![]() フィレンツェ ピサ ローマ ![]() バチカン市国 |
早朝、ヴェネツィアからバスでイタリアの中部、フィレンツェに向かった。快適なハイウエーが続き、飛ばし屋のドライバーはますます快調だった。 途中トスカーナ地方の風景を満喫した。糸杉とオリーブや麦畑が点在する田園風景が続いた。糸杉は面白い樹形なので、一本庭木に欲しいな‥とつまらぬ事を考えているうち眠くなった。 そろそろ旅の疲れが出てくる頃で、メンバー一同は皆コクリコクリ‥ 途中のインターでショップを見ていたらマリアカラスが歌っているロッシーニの「セビリアの理髪師」のCDが売っていたので記念に買った。3時間程度の道のりだった。 昼過ぎに目的地に着いた。 |
![]() ローマの休日 これほどの美人は ローマでもお目 にかからない。 |
小高い丘の中腹にあるレストランに入った。素朴な感じの店だったが、赤ワインをやりながら食べた肉の煮込みとトマト風味のパスタは絶品だった。(もしかするとこのレストランはローマに入る前だったかもしれない)
真に美しい中部の街で何も云うことはない。バスから降りて、丘の上から一望したときの景色は、今でも鮮明に脳裏に焼きついている。時は4月末、空気は澄み渡り、まるで別天地にいるような心地よさだった。
観光ルートはお定まりのコースで特に説明するまでもないが、世界でも有数の「ウフィツィ美術館」の素晴らしさには圧倒された。ここの展示はキチンと時代を追って様式順に行われている。ヨーロッパ絵画が13世紀末から発展し近代へと脱皮してゆく過程を観ることが出来る。中に入るのに2時間程度並んで待たされたが、それだけの価値は十分あると思った。待ち時間に大勢たむろしている大道絵師のスケッチを買った覚えがあるが‥ 探したが見当たらない。
イタリア美術はスゴイ!美術館の絵画のごく一部をを紹介してみたい。
これ等はいずれも「イタリア絵画」 のサイトにリンクさせていただいたものだ。
この美術館総てを知りたい場合はUffizi Galleryを開く。
![]() 途中のレストラン |
![]() 全景 |
![]() 美術館の横 |
![]() アルノ川 |
翌日は終日自由行動だった。私たち夫婦はピサの斜塔を見に行くことに決めた。
フィレンツェからは列車で行くことになる。他のご一行はどこへ行ったのか記憶がないが、朝食後、添乗員のOさんが駅まで同行してくれピサまでの往復の乗車券を買ってくれた。ホテルからは歩いて10分程度だったと思う。残念ながら電車の切符を1人で買うことはできなかったので彼が対応してくれたのだ。
![]() 修復工事中の斜塔 |
確か急行列車で2時間足らずで、ピサに到着したと記憶している。降りるところを間違えないように、かなり神経を使ったが無事到着した。この時海外で初めて鉄道に乗ったが、駅のプラットホームの高さが日本に比べてかなり低いことに気づいた。客車はごく普通のつくりで違和感は感じなかった。 ピサは海に近い街だが、そんな気配は感じなかった。ここからはバスの便もあるがタクシーしか方法がない。ドライバーは中年の少しコワイ感じのおじさんだったが、20分程度でお目当てのドゥオモ、洗礼堂、鐘楼等がある場所に到着した。やれやれやっとたどり着いたか‥と少しホッとした。 |
ナルホド!これがあの有名な斜塔か‥ 当時、斜塔は傾斜を止めるための大掛かりな工事が行われており、内部には入ることが出来なかった。塔の周りは工事用の資材が山積みされていたが殆どがコンクリートの塊と石材だった。
![]() 洗礼堂 |
![]() ファサードと斜塔 |
バールでサンドイッチの昼食を摂り、一休みしてから今度は駅までバスに乗ってみようと思いついた。イタリア語は全くチンプンカンプンだが、おそらく殆どのバスは駅のほうへ向かうだろうとカンを働かせ、それらしいバスに乗った。
ところがどうも方向が違うようなので大いにあわてた。乗客は2〜3人だった。ドライバーに向かって英語で駅に行くのか‥と聞いてみたが、全く応答なし。
運を天に任せ、しばらく乗っているとナント駅に着いたではないか。やれやれ助かった。ドライバーはバス料金は駅の窓口で払ってくれと云うのでそのまま下車し、バスの案内窓口で支払った。全く冷や汗ものだった。またもやおっちょこちょいな「赤ゲット」ぶりを発揮してしまったのだ。タクシーで戻ればよかったのに‥
