西安で兵馬庸を見る


北京〜西安〜上海
数年前中国へ旅した。季節は6月下旬、主たる目的は古都西安に行って秦の始皇帝が自分の墓守として作らせたといわれる兵馬俑(ヘイバヨウ)見ることであった。
ここから伸びるシルクロードにも関心があったので出来れば敦煌まで行きたかったが、西安の城からはるか西に繋がっている道路を眺めただけであった。
他にも北京や上海にも足を伸ばしたが、取りたてて話すような中味は無く、XTANが一番印象深かった。
今回は主としてここに絞って印象をまとめてみた。

◆成田で
ツアーは「JALパック」であったが空港に行ってみると今回は我々夫婦だけの参加であった。
どういう風の吹き回しか搭乗手続きの際、JALの職員が「手違いで申し訳ありませんがビジネスクラスにご搭乗下さい」というではないか。
勿論往きだけだがシメタと思った。こんな手違いなら大歓迎だ‥
今までこんな体験はないし第一ビジネスクラスは横目で見て通り過ぎるだけであったから、家内と大喜びした。ゆったりした椅子に座るとスチュワーデスがすぐさまシャンペンを持ってきたのには驚いた。
席は空いており心地よかった。いつも窮屈でろくに身動きも出来ずトイレに行くのにも気が引けるエコノミーとはえらい違いだった。(私はこの長時間のフライトが一番苦痛だ)
北京までは確か4時間弱だったのでもっと乗っていたったが‥ 幸先がいいぞと思った。全く単純極まりないなオトコだ。

◆北京で毛沢東の死体?と対面

毛沢東記念館


天安門広場全景
左手が人民大会堂

北京でも、いろいろな体験をしたが唯一印象に残ったものは天安門広場にある記念館で、かつての偉大な指導者、毛沢東主席の遺体を見たことである。
中国女性の現地ガイドが「少し並びますがご覧になりますか」という。長蛇の列だったが見る価値はあると思い並んだ。比較的早く安置場所の内部に入ることが出来た。
入り口から内部にいたるまで兵士が立ち並びカメラはおろか持ち物は一切ダメという。警戒振りは厳重だった。「立ち止まってはいけない!」とやかましく注意が飛んだ。「ウルセエなぁ」と思った。

せかされるようにして短時間目にした遺体は広間の真ん中に大きな水晶の箱の中に仰向けに安置され花で飾られていた。
ひと言で云うとミイラではなく蝋人形のようであり、ふっくらした顔は写真で見る顔そのものであり、化粧が施されているのか、まるで生きているように見えた。本当に人の剥製だろうか?
今でも国民から敬愛されているらしく室内には沢山の献花が見られた。

◆古都・西安
北京から空路西安までは2時間程度であった。
西安はシルクロードの東の起点に位置し、かつては長安と呼ばれ世界的にも歴史のあるところだ。古い建物は残り少なくなっているが、まだ街を囲む城壁はそのまま残っている。
秦の始皇帝の時代から、唐の時代まで、現在の西安とその周辺は数々の王朝の首都であった。このため周辺には、二三日では到底見きれない数多くの遺跡や寺院がある。そのハイライトは何と云っても郊外に位置する兵馬だろう。

市内中心部の西安城西門



シルクロードの起点に立つ
城壁から道がはるかかなたに伸びていた。入り口は封鎖
市内は北京や上海に比較すると当然田舎風であるが、ビルなども立ち並び観光都市の賑わいを見せている。

中心街の交通渋滞はひどく、クルマ、自転車、ヒトが勝手に無秩序に右往左往しており、交通ルールもへったくれも無い。
人よりクルマが優先だからボヤボヤしているとひき殺される。とにかくどこへ行っても車のクラクションが一日中聴こえる国である。また、自転車の数の多さには驚いた。
内陸であるため6月末だが非常に暑かった。

ここで我々夫婦のガイドをしてくれたのは若い2名の現地スタッフで、いずれも中国の男性であった。
名前は忘れてしまったが一人はガイド専門で日本語はペラペラ、もう一人はドライバー専門であった。
因みに西安観光は彼が運転するドイツ車のサンタナであった。中国ではフォルクスワーゲンがかなり以前から現地生産を行っておりこのクルマは非常に多く走っていた。

