1.オタク

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「オタク」とは何か。

これは(特に我々にとっては)非常に明確なようでいて、実質その答えを正確に述べることは容易ではない。
そんなの簡単だよ、オタクってのは………と、そこまで声に出したはいいが、その先が続かない人も多いと思われる。
何よりもこれは、この言葉…すなわち「オタク」という言葉の定義がキッチリと定まっていないからこそ発生する問題なんだ。

例えば「時計」という言葉がある。
腕時計、置き時計、柱時計、懐中時計。あるいは花時計、砂時計、腹時計なんてモノもあるな。
まぁ最後のひとつは冗談だとしても、仕様や形はそれぞれ違うとて、腕時計も置き時計も全て「時計」には違いない。 そしてまた「誰であろうと、それが時計であることを疑わない」ことも事実であり、その部分こそが最も重要である。 「時計とはアナログのみ! デジタル時計は時計に非ず!!」なんて叫びまわる人など、(ごく一部の時計マニアを除いて)あり得ないわけだ。

しかし、例えば「テレビゲーム」という言葉の場合はどうだろうか?
オレは卒業論文のテーマ(「テレビゲーム問題の構造と、その功罪」)がその関連だったこともあり、「テレビゲームの定義」に関しても調査・考察を行なったが、調べれば調べるほどに、ソレは明確に「これ!」と定められるものではないことが解ってきた。
そもそもテレビゲームとは、まだ生まれて間もない商品であり言葉である。 実際この言葉が誕生してから30余年しか経っていないわけで、未だ言葉の整備もキッチリできていない状態にあるんだ。 ゆえに「テレビゲームとはこういうもの」という基本的な区分さえも、かなり曖昧というのが現状である。

例えば家庭用ゲーム機…所謂「コンシューマーゲーム」(ex.ファミコン・プレステ・ドリキャス等)は大概において「テレビゲーム」に区分され、少なくともそこは一般常識になっているようだ。しかし携帯用ゲーム機(ex.ゲームボーイ・DS・PSP等)は「テレビゲーム」なのか? それじゃあアーケードゲームは「テレビゲーム」か? パソゲーは? 携帯電話用ゲームはどうだ? …こういった質問になると、もう定義がグチャグチャになってくる。
(余談だが「テレビに接続するゲームだからテレビゲームという呼称である」という理論は、よく勘違いされるが誤りである)

すなわちその定義は、人によって千差万別…まちまちだということだ。携帯用ゲームやアーケードゲームもテレビゲームの一種だという考えの人もいれば、いやテレビゲームとはコンシューマーゲームのみを指す用語だ、と考える人もいる。先の「時計」のようにキッチリと定義が決まっていればこのような状況にはならなかったろうが、なまじ曖昧であるがゆえ、個々人によって捉え方がこうまで変わってくるのである。

ここで、「オタク」に話を戻す。
つまり「オタク」もまた、「テレビゲーム」と同様に酷く曖昧な言葉なんだ。ゲームやアニメのファンを総称して「オタク」だと考える人もいれば、その中でも「特定の要素(ここも考え方によってまちまち)を持った人」のみがオタクだと思う人もいる。ここもまた、千差万別・十人十色だろう。
ただ少なくとも…オレはひとつだけ、常々思っていることがある。
それは何より「オタクってのは、ゲームやアニメだけに限った言葉じゃないだろ?」というモノなんだ。
また逆に言えば、ゲームやアニメのファンが無条件で「オタク」ってわけでもない…と考えている。

そもそも最近は、世間の風潮そのものが「まるでオタクのバーゲンセールだな」(Byベジータ)ってくらいに言葉が安売りされている。
ちょっとアニメの話をしたら「お前オタクだったのか!」となり、あるいはちょっとゲームが好きだっただけで「俺オタクなんだよね」となる。
昨今秋葉原(の特定の部分のみ)がニュースでも度々取り上げられ、「オタク」という言葉が世間に浸透し冗談やネタとして使われる割合が増えたことも影響して、それこそこの世は他称・自称のオタクだらけ。ゆえに少しでもゲームやアニメが好きとなれば、即座にオタクと扱われる…そんな現状も、全く理解できないわけじゃない。

だがオレはもともと、「特定の何か」にひたすら熱意を注ぐ人間…その総称こそが「オタク」であるという考えを持っている。
すなわち「ゲーム・アニメ・マンガのファン」だけがオタクとは思わないし、また「ちょっと好き・微妙に好き」程度がオタクとも思わない。
ゲーム等に関わらず、ともかく「何か」に極度の愛着を抱き、熱意を注ぎ、そのために時間や金をひたすら割く。
それこそが、オレ個人が考える「オタク」の定義なんだ。

そして同時に、もうひとつ…オレには大きな持論がある。すなわち、この言葉だ。

「オタクじゃない人間は、薄っぺらい人間である」


そう、別に「軍事オタク」でもいい。「釣りオタク」でもいい。「アイドルオタク」でもいい。「サッカーオタク」でもいい。
あるいは、「勉強オタク」や「仕事オタク」でもいいんだ。
だが我々の人生において、ひとつ…たったひとつでもいいから、自らの熱意・情熱を一身に傾けられる存在。それを保持していないと、人間は淀む。
何を楽しみに生きている? と問われて、「コレのためさ」と即答できない人間は…それこそ、何のために生きているのかさえ解らない。それはただ、心臓が動いているだけにも等しい。
そういう意味で、恋人や家族のために生きる…言うなれば「恋人オタク」や「家族オタク」か? それもまた、いいだろう。

だが少なくとも、人はオタクになるべきだ。
なんでもいいから、「自分がオタクになれるもの」を見つけるべきなんだ。
そしてそれが、オレの第一の信条である。

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