ある作品を、大した理由もなく批判すること…それは大概において、白い目で見られることが多い。それは作品批判に留まらず、あらゆるディスカッションの場においても同様だ。子ども同士の口喧嘩じゃあるまいし、議論の場において安易な感情論は禁物。ゆえに誰しも肯定・否定に関わらず、そして良い意味でも悪い意味でも「理屈を捏ね回して」意見を述べることが求められる。また、それが当然の行為だ。
だがそんな中でも極めて手軽な批難方法…すなわち「傍目には理論っぽく見える、適切な批難のように見える」のが今回のテーマ、つまりは「パクリ」というものである。
「○○ってゲームのシステムは××のパクリだよね。だからクソだよ」
「△△ってアニメのストーリーは□□のパクリだよね。だからクソだよ」
そういった台詞は、どこでも飽きるほどに聞くことができる。そしてまた、彼らの言い分を詳しく紐解いていくと、そこに含まれる意味が少しずつ判ってくるんだ。というよりこれはオレがあえて言わずとも、誰だって解っていることかもしれないが…。一応念のため、ここでは前提からきちんと話す。
まず彼らの台詞を解り易くまとめると、「○○は××のパクリ、つまりクソ」となる。だがコレを単純に考えると、「○○=××=クソ」になることが解るだろう。なにしろ「○○は××に似てる(パクリ)」からクソだと言うのだから、「パクられ元」である××も「パクリ元」の○○と同様にクソでないとおかしい。逆に言えば「パクられ元」が素晴らしい作品だとしたら、それを真似した作品も面白くなければ理屈に合わないことになる。もっとも「二番煎じはつまらない」とはよく言われることであるが。
だがしかし。もちろんそれは、「てんで的外れな考え」である。
なぜなら彼らは「クソである××の真似をしたから、つまり○○もクソ」なんてことが言いたいわけじゃないから。要するに何が問題か…それは作品の内容などではなく、「真似をしたこと自体」がクソであると言っているのだ。
そう、確かに「盗作」はれっきとした犯罪だ。以前より著作権の問題が厳しくなった昨今、更にその定義は厳密になり、ひとたび盗作の罪に問われればキッチリその責任を追及されることになる。それはクソとかそれ以前に、許されざる行為だろう。
だが最も重要かつ自明なのは、その罪に問われるのは当然「誰がどのように見ても、100人いれば99人が(百歩譲って90人でもいいが)それをパクリだと断罪できるもの」のみであるべきなのだ。つまり「ちょっと似てる」「雰囲気が近い」「名前の響きが同じ」「曲解すれば相似」…そんな程度でパクリパクリと騒がれてはたまったものではないが、実際のパクリ論者など9割方がそのような「言い掛かり」である。そして言い掛かりであると判る理由は簡単だ。なぜなら彼らが「パクリ」と断ずるのは、全て「己が嫌いな、是にも攻撃したい憎き作品」であり…自ら好きな作品を「あれはパクリだ」などと批判してのける人間など見たことがないから。あったとしても、「アレはパクリっぽい。でも面白いから良し!」なんて態度が精々である。
嫌いな作品に対しては、たった1コマ・たった1シーンの「なんとなく似てる部分」を持ち出しパクリだパクリだと騒ぎ立てる。しかしいざ自分の好きな作品にパクリ嫌疑の矛先が向けられると「そんなの偶然の一致。パクリじゃない」「そんな細かいトコロがパクリとか、なに言ってんの? ワロスwww」の一点張りだ。これが言い掛かりでなくて何と言うのだろう?
