩くと、道路標識には、スペイン語とカタルーニヤ語が併記してあった。

サグラダ・ファミリア聖堂での疑問
この聖堂に関する歴史や記述は数多く改めて述べるまでもない。1882年に着工され、その後ガウディに引き継がれたが、彼の死後70年を経た現在に至るまで完成を見ていない。完成は200年先とも云われているがそれを危ぶむ声も出ていると聞いた。すべての持つ奇妙さと異様さに驚き圧倒された。

しかし、私のような凡人には工期がはっきりしないエンドレスの「歴史的建造物」とは何なのか?    その意味がさっぱり理解できなかった。

一体あといくつ建てれば完成なのだろうか。それは誰が決めるのだろうか。それまでガウディ遺作の4本の塔が保存できるのだろうか。この建造物の建築費は総て観光客らの入場料でまかなわれていると聞いたが、これでは永遠に未完のままではないか… だらだらと続けることへの疑問も浮かんできた。
常識的には国家的プロジェクトのはずだと思った。
内部に入ると随所に足場やクレーンが立ち並び、まるでビルの建築工事現場の様相を呈していた。
左がガウディが手がけた4本の塔
右は現在建築中の新しい4本の塔
完成までにあと数本の塔を建設
するらしい。
右の写真は日本人建築家
外尾氏と撮っていただいたもの
この時たまたま現場に居合わせた日本人彫刻家の外尾氏を同行のメンバーが発見した。
記念写真に入っていただいた。背が高くスマートな紳士だった。
別れ際に私は「どうか健康にお気をつけて、がんばってください」と挨拶し、彼もジッと私の目を見つめ「ありがとう」と云ってくれた。立派な人だった。
お断り この記事は朝日新聞からの抜粋を転載した。
その他のガウディの遺産

下はカザミラ

  グエル公園
公園と名がついているが、
ガウディが生きていた頃、
一種の住宅分譲地として造
られたと云われている。
未来都市とも言えるものだ
が売れずに公園になった。

ここにはガウディ自身の
家もあった。色々な彫刻や
曲線で形づくられた建築物
は、まさにガウディそのもの
だが、なにか「お伽の国」に
でも迷い込んだ気分。
 左の上の写真は地下聖堂
大聖堂が余りにも有名だが、バルセロナにはガウディの遺した建築物がいくつか現存している。

現に住民が生活しているカサ・ミラという建物は石でできており、ゆがんだ曲線で構築されている。現代建築ではまずお目にかかれない実に不思議な建物だった。
残念ながらバスから降りて見ることはできなかったが印象に残った。

ゆっくり時間をとって見物したのはグエル公園だ。
ここは当時、分譲住宅の団地を考えていたとも言われるが、まるでおとぎ話に出てくる遊園地のようだった。
ガウディの残した建築物は美しいというより、曲線や螺旋が重要な意味を持ち、表面の凹凸も多く、直線的で幾何学的な近代建築を見慣れた者には不思議だった。
構造力学的に見たり機能性をを考えた場合、果たしてどうなんだろう…と、疑問も感じたが、建物の模型を逆さづりにして重力のかかり具合いをみる実験が何年も続けられたとの事で、その実物大の模型も展示してあり、設計の段階から非常に合理的に計算されていたらしい。やはり天才と云われるゆえんだ。

★ネットで素晴らしい写真集を発見したのでリンクさせていただく。
ガウディの47枚

ピカソ美術館

上の絵は
ベラスケスの
「ラス・メニーナス」
を手本にして
描いた作品

左は美術館の
小路

ここはピカソが育った町でもある。フリータイムになったので出かけてみた。

バルセロナではタクシーが最も便利で安全だという。美術館は古い歴史を感じさせるゴシック建築が並んでいる狭い通りに面していた。この辺りはかつての大富豪の邸宅が立ち並びこの美術館もその一つだという。

収蔵されているピカソの絵画の数々は、彼がまだ若い時代に画き上げた習作に属する作品が多く、写実的な絵が多かった。いずれも美しい絵だった。
ピカソの成長の過程と別の一面が分かり非常に興味深かった。ただ有名な「ゲルニカ」が見られると思っていたがこの美術館には無かったのは残念。

とんだハプニング
帰国当日の午前中は全くの自由行動でそれぞれ買い物に出かけた。我々も近くのデパートに出かけあれこれと品定めした。首からカメラをぶら下げ、大きな買い物袋を手にフラフラきょろきょろしながら公園をホテルに向かい歩いていた。

