2006年 第1回定例 一般質問
全 文 掲 載

  先ずは、水間和子議員のご逝去の報に接し、驚愕いたしております。

 笑顔が素敵で、豊島区を思い、特に私と同じ教育経験があり、子どもたちのことがらに
熱心に行動してきた在りし日の故人のお姿を偲び、謹んでお悔やみ申し上げますとともに、
心からご冥福をお祈り致します。

 私し、吉村辰明は、自由民主党豊島区議団を代表いたしまして、これより一般質問をさせてい
ただきます。

 それに先立ちまして、宮内庁は二月七日秋篠宮妃の紀子さまにはご懐妊の兆候が見られると、発表しました。経過は順調と見られ、今年九月か十月のご出産となるでしょう。
 秋篠宮家にとっては三人目のお子様になり、天皇、皇后両陛下は御所で宮様からのご連絡を受け、心からお喜びのご様子、心よりお喜び申し上げます。

 宮様ご夫妻は、今年の歌会始で揃ってコウノトリを題材にした歌を披露されました。
「人々が笑みを湛えて見送りしこうのとり 
                 いま空に羽ばたく」
「飛び立ちて大空にまふ    
   こふのとり仰ぎてみれば笑み栄来る」

お二人は既に予感されていたのかも知れません。それだけに、これからの日々をお大事にお過ごしいただき、ご出産の無事をお祈りしながら、その日をお待ちしたいと存じます。勿論皇位継承という重い課題で騒ぐことは、ご夫妻にご負担をおかけすることになります。私たち国民は静かに見守りたいと思います。

 時の経つのは早いものです。昨年の第一回定例会で質問してから一年が過ぎております。
 二〇〇五年を振り返りますと、JR福知山線の脱線事故による一〇七人の死亡事故、紀宮様のご結婚、愛知万博の開催、衆議院議員選挙での我が自民党の圧勝、アスベスト問題、そして耐震強度偽装事件等、悲しいこと、楽しいこと、驚くこと等様々な出来事がありました。

 今年も穏やかな新年を迎える一方で、高齢化・過疎化問題も含んだ新潟等の豪雪や新生児の誘拐事件等も発生しておりますし、最近ではライブドアの事件等もありました。又、トリノ冬季オリンピックが開催され、サッカーワールドカップ等スポーツ界でも大きなイベントが控えており、今年も昨年以上にいろいろなことが起こる予感さえ致します。

 さて、昨年の豊島区政は、行革に始まり行革で終わった一年であります。今年こそ静かで、しかも着実に区政が前進する年になることを期待しておりますが、行政は常に明日に向かって動いており、課題も山積する中、一段と厳しい年になることも考えられます。

 私自身も改めて、身を引き締めなければならないと痛感しております。

 私は、これまで一般質問を集約したキャッチフレーズというか副題を付けてまいりましたが、今回も「みんなで決めて みんなで動かし みんなで感じる区政を」と題して質問をさせていただきます。

 質問は「財政問題」、「公務員改革」、「粗大ゴミの収集」、「教育問題」、「食育推進」についてであります。
 
 はじめに財政問題です。

 先月の内閣府による月例経済報告に依りますと、企業の業績は設備投資も順調に増加して改善してきており、また、個人消費も緩やかな増加傾向を示し、雇用状況にも改善の広がりが見られるなど、わが国の景気動向は緩やかな回復基調にあるとされています。

 さらに、先行きの見通しにつきましても、原油価格の動向による影響には留意する必要があるものの、企業部門の好調さが家計部門へ波及しており、国内民間需要に支えられて景気の回復が続くと見られております。

 ここに来て、ようやくわが国の経済は「失われた十年」といわれた長期低迷から脱して、地域社
会もわずかながら明るさを取り戻しつつあるような感じがしております。
 このような景気動向を背景として、このたび編成された平成18年度一般会計予算案は、八年連続のマイナス予算となる八百六十一億三千二百万円となりました。
 この予算案の編成過程では、当初、三十七億円の財源不足が見込まれておりましたが、「行財政改革プラン二〇〇五」による人件費の削減、事務事業の見直し、さらに公共施設の再構築などの取り組みに依りまして、この財源不足を克服したものと思います。
 また、この予算案の大きな特徴は、平成六年度以来、これまで恒久的に行ってきた基金の運用や財源不足を解消するための土地の売却、さらには、繰越金の計上や財政調整基金の取り崩しなど、いわゆる特別な「財源対策」という措置を一切講じない、まさに「堅実な予算」となっていることであります。
 振り返りますと、高野区長が登場した平成11年度の区財政は、それまでの施設建設や用地買収などで生じた八百七十二億円もの借金を抱え、しかもバブル経済崩壊後の歳入の落ち込みによってその返済の目途すら立てられない状況にあったにもかかわらず、一方では、身の丈を超える一千億円もの肥大化した歳出規模を抱える状況にありました。

