後編 前編で書き残したことを少し追加した


◆小説の舞台
我家の近くに千早町という街がある。ごく平凡な山の手の住宅街だ。この辺りが筋書きの一部になっている小説がある。盛りを過ぎた戦後の作品で、余り評価は高い部類ではないらしいが興味を持って読んだ。
題名は「十字路」といい1955年(昭和30年)頃に書き下ろされた長編である。乱歩は数年後に亡くなっているのでいわば晩年の作品だ。筋書きを説明しても始まらないので止めておくが、不倫の末、妻を殺害し逃避行する男女の激しい欲情をテーマにした悲喜劇だ。なかなか面白い。いろいろな登場人物が居るが「千早町のアトリエ」に住む画家もその一人だ。
探偵小説の場所は犯行現場との絡みもあり興味がある。また乱歩氏の住居とも無縁ではないと思われる。
彼は東京に住むようになってからナント46回も転居を繰り返している。そのうち15箇所は池袋周辺と山手線内側の新宿にいたる地域である。

しかし最終の住処はこの千早町に程近い西池袋で30年近くを過している。また、この辺りには池袋モンパルナスのパルティノンやアトリエ村が数多く存在しており、貧乏画家たちの活躍した場所だ。そこと思しき場所を訪ね歩いたが戦災にあったことや近代化で当時の面影は全くなかった。

◆映画作品と 一寸法師
彼は生前、作品を映画化することにも熱意を持っていたと思われるが、記録によると特に一寸法師と呼ばれる人々に非常な関心を寄せている。
作品としては長編で一作、短編で「踊る一寸法師」というのがある。
前者は最初の新聞連載もので浅草を舞台にした本格的な小説であり、乱歩ファンにも人気がある作品である。当時の浅草の様子を髣髴とさせる情景描写が独特の乱歩語録で綴られており興味深い。当時映画化もされている。しかし私は短編の踊る一寸法師のほうが面白いと感じた。

勿論有名な「童話」とは似ても似つかないエログロ変態の世界だ。他にも「一寸法師」は彼の作品にちょいちょい登場するが、かなり興味を抱いていたことをうかがい知ることが出来る。
このような人々は真に気の毒な身体障害者であり、このような表現は差別用語なので現代は使ってはならない用語だと思う。当時は特に差別するという感覚はなく使い、容姿が少し異様なためこの種小説にはよく登場したのかもしれない。
しかし、これは乱歩氏の趣味だったとも言えるだろう。彼自身が当時映画化のために、このような人と接触して出演を頼み込んでいたらしい。

乱歩作品の映画を見る
乱歩の作品は相当現実離れした幻想的な、しかも妖美な世界で、作品を読みながら想像を膨らますのがもっともふさわしいと思い、余り見た事は無い。
天知茂という悪漢役が似合う男優が居たが、彼が明智小五郎に扮し活躍したシリーズものがかなり有名だと思われる。だが私はこれらの作品は観ていないし見る気もなかった。
前記の乱歩展にちなんで2つの作品が池袋の新装成った「人生座」で上映されたので見物に出かけた。その一つは「屋根裏の散歩者」でありもう一つは「D坂の殺人事件」である。もっとも後者は乱歩の作品である「心理試験」とを合成して脚本化したものである。

いずれもエロス、ミステリー作品の映画化では第一人者と目されていた故・実相寺昭雄監督作品であり、手馴れた手法で、娯楽映画としてそれなりに面白がったが、原作のイメージとは少し異なっていると思った。しかしこれは当然のことだ。
なお、乱歩の映画では前記実相寺監督以外にも変態的なセックスを良く取り上げていた石井輝夫(故人)氏が手がけているがみていない。

屋根裏の散歩者



(1994年製作出演:三上博史、嶋田久作、加賀恵子、宮崎ますみ、清水ひとみ、鈴木奈緒 他

この作品では三上博史が変質的な主人公、郷田を、嶋田久作が探偵の明智小五郎を演じている。特にアパートの屋根裏を這い回り、覗き見を、繰り返した上とうとう殺人まで犯してしまう三上博史の変質者としての心理描写はよかった。

