![]() サンクトペテルブルグ〜 モスクワ |
サンクトペテルブルグで首脳会議が行われ、プーチン大統領がホスト国として大活躍したことは記憶に新しいことだが、数年前、夏にロシアを旅したことがある。 その旅は今までのそれとは少し趣を異にしていた。そこで見たもの聴いたものの中からいくつかに絞って書いてみた。目的はサンクトペテルブルグとモスクワで本場もののオペラとバレエを鑑賞することと「白夜」を体験するというものだった。 この年にアエロフロートロシア航空が東京からサンクトペテルブルグに初めて直行便を運行するというのも心魅かれた理由の一つだった。 |
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ここはネヴァ河の畔 対岸はエルミタージュ美術館、背が高い二人は添乗員 小生は寒さに震え上がっていたが、さすがにロシア生まれのミーシャは半そでで平気 ![]() |
◆ロシアの気候風土 |
![]() 古いが立派なレストラン。 元は宮殿だという。雰囲気は最高だった。 寒いので真昼間からウォッカを飲みすぎ、すっかり出来上がった。 ![]() これがボルシチです。 ![]() ![]() |
◆ホテル事情と食事 海外に旅するとき泊まるところや食事には無頓着な方であるが、古都のホテルは「アストリア」と云い目の前にイサーク聖堂、すぐ近くをネヴァ河が流れていた。古い歴史と格式のあるホテルであった。一言で云えばヨーロッパ各国のホテルとほぼ同じ雰囲気を持ち、終始気持ちよく過ごせた。 ただモスクワの赤の広場の前にある「ロシア」という大きなホテルはひどかった。なんと1000以上の客室があるというが、室内のひどさに同行の宝石屋のオバサンはカンカンになり、数人の子分?と共に夜の夜中にホテルを変更すると言う騒ぎまであった。 トイレの紙は巻紙ではなく、ゴワゴワで黒く尻の皮が擦り切れそうな代物だった。この時日本から持参したトイレットペーパーが役に立った。ベッドはギシギシときしみスプリングはへたり、寝具は湿っぽくかび臭かった。前のホテルと比較すると正に天国と地獄だ。トイレの水洗の取っ手が硬く、手では動かず足で蹴っ飛ばす始末であり、困っていた女性軍にコツを教えてあげた。 滞在中、食事は決して不味いものではなかったが、何処へ行っても変化に乏しく毎日ワンパターンなのでやや飽きが来るのは事実である。スパゲッティのようなヌードルの類は全くお目にかからなかった。肉や魚料理に野菜のサラダが付くが赤カブのようなビートが主で、キュウリやトマトは薄くスライスしきれいに並んでいた。生野菜は貴重な食材らしい。 必ず付いてくるのがボルシチという赤い色をしたクリーム入りのスープであるがほんのりと甘く、酸味があり美味い。主食は黒パンが主でわが国の白くて柔らかなパンになれているとボソボソして硬く最初はなじめなかった。かみ締めていると味が出てくる。 外国では昼でもサケを口にするのがごく当たり前だが、ロシアでも同じでありウォッカが用意されている。日本人にとっては超強いサケである。ウォッカの語源は水と云われているがアルコール度数は50度以上あり、これはロシア人がまるで水でも飲むように、一気飲みのマネでもしようものなら大変なことになる。命は保障しかねる。 我々は飲むにしても水で割りたいところだが、ロシア人はそんな呑みかたはしない。彼等の感覚では日本酒を水で割って飲むようなものだからだ。因みにサケ類は一通りそろっており、ビールは不味くワインは輸入品なのでまあまあである。 有名なキャビアは原産地でも今や高価な食べ物でほんの申し訳程度、添えられているだけだった。 |
![]() バレエ、「白鳥の湖」のカーテンコール、右端は指揮者 実演中の撮影についてはOKだ。 ![]() 午前0時 ホテル前のイサーク寺院 ASA400のフィルムで撮影 |
◆バレェの鑑賞そして白夜 |
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◆ツポレフでモスクワへ 後半モスクワに国内線で移動することになった。 飛行機はロシア国産のツポレフ、夜8時頃の搭乗なのにお日様はカンカン、搭乗券はタラップの途中に例によってコワーイふとっちよのオバサンが仁王立ちになり、大声でわめきながら切符をもぎりとった。 エェー!こんなの初めて! 飛行機の中は薄汚れ、綿ごみだらけ、椅子は擦り切れ、ベルトはヨレヨレ、前のトレイは壊れて用を成しませんでした。日本人は皆ビックリし、思わず顔を見合わせていた。ほんとに大丈夫なのかよと‥ スチュワーデスがこれまた怖かった。 今まで聴いたこともないものすごい騒音を上げながら飛行し1時間足らずでモスクワに到着した。思わずホッとした。因みにアエロフロートは日本人にはもっとも人気がない航空会社だそうだ。 |
![]() ロシアの中距離旅客機ツポレフはボーイング727にそっくりだ |
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◆プーシキン美術館
◆ルーブル紙幣
◆地下鉄 |
◆旅の終わり
別荘といっても我々が考えているようなしゃれたものではなく、雑木林や野菜畑に点在する質素な木造の小屋のような建物である。中には手すりつきのベランダのような造作が施されたものもある。現地添乗員の説明によると、夏の間比較的生活に余裕のある人々はここで過ごし、野菜つくりなどに精を出すのだという。 |
![]() チャイコフスキーの家 ![]() モスクワ郊外の教会と食堂 人物は司教と同行のメンバー 下の写真は「夏の宮殿」で撮影したもので、ロシアの名君であったビヨートル大帝の遺体が安置されている「棺おけ」だという。大理石で造られ、まだ誰も開けたことはないとの事。非常に立派で美しく大いに興味をそそられた。 ![]() <注>海外旅行の際、退屈な飛行時間をつぶすために帰路には旅の印象をメモにして残してきたが今回の紀行文にはこれが役立った。 また、掲載の写真は当時の銀鉛写真が中心である。 |