◆世界遺産・兵馬傭を見る

博物館一号抗入り口



秦始皇帝兵馬俑


博物館の一号抗内に入ると地下数メートル下に大きく掘り下げられた四角な穴があり、一万体あるとも云われている等身大の兵士や馬の陶製の俑が整然と並んでいた。しかも、それぞれの顔が皆違うという。そういわれるとそのようにも見える。階段を降りてすぐ近くで眺めたが非常に精巧に造られた焼物だ。
黒光りする群像は迫力満点で、これだけで中国へ来た価値は十分あると思った。この迫力は写真では全く分からない。実に不思議な土偶だ。一体何のために?と考えているだけで楽しくなるが、こんな物を造らせた秦の始皇帝の権力の大きさに驚くばかりだ。なにしろ毎年国家予算の三分の一をつぎ込み、稜の地下深くベラボウな地下宮殿を造らせたのだ。モノの本によると皇帝たちは来世を信じ込んでいたらしい。人は死ねば皆ゴミになるのに‥と考えるのは凡人の発想か。
すぐ傍に二号三号抗があるが未だに発掘調査は始まったばかりで今後全部掘り出すにはいつまでかかるかは解らないそうだ。付近の小高い丘は殆ど古墳だと云うが、墓泥棒によって盗掘されたとはいえ本格的な発掘には手が付けられていないという。
俑(ヨウ)とは人や動物を模って作られたお墓の葬品のことである。
ここには、やはり副葬品として埋葬された銅車馬がある。紀元前の物とは思えない精巧なつくりにただビックリするのみだったが、改めて中国という国の歴史や文化に感銘を受けた。

但し、ここでは観光客が俑を勝手に写真に収めることはだめだという。内部に専門の写真屋がおり、その業者が写したものを買い取る仕組みになっていた。真におかしなやり方だと思った。これが商売かも知れないがえげつないやり方だと思う。

◆その他の見所
清真大寺,碑林博物館(ヒリン)、大雁塔(ダイガントウ)、青龍寺、華清池、興慶公園などを見て回ったが雨が激しくなり乾稜へは行かずじまいだった。
それぞれ興味は尽きなかったが見るところが多すぎて駆け足で通り過ぎた。もう少し時間が欲しかった。



清龍寺の東屋

空海記念碑
左はガイドの?





碑林博物館の
石に刻まれた楷書

大雁塔

かの有名な西遊記の三蔵法師がインドのお経を納めるために造った建物

楊貴妃湯浴み姿



玄宗皇帝の浴槽

(華清池で)

◆上海
最後は上海だった。西安から空路で2時間程度だった。西安空港で上海行きの飛行機に搭乗する入り口が分からずウロウロしたが何とか探し当てて搭乗した。一階まで降りて飛行機まで歩いて乗るのだった。下手な英語ではチンプンカンプン、ガイドが居ないと心細い。
上海は非常に蒸し暑く、スコールのような雨に時々見舞われた。
喧騒と雑踏の都会という印象だけで話すような中味は無いが当時の上海はありとあらゆるところで都市整備の工事が行われていた。非常に活気を感じた。ここで見たものの中では「雑技団」の夜の公演が一番印象に残っている。京劇よりはるかに面白かった。
上海についた夜、体調を崩したが、何とか持ちこたえた。滅多に起こしたことが無い腹痛と下痢だった。
生水は飲んではいなかった。原因は不明、食あたりではなく就寝中の冷房と疲労だと思う。楽しみにしていた海鮮料理には殆ど手つかずであった。帰国後も数日間不調だったが医者には行かなかった。

attention please!