また原作上では明智小五郎も、この頃は本格的な探偵ではなく猟奇の徒でだったので、主役の嶋田久作はイメージとは異なっていたがやむをえないだろう。

淫乱な女性住人とアパートの男性とのセックスシーンを天井裏から覗き見するのが余りにも多すぎるのは映画だからやむをえないとしても少し鼻につく。

大口開けて寝ている男に天井裏から毒薬をたらし込んで殺害するシーンは荒唐無稽だがなかなか面白かった。

実相寺監督が先日亡くなった。まだお若く、才能あふれた方だったのに残念なことだ。色々素晴らしい作品を手がけられたが「ウルトラ・シリーズ」で撮ったいくつかの作品の他に、忘れてはならないのが、1990年代に作られたエロス物であると云われている。いずれもSM・猟奇色が強く、一部では凝り過ぎとまで言われる独特の映像美学が強烈な印象を残してくれた。
『帝都物語』で昭和初期の東京の街並みを再現した実相寺監督は、ペーパークラフトで作り上げた町に、紙細工の人を配置したり、電車を走らせたり…。そこに実際の情景音をかぶせるだけなんですが、観ているうちに、そこに紛れもない実際の街並みがリアルに感じられ、道行く人たちの足音や話し声が聞こえてくるような気になってくる。

一方最近は本格的なオペラの演出や舞台つくりにも持てる才能を発揮していた。私は3年ほど前のことだが、二期会のオペラ公演でモーツアルトの「魔笛」を観た。これは氏が演出していたが舞台装置や出演者の服装、舞台装置などが超現実的で非常に面白かった。最初は余りにも奇抜な舞台に違和感があったが、舞台がすすむに連れて「魔笛」の奇想天外な筋書きや音楽ともマッチして新鮮で改めて彼の才能に驚いたものだ。勿論モーツアルトの音楽が飛び切り上等なのは云うまでもないが。

D坂の殺人事件

1998年製作出演 真田広之嶋田久作三輪ひとみ吉行由実岸部一徳

 昭和二年、古本屋の女将が殺されるという事件が起きた。第一発見者が逮捕されるが、やがて他の者にも嫌疑がかかる。『屋根裏の散歩者』に続いて実相寺昭雄が監督した、明智小五郎を探偵役とする佳品。
原作は江戸川乱歩の2つの傑作「D坂の殺人事件」と「心理試験」を合体させたものだ。
物語は真田広之演ずる贋作師・蕗屋が依頼された春画の製作を中心に、妖しくもつれた人間関係を官能的に描いていく。 真田広之は とても魅力的で美しかった。女装した自分をモデルに絵を描くシーン、は色っぽくまた妖しげ ... (画面の迫力もいつもの事ながら、この映画では随所に面白い試みがあり、特に模型で作られた町並みには何か呪術めいた不思議さと美しさを感ずる)

この映画の明智小五郎は、ミスキャストだと思ったが、三輪ひとみ演ずる小林少年はなかなか魅力的だったし、池辺晋一郎作曲の音楽も、さすがに手馴れたものであり素晴らしかった。

団子坂周辺









団子坂
団子坂周辺









喫茶店

原作の出だし
それは九月初旬のある蒸し暑い晩のことであった。私は、D坂の大通りの中ほどにある、白梅軒という、行きつけの喫茶店で、冷しコーヒーを啜っていた。
さて、この白梅軒のあるD坂というのは、以前菊人形の名所だったところで、狭かった通りが市区改正で取り拡げられ、何間道路とかいう大通りになって間もなくだから、まだ大通りの両側にところどころ空地などもあって、今よりはずっと淋しかった時分の話だ。
大通りを越して白梅軒のちょうど真向こうに、一軒の古本屋がある。実は、私は先ほどから、そこの店先をながめていたのだ。みすぼらしい場末の古本屋で、別段ながめるほどの景色でもないのだが、私にはちょっと特別の興味があった…

最後の作品と松本清張氏の解説
講談社の全集は作品が時系列的に並んでいる。12巻目の最後に「指」という短編があるがこれが小説としては最終作だろう。探偵モノではなく一種の怪談すなわち「Ghost Story」である。
同じくこの巻のおわりに同じく推理小説の大家である松本清張氏が乱歩作品全般にわたる解説をしているが、これは判りやすく乱歩の生涯の軌跡を述べており、これを読むと一通りの作品評価なども理解できる。この中で氏は乱歩の作品が後半通俗化したのを残念といいつつ「彼のような天才は、これからも当分は現れないだろう。少なくとも今後四半世紀絶望のように私には思える」と結んでいる。