その晩、ホテルで食事の際、可笑しな話を聞いた。同行の家族連れの紳士がチョッと深刻そうな顔?して、私に小声でこんな話をしてくれた。 1人で街を歩いていたら、突然妖艶なイタリア美人が前に立ちふさがったという。ビックリしていると彼女は羽織っているガウンの前をパット広げ、ニャーと笑ったという。そしたらナ、ナント!一糸まとわぬハダカのままのボインチャンだったというのだが。 彼は「実にいやなもの見てしまった‥」 と眉をひそめたが‥ ナーンダ! いいもの見たじゃねぇか‥と思って大笑いした。ま、観光地だからそんなこともあるだろう。(後で聞いた話では彼女はオトコかも‥だって エェー! ) |
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とうとうローマにやってきた。例によってバスのドライバーはすっ飛ばした。午後、到着後、バチカン美術館やコロッセ、トレビの泉等ざっと見た後、ホテルに向かった。 泊まったホテルはお世辞にもよいとは云えなかった。部屋も狭く汚かった。それまで海外で泊まったホテルの中では最低の部類だった。ここも観光コースは、ほぼ決まっている。特に説明する中味もないが、何を見ても素晴らしい文化遺産だらけで、ただ感嘆するだけだった。 |
翌日は総てが自由行動だった。先ず全員で地下鉄に乗り、サンピエトロ大聖堂とヴァチカン美術館に向かい、そこから各自自由行動となった。 |
![]() 地下鉄駅構内 |
★リンク ヴァチカン美術館の展示品
レオナルドヴィンチのこと |
![]() サンピエトロ大聖堂 |
![]() 凱旋門 |
![]() コロッセオ |
![]() ![]() これは何? |
![]() 花で飾られたスペイン広場階段 |
![]() トレビの泉 |
◆大聖堂で出会ったの神父さんのこと(家内から何度も聞かされた話)
大聖堂や美術館は、ローマでも最大の大物だが、これ等の紹介はしてみても意味がない。ただただ、このスケールや中味に驚き感嘆するだけだった。イタリア人の持つ芸術的な資質は計り知れないものがあると強く感じた。
家内と午前中一杯かけて一通り見て歩いたのでくたびれ広場で休みを取った。
しばらくすると家内がもう一度大聖堂の中を見てみたいという。私は広場のベンチでイタリアの人々、特に、美女を眺めていたかったので「1人で行ってくれ」と頼んだ。
彼女は一時間ほどして無事戻ってきた。そしてこんな話をした。
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内部の素晴らしい展示品の前で佇んでいると、身分が高そうなイタリアの神父さんが声をかけてきたという。 彼は流暢な日本語で「日本から来たのか」と聞いた上で、「自分は、かつて上智大学で教鞭をとり、目白かどこかに住んでいた」との事。 東京の事情に詳しく、懐かしそうにろいろな四方山話に花を咲かせたとの事だった。しばらく立ち話をして「ご無事で」といい去っていったという。気さくで親切なイタリア人の一面がよく表れていると思った。名前は聞いても直ぐ忘れてしまったらしい。由緒ある大聖堂でこんな体験をするのは真にうれしいことだ。この話は帰国後何回か聞いた。余程感激したのだろう。 |
◆道に迷う
いろいろなところをグルグル回っているうち、「真実の口」辺りで方向感覚を失ってなってしまった。この日のローマは真夏のような陽気でばてたが、タクシーに乗ろうにもステーションが分からなくなってしまった。
ふと物陰に目をやると、男女の警察官がパトカーに乗って待機しているではないか。意を決して近づき英語でタクシー乗り場のことを聞いてみると、二人でいろいろ教えてくれるのだが、イタリア語なので要領を得なかった。相手は英語は話せなかったが、大通りに出る道を教えてくれたように感じた。指差した方に2〜3分歩くと広い通りに出た。幸い一台のタクシーが走ってきたので手を上げると止まってくれた。
彼に「スペイン広場」のガイドブックを指し示すと、うなづいて走り出した。20分足らずで到着した。やれやれと云ったところだ。
実を云うとこの日、他のタクシーに乗った際、車中で大男の「くもすけ運ちゃん」から大声で威嚇され、一万円札を巻き上げられ、ヘンなところで降ろされるというヒドイ目に会っていたので、タクシーには乗りたくなかったが、今度は無事だった。(何故カネを巻き上げられたかについては思い出すのも不愉快!)