白バイのポリスもたむろしているのに一体何してんだよ!
…と言いたいが、これは身勝手な言い分


突然二人の男が何か大声で話しかけてきた。ポカンとしているとジャケットの背中を指差しているではないか。奥方が何か汚いものをひっかけられているという。一瞬服を脱ごうとしたところ、通りかかった見知らぬ女性がダメダメ!という目配せをした。奥方がいち早く気がつき私に注意した。私はうかつにもジャケットを脱ごうとしたのだ。くわばらクワバラ!危くすべてをかっぱらわれるところだった。そのまま男等をしり目にホテルに一目散。
部屋に戻り調べると、ジャケットの背中にべっとりと茶色の液体がついていた。臭いからするとドレッシングのようだがトマトケチャップではなかった。
多分私は、よほどノー天気な「バカ面」して歩いていたのだろう。いつもは「油断無く四方に目を配りながら行動しろ!」などとエラソーに奥方に説教するのだが、面目丸つぶれだった。この時以来信用はガタ落ちになった。水で洗い流し、メンバーには知らん顔していが、奥方はこの失態を冷笑していた。

フランクフルト空港
午後、バルセロナ空港からルフトハンザ航空でフランクフルトに飛び立ち、JALに乗り換える。
出発まで2時間ほど時間が空いた。このハブ空港の広さにたまげた。待合室までエレベーターで移動した記憶があるが、そばの通路を空港職員らしい人々が皆自転車で忙しそうに行き来していた。室内を自転車で行来するとは…
待合室も近くのショップもやたらに広かった。時間がたっぷりあったので、お茶を飲んだり、少しうろついたりしたが、迷子になったらことだと思い、待合室でぼんやり座っていた。それに比較して成田の何と貧弱なことか…

成田で解散する間際に添乗員のTさんがすっ飛んできた。旅行会社から私に何らかの被害があったのではないかと連絡が入ったという。彼女は心配そうだった。バルセロナのホテルのフロント係りからANAに連絡があったという。フロントを通るときに異常に気がついていたらしいが、何の申し出もないので連絡して来たらしかった。Tさんにきちんと報告しておけばよかった…「被害は無かった」と。
私自身のカッコウや体面だけを気にする性格がこんな結果を招いたのだ。反省。

食べ物など→生ハムは絶品
普段から食べ物には好き嫌いは無く何でもござれだ。もともと食べ物には余り関心が無く、スペイン名物が何であるのかも良く知らなかった。記憶にあるのは「パエリャ」と「タパス」だけだ。これ等はお世辞にも美味かったとはいえない。
たとえば有名なパエリャだが魚介類が入った黄色い「炊き込みご飯」と思っていたが実際は「ごった煮」に近い感じがした。しかも量が多く、半分程度しか食べられなかった。物の本によるとここでは米は芋と同じ扱いだからパエリァは「肉じゃが」と同じレベルの料理だそうだ。
夜、フリータイムの日があったので奥方と連れ立って、それなりの店構えのレストランに何回か出かけたが、何を食べたのかは記憶に無い。タパスなどもすべてに大味な感じがしたが、ただ一つだけ珍味だと思ったのは赤いピーマンがのったイカの墨で炊き上げたご飯だった。

安くて美味いと思ったものがある。それは「ワイン」と「生ハム」だ。
ワインは日本円でボトル200円〜300円前後でデパートに並んでいた。「アクア・シンガス又はコンガス」というビンに入った水をよく買ったが、ワインの値段と変わらなかった。
生ハムは朝食のときホテルで口にすることが多かったが種類が豊富で実に美味かった。塩分はかなり強いが、朝からこれをつまみにして白ワインを一杯飲むともう病み付きになる。

スペインの生ハムとは
スペインは、年間約3000万本の生ハムが生産される世界一の生ハム生産国です。 代表する生ハムは大きく分けて二種類。一般向けの「ハモン・セラーノ(山のハムの意」)、最高級生ハムの「ハモン・イベリコ」。どちらも乾燥したスペインの中央高原風土と伝統が作り出した逸品です。
「Jamon=ハモン」とはスペイン語で「ハム」の事。
美味しいハモンの食べ方は、カット後10分程度のものを手でつまんでパクリ、ティオ・ペ・ペ(シェリー酒)片手にきゅっと...。 日本で爪付きの塊をカットしてもらうというのは、ちょっと困難ですが、スライスのパックでもその美味しさは十分お分かりいただけるはずです。
(以上スペインの食材店、オリバー市場から抜粋)

ワインは別にして生ハムは是非お土産に買って知り合いに配りたかったが、当時わが国では検疫で輸入禁止に指定されていた。ま、個人用にはスーツケースに、こっそりとしのばせて持ち込み、その味をしばらく楽しんだのだが。(05/09/30)