*掛け軸の押し売り
中国では日本人観光客はカモ?である。何しろ書、掛軸、墨、筆、ハンコ、など買いたいモノが沢山、しかも比較的安く売られているので人気がある。現地のガイド曰く「日本人には定価の倍以上の値段を提示しインチキなものも多い」と注意された。朝ホテルのロビーで迎えを待っていたとき年配のヘンな坊主が近づいてきた。
ヤバイなと思ったが彼は自らを日本人の僧侶だと名乗った。彼は我々に対し「よくこんなアブナイところを二人だけで旅してるな。昨日も日本人二名がやられた‥」などと話しかけ、しばらく世間話の後、「ところで‥」と風呂敷包みを広げ掛軸数点を取り出し、本物を安くしておくとしきりに薦めた。
こんな坊主はインチキに決まっている。この手合は沢山いるので気をつけたほうがよい。
*ガイド寸評
この時、迎えのクルマは予定の時間よりずっと早く到着していたが、肝心のガイドの兄ちゃんが一時間近く遅刻した。
マジメなドライバーと口論になり険悪だったが彼の言い訳は、昨晩パーティで飲みすぎ寝坊したのだそうな。「ええ加減にせんかい! コノーォ!」 プロとして失格だ。
この若僧はつまらんことをペラペラ喋りまくり、ヤメロ!というのに私のことを「センセイ、センセイ」と呼び、近く日本に留学するので、私の自宅を訪ねたいだのアホウなことを連発していた。全く軽薄でいけ好かない野郎だった。
余程JALへ文句つけようと思ったが大人気ないので止めておいた‥(ドライバーは誠実でグー)
北京はベテランの男女ペアーでグー、上海は学校出たての可愛い女の子で、たどたどしい日本語、当方がいろいろコーチしてさし上げた。
*中国は危ないか
家内と一緒であり夜遊びゼロの日々であったためか、外で特に身の危険を感ずるようなことは無かったがホテルで不審な出来事があった。西安で泊まったホテルは日本航空が資本を投入している皇城賓館であり信頼できる筈だ。
夜、外出先から早めにホテルの自室に戻ったところ閉めておいた筈のドアのカギが開いていた。
驚いて中へ入ると中年の女性が我々のスーツケースを横にして何かしているではないか。彼女は非常に驚いた様子で何か云いながらあわてて部屋を飛び出していった。
すぐさま室内を調べたが特に異常は無かった。実害が無かったのでフロントには届けなかったが、メイドが掃除のため合鍵で入ったのかもしれない。しかし掃除は通常午前中に済ませるはずだし掃除用具などは全く見かけなかった。第一慌てふためいて飛び出していったのは何かを企んでいたとしか思えなかった。
貴重品はフロントの貸金庫に預けた方が無難だ。
*餃子のフルコース
西安で夕食のとき大きな餃子専門店に入った。店の名前は忘れたが、ここで名物の「餃子宴」のコースを食べた。とにかく種類が多い。10種類程度はあったろう。いわゆる焼き餃子は無く、すべてが水餃子か蒸した餃子だ。
しかも一つ一つが小さく皆きれいに細工が施されていた。感覚的には小龍包のようなものだがいろいろな種類の餃子が次から次にと出てくる。値段は一人100元と平均的な月収が1000元の人々にとっては高いので食べたことが無い人は結構居るらしい。
特にウマイとは思わなかったが話のタネにはなる。日本人や韓国と思しき観光客は多かった。その他中国料理は平凡。
*トイレ事情
最後にクサイ話で恐縮だが当時のトイレ事情は日本では想像できないくらい悪かった。
ホテルや一流飲食店は問題ないが、一歩外に出ると公衆トイレは少なく、あっても不潔極まりなくドアが閉まらないものもあった。
八達嶺(万里の長城)のような有数の観光地でもまことにひどいものだった。特に女性にとっては耐え難いものだろう。家内の話によると八達嶺の大きなトイレに入ったところ便器の中に流れない「大」が盛り上がっていたので用を足そうと思った、西洋の女の子がワアワア泣いていたという。また、土産物屋のトイレを使うには何か買わないとダメのような雰囲気だった。
これは蛇足だが、私は例のニオイには慣れている。何しろ二十歳ぐらいまでは汲み取り便所であり、食糧難の時代には庭の菜園にアレを肥やしとして撒いていたのだから。しかも私は田舎に疎開していたとき農家の手伝いで肥桶を担ぐことすら行った経験があるのだ。(子供にとっては非常に厳しい体験だったが‥)
だが、今は衛生やニオイには敏感だ。このトイレ問題を解決しないと世界の人々が楽しむ一流の観光地としては及第点は付けられない。(現在は改善されていると思うが‥)

●中国のみやげ物の数々

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