32.『【立ち塞がり阻むもの 〜無紋の城壁〜】御霊三晶 〜興野の翠〜』

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●最良ではなく
「可哀想な母上」
「可哀想な亞鬼」
「「帰り来せば、力が得られたというのに」」
「我らは戻らねばならぬ」
「我らの為、何より御方様の御為に」
「何処にありしや、翠の御霊は?」
「老爺よ、疾く答えよ。弟子の命が惜しければ」

「‥‥余裕は無さそうだな」
 思念投射から我に戻った暁の鳳凰・鳳礼(w2b387)は、眉を顰めて呟いた。
 山中は元より、御堂近辺も闇に沈んだまま――思念と言えど夜目は利かない。短時間の偵察は困難だったが、恐らく人質の多くは本堂にいる。2人の殲鬼も又。
 興野山麓――巧車の国の要たる聖域の1つが、既に殲鬼の手の内。山の護り石『翠の御霊』の死守、それがサムライ達に課せられた使命‥‥だったが。
「人質を見捨てる訳にはいきません。私は本堂に」
 黒炎拳士・矢神(w2e643)に鳳礼も力強く頷く。
「殲鬼王復活は阻止せねばならん。だが、人を救えずして国は守れぬ」
 その心意気や良し、と鬼面仏手・孫の手(w2b894)も名乗りを上げ、これに救援も含めて5人が人質救出に向かう。
 肝心の御霊防衛は残り9名。けして少なくないが、ふと樹海の遊人・鹿目(w2z027)に浮かぶ不安の色。
「どうした?」
 枷鎖の守人・将(w2d303)に声を掛けられ、鹿目は眉根を寄せたまま頭を振った。
「‥‥これが1番なのかなって」
 興野山が初めての者が多い中、かつて山に穢れを許した負い目が鹿目にはある。
「何が1番良いかではない。可能性がある限り全てを諦めぬ事だ。サムライであるお前なら判るだろう?」
「目前の命を大切に出来なければ、私達はヒトでいられない。そう思うよ」
 鳳礼や即転武・荒(w2b127)の言葉にも難しい表情だったが。自分の店に来たら判ると荒に頭を撫でられて、漸く少女は小さく頷いた。
「準備は良いか?」
 山頂までの道をヒト族の鬼道士・膝丸(w2a501)がやはり思念投射で調べる間、鬼道士2人は組み手で身体を温め、他も雪の装備を整える。
 山道に一歩足を踏み入れれば――今、暗闘の火蓋が切って落とされた。

●大山鳴動
「‥‥付いておいで」
 本堂から1つの影。小さな呟きに木霊する羽音。
 黒の振袖、帯は鮮やかな紅椿――銀のおかっぱを揺らし、少女の背に皮膜の翼が広がる。
 トンと大地を蹴る。その華奢な身体は軽やかに夜空を渡った。

「黒翼‥‥!」
 矢神は息を呑んだ。
 外法の上級技、黒翼飛翔は使い所さえ誤らなければ、最速の機動力を誇る。
(「間に合えば良いけど」)
 山頂へ向かった仲間を思い、孫の手も眉を顰める。供の方は蝙蝠だった。やはりシビトの一種だろう。
「飛ぶもの、ですか」
 大凡、途中のシビトは避けてここまで来た。数度、狼らしき「走るもの」に臭いで勘付かれたが、丹羽楽の魂鎮めの舞で事なきを得ていた。
「‥‥本堂の最奥だな。大広間にいる」
 肝心の大広間は閉め切りの闇の中、詳細は調べきれなかったが。最後の思念投射を使った鳳礼に従い、本堂へ侵入する。矢神はありったけの蛍を喚んだ。
 バタンッ!
 木戸が蹴破られると同時に、あやめの式神が先陣を切る。
「ちぃっ!」
 舌打ちする孫の手。
 中央に殲鬼の少女――白椿の帯の雪守。その周りに盾の如く人質が寄せられ、外周をグルリと狼型シビト・屍狼が囲む。更に、天井にて牙を剥く蝙蝠型の音羽。
 闇に点々と浮かぶ緋の燐光――殲鬼と人質の間を割ろうにも近接戦偏重の編成では、まずシビトから突破せねばならぬ。
「いくぞ!」
 一斉に打ち掛かる鳳礼と矢神。孫の手は人質諸共に武の城壁を掛け、丹羽楽も改めて魂鎮めの舞を舞う。
「そんな!」
 だが‥‥外ではいとも容易く地に伏したシビトが、意にも介さずサムライを迎撃する。
「‥‥」
 それまで茫としていた雪守の面がニィと歪む。
「五月蝿い虫けら‥‥我が眷属の餌となれ!」
「!」
 翻る袖から迸った魍魎の群は式神を喰らい尽くし、広間は再び黒闇に沈んだ。

