2007年 第1回定例 一般質問
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 私し、吉村辰明は、自由民主党豊島区議団を代表しまして、平成十九年第一回定例会の一般質問を致します。

 毎年のことですが、この場に立ちますと時間の経過の早さを実感いたします。もう一年が過ぎてしまったのか。また、区民の皆さまから選出いただいてから、四年が過ぎ去らんとしているのか。

 時が過ぎる早さを感じているのは、私だけでなく、様々な人に聞いても同様な受け止めのようであります。これは、わが国の社会全体、そして、世界規模で大きく変動しており、かつ、あらゆる情報が全世界に発信される速さとも関係しているのではないかと思います。日本国内の出来事は勿論、世界の事件や出来事がインターネット等を通じて、自分の机の上で、即時に入手できる現在は、まさに情報化社会の進展を見る思いです。

 一方、こうした情報化社会の中で、私どもは常に新たな出来事に追われ、目の前にある仕事などの処理に精一杯の日々を過ごすことになり、時間の過ぎる速さを感じるのではないかと存じます。

 こうした状況の中、「スローライフ」という言葉が、最近よく使われております。私自身は「スローライフ」というゆったりした生活が必要だと感じていますが、区政にとっては、刻々と変化する社会状況のテンポに合わせ、更に、将来の動向を見極めた上での行政運営が不可欠であると考えています。

 区長さん、そして職員の皆さんにとって大変な時代であると思いますが、こうした視点に立って、是非、今年も頑張っていただきたいと思います。

 戦後六十余年が経った今、私たちの社会には大きなゆが歪みが生じ、これまでの日本では想像できない事件や出来事が多発しています。

 自宅に火を放ち母親と弟妹を焼死させた事件、友人に依頼して母親を殺害した事件など、いずれも高校生の息子が起こしています。

一方、二歳の女児が母親と養父から躾と称する虐待を繰り返し受けて死亡するなど、凄惨な事件に驚くばかりです。事件の動機や背景、家族構成はそれぞれ異なっていますが、生命の大切さ、親を尊ぶ心、子どもへの限りない愛情、家族の絆などを軽視した現代社会の風潮が大きな要因になっています。
 私は「団塊の世代」と呼ばれる、日本がまだ敗戦が色濃く残る昭和二十二年に生まれました。

 当時の社会情勢は、現代の若者たちには想像がつかないほど、日本全体が不便で物がなく、日々生きていくことが精一杯な時代でした。それでもお互いが懸命に努力し、貧苦の中から這い出そうと意欲に満ちあふれていました。

 私の少年時代、学友の多くは夜が明けぬ早朝から新聞配達のアルバイトを行い、冬は駅舎に行って汽車から線路にこぼれ落ちている豆炭を拾い、暖をとる燃料にするなど、どの家庭も慎ましい生活を送っていました。

 貧しい生活の中でも、何とか生きてこられたのは日本の良き伝統である「困った時はお互いさま」の互助精神が存在していたからです。江戸時代、貧しい者からは薬代を取らなかった『赤ひげ』先生のような医師もいましたし、自宅を開放して勉強を熱心に教えてくれた教師もいました。

 小・中学校時代は、どの教室も五十人を超す生徒たちで溢れていました。大人数にもかかわらず秩序や規律が守られていたのは、「個」よりも「公」、「権利」よりも「義務」、「自由」よりも「責任」を重視してきた戦前の教育を体得した親や先輩たちから教育されたことで、私たちは道徳観や公共の精神をわきまえていたからです。

 日本は焦土の中から、国内総生産世界第二位、一人あたりの国民所得も主要先進国の中では最高水準という、世界で最も豊かな国になりました。

 私たち団塊の世代は、同世代の連帯感を保ち、働きながらも進学高校から一流大学に入学し、一流企業や役所でリーダーシップをとり、日本の高度成長を支えてきたのです。

 現代は、幼年期から私塾に通い、私立の中学、高校から一流大学に入り、省庁に勤めるのが理想だとされています。しかし、友人同士の連帯感も希薄で、常に公共の精神よりも個人の権利を重視するなど、精神的な弱さがあると思います。

 かつて生活は豊かではありませんでしたが、家族がいたわ労り合い、お互いが夢を持ち、志しに溢れた時代でした。経済成長を支えてきた日本独自の伝統や文化、教育が存在した良き時代の気概をしっかり踏まえ、私たちは、これからの日本を考えて行かなければなりません。

 私は一般質問にあたりまして、毎回、質問のタイトルをつけておりますが、今回は「としまの夢、叶うものあり、果たすことあり」と題して、年頭にあたり、今一度、我が心の引き締めを込めながら、区政に望むところです。


 それでは、質問に入ります。一つ目は、十九年度予算であります。


 区長も招集挨拶や予算説明においてお話ししているとおり、高野区政二期に及ぶ苦悩でもあります行財政改革の成果が、実を結びつつあると受け止めております。この八年間、区長には胃の痛む年月であったと思います。

 一期目の当初の改革は、行財政改革を進めつつ、未来への展望を構築するという形で進めてきました。そして、最終的には議会でもよく質問されました「紙おむつ」の削減まで踏み込み、その批判に耐えた形が、十九年度の予算であります。詳細の予算内容については予算特別委員会がありますので、そこに譲る事にしますが、大きな点で、区長のお考えをお聞かせ下さい。まず、区長が十九年度予算について、これまでの予算と比べ、どのように考え、評価されているかであります。

