さて…長い長い「前書き」を経て、ようやく本題となる後編に入る。ともあれ前回の反省を活かし、今回は簡潔に行くとしよう。
まずはおさらいだ。前編においてオレは「時」「歴」「識」「技」「数」という5つを何らかの趣味における指標として提示したが、そもそもコレは最初から人と比べることを目的としていない…というか、比べたくても比べられない。特に「識」や「技」というファクターなど、その様相が顕著だろう。
例えば5種類の何かがあったとき、Aという人はその中のひとつにだけ異常に詳しいが、他の4個に関しては全くの無知だったとする。知識を数値で表すと10・1・1・1・1というトコロか。対してBという人は、5種類全部に対し少しずつ詳しかったとする。数値は3・3・3・3・2としよう。
これらの数値を合計すると、AもBも同じく「14」になるわけだが…このとき、A・Bいずれが「より知識のある人間か」など、誰にも判らない。また現実には、今みたいに知識量を数字で表すことなど不可能なので、更にその判別は非現実的となる。
「技」に関しても同様だ。とはいえ例えばゲームの場合、対戦ゲーム等でキッチリと双方の実力を測ることも不可能ではない…が、1作2作のソフトで優劣を求めることが何に影響するわけでもない。結局は先の事例と同じく「特定のゲームが凄まじく得意」と「色んなゲームが満遍なく得意」という2人の人間がいた場合、「そのどちらの技術が上か」など判断できるハズもない。
結論から言ってしまえば、そういった要素など所詮アビリティに過ぎないということだ。RPGで例えるならば、これらは「ちから 3」「かしこさ 5」といったステータスでしかなく、実際の「レベル」とは何も関係ないだろう。そもそもゲームファンを例に取るならば、「色んなゲームをどんどんプレイする人」はやり込みプレイヤーに比べて「ひとつのゲームをやり込む度数」が低くなるのは当然だし、またその逆もしかり。
結局のところ誰かと誰かを比べた際に、一方のどこかが勝り、そしてどこかが劣るのは必然だ。だからこそ、そんなトコロは大して重要じゃない。ゆえに、そういうこと――ゲームを何作プレイしただとか、何時間プレイしただとか――は、それによって大体の判定(この人はこのゲームが好き・得意なのかという判別)はできても、ゲーマーの格やら何やらという部分に影響を及ぼすものではないと考えている。よってそんな部分を誇っても、精々が口先八寸の威圧というか、子どもを騙すくらいのことしかできないだろう。
だからこそオレは、前編で述べた話を「ただの前書き・余談」だと断じたわけだ。
要するにソレに費やした時間、ソレに関する知識、ソレに関する技量……そんなモノは、言ってしまえば「ただのオマケ」なんだ。もちろんソレらが多いに越したことはないかもしれんが、逆に言えばソレが少ないからといって、過剰なほど気にする必要もない。
打率は何割か、ホームランは何本か、防御率はいくつか…そういった厳密な成績により年俸が決まるプロ選手じゃあるまいし、そもそも「趣味人としての格」というものは、そんな能力的数値で測るものではないとオレは考えている。そしてその代わりに、もっと重要な…それこそ前編で述べた5つの要素など霞んで消えてしまうような、そんな一大ファクターがここには存在するとオレは思っている。そしてそれが、今回の「前後編」における結論だ。
そう。趣味人という観点から考えた際に、オレが何より重要であると思っている要素……それは、「熱意」である。
時間でも知識でも技量でもない。「熱意」の大小こそが、趣味人の格を決める唯一絶対の基準であると…オレは、そう考えているんだ。
そもそも考えてみれば、(ゲームファンを例に取った場合)「ゲームに対し冷めてるゲーマー」など存在するだろうか? …いや以前にも述べたように、人によっては「ゲームを少しでもやったらゲーマー」という考え方もあるので、理論上は存在するのだろう。だが問題は、そういう人が持つ「趣味人としての格」はいかばかりか…という部分にあるのだ。
確かにゲームは上手い。ゲームに関する知識もある。色んなゲームをプレイしている。
でも「こんなの所詮はガキの遊びだろ。俺ァ暇だからやってるだけだよ。お前らは、何こんなのに夢中になってんの? 馬鹿じゃねぇの?」と語る。
もしそんな輩がいたとしても、技術・知識があるからと「彼は趣味人(ゲームファン)としての格が高い」と言えるのだろうか?
少なくともオレは、そうは思わない。たとえゲームが下手でも、詳しい知識など持っていなくても、ただ「僕はゲームが心から大好きなんだ!」と本心から感じている…そんな人の方が、よっぽど趣味人として勝っているのだとオレは思う。
だからこそオレは「ゲーマー」という言葉に関しても、知識や技量で測るのではなく「それを一番の趣味にしている人」…つまり熱意が高い人にこそ、その称号を冠するべきだと考えているわけだ。たとえゲームが上手くても、ゲームに対し冷めている人間に「ゲーマー」という称号を名乗って欲しくはない。逆にゲームが大して上手くなくとも「ゲームが大好きだ!」という人には、堂々と「ゲーマー」を名乗って欲しいとも思う。「ヘタレゲーマー」とか「ヌルゲーマー」とか、そんな風に遠慮することなく。
同様にオレは技術・知識が無いライトユーザーを馬鹿にするのは嫌いだが、逆に知識はあっても熱意は無い…そういった輩が偉そうなことを喋っていると、途端に我慢ができなくなるんだ。
もちろんGACファンに限らず、何を趣味にしている人だって、技術や知識を競いたい・誇りたいと思う気持ちはあるだろうし、あって当然だろう。
だが「それが全て」と考えてしまうのは、あまりに一元的だ。もちろん技術も知識も重要な要素には違いない。しかしひたすらソレだけに縛られ、他の全てに目を向けない…それは、とても悲しいことだと思うんだ。
技術・知識を持つ人は、それを過剰に誇るなかれ。
技術・知識を持たない人は、それを過剰に卑下するなかれ。
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