 このような惨憺たる財政状況を人間の身体に例えるならば、まさに「悪性腫瘍」「高脂肪」の両方を病むような重篤な状態であったといわざるをえず、高野区政はこのようなおおきな「ふ負の遺産」を背負っての船出となったのではないでしょうか。

 そのうえ、景気の低迷によって歳入が一層落ちこむなかで、新規需要にも対応しなければならない事情もあって、財政健全化への道のりは大変困難であったでしょう。

 「施策の選択と集中」、「区民との協働による施策の実現」、「指定管理の導入や民営化による行政のスリム化」など、行財政運営そのものの構造改革に取り組むところが特徴的でありました。

 すなわち、八年連続のマイナスとなったこのたびの18年度予算の規模は、足掛け七年に及ぶ行革の取り組みの結果が、いよいよ「身の丈」に近づきつつあることを実感させるものであります。

 私は、これまでの行革の取り組みとその成果を大変高く評価しておりますが、区長の招集挨拶にありますように、厳しい状況の中での予算であります。

すで既に詳細についてはご説明を戴き、予算特別委員会が設置され、そこで十分な審議が予定されておりますので、私からは大きな概要について質問させていただきます。

 まず、予算は首長が自分の施策や理念、更に公約等も含めたものの象徴であると思います。
そこで高野区長は今回の予算に対してどのような思いや期待を込めて、編成したのかお聞かせ下さい。

 又、区長がこれまで進めてきた行財政改革がどのように反映されているかについてお聞かせ下さい。
 次に戦略プランとの関係です。「文化」、「再生」、「健康対策」、さらに昨年からは「環境対策」を加えた四つの戦略プランを強くお推しだしておりますが、このプランと18年度予算の関係がどうなっているのかお聞かせ下さい。

 この質問の最後になりますが、都区財政調整制度について、確か一月十六日の区長会で、東京都側が「調整三税」の区への配分比率を二パーセント上乗せる案を示したが、区長会はこれを拒否したと聞いております。その後の動きについても新聞等で情報がありましたが、先日の議員協議会で「主要五課題」をめぐる都区財政調整協議の経過を説明いただきました。

 都区財調の協議については、平成19年度に仕切り直しをするとの内容でしたが、それに向けて区長会として、どのようなスタンスで臨むのか、現在のお考えをお聞かせ下さい。

 また、協議結果が19年度以降の本区の財調の具体的数値としてどのような影響があるのでしょうか。そして、九十億円の財源不足という試算値が先般発表されましたが、その数値に変更はあるのでしょうか。
 
 次の質問は、「公務員改革」についてです。

 先ほど、私は昨年の出来事の一つとして、衆議院の解散を挙げましたが、郵政民営化の方向が決定したのち後、小泉首相が掲げている次の重要課題は、構造改革の一環である「公務員改革」であります。

 現在、日本には国家公務員六十六万人、地方公務員三百八万人、合わせて三百七十四万人の公務員がおります。その総人件費は約二十兆円にものぼっており、さらに外部団体等を含めるとその数字は驚くばかりであります。

 大阪市の例は特別だとは思いますが、過剰な福利厚生、時代遅れの特殊勤務手当等、テレビや新聞等のメディアでも大きく取り上げられております。これらは本質的に公務員という閉ざされた社会の中で根づいたものであると思うのですが、一般的な解釈であり、感覚であると思います。

 また、公務員制度が発足し五十年以上が経過して、社会や経済状況の変化、就業意識の多様性、雇用の流動化等、行政をめぐる環境は大きく変貌してきております。民間では、従来の日本的雇用制度である終身雇用が業績の悪化等により崩壊し、リストラが当たり前の時代となっております。公務員だけがそれらとは無縁で「生涯安定」とされるのは、時代の変化とかけ離れており、許されないことであると考えております。

