O K I N A W A

ースケッチと写真などー

二月初旬、二泊三日で沖縄を訪れた。
今度で2回目だったが前回から既に10年が過ぎていた。この季節の沖縄は暖かくて別天地だった。
出発時、羽田は小雪がちらついていたが、那覇は汗ばむほどの陽気だった。
(これはホテルの前の美しいビーチ)

数枚のスケッチをしたので写真とともに掲載したい。いずれも水彩色鉛筆で描いた絵だ。
短時間で仕上げるので拙速そのものだ。


◆沖縄はかつての琉球王国で、太平洋戦争時の本土決戦の場所、戦後はアメリカ軍の基地
として数多くの艱難辛苦の歴史があり、我々日本人にとって単なる南の観光リゾートでは
片付けられない特殊な場所だ。

帰京した翌日に駐留アメリカ兵による少女陵辱事件が発生した怒り心頭
読谷村の海辺の教会

ホテルは「日航アラベラ」というリゾートだった。
窓辺に広がる景色が美しかったので早速一枚描いた。これは意外に簡単に描ける。

到着時は午後遅い時間だったが、7時ごろまでは明るい。
天気は定まらず連日雨が降ったり止んだりだった。

ここかしこでプロ野球のキャンプが花盛りだったが、ちょっと頭が痛かっただろう。

海辺の教会
関連写真
以下総てサムネイルで掲載

謝名亭(ジャナティ)
ホテルから車で10分、「むら咲きむら」という観光施設があり、その一隅に琉球会席料理の店がある。

ホテルでの食事はありきたりだと思い、現地で予約した。開店は午後7時。

カラカラ徳利の泡盛を飲みグルクン、ミミガー、ラフテー、おなじみのゴーヤチャンプルなど素朴な味を楽しんだ。混ぜご飯としろ味噌の吸い物など…
「ソーキそば」を何回か食べたが、ソバというよりうどんに近い食べ物だ。なかなか美味かった。

食べ物を美味そうに描くのは難しいなぁ

琉球料理
*l関連写真

店内

舞踊

舞踊

民謡

「エーサ」踊りを見る
琉球料理店の売り物は、昔の武家屋敷を復元したすばらしい建物と琉球舞踊だ。一通り食事が済むと歌と踊りが始まった。

琉球舞踊と歌を何曲か見た後、エーサという踊りをキレイなオネーさんが踊り、我々にも一緒に踊れと促し、何人かが座敷で踊りだした。
本州で盆踊りというのがあるが、それに近い踊りでなかなか楽しいものだ。

動きがあるこのスケッチも難しかった。

エーサ踊り*
「むら咲きむら」で
首里城の階段を上る
首里城はかなり高所にある。駐車場から結構な距離があり殆ど上りで石の階段は急だ。
この最後の石段を登るとお目当てのお城に到着だ。
エッチラオッチラ上がってゆく観光客の後姿が面白かった。

トシとつた私やカミさんには少し厳しかったが何とかついていった。
10、年前に比べるとすっかり整備された観光名所になっていた。

首里城へ向かう人々の後姿が面白い
首里城関連写真

那覇市内


王様の花人形



沖縄の花々(ハイビスカス
二月だというのにブーゲンビレヤやハイビスカスが咲き誇っていた。

気候から云えば当たり前だが、暦の上では真冬なのに夏の花が満開なのは不思議な気がした。

花の絵は短時間で簡単に描ける。スケッチにはもってこいの画材だ

珍しかった花は「たわしの花」(俗名)だ。まるで赤い本物のタワシが枝からぶら下がっているように見えた。


ブーゲンビレア

ハイビスカス

たわしの花

地底の滝
他沖縄旅行で感じたこと⇒ここは単なる南国の観光リゾートではない!

今回は空港から読谷村までクルマで走りましたが、改めて米軍基地の広大さに驚愕しました。国道の左右は陸海空の基地が延々と続いており、沖縄の置かれた厳しい現実の一端を垣間見ることが出来ました。
現状は明らかに総ての面で異常です。いまだに米軍による占領状態だと思いました。

帰京した翌日、今度の鬼畜米兵による少女陵辱事件が発生し、問題の根深さとともに強い憤りを覚えました。県民皆さんの怒りは、到底私のような単なる旅行者などとは全く異質の大きく重いものがあるでしょう。

例によって政府関係者らが「遺憾だ!」を連発しましたが、これこそ真に「イカン」なことだと思い、首相官邸やその他に外務大臣の軽々しい発言や、薄ら笑いの態度にメールで噛み付き、強面で抗議しました。 
彼等には真剣に事態を解決しようとする「心」がありません。「イカンだ…」では済まされません。
政治屋の仕事は「国民の生命と財産」を守ることだと思うのですが…そのことを心底感じ行動している者が本当に居るのでしょうか。大きな疑問です。
徹底的な責任追及と、かかる事件の根絶を強く望むものです。(残念ながらその後も全国各地で類似の事件が続発している)

★今回も「ひめゆりの塔」を訪れました。
観光タクシーの運転手から入り口にあるガマの前で、うら若い多数の女子学生の死を改めて聞き慄然とし、戦争で殺された彼女らの冥福を祈るばかりでした。無念さは計り知れません。

改めて当時の余りにも悲惨な状況に言葉を失いましたが、わが国の旧軍隊がとった卑劣極まりない態度には怒りと恐ろしさがこみ上げてきました。
許せないことですが戦争というのは正に狂気のなせる業ですので、個人の人間性も失わせるものかとも思いました。

当時の現地兵士等を狂気に駆り立てた軍部や、ずる賢く、卑怯な政治屋の責任こそ問われるべきです。

本州から修学旅行の生徒が大勢押しかけておりましたが、心ならずも若くして死に追いやられた女子学生の生き残りの語部の怒りと怨念、悔しさ一杯の話を真剣に聞き、複数の男子生徒が涙を流し、先生が彼らの肩を抱いて慰めている光景を目撃しました。
現代っ子にもこんな感性があったのかと少し救われた気がしました。(2008/05)