「‥‥我らのシビト、よく味わうがいい」

 ――同刻。興野山山頂。
「どういう事!?」
 絶句したのは篠芽も同じく。魂鎮めの舞が、効かない。否、普通のシビトにあるまじき強さなのだ。
「‥‥」
 「這うもの」蛇型の邪身を指に巻き付け、静かに笑む殲鬼・氷守。
 殲鬼とサムライ、丁度御霊の祠を挟んでの布陣。空を飛んできた氷守に対し、武神力を駆使して山道を駆け上がったサムライ達も辛うじて間に合ったが、空には蝙蝠、地には狼、木々や茂みには蛇のシビトが蛍火に照らされ蠢いている。
「っ!」
 息詰まる緊迫の糸を切ったのは、将の呪縛符。袖の一振りでこれを霧散させた氷守の鋭い指笛に応え、シビトは一斉に襲い掛かった。
「「ハァァァッ!!!」」
 蒼壁の・是鵡(w2b430)と大道芸人・稲竹丸(w2c288)の闘気が、仲間の加護となる。
「鹿目は蝙蝠を!」
「判った!」
 鹿目の放つ手裏剣を視界の端に留め、抜刀する荒。背中は是鵡が引き受け、一歩も引かずにシビトに切り込んでいく。
 混戦の最中、高飛びで一足飛びに祠に到達する1つの影。
「メカラッタ☆」
「よし!」
 今週の吃驚度霧メカ・しぐま(w2c753)から、はっしと翠色の水晶を受け取った稲竹丸は身を翻した。
「勝手逃亡は許さんぞ!」
「御霊だけは渡せないでしょう!」
 荒の怒声に怒声で返し、稲竹丸はそのまま韋駄天足を発動させた。
 膝丸が牽制に鬼孔弾を放つ。後は影に潜みさえすれば――。
(「な‥‥!」)
 その、身体がビクリと強張った。見れば膝丸も同じく――背後から浴びせかけられた呪縛の輝き。それは連戦で疲弊した身体を容赦なく絞り上げる。
「喰らえ‥‥骨の髄まで」
 動けぬ2人に殺到するシビトの群。どんなにサムライが強くとも、動けなければ木偶も同じ。蝙蝠の鉤爪が狼の牙が蛇の毒が――その激しい攻勢に、パリンと手中の御霊が呆気なく砕ける。
「お二方!」
 輝ける装甲を纏い駆け付ける是鵡だが、こちらは氷守からの被弾を庇うのに精一杯。
 移動系に偏る活性が多い中、群を為すシビトを纏めて片付ける技を持つ者は余りに少ない。数を頼みとされれば消耗戦は必至。将や篠芽の回復の技も忽ち底を突き掛ける。
 戦況は明らかに圧されている。このままでは氷守に一撃も入れられぬまま――誰もが焦燥に歯噛みしたその時。
「ぐっ!」
 呪縛した者から屠る、それは道理。しかし、戦力を集中させれば、付け入る穴も広がる――これも又。
 戦闘の前から影に潜んで気配を殺し、ジワジワと死角に回り。一気に殲鬼に肉薄したのは極楽蝶・美女丸(w2a665)。日輪のマントを目眩ましに自らも灼く炎獄剣の反動は武の城壁で防ぎ、鬼棍棒を叩き付ける。
「翠の御霊も修験者もわらわ達で護るのじゃ!」
 グラリと少女の身体が傾ぐ。だが、追い打ちに荒の鉄鎖法が氷守を縛そうとするも、のこぎり刀では絡め取る事も叶わず。
 逆に武器の手放したその一瞬を突かれ、炎の渦が立て続けに巻き起こる。
 ドゴォッ!
 サムライ諸共に吹き飛ばされた祠の台座に、翠の煌めき。燃え上がるマントを投げ捨て、氷守が叫ぶ。
「お行き!」
「ダメぇっ!」
 鹿目が駆け寄る暇があればこそ、1匹の音羽が水晶をかっ攫う。
「させるか!」
「行かせぬのじゃ!」
 だが、是鵡の蛍の特攻は銀の焔に叩き落とされ、荒の火剣連撃と美女丸の両断剣は‥‥氷守自らが身を挺して盾となる。
「く‥‥ふ‥‥」
 浮遊の力で勢いを殺ぎ、辛うじてまだ立っているが、呵責ない豪剣に殲鬼は血反吐で着物を汚す。
 それでも。既に音羽は空高く、武神力も届かぬ空の彼方。
「いい‥‥これで」
 氷守の冷たい微笑み。ゆるゆると突き出される両手。
「‥‥さよなら」
「! 散れ!」
 迸った黒き業焔は、全てを巻き込み爆発した。

