誰だって、自分の好きな作品というものはある。それはゲームやアニメに関わらず、映画や舞台劇についても同じだ。
つまり皆が皆、心に「好きな作品」を持っている。これは当然だ。
そして皆が皆、そういった「好きな作品」が何かしらの非難をされた場合、なんとかその非難を緩和させたいという気持ちを抱く。これも当然だ。
程度の差や、実際に口に出すか出さないかの違いこそあれ、好きな作品を弁護・擁護したいと思う気持ちは万人に共通だろう。
だから擁護する…その行動自体は問題じゃない。だが時に「過剰な擁護」が大きな問題を生むことがあると、オレは考えている。
タイムリー…というには若干古い話になるが、2007年9月に京都で発生した、16歳少女による父親殺害事件を受け、アニメ版『ひぐらしのなく頃に』が放映延期・休止・あるいは打ち切りになるという措置が取られ波紋を呼んだ。それは当然、「前述の事件を連想されるから」という理由である。
もちろん件の事件、その原因が『ひぐらし』であるという証拠はない。そしてだからこそ、この措置に対しては多くの非難の声が寄せられた。
「大した共通点もないのに、『ひぐらし』が事件の原因のわけない。あれくらいの描写は何の影響もない」
「結局、馬鹿なヤツが事件を起こすだけだ。『ひぐらし』を観ようが観まいが関係ないだろう」
などなど、ネット界も騒然としたものだ。そしてそれらの非難は、確かにどれも的を射たものである。
実際のところ、テレビ・ネットというメディアがこれだけ発達し世間一般に浸透している現在、何かしらの「悪影響を及ぼすもの」などそこら中に溢れている。だからこそ、少しばかり事件の様相が作品と似通っていたからといって、『ひぐらし』ばかりを目の敵にし規制するのはおかしいというわけだ。(実際は『School Days』の規制もあったが)
そう、そもそも彼ら…すなわちアニメのファンからしてみれば、局の行なった規制に怒り心頭なのも当然だ。
自分が好きで、楽しみにしていたアニメ…それが突然打ち切られたら、誰だって怒りたくもなる。その気持ちは問題じゃない。
だがしかし。「『ひぐらし』に悪影響なんてない! あるワケがない!!」という作品擁護が、時に行き過ぎてしまうのが問題だと思うわけだ。
確かに馬鹿な人間は、何が原因であろうと事件を起こすかもしれない。いや、例え原因など無くとも、起こす人間は起こすものだ。
ただそこで重要なのは、それは確実にそうであると決まっているわけじゃない…つまり場合によっては、本当に『ひぐらし』が原因で事件を起こす人間がどこかにいる、あるいはいたのかもしれないということだ。それが表沙汰になった・ならないに関わらず。
例えば以前にも、残虐なテレビゲームの規制を、県を挙げて行なおうとした知事がいた。
その理由は「まだ実証はされていないが、しかし残虐ゲームが子ども達に対し、何らかの悪影響を与えていないとは言い切れない」から…というものだ。
すなわちゲームが犯罪の温床になっている…という、ステレオタイプ的認識を盲信していたがゆえの政策だろう。
だがそんな理屈で、勝手にゲームを規制されたんじゃ溜まったものじゃない。いくらなんでも理由が身勝手すぎ、極論すぎる。
よって当然ながらゲームファンはそれに反発し、数多くの投書が知事に対して寄せられた。
「僕も残酷なゲームはプレイしますが、でも犯罪は犯していませんよ」
「ハリウッドの映画はなんで規制しないの? バンバン人殺してるよ」
…だが、ここが問題だ。
我々ゲームファンは、そういった投書の声に対し「そうだそうだ! 規制反対!!」とひたすらゲームを擁護すべきだろうか?
いずれにせよ、ひとつ気付かなくてはならないことがある。実証もされていない理由のもと、個人の判断でゲーム規制に乗り出すのは確かに極論だ。だが「自分も残酷ゲームはやるが、犯罪者じゃないよ」「ハリウッド映画は規制しないの?」といった指摘も、同様に極論…いわば幼稚な揚げ足とりに過ぎないということを、我々は意識しなくてはならない。
オレは『ひぐらし』という作品が好きだし、面白いとも思う。
同時に『ひぐらし』の本質や主題は、別に「残虐な描写」にあるわけじゃなく、そのストーリー構成の巧みさにあることも理解している。
だが問題は、本当に『ひぐらし』には何も問題ないのか。精神的に大人ではない、18歳未満の子ども達があの作品を見て、本当に「何らかの影響はまったくのゼロ、皆無なのか」をしっかり考えることなんだ。考えた末に「やはり問題はないだろう」という結論を出すなら、それもひとつの答えである。
ただ悩み考えもしないままに、盲目的に擁護をすればいいわけじゃない。規制をされたからといって、それに怒って対抗し、安易な感情論を持ち出す。それは、作品のファンが真にやるべきことなのか。…違う。理論立っていない感情論は、結果として「オタク必死だなwww」と言われるだけだ。
そう…必死でいい。必死で構わない。だが必死と盲信は別物だ。
もちろん『ひぐらし』に限った話ではないし、それでアニメの放送が打ち切られるのは確かに悲しいことだろう。だが、たとえソレが幼い子どもに悪影響を与える作品であったとしても、それすなわち「作品の面白さ」を損なうものではないんだ。なんでもかんでも擁護するのではなく、マイナス点を認めたうえで、それでもなおファンであることを誇りに思う強さ。時として、それが何よりのチカラになる。
例えば自分の好きなゲームが世間で不人気だったとき、「世間では○○って非難されるけど、僕にはソレが全く理解できません!!」と言う人は多い。
確かにネット上でも頭の悪い非難は多く、それに辟易する気持ちも解る。だが中には「的を射た批判」が含まれていることも忘れてはならない。全てを「アンチの戯言」と断じ聞く耳を持たないままでは、「作品のファンである自分」を一歩先の次元に押し上げることはできない…と、オレは思うんだ。
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