どうやら彼らは、(自分が)嫌いな作品の似てる部分は「パクリ」で、好きな作品の似てる部分は「インスパイア」だと言いたいようだ。
格闘トーナメント(天下一武闘会)があれば、『ドラゴンボール』のパクリ。
ちょっと特殊な攻撃術が出てくれば、『ジョジョ』か『H×H』のパクリ。
何かしら謎の兵器や敵が出てくれば、『エヴァ』のパクリ。
そんな言い草は、もはや聞いているだけで頭が痛くなる。そして『DQ』ファン(アンチFF)にとっては「『FF』は『DQ』のパクリ」で、『FF』ファン(アンチ『DQ』)の間では「『DQ』は『FF』のパクリ」というのが定説らしい。そーかそーか、もう勝手にやってくれ。
結局のところ、この世にある殆どのものは「パクリ」で構成されていると言っても過言ではない。たとえば「ゲームソフト」だけに限っても、古くはFCの時代からこの世に生み出されたゲームは累計数万本か、数十万本か…。その数は、オレも詳しく知らない。
だが確実に言えることは、「これら既存の全ゲームと、あらゆる部分がどこも似ていないゲーム」を作り出すことなど到底不可能だということだ。そして意図して・意図せず・気付かれる・気付かれない…関わらず、どんなゲームであれ「数多くのパクリと、ほんの僅かなオリジナル要素」で構成されていることは、今更あえて口にするまでもない。
例えば(RPGの起源がこのソフトであるという意味ではないが)解り易く有名なところで『DQ』を挙げる。すると極端なことを言えば「HP・MP」という表記を使ったら『DQ』のパクリだ。何か回復魔法があったら「ホイミ」のパクリ。回復アイテムは薬草のパクリ。施設に宿屋が登場したらパクリ。金の単位が「G」だったらパクリ。モンスターにスライムがいたらパクリ。経験値やレベルという概念もパクリだろうな。これら全ては『DQ1』の時代から存在するわけだが…ところで、これら全ての要素に抵触しないRPGを、貴方はいくつ挙げられるだろうか?
もっと極端なことを言えば…オレはランキングが好きで、ホームページでもランキング企画を相当数行なっている。
ではオレ以降に誰かが「ランキング企画」を行なったとすれば、それに対して「オレのパクリだ! ふざけんじゃねぇ!!」とオレに叫ぶ権利があるとでも?
あり得ない話だ。そんなことを叫ぼうものなら、完全厨の烙印を押され、四方八方から批難を受けるだけのこと。
「ランキングなんて他にもたくさんある。俺がやったって、それはアンタのパクリじゃないし」
「そもそもランキングってのは昔からあるもので、誰でも考えつく。そんなモノでいちいちパクリだとか、おかしいにも程がある」
「むしろ、オマエこそ誰かのパクリなんだろ」
その状況をイメージしてみれば、そんな声がつぶさに聴こえてきそうだ。
そう…そして「その通り」なんだよ。まったくもってその通りだ。「ランキングをやったから、オレのパクリ」なんて理論、爆笑どころか失笑を買う。
だが現実には、そのレベルの「パクリ批難」はそこら中に蔓延している。まさに苦笑させられる世の中だ。しかし更に救えないのは「ランキングをやればオレのパクリ」というレベルであることさえ自分で気付かぬままに、まるでそうやって批難することが当然かのように振舞うパクリ論者のかくも多きことか。
そう。誰だって「自分が生み出したものを真似された、パクられた」なら嫌に決まっている。同様にして「自分の好きな作品が真似された」としても、許せない気持ちになりもするだろう。だがもう少し、視野を広げてみるべきだ。それは本当に「パクリ」と批難できるレベルなのか。なんとなく雰囲気が似てる、なんとなく構図が似てる、なんとなく台詞が似てる…その程度のモノを過大解釈し、全てを「パクリ」と断じてはいまいか。
そして気付くべきなんだ。もし必死に「パクリ」を探そうと思えば、それこそ何だって「パクリに見える」ということを。
例えば『ドラゴンクエスト』が、まったく別ジャンルのゲームである『スーパーマリオブラザーズ』のパクリだ…と言ったら信じるか?
もちろん、そんなの妄想も甚だしい。だが「その前提」のもとに穿った見方をすれば、とめどなく「パクリ」に見えてくるのもまた事実ではないか。
「ローラ姫を救い出すシナリオは、ピーチ姫を救い出すシナリオのパクリだろう」
「ラスボスのクッパは城に陣取っているが、竜王も城で待っている」
「クッパは炎を吐く、竜王も炎を吐く」
「ファイアボールをパクったのが、メラじゃないか」
「お化けキノコはクリボーのパクリ。ガメゴンはノコノコのパクリ。大王イカはゲッソーのパクリ。カンダタはハンマーブロスのパクリ」
そして貴方は、これらの妄言を「馬鹿馬鹿しい」と笑うか?
いや…笑わなければ、おかしいのである。
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