この解説が書かれたのは1960年のことであり、すでに半世紀になろうとしているが「彼のような天才」は現れたのだろうか。

最後に幻影城(乱歩邸)を訪れる
今年も池袋に「まちかど回遊美術館」がやってきた。これは豊島区が、がさつで危険な池袋をのイメージを少しでも上げようとして取り組んでいる文化活動の一つであるが、江戸川乱歩邸の公開も行事の一つだ。
春の陽光が燦々と降り注ぐ3月末にここを訪れた。前回は2004年に訪問したがすでに3年が経過している。土蔵も含めて部屋の内部には入れなかったが前回より収穫があった。それらをデジカメ写真で掲示してみたい。


左側のふくろうの石造は道路に案内表示として置かれいてる。乱歩の俳句が刻まれている

うつし世は… 
別名、幻影城とも云われている土蔵は関東
大震災の翌年、大正十三年に建設された。
特徴は外壁が「鼠漆喰」で仕上げられている
ことだが現存するのは修復された建物だ。

中庭から応接間を撮る

中央に氏の肖像画

2階への階段付近

谷崎潤一郎全集

応接間、幻影城内部の様子
内部には立ち入ることが出来ず、ガラス越しに撮ったもの
 

これ等は玄関に陳列されていた単行本の表紙の一部
いずれも戦後間もない頃の出版物だと思われる

最後に著作 幻影城のことなど
乱歩は邸宅内の土蔵に膨大な蔵書をを残している。これ等は貴重な文化的資料といわれているが、彼が単なる探偵小説の作家としてのみならず内外特に欧米の探偵小説の研究家として非常に高く広範な知識を持っていたとされる。
研究成果は講談社の全集の最終巻に「幻影城(正・続)」として発表されているが、これ等は一種の学術論文であり、私のような低レベルの者には到底理解できる内容ではない。

その中で面白いと思ったことを一つだけあげて本稿を締めくくりたい。
それは「探偵小説と怪談」というくだりだ。この二つの概念は異なるようだが実は探偵小説といわれるジャンルの一部は怪談といっても差し支えないというのだ。乱歩は自作の「押絵と旅する男」「鏡地獄」「人でなしの恋」などは怪談に属するのではないかとも書いている。
そして怪談といわれるものを更に10種類ほどの項目別に仕分けているが、その中で興味を持ったのは「絵画彫刻の怪談」である。
中でも人形⇒人造人間⇒ロボットの持つ怪奇性について述べているところは、とても面白かった。事実彼は人形を小説の中で色々な形で登場させ、作品に彩を与えている。

近い将来、人型ロボットが実用化されることが予測されているが、私は高レベルの電子頭脳を持ったロボットが感情を持つサイボーグ人間のようになり、人間様がコントロールできなくなることだってありうると考え、空恐ろしくなることがある。
正に現代の怪談である。乱歩氏が活躍していた頃はロボットといっても「機械人間」程度の認識しかなかったはずであり、今は想像もできなかった事態になりつつあると思われる。
氏が生きていたらこれをテーマに恐ろしい近未来を予測するような科学的、推理小説を書いただろうなと思うのだ。

そうそうそれからもう一つだけ面白いと思ったことがある。
それは氏が自身の健康のことについて述べている行だ。彼の一種のボヤキにも似たものであり、これを読むと天才と言われた彼も病には勝てず、人並みに悩み苦しんでいたのだなぁ…と親近感を持つ。
これは全集の14巻探偵小説40年の下巻に記載があるが、彼は晩年は高血圧、生涯の持病は蓄膿症であったらしい。何度か入院し難しい手術も受けている。また聖路加病院で90歳を過ぎた今もなお現役で大活躍しておられる、若き日の日野原博士から高血圧の治療を受けた記録もあるのは興味深い。
鼻の蓄膿は頭が重く、鼻がつまり非常に不快感が強く、思考力にも大きな影響を与えたとも思われるが、乱歩はそのことが直接作品の出来不出来や創作力にマイナスだったとは思えないと述べている。71歳で他界したが最後は脳溢血で1年近くこん睡状態だったといわれている。
乱歩の世界へのリンク