3.生涯

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「この作品は僕にとって、人生で一番感動した名作だね。もうこれ以上の作品には絶対出会えないよ」
「このキャラは俺にとって、もはや超えるものがいない好きキャラだ。これ以上好きなキャラなんて、絶対見付からないね」

こういった台詞は非常にメジャーなものであり、また「コレこそ生涯変わらぬ自分のトップだ!」と宣言することは、「そのもの」に対する最大級の謝辞であると同時に、自らの愛着を端的に示すことができるとても便利な言葉でもある。そしてだからこそ、何も考えずに乱発されがちな言葉でもあるんだ。

例えばオレは、「名作」という言葉があまり好きではない。なぜならその言葉は、思考を放棄しているように感じるからだ。
そもそも「名作」という言葉の意味を考えてみると、そこには多種多様に渡る「様々な意味」があることが解る。

「素晴らしい」「感動的だ」「泣ける」「面白すぎる」「これまでにない斬新さ」「テーマが深い」「心にビビっと来た」「魂が惹かれた」etc...

そういった多くの意味・ニュアンスの全てを漢字2文字にまで凝縮した単語、それが「名作」という言葉の正体である。
そしてだからこそオレは、それを「思考の放棄」だと考える。なぜならば、この言葉には「意味が多すぎる」からだ。
同様に「萌え」という単語もそうだ。この単語も「好き」「可愛い」「愛しい」など、2文字の中に多くの意味が混在されている。

結局は何が言いたいか。要するに「名作」にしろ「萌え」にしろ、「とてつもなく使い易い言葉」だってことだ。なにしろひとつの言葉で多くの意味を自動的に補完してくれ、また言う側だけでなく言葉を受け取る側も、上手く頭の中で意味を掴み取ってくれる。もともと定義が厳密ではなく、ある程度「抽象的」なため、逆にどんな状況であっても「その場に適したニュアンスとして受け取ってもらえる単語」がこれらであり、そしてまた世間に「名作」「萌え」という単語が溢れ返り乱発されている理由がここにある。「とりあえず、テキトーに使っとけばOK」とでもいうか。
極論を言うならば、ある作品に関して「これは名作だ! 以上!」というだけで、全てが済んでしまうというわけである。

だからこそオレは作品について語る際、極力「名作」という単語を用いない。またキャラを語るときも「萌え」という単語を使わない。
それは何より「思考の放棄」を避けるためであり、それら「便利な言葉」をあえて使わないことによって、「自分の言葉で、細かく自分の気持ちを表す」ことが没個性化を防ぐ最良の方策だと信じているためだ。(もちろん、そのため余計な苦労をしていることは間違いないが)


ともあれ、ここでようやく最初の話に戻る。つまりある作品やキャラに関して「コレこそ自分の生涯トップだ!」と宣言すること。オレは、それこそまさに「思考の放棄」の最たるモノであると考えているんだ。
例えば、自分が死ぬ間際の老人だというのならまだ解る。余命1週間の人ならば、「自分の人生におけるトップ」という言葉にも重さがあり、信用に足るだろう。だがオレ達のような…要するに、まだたかだか20年ちょっとしか生きていないような若造が「生涯変わらぬトップ」として特定の作品やキャラを挙げる行動に対して、オレはどうにも一種の空しさというか、実の無い空虚さを感じずにはいられないんだ。

なにしろ20歳といったら、残りの寿命は平均で60年近く残っている計算だ。まだ人生の4分の1しか生きていないクセして、その20年で得た「何か」が変わらぬトップであり、残り60年の人生でソレを超えるモノは絶対にない! と言い切れるというのか? オレにはソレが、胡散臭いとしか思えない。
そしてオレがこの部分を追究するのは、なにも「言葉のアヤ」というか「単純な揚げ足取り」をしたいわけじゃなく、きちんとした理由がある。すなわちソレが先に述べた「思考の放棄」に直結する話だからである。

すなわち「コレこそ、俺の生涯トップだ!」と宣言するということは、少なくともその人にとって「不動の1位」はソレに定まっているということだ。例えばオレのように好きなキャラや作品のランキングを作るとしたら、とりあえず1位は一瞬で「ソレ」に決め、2位以下から考え始める…ということ。もし毎年ランキングを作るにしても、とりあえず1位は確定。ランキングをズラすのは2位以下から…ということになる。

だが、オレが憂いているのはまさにソレだ。「1位を決めるときは、迷ったり考えたりしない。とりあえず何も考えず、ソレに決めてしまう」ということは、まさに「思考の放棄」に他ならない。2位と1位を並べ比べて、自分の中で本当に1位の方が上なのか!? を1時間近く悩んだ末に決定する…オレの場合はそんな感じだが、まぁそこまでは望むまい。ただ思考が入る隙間さえなく「1位はコレ。はい確定」と「己の心を初めから決め付ける」ことは、自らの心に鍵をかけるにも等しい行為だと思うわけだ。

だからオレは別に、「何十年もずっと1位が変わらない」こと自体は何の問題も無いと思う。毎年そのときの2位と1位を穴が開くほどに比べ、迷い、悩み、その結果として「やはり、未だ自分のトップはこっちだ…!」と選択すること。それは思考を放棄してはいないだろう。
大事なのは「ひたすら考える。考え続ける」ことであると、オレは信じている。


例えば、実際こんな台詞を吐く子を目撃した経験は無いものの、こういう台詞を知っているだろう?

「わたし、大人になったらパパのお嫁さんになる!」

…そう。その当時の子にとっては、「パパ」が世界で一番好きな男性なんだろう。それはその子にとっての、ただひとつの真実だ。
だが20年後。大人になった子は、まだパパのお嫁さんになりたいと思っているだろうか? 盲目的に、その気持ちを保持し続けているのだろうか。
成長するに従い「親子じゃ結婚できない」という社会通念を知ったから…という話とは関係なく、20歳になっても「パパが世界で一番好き」なのは変わっていない。そんなケースが、全体の何%あるというのだろう。

だが「俺にとってこの作品・キャラは、一生の.1だ!」と。そう宣言している人を見ると、オレはいつも「パパが世界で一番好き! パパのお嫁さんになる!」と無邪気に言っている子の姿を思い浮かべずにはいられない。しかし作品やキャラへの盲目的な愛は、結果的に己の目と心を閉ざし固定観念に囚われる末路へと繋がってしまうと。オレは、そう考えている。

何より重要なのは「常に、きちんと考える」ことである。

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