 一方、単に公務員の員数を減らすだけが公務員改革なのではなく、新たな時代への公務員のあり方について、しっかりとした展望を持たなくてはならないと思います。

 高野区長は、17・18年度については退職不補充を掲げて、これを実行しました。さらに一般職員についても職員給与の削減を断行しました。このことに対して区民の方から「厳しいのではないか」「やり過ぎでは」等の批判が聞こえてこないのは、豊島区に働く職員に対しても一般的な感覚として、公務員全体に対する批判の気持ちがあるのではないかと受けとめております。

 昨年の決算特別委員会で我が会派の篠委員による「行革の本丸として、職員には嫌われるが、職員の削減が必要ではないのか。」との質問に対して高野区長は、「同感であり、今後、さらに四百人以上の削減を考えている。」と答弁したと記憶しておりますし、新年会も含めた各種の会合でも同様の発言をなされております。

 そこでまず、区長が公務員のあり方についてどのように考えているのか。また、豊島区の現状はどのように分析されているのかお伺いいたします。

 次に、区長の職員削減計画の具体的な削減人員と削減年度についてお考えをお聞きしたい。

 併せて人件費の削減額に付いてもお聞かせ願いたく思います。

 また、国では国家公務員について五年で五パーセント(約一万六千六百人)、地方公務員については四.六パーセントの純減目標が打ち出され、今年の六月には具体的に決定するとのことですが、国の方針との関係はどうなっているのかお聞かせ下さい。四.六パーセントを豊島区に置き換えると百二十人程度になりますが、四百人は相当の数字だと思われます。

 さらにこのごろ、「純減」という言葉が紙面上でよく使われますが、改めて「純減」を調べましたところ、これまで減員がある反面、増員があり差し引きで純増になっているのが国の実態でありました。「純減」とは、その逆で純粋に差し引きで減員することだそうです。

 それでは高野区長の掲げる区職員の削減は「純減」との関係で果たしてどうなっているのかでお伺いいたします。

 職員の削減は行政改革の一つとの考えは先に述べたとおりですが、今後五年間で四百人の職員を仮に削減したとしても、「純減」で行うとすれば、現在、行政が担っている業務を更に民間へ開放しなければならないと思います。

 昨年、国は、住民票の写しや戸籍謄本など六種類の証明を発行する地方自治体の窓口業務と民間企業が、競争入札を行う対象とすることを、今年の通常国会に提出する公共サービス効率化法案に盛り込み、更に、民間参入を拡大することとしております。このことにより、利用時間の延長や夜間・休日対応など、住民サービスの利便性が向上するものとしています。
 区では高野区長のリーダーシップのもと、人員削減や民間委託等積極的な取り組みを推進してまいりましたが、今後、職員の削減方針とともに、さらなる民間開放や委託における展望はどのようにお考えでしょうか。
 これまで、職員の方には大変厳しい内容の質問をさせていただきましたが、一方で、地方自治体の職員は区民へサービスを提供する直接の担い手であります。また、国の行革の中には三位一体や地方分権のように、地方自治体の事務が高度化かつ増加する内容も含まれております。

 先ほど述べた民間参入などの将来展望も含め、豊島区ではどの程度の職員数が妥当であると考えているのかをお聞かせ下さい。

 さて、私ごとではありますが、私も団塊の世代の一人であります。昨今、テレビや新聞等で団塊の世代をテーマとしたものが取り上げられています。

 失礼だとは思いますが、本日、この場におられる特別職を除いた理事者の中にも、その世代の方が多く見受けられます。皆さまは日本の繁栄を築き、豊島区を支えてきた方々であります。しかし、世論を見ると何か厄介者のように扱われていますが、決してそうしたことではないと思います。確かに戦後のベビーブームに生まれ、総人口に占める割合が多いことも事実でありますが、その世代が一線を引退することにより、これまでの経験や技術の蓄積の空洞化が起こる心配もされており、このことは民間企業だけではなく、公務員の世界でも同様であると思います。

 勿論、行政は企業と違い継続性と整合性が重要視されますが、先の四百人の職員削減として退職不補充を続けると、豊島区の職員年齢構成や経験者構成においてもいつかは歪んだものになってしまうと危惧しておりますが、その点についてはいかがお考えでしょうか。

