両国界隈 本文へジャンプ


変調気味の今年の夏だったが、ようやくさわやかな秋到来で散歩にはもってこいのシーズンだ。
二回目は都営大江戸線沿線の両国で下車し散策を試みた。

云うまでもなくここは古い歴史を誇る大相撲の街であるが、最近は近代的なビルも立ち並び大きく姿を変えようとしている。しかし、古いところも残る何か懐かしさを感ずる街でもある。家内の実家がある街で比較的訪れる機会が多かったせいかもしれない。
10年前に都営の「江戸東京博物館」という名所?が出来てから「国技館」と二枚看板になり団体客の数も増えたようだ。
なお、界隈の詳細図が必要なときはここをクリックして下さい。


大江戸線両国駅

江戸東京博物館

安田庭園

両国公会堂と庭園

池の取水門



慰霊堂
相撲の額
国技館(ポイントすると長谷川関)


両国駅

大衆食堂


陸奥部屋

花火資料館

回向院前から駅方面を撮影
ルートは以下の通りだが、比較的狭い範囲に集まっているので効率的に回ることが出来る。都営地下鉄両国駅を下りるとすぐ横手に博物館がある。
江戸東京博物館〜旧安田庭園〜東京都慰霊堂(震災記念堂)〜両国駅〜回向院のそれぞれの移動時間はいずれも数分である。
その間に駅ビルのビアホールで地ビールを飲み昼食、更に目の前の国技館をチラッと見て最後に回向院で終わり。博物館だけは有料

◆江戸東京博物館
館内を丁寧に見て回るのはムリ。ここだけで優に半日はかかる。
ここには常設の展示場とその時に応じて変わる企画展がある。
現在は「東京流行生活展」と名づけられた展覧会が11月半ばまで行われている。常設の展示では江戸から東京への400年にわたる歴史をさまざまに見せる。非常に見ごたえがある。
一階にあるショップをのぞくと昔懐かしいグッズの数々が売られており見ているだけで楽しい。
館内には落ち着いた飲食店コーヒーショップなどもあり、疲れたら一休みするのも良かろう。

◆旧安田庭園
真ん中に池があるこじんまりした庭園だが、いつもきれいに手入れが行き届いており気持がいい。
ここは元禄時代の大名庭園を復元したもので、かつてはすぐ傍を流れる隅田川の水を引き、潮の干満で異なる景色を見せる凝った造りの「潮入りの池」だったのを今は貯水槽から水を引き入れて再現している。
当時の水門はそのままになっているので一見の価値はある。裏手の公会堂は古い建物だがドーム式の屋根がここの景観によくマッチしている。

◆東京都慰霊堂
横網町公園の中にあり関東大震災や太平洋戦争での犠牲者が祀られている祈りの場。震災当時、陸軍被服廠跡地であり逃げ惑った人々4万人がここで焼死したと伝えられている。お堂の中には当時の写真や絵画が掲げられている。一見に値する。ここに行ったら同じ園内にある「復興記念館」に是非とも立ち寄ることをお勧めする。地震発生時の模様や貴重な資料、猛火のすざまじさを見せ付けるさまざまな品が数多く展示されている。生々しく見ごたえがある展示だ。大地震は近く必ず起きる。
各々方ご準備万端怠りなきよう!

慰霊堂内部

復興記念館

旧国技館(えはがき)

◆JR両国駅
ここの駅舎は古くなかなか趣がある。
かつてはここから房総方面向かって列車が発進する始発駅であった。
このようなスタイルの駅は欧米などに多く見られる。
一時閉鎖状態だったが、駅舎の一階にステーションビアホールが出来てから再活用が図られたようだ。今殆どの駅は味気のない駅ビルの一隅にあり代わり映えしないものが多い中でこの駅は個性的だ。

お昼になったのでここの和食の店「すみだ」に入った。
3種類の地ビールの中からビルスナーを注文した。のどが渇いていたので大変美味しかった。この店以外にも本格的ビアレストラン、パブなどもあり結構にぎあっていた。天ざるを食べたが駅ビルのレストランとしては丁寧に調理されており、お値段も手ごろであった。

因みにこの界隈には飲食店が沢山軒を連ねている。
場所柄か「ちゃんこ料理」の店が多いようだ。大衆的な所から高級料亭風の店までいろいろ見かけたが、「ちゃんこ鍋」がはたして料理と云えるものなのか?昔は見かけなかったお洒落なイタリアンレストランなども進出している。やはり時代の流れか。この界隈で有名な店がある。
その名を「ももんじや」という。一言で云うと山のけものを調理して出す店だ。熊肉のソテーや狸汁などというものまである。一度お試しあれ。
写真の「深川めし」とはやはり下町の庶民的な食べ物である。すぐお隣の深川で昔からアサリが沢山採れたので剥き身を炊き込んで供したどんぶりである。

腹ごなしに駅の近くをぶらぶらしていたらモダンな感じの相撲部屋を見つけた。陸奥部屋と書いてあった。相撲部屋は回向院の裏手の方に集中している。

回向院
回向院と名のつくところは他にもあり、東京にも南千住に小塚原回向院がある。
駅前の道を南に3分、京葉道路に面して建立されており、読んで字のごとく死者のために仏事を営み冥福を祈るところである。
案内板によると回向院は、今からおよそ350年前の明暦三年(1657)に開かれた、法然上人を宗祖とする浄土宗の寺院だ。
 この年、江戸には「振袖火事」の名で知られる大火があり、十万人以上の尊い人命がうばわれた。
明暦の大火で亡くなった人びとは、身もとや身よりのわからない人がその大半をしめた。江戸幕府は、このような人々の亡骸を手厚く葬るようにと、無縁仏の冥福に祈りをささげる大法要を行ったが、この時、お念仏をあげる御堂が建てられたのが、回向院の始まりとのこと。


回向院入り口

力塚


ここは昭和19年 1月まで本場所が行われ、戦後も 2回開かれたいわば「相撲のメッカ」である。現在回向院には、「猫塚」や義太夫の竹本家の墓などがあるが、「力塚」がお目当てである。
力塚、とんでもなく巨大な石に「力塚」と書かれた石碑、揮毫は徳川家達公。昭和11年の落成という。相撲関係者の霊が祀れている。裏には「相撲年寄名跡」と題して名跡が彫られている。
両国は昔から「隅田川の川開き」で有名な花火のメッカでもあるがすぐ裏手に資料館があるので立ち寄るのも良かろう。(休館日に注意)

その他
少し足を伸ばすと相撲写真資料館、吉良邸跡(赤穂浪士義挙の跡)勝海舟生誕碑、足袋資料館など見所が多い。
なお隅田川は近くの両国橋から眺めることができる。(おわり)
<あとがき>
シルバーパスを使って二ヶ所ほど回ってみた。こんな程度のレポートでも取材をかねて回るのは意外に難しいことが分かった。東京の紹介や案内は数多く出版されている。素人がマネをしても始まらないので独自性を出したいのだが、センスがないのでなかなか思うようには行かない。
東京に永年住んでいても知らないところは数多くあり、どう回ってよいのかも分からずウロウロする。下手な紀行文でもまとめるには一回の訪問だけではではムリな場合もある。写真の撮り方にも工夫が足りない。
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