19.誇り

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これは以前「ゲーマーの日常」においても少しだけ踏み込んだ話なのだが…そしてまた、今回の企画においても以前(「6.見下し」の項にて)少々触れた話題ではあるが、今回はそれを更に深めていくことにする。よって今回は、「誇りと卑下」をテーマに据えることにした。

さて。そもそも以前に何を話したかといえば、それは自分と相手の「趣味」に関する話だ。
つまりGACという我々の趣味は、基本的に世間から疎まれるもの。だが疎まれるからといって、それに対抗し「こちらが相手の趣味を馬鹿にする」ことをしてはならない…という結論だった。これはGACファンに限らず、誰だってそういう思考を持っている…つまり人間というのは基本的に「自分の趣味以外はどうでもいい」という意識を抱き易いため、他の趣味を軽々しく馬鹿にできてしまうことに起因する。
しかしだからといって、自分が他の趣味を馬鹿にすること…それははすなわち「人から自分の趣味を馬鹿にされた」ときに返す言葉を失うことにも直結する。もちろん自分一人だけが被害を被り、それを気にしないというならいい。だがその行為によって、自分と同じ趣味を持つ不特定多数の人々にまで見えない影響を与えるのだとしたら、それは自粛すべきということだ。

(基本的な例を出せば、あるGACファンが「GAC以外の趣味は全部クソ!」と断じていたとする。するとそれを見た他の人が「GACファンにはああいう馬鹿なヤツが多いんだよな」と思ってしまう可能性がある…という話。また、そういう先入観はなかなか消えにくいというのもタチが悪い)


ともあれ、上記の話は以前までの繰り返しだ。よって今回は、もう少しその内容を深めていくことにする。
ここでは例として「一般人」という言葉を挙げよう。これは我々の同類…つまり(GACファンという意味での)オタクが好んで使う言葉であり、すなわち「オタク」に対する「オタクじゃない人」という意味合いで用いられることが多い。確かに現在はこの言葉も一般化し、ただ単に「GACに詳しくない人」の総称として気軽に「一般人」が用いられ、その意味を深く考える人もいないのだろう。だがオレはそれでも、この言葉に大きな違和感を覚えずにはいられないんだ。

何しろ「オタク」に対する言葉が、よりにもよって「一般の人」である。それはすなわち、オタクというのは「一般」じゃない…特殊な人間であると、自ら宣言しているも同じこと。それは自分達を誇っている、あるいは卑下している…そのどちらの意味にしろ、選民思想も甚だしいとオレは思うのだ。
もちろんGACに関わらず、その道のプロだったら「一般の人は〜〜」という台詞を口にすることもあるだろう。一流シェフが料理指南をするときに「(我々は違いますが)一般の人なら、こういう調理法にするのが良いでしょうね」と手ほどきしているのを、オレもテレビで見たことがある。だが「野球ファン」「音楽ファン」等と同じく「一介の趣味人」であるハズの「GACファン」が、何かある度に一般人一般人と…そういった態度を見るたびに、オレは無性に違和感を覚えるのだ。

とはいえ先も述べた通り、既に「一般人」という言葉はかなりメジャーな言葉と化し、そこに過敏に反応し目くじらを立てるのも時勢と合っていない。あえて例えるならば「全然」と同じだ。この単語は本来否定の意味合いで用いられるもので、ゆえに「全然大丈夫」という用法は間違いだが、いつの間にかソレを咎めることが「こだわり過ぎ」と呼ばれるようになったようなもの。現在の世情が「ソレ」である以上、そこに文句を言っても仕方ない。

もっともそれによって、新たな問題が生まれたことも忘れてはならない。これは「どの程度をオタクと称すか」「ゲーマーとは何か」みたいな話とも関連するが、同じく「一般人とはどんな(どのレベルの)人を指すのか」がまた難しい。そりゃ先に述べた規定に従えば「ゲーム(アニメ)を全くやらない・知らない人」は一般人なのだろうが、それなら「ちょっとでもゲームをやったことある人」だったら一般人じゃないのか? あるいは1年に数回はプレイするという人ならどうだ? 1ヶ月に1回という人だったら?

…そして今は「プレイ量」だけで計ろうとしたが、実際には「知識」やら「技量」やら、人によって「どこを基準に、それを満たしてない人を一般人と見なすか」は違ってくるだろう。もちろん「僕はこういう基準です」という各々の言い分を語ることはできるだろうが、その基準が万人共通じゃない以上、問題が緩和されるわけではない。つまり人によって「一般人」という言葉の使用意図と意味合いが異なることにより、無為な誤解を生む危険性もあり、気軽な乱発は避けた方が無難ではないか…と思うことはあるわけだ。


ただ、ここまでの話は言わばオマケだ。オレがこのテーマに関して何より考えていること。それはやはり、冒頭に述べた「誇りと卑下」の話である。
つまりオタクだとか一般人だとか、そういう言葉で人間を分類したがる…それだけならまだ構わない。だが場合によって自分を誇ったり卑下したり…コロコロと態度を変えることこそが大きな問題だと思うんだ。

右で「ゲームやアニメの面白さが解らない一般人」を馬鹿にしたかと思いきや、左で「芸能人やら旬の歌が解らない自分」を「どうせ俺はオタクだよ」と卑下する。それは、確かにネタなのかもしれない。だがたとえネタであろうとも、オレはそういったあやふや・どっち付かずな態度こそが「オタク」と「一般人」という人種区分を生み出し、ひいては我々GACファンと他の趣味人との間に見えない壁を形成させている気がしてならない。

自分がGACファンであることを誇るなら、いつでも誇ることが大事であり、場合によって誇ったり卑下したりを入れ替えるのは大いなる矛盾だ。
そもそも我々の趣味を、GACに興味のない人々が馬鹿にする…というのなら、納得はいかないにしろ理解ならできるんだ。オレにしたって馬鹿にこそしないものの、自分の趣味(GAC)以外に興味がないことは確かなのだから。だが他でもないGACファン自身が自身の趣味を、たとえネタとしてでも貶めること。それはオレにとって、ある意味では「GACを馬鹿にする他の趣味人」以上に腹立たしいのである。

そりゃ法律に触れるようなアンダーグラウンドの趣味だとしたら、確かに誇ることはできないだろう。
だがそうじゃない以上、自分で自分の趣味を誇ることができない…あまつさえ卑下するというのなら、そんな趣味は即刻やめることをオススメしたい。

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