 昨年の暮れに、第二十八次地方制度調査会では「地方公共団体の収入役の廃止」と「教育委員会設置の選択制」導入等の答申を行っております。
その理由として、戦後五十年以上経過した地方制度について、新たな時代に対応した組織への脱却が挙げられています。特に教育委員会の選択制については、現行制度の導入時から合議制での責任所在の不明確や意志決定の迅速性の問題も指摘される一方、政治的中立性や安定性の確保、権限の集中を危惧することから委員会制度で来ているという状況もあります。現時点で、こうした地方自治組織のあり方について、区長の結論をお聞きする段階ではないと思いますが、こうした新たな動きに対して、区長の素直なお考えをお聞かせ下さい。
 
 次に粗大ゴミの収集についてお伺いいたします。

 昨年度から我が会派で何度か質問させていただいております粗大ゴミの民間委託による収集ですが、先日、「都政新報」に大きく豊島区の記事が掲載されました。

 豊島区は足立区に先駆け、二十三区で初めて委託による粗大ゴミ収集の試行実施を二月から行い、当区の取り組みが各区から注目されているという内容でした。

 このことは、これまでの歴史や経過の中で各区ともなかなか思い切った独自の清掃施策に踏み切れない状況があると聞いております。そのような中で、記事にもありますように一年半以上の期間をかけ、二十三区で初めて粗大ゴミ収集の委託を実現したと言うことは、ご苦労があった結果であると思います。
 18年度からは清掃職員の身分が東京都から各区に切り替わり、本格的にそれぞれの区が独自の清掃事業を展開する転換期でありますので、今回のように区民のサービスアップを行いつつ、コストを削減するという視点は、清掃に限ったことではありませんが、さらに進めていくことが重要であると思います。その象徴として先に申し上げた長い歴史や関係団体等のこともあり、会派として粗大ゴミの民間収集を取り上げてきました。

 そこで、始まったばかりではありますが、現在の試行実施の状況について、二月五日の初めての日曜日収集の状況等も含めてお聞かせ下さい。

 また、民間業者への委託によるコスト削減との話をしましたが、清掃事業は毎日のことであり、安ければどんな民間業者でも良いという訳ではありません。民間業者の選定はどのように行っているかお伺いいたします。

 次に、粗大ゴミの不法投棄との関係ですが、今回の収集システムの変更との関係がどうなってい
るのかお聞かせ下さい。街を歩いておりますと、道路や公園や空き地等への不法投棄も時々見かけます。これら不法投棄への対策として区がどのように取り組んでいるのかも含めてお答え願いたいと思います。
 
 次に、教育基本法改正に伴い議論となっています、「愛国心」についてであります。

 今、ベストセラーになっております藤原正彦氏の「国家の品格」という本があります。私も今年の正月に購入し、読んでみました。人それぞれに読後の感想はあろうと思いますが、著者の主張は、今日の日本を憂い、その原因を「論理と合理」を追求した戦後教育であると批判し、その結果、我が国古来の「情緒と形」を失い、国家として品格を失ったとしています。

 また、著書の中では「愛国心」について述べております。著者は愛国心を「祖国愛」としており、その言葉について二つの側面があるとしています。

その一つは「ナショナリズム」であり、もう一つは「パトリオティズム」であります。
 「ナショナリズム」は、他国のことはどうでも良く、自国だけの「国益主義」であり、「パトリオティズム」は、自国の文化、伝統、情緒、自然等をこよなく愛するものです。
 勿論、双方については時と場合により二つの考えが重なり合いますが、基本は「パトリオティズム」であり、その出発は「家族愛」、「郷土愛」であるとしています。

 私もある部分共感しておりますが、この本が売れていることを考えると、やはり日本という国が、少し曲がっているように感じている人が多くいるのではないかと推測しています。

 これからの日本を築いていく担い手を育てる上で、教育は非常に重要であると考えます。

 そこで、教育長に愛国心についてどのように受け止めているのかお聞かせ下さい。

 また、藤原氏は日本人の道徳心の低下を嘆いておりますが、私も同感です。
昔は通勤電車の中で、飲食や化粧をするような風景はほとんど見受けられませんでしたが、今ではゴミ出しルール、煙草のポイ捨て、放置自転車、信号無視の横断等々、道徳の低下については枚挙にいとまがありません。

 現行の学習指導要領では、道徳の時間が学校教育全体で取り組む道徳教育の要として役割が果たせるよう、様々な改善の方策が提案されています。
その中で私が注目したいのは、「管理職の授業参加」「TTの工夫」などをはじめとした教職員の協力体制についてであります。

