2024年11月吉日
多文化共生を目指す教育関係者の皆様
グローバル化社会の教育研究会 事務局

第92回 グローバル化社会の教育研究会のご案内

拝啓  ようやく秋も深まってきましたが、皆様いかがお過ごしでしょうか?

  さて、第92回グローバル化社会の教育研究会(EGS)は、帰国子女ジャーナリストの古家 淳さん(元 ルーツ・インターナショナル副社長) に話題提供をお願いしました。
  古家さんは長年、『月刊 海外子女教育』の編集に携わりながら、第三文化の子どもたち(TCK)に関する諸問題に関わってこられました。 昨年からWEBサイト 『ぐるる (Global Roots and Routes)』 を始められています。
  たとえば「取材する側」と「取材される側」、「見る側」と「見られる側」、そして「教える側」と「教わる側」……こうした立場の違いをまたいで考えることで、多文化共生教育にも役立つ新たな視点が見えてくるはずです。 古家さん流の “現代社会の輪切り(Analysis)” のお話しを伺い、それを素に話し合いたいと思います。

  なお、お申込みは 郵便振替用紙にて 参加費を払い込んでいただく方法で受け付けます。 準備の都合上、お早めにお願いします。 (受付: 11月13日まで)

               記

開催日時 :  2024年 11 月 20 日(水) 午後2時〜4時半

開催方法 :

対面式+Zoom 利用による On-Line のハイブリッド開催

[スタジオ会場] 金沢工業大学 虎ノ門Campus
         (東京都 港区 愛宕1−3−4 愛宕東洋ビル 11F)
             * 海外子女教育振興財団の上。


研修テーマ:

当事者の声を聴く…… 「教える側」よりも 「教わる側」に立って
 (1) 話題提供: 古 家  淳  (帰国子女ジャーナリスト)
1957年生まれ。 小4の時にメキシコに渡り、アメリカンスクールで学ぶ。 中2の9月から日本人学校中学部に編入、卒業して帰国、東京学芸大学附属高校に進学。 東京大学教育学部に在学中から、国内初の帰国生ネットワークの立ち上げに参画。 テレビ番組制作会社に就職したが、5年後にフリーランスに。 1987年から 『月刊 海外子女教育』にレギュラーとして関わり、翌年に同誌の編集協力などを業務とする(株)ルーツインターナショナルの設立に参加 (〜2023年)。 インタビューした帰国生は1,000人を超えるか。 また 『私情つうしん』の主宰者としても知られる (1995〜2002年)。

 (2) 自由協議:


話題提供の後、ご意見・ご質問をたくさんいただき、活発な会にしたいと考えています。

参 加 費:

1,000円(運営費)

申込み方法: 郵便振替用紙に 氏名、所属先、Eメール連絡先、ご意見・ご要望などを記入し、ATMで1,000円を払い込んでください。 (詳しくは ここをクリック)
※ スタジオ会場参加をご希望の方は、その旨を通信欄に明記してください。
※ 開催日の4日前になっても Zoom招待のURLが届かない場合や、ご不明な点がありましたら、<kyoiku@t.toshima.ne.jp>まで お問い合せください。
以 上   


『小山の教育通信』 2024年10月・11月

  1980年頃、元帰国生の若者がお互いに支援し合う 「メタ・カルチャーの会」というネットワークがありました。 そこでは 「Strategy(方略)」 という言葉が飛び交い、まるで 「Survival (生存)」 を懸けた闘争の話のようでした。 日本に "来て" みたら、親も周りの大人も先生も皆、「これは常識。きちんとやりなさい」と言う…、その前提となる知識や技術は、自分には全く馴染みのないものなのに、「こんなことも知らないの?」 と言われる…、そのストレスは 柔らかい頭脳に重くのしかかっていて、時折、爆発もします。 帰国生の世話をしてる私に、「先生は向う側(=敵)の人間だ!」と言い放った小学5年生もいました。 しかし、ほとんどの子は 「大人や周りの子を騙すしかない」と悟るのです。
  古家 淳さんは、「メタ・カルチャーの会」を主宰し、『私情つうしん』 の発行者として長年 "元帰国生" の視点で活動しておられます。 1987年から昨年8月号まで 『月刊 海外子女教育』のレギュラー・ライターでした。 「多文化共生教育が普及した」 といわれる今日でも、学校側の "方法(Tactics)" は空回りしている感じです。 「教える側」 と 「教わる側」 とのズレは どこから生じているのでしょうか? どうすれば克服していけるのでしょう?
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  学校教育の現場では、ようやく "多様性(Diversity)の受容・共生" の必要性が認知されるようになりました。 一方、数年前から 「包摂教育(Inclusive Education)」という用語も使われ始めています。 「包摂」は "多様性を受け入れ、互いの参加と満足を得る" ことで、共感や動機付け、互いの融合などを目指します。 本来の趣旨は 「多様性」と同じですけれど、教職員のマンネリや "狎<な>れ" を防ぐために、新しい用語を用いているのです。(笑)
  社会の役割分担や専門分野が細分化される現代では、誰にとっても 「生き難い」と感じられやすいものです。 だからこそ 学校教育では、そうした障害を乗り越えていける 「生きる力」を養わせることが最大の課題です。 かつては 「帰国子女」が排除/疎外されることが問題とされました(帰国子女が問題ではなかった!)  「帰国子女が優遇されれば好い」というのではなくて、学校全体の課題として包摂が求められたのです。
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  1990年代のわが国では 「帰国子女の特別扱いは 逆差別だ」という反発が、多く聞かれました。 学校現場では 「その子に必要な指導を個別に与える」というだけで、国内育ちの子を粗略に扱ってはいないのですけど。 言い換えれば 「表面的な平等ではなくて、全ての子に機会均等を保障」しようとしていただけです。 ただし、「海外で得たものを最大限に活かす」という功利的な発想から、帰国生を特別扱いする場面もあったでしょうね。
  また、「帰国子女は(課題を抱えて)かわいそう…」という "救済" の考え方も、学校現場を混乱させる一因でした。 しかし、本当の悲劇は、それぞれの子の持っている課題に対応できない学校や社会に 彼らが翻弄されていたことです。 それは、何も帰国子女に限ったことではありません。 そんな当たり前のことに国民の大多数が気づくのは、2005年まで待たなければいけませんでした。 大手の学習塾が、「帰国生を中心においた学校づくり」を提唱し始めるまで…。
  20日(水)の第92回EGS研究会は、そうした構造や経緯を 「教わる側」の視点から眺めて、話し合います。

古家 淳さんの話題提供の内容: note 『壁を見下ろす』


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