◆スペイン広場で
のどが渇き疲れ果てたので広場の傍のカフェに入った。高級ブティク街の一角にあるグレコというかなり大きな店だった。観光客と思しき人々がが大勢入りほぼ満杯だった。邦人の数も多いように感じた。 後で分かったことだが、 この店は大変由緒のある店で観光客人気のスポットらしい。喫茶店というよりお茶を飲ませる博物館の趣がある。 |
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スタイルや雰囲気は、ヴェネツィアで入ったフローリァンと同じだった。後日,分かったことだが、ここはもっとも古い店で、オープンしたのは1760年代だという。実に250年近い歴史を刻んでいるのだ。我々が入ったのは入り口に近い、ティールームだが、奥には博物館があったのだ。
カプチーノを飲みながら隣席の邦人の見知らぬ若いカップルと話が弾んだ。
通称ブランド通りとされる、コンドッティ通りをはじめとして、スペイン広場界隈にはイタリアを代表する名店が数多く立並んでい.る。裏通りに入ると、ブランド品・宝飾品店はもちろん、セレクト・ショップやカジュアル・ショップも数多く並んでいる。スペイン国のスペイン広場とは全く異なる印象だった。
どの店も非常に洗練されたセンスであり、私としては全く珍しく何か身につけるものを一着買おうという気になり、グレコの近くの「ブルガリ」に入り素敵なシャツを見つけた。長袖のブルーと黄色のチェック柄のシャツだった。とにかくセンスがよく日本では見かけたことがない品物だった。
店員がサイズを計ってくれたが、ぴったりのものがなかった。ネックにあわせると袖丈が長かったが買い求めた。海外で衣料品を買ったのは後にも先にもこの時だけだ。結構なお値段だったが、このシャツは綿なのに柔らかく、しわになりにくかったので大変気に入り数年間着ていた。
◆アルリヴェデルチ! ローマ
ウロウロしている間に辺りが暗くなった。連日の「イタ飯」に飽きたので、「中華料理」を食おうと思い、あるチャイニーズレストランに入った。時間が早いせいか客はいなかった。店はかなり広かった。
実はこの日、昼に入った繁華街のトラットリア(イタリア料理専門ではない)のパスタが余りにも不味かったので、イタメシに嫌気がさしたのも理由の一つだ。こんな不味いスパゲッティは日本でもお目にかからない。袋に入れて売っているインスタントパスタの方がまだマシなくらい、ヒドイ代物だった。本場にもこんな店があるのだ。
ここの中華料理の味は本格的だったし中国人と思しきウェートレスのサービスも行き届いていた。
彼女から英語でこんな注意を受けた。「店ではバッグや上着を椅子の背もたれにかけないように‥」と ひったくられるおそれがある‥というのだった。日本人は無防備のノー天気に見えるのかな?
渇いたのどにビールがうまかった。明日の帰国を前にしてくつろいだ気分でイタリアン、チャイニーズレストランの味を大いに楽しんだ。8時を過ぎ、帰り際になってやっと店が混み始めた。
コトバの壁 国外に旅行してみて痛感するのは「コトバの壁」だ。現地の人々と、ある程度コミュニケーションが取れたらどんなに楽しいか‥と思うのだが。仕事で出張したとき、数回同時通訳をしてもらったことがあるが、この時は非常に気分が良かった。今回もチンプンカンプンと書いたが、旅行を通してグラツィエとイル コント、(勘定してくれ)の二つしか使わなかった。 正確に云えば使えなかったのだ。行きの機内でガイドブックを見て、10ほどのイタリア語を暗記したが、殆ど役に立たなかった。当たり前だ。しかし、飲食店で「イルコント」は使う機会が多かった。ただ英語のプリーズに当たる「ペル ファヴォーレ」は云いにくいので一切使わなかった。 イタリア語で一番なじみがあるのは、音楽のテンポや速度指定に使われている用語だ。 |
(04/05/28) もどる