「く‥‥」
 ギリッと鳳礼は奥歯を噛み締めた。
 光源たる蛍を最初の一撃で潰されて以来、5人は暗中戦闘を強いられている。
 あやめの式神符で蛍は作り出せない。闇に惑うサムライを嘲笑うかのように、シビトの獣が牙を剥き襲い掛かる。
 音羽は元より、嗅覚の鋭い屍狼も闇は妨げとならぬ。加えて、シビトの波状攻撃を埋めるように、雪守の梟式神と符がサムライを苦しめる。
「「白い奇蹟!」」
 癒し手がいなければ到底保たなかった。だが、人質奪回は少数だからこそ精鋭が求められる。遠距離からの攻撃は丹羽楽のみ‥‥部隊編成の薄さ、武神力の選択、行使のタイミング。釦1つ掛け違えれば全て裏目に出る。
 人を救わずして――されど、気概だけで上手く行くのなら、未来はもっとマシになっていただろう。
「‥‥母上の無念、ここで晴らす」
 淡々と怨嗟が闇の奥から響く。だが、その声はすぐ悲鳴じみたものに変わった。
「氷守!」
(「やったのか!」)
 サムライの意気が上がるのも束の間、雪守の呟きは零下の静謐。
「そう‥‥もう、要らないね」
 殲鬼の呪縛符が傍らの人質に――興野山の最長老、至倫上人だ。
 オォォォンッ!!
 血の凍るような雄叫びが轟く――ラセツのそれに似て、より人々の恐怖を煽る殲鬼の咆哮。
「!!」
 修験者とて只人。元より恐怖に晒され続けた神経が保つ筈もなく。
「落ち着け! 大丈夫だ!」
 鳳礼の叫びも虚しく――恐慌に陥った大広間に、再び魍魎の顎が荒れ狂う。
「帰る‥‥」
 周囲の狂騒を意に介さず、召喚した式蜘蛛に上人を引きずり上げる雪守。
「待て!」
 絶叫に沈黙が返り、這いずる人々を蹴散らし式蜘蛛が走り出す。
 ドゴォッ!
 壁をぶち抜き、粉塵を巻き上げ――その姿はあっと言う間に夜闇に消えた。
「死ぬんじゃねぇぞ!」
 残されたのは、累々と倒れる修験者。武の城壁と癒し手の奔走で死者が出なかったのが幸いか。だが、最長老たる至倫上人の拉致を、みすみす見逃した。恐らく、それこそが雪守が本堂に残った理由。
「くそぉ!」
 大きく風穴の開いた壁に、矢神は拳を叩き付けた。

●暗中模索
「‥‥皆、大丈夫か?」
 業焔に蛍を砕かれ、闇に沈む山の頂。漸くの荒の声に、各々答えが返る。
「‥‥護り、きれなかった‥‥」
「メカラッタ☆」
「! それは!」
 膝丸の慟哭に、しぐまがヒョッコリ懐から取り出したのは‥‥緑色の水晶。贋物は2つ作っていたのだ。
「しぐま君、すごぉい」
「‥‥僕は囮になった訳ですか」
 尤も、どちらも稲竹丸も与り知らぬ、しぐまの機転だったようだが。
「まあまあ‥‥辛うじて、でござるな」
 ぼやく稲竹丸に肩を貸しながらの是鵡の呟きは、誰しも共通の思いだろう。
「兎に角戻ろう。2人は癒し手に見せないと」
 揃って満身創痍の中で、特に縛されたまま攻撃を浴び続けた膝丸と稲竹丸は青息吐息。回復力の低下した状態では、未だ火炎陣の火傷も癒えず‥‥将の治癒符でも根治は出来ない。
「ほっほっほっほっ、天国で反省してまいれ」
 祠の前に転がる黒こげの骸が、サラサラと灰燼に帰す。残った角の欠片を取り上げて、美女丸が飄々と惚けた手向けを贈る。
(「捨て身に迷いはなかったのぅ‥‥何がそこまでさせたのやら」)
 すっかり風通しの良くなった山頂に名残雪が舞い、白は等しく降り積もる――何事もなかったかのように。

「ん‥‥これは?」
 雪の中、揃ってゆっくりと下山する一行。殿をついていく鹿目は、拾い集めた石をジッと見つめていた。それを荒が横合いから覗き込む。
「‥‥核になっていたのかな。退治したシビトから出てきたの。最初は綺麗な緋色だったんだよ。でも、僕が触ったら‥‥皆こうなっちゃった」
 欠片はくすんだ灰色で、一見は何の変哲ない石。
「これが、シビトの秘密か?」
 やはり隣の将がポソリと呟いた。魂鎮めの舞をものともしなかったシビト‥‥そこに何が隠されているのか。
 1度に2ヶ所の聖域を襲い、2人の殲鬼を送り込んでサムライの戦力を分散させ。護り石のみならず要人の拉致をも狙う。
 幾重にも重なった2段構え――何とか本懐は達せられたものの、まだまだ、敵の真意は計り知れない。
 続く戦いの予感は、サムライ誰しもの胸を震わせた。

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