 道徳教育は学級担任のみが行うものではなく、その立場で取り組む道徳教育は、自分の学級の子どもたちの心を育み、道徳性を育てることに、確かに必要です。しかし、子どもたちの生活空間は、学校生活において学級だけではあり得ないのです。
学年単位、学校全体、生徒会活動組織、課外活動など、学校生活のあらゆる場面において、すべての教師によって道徳教育が行われることが、子どもたちの道徳性の発達を支援するのだと考えます。

 教育の目的は「人格の形成」であります。教師は「教科」を教えながら人生を語るのであり、部
活動を指導しながら子どもたちに人間としての生き方を考えさせるのだと考えます。そう考えるの
ならば、すべての教師が道徳教育に携わるというのは至極当然のことであります。教育活動のすべてが「心の教育・道徳教育」であるべきなのであります。

 学級担任、学年主任、教務主任、副校長、学校長、それぞれの立場で道徳教育を考え、実践していくことは、教師としての使命であると私は確信していますが、いかがなものでしょうか。

 日本人はかつて世界でも最も道義・道徳観の優れた民族でした。あの中曽根康弘元総理は、「日本の歴史や伝統、文化、あるいは家庭といったものが抜き去られた教育は、蒸留水のようなものである」とおっしゃっておりました。

 「子は親に孝行を尽くし、兄弟姉妹は互いに力を合わせて助け合い、夫婦は仲睦まじく、友人は
胸襟を開いて信じ合い、すべての人々に愛の手をさしのべ、人格を磨き、社会公共のために貢献し、国の平和と安全に奉仕しなければならない」これは、明治23年に制定された「教育勅語」であります。これほど簡潔明瞭に誰でも解りやすい倫理・道徳が述べられているものはありません。
私は闇雲に復活を提唱するわけではありませんが、先人たちがこの国や社会を築く課程で生み出した多くの智恵や美徳に目を背けるのではなくて、謙虚に学ぶことも大切であると主張したいのであります。いまやほとんど失われてしまった日本人の伝統的美風を回復することこそ、私たちが将来に向かって果たさなければならない最大の課題でありますが、いかがお考えでしょうか。

 この道徳教育についてもいろいろな意見がありますが、私は子どもの頃から身につけることも必要であり、あの狂言師の野村萬斎さんも「基本形、つまり『型』を徹底的に教え込むのが教育の基本だ」と述べています。
『型』が基本に会ってこそ「型破り」の大きな飛躍もあると言うことなのである。小さな時からこそ躾や奉仕活動等の実践教育を取り入れることも必要だと思いますがいかがでしょうか。

 そして、社会を見回すと子どもに対する犯罪が激増しています。セクハラ行為など教師の問題行動も激増しているし、警察官、裁判官など本来、犯罪ともっとも縁遠いはずの職業人の不祥事も目立っています。また、このところ連日のように豊島区安全・安心メールには問題事案が報告され、注意を促しています。

 各学校でも子どもの登下校を含め、安全対策に取り組んでいることは承知しておりますし、先般の清掃環境調査特別委員会で不法投棄の通報システムについての報告がありました。そこで、例えば、通学路の電柱に「文」という表示がなされていますが、そこに「この地域は定期的に巡回しています」や、「不審者を見かけたら、警察や区役所に通報してください」等の標記をすれば、犯罪の抑止効果があると思いますがいかがでしょうか。
 
 つぎに「食育」についてです。

 こどもが「食」に関する適切な知識を身につけるため、国・学校・家庭・地域の自治体による教育の重要性とその取り組みを謳った「食育基本法」がこのたび正式に成立しました。

 「国民が生涯にわたって健全な心身を培い、豊かな人間性を育むための食育の推進に寄与する」という基本理念を定め、国民には健康のために望ましい食生活実現に努めるように求める。国や地方自治体には、食育に関する施策推進を義務付け、さらに、両者の教育関係者には食育の指導に相応しい教職員の設置と学校給食等を通じ、食育の啓発を図るように求める。
生産者と食品業者には、安全な食品の提供を要請しつつ、食品廃棄物の発生の抑制と再生利用等必要な施策も講じるように求める。また、食育により伝統的な食文化、環境と調和した生産に配慮して、農山漁村の活性化や我が国の食糧自給率の向上が維新されなければならない。

 このように我が国の太古から継承された自然体系の中で生産されるありとあらゆるものへの感謝と配慮を促しています。

 二十一世紀を迎えた今、地球上には、およそ六十億人もの人がひしめき合って暮らしています。
その数はとどまることを知らず、人口の増加率は年一.六〜一.七パーセントで推移しています。
実に、毎年九千〜九千五百万もの人口が増え続けているのです。世界一の飽食を楽しみ、世界中からあらゆる食料を輸入している日本。その国民の多くが、世界的な食糧危機についてほとんど無関心、または無知であるというのは驚くべきことです。「我が国の台所はアメリカ」といわれている現状から、もしアメリカの穀物在庫が底をつけば、真っ先にパニックに陥る国なのにです。また、我が国でも平成五年には米の不作で米屋から米が消えた事実もお忘れではないでしょう。今日のような国際化の時代には、自国の農業のことは自国の中で考えればすむという状況ではありません。私たちは地球の市民としての観点に身をつけながら、日本の食糧問題を考える視点に立たねばなりません。そして、日本は食材を世界一無駄にしている国です。食糧の生産→加工→消費の過程の中で、廃棄される割合が世界一高いのではないかと言われています。まだ食べられる食料が少なくても二〜三割が廃棄されていると言われています。コンビニ弁当などがいい例です。経済の歪みのなかで、最も付加価値の高い食糧が捨てられ、重油を使って廃棄されるという構図があります。江戸時代まで続いたリサイクルの循環が崩れてしまっているのです。以前、公共広告機構のCMに「輸入してまで食べ残す、不思議な国ニッポン」というのがありました。先ずは、食べ残しを反省し、食事の量に気をつけることから始める必要があるのかも知れません。

 更に栄養のかたよ偏や不規則な食事などによる具体的な影響として、先ずは肥満の増加です。壮年層の三割に肥満が見られ、いずれの年齢層にもその割合は増加しています。それから過度の痩身志向は拒食症の原因にもなりかねません。また、将来の骨粗症の予防のためにも、その改善が必要です。そして、生活習慣病の増加。一説では日本人の中で千六百二十万人にもおよぶとされています。
それは健康の問題だけではなく医療費の問題とも結びついております。
 「食」について様々な問題が内在していることを簡略に申し上げましたが、はたして私たちがどれだけの知識や問題意識を持っていたのか、国や地方を含めた行政がどれだけ関心を持ってきたかというと、お寒い限りでございます。

 スローフードという言葉があります。イタリアのブラという小さな街からスタートした多忙な現代人の食生活を見直す運動で、単にファーストフードの対極の言葉としてではなく、消えゆくおそれのある伝統的な食材や料理、質の良い食品、酒を守り、質の良い素材を提供する小生産者を守りながら、子どもたちを含め、消費者に味の教育を進めることがテーマに掲げられ、各地に残る食文化を尊重し、将来に伝えていこうとする活動です。

 新たに「食育基本法」が制定され、「食」に関する課題について、国を含めて推進することになりました。食品の安全性、疾病、食糧自給率、廃棄物、更に日本社会のあり方等いろいろの課題が含まれていると考えております。

 そこで、区長は第四回の招集挨拶に触れられましたが、改めて、「食」の問題をどう考えているのかまた、「食育基本法」に基づく食育推進についてどのように進めていこうとされているのかお聞かせ下さい。

 私は従来のように保健所、学校という単位だけではなく、「食」を含め販売する流通、廃棄物、安全面からの管理等、幅広く食育についてのネットワークをつくることも必要だと思いますがいかがでしょうか。

 区長も同様の考え方を示しておりますが、具体的な進展はどうなっているのでしょうか。
 さらに食育の最前線にあると思いますが、子育て、高齢者、保健所等の食育に対する取り組みがどうなっているのかお聞かせ下さい。

 また、区民に対して食育に関する情報の提供や区民への機運を高めるため区民を巻き込んだ運動も必要と思いますが、いかがでしょうか。

 このようなコトは法律制定されるべきものでないといった意見もあろうかと思いますが、しかし何もしないで、病むにまかせるよりは、はるかに意義深いことではないでしょうか。

 わが国や世界のひとびとの健康はいうまでもなく、ひとびとの生活する国土や自然の健康を大切に護るために広く「食育」を推進し、「食育基本法」の施行が本来の目的である「人々の心と身体の健康増進」に貢献されることを切望してやみません。

 長時間にわたり、ご静聴いただきましたことに感謝を申し上げ、私の一般質問を閉じさせていただきます。有り難うございました。





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