 また、区長の目指す安定的な行財政改革の達成という点では、どのような位置づけをされているのか。あわせて、赤字体質の脱却は図られているのかもお聞かせ下さい。

 更に、前年度に比べて予算規模が大きく伸びた要因と、これまでたびたび説明のあった「身の丈」との関係はどうなっているのかであります。

私ども自民党は与党として加藤区政の時も、予算については、特に当時区議であった矢島千秋現都議会議員が、景気に踊る拡大主義は必ず失政に繋がるという警鐘をしてきました。しかし、バブルを背景に一千億を超える予算規模にまで拡大した後、奈落の底に転じたことは、このかん間の通りです。確かに単年ではありますが、十九年度予算が明るい兆しのなかで、新規拡充事業も多く、夢のある先行も感じられるものと思ってはおりますが、このまま拡大の傾向が続き、同じ道を歩んでしまうのではないかと一抹の不安を覚えるのも事実です。

 私どもは、この十年間の厳しい経験と体験を生かし、不断なる行政運営の見直しを行い、一方ではこれまで以上に行財政改革を基本とした取り組みが必要であると考えています。区長はどのように考えているかお聞かせ下さい。

 併せて、これまで区長は、区の負の遺産として隠れ借金を例に言及してきました。予算のプラス部分を区民ニーズに振り向けることも必要ですが、隠れ借金の返済も未来の展望を拓くものではないでしょうか。隠れ借金の現状と展望についてお聞かせ下さい。

 次に、予算と関連しますが、都区財調であります。

 年末にかけて積み残っております都区の配分割合は、区分五十二パーセントが五十五パーセントになったものの、補助金の見直し等は東京都に押し切られたように思います。

 しかし、私は、長い目で見れば、確実に配分率を確保していくことが二十三区にとって有利になるものと思っています。そういう意味では、高野区長が五十五パーセントを確保するという結果が出ており評価できるものと考えています。区長は都区財調の結果についてどのようにお考えなのかお聞かせ下さい。

 更に、この都区財調との関連で、今後の「都区のあり方検討委員会」についてお伺いいたします。

 昨年の「都区のあり方検討会」のとりまとめ結果では、都と特別区は、東京、ひいては日本の将来を展望し、都区の新たな役割分担や効率的な行政の実現を図り、互いに協力して、東京の自治のあるべき姿を確立することが確認されたところであります。

 この方針に基づき、新たに検討委員会と専門部会が設置され、先月、初会合が持たれたと聞いております。委員会では「都区の事務配分」と「税財政制度」が議論の中心的テーマであることは、承知しておりますが、「特別区の再編をを含む区域のあり方」や「東京の自治の姿」についても議論が必要であるとされておりますので、今後の豊島区の進むべき方向を見極めるうえでも、その議論の動向について、大変大きな関心を持っています。

 現在の特別区の区域は、昭和二十二年に、三十五区が二十三区に再編されて生まれたものであり、全国の自治体が市町村合併を進めるなか、特別区の区域は、六十年間、変わっていません。また、第二期の分権改革がスタートするいま、東京の財源の狙い撃ちや、道州制の議論における都心区の直轄論も高まっております。

 こうした時代の転換期にあるとき、この三月から六月にかけて、二十三区のうち、十五区の区長選挙が行われます。新聞報道によりますと、既に、江東、足立、大田、文京、板橋の五区において、現区長が引退を表明されており、これらの区では、精鋭の都議会議員が立候補を予定されているようであります。

 二十三区の区長の顔ぶれをみますと、既に必ずしも行政あがりでない都議出身の区長がかなり増えると考えられます。

 こうした状況のなか、「東京の自治の姿」という大きなテーマが議論の俎上に乗ることになるわけであり、特別区側としても、大きな政治力が求められる場面も、多くなるものと考えます。

 高野区長が三選を果たすとすれば、都議出身の、しかも三期目の区長として、特別区長会においても、大きなリーダーシップを発揮する存在となることは確実であります。

 区長は今後、特別区の再編を含む区域のあり方や東京の自治の姿についての議論に、どのような姿勢で臨もうと考えているのか、お聞かせください。

次に、施設再構築についてお伺いいたします。

 今回の予算で、平和小学校跡地に西部地区の複合施設の建設が具体的なスケジュールとしてあげられております。区民事務所をはじめ図書館、健康相談所等の施設を統合し、西部地域の中心となることは間違いないと思います。是非、成功させてください。

 一方、ご存知のとおり、豊島区は、地形的に東部と西部に分かれており、東部地域にはこうした複合施設がなく、区民事務所や図書館が分散しています。恐らく、西部の複合施設が建設されると、東部地域でも要望が出されることと想像いたします。

 現在、東部地区でも再構築や再開発についての動きがあると思います。是非、東部地区の複合施設のあり方を検討していただきたく思いますが、この点についてはいかがでしょうか。

 次に、スポーツ行政についてお聞きいたします。

 戦略プランには、文化・都市再生・健康政策・環境が掲げられていました。また、新しい基本計画には各分野の政策が記載されております。こうした内容を見ても全体的なバランスからすると、スポーツに対するアピールや方向性が見劣りする感じが致します。勿論、私自身、体育系人生を歩んできましたので、豊島区がスポーツ施策や事業を実施していることは承知していますが、何か、他の分野と比較してしまうと、アピール度や姿勢が伝わってこない点があります。例えば、学校では英語教育に力を入れるということは解りますが、スポーツについては、現状維持で更なる充実策が見えておりません。

 私は、健康政策の中に、運動・スポーツを位置付け、各部局が協力し推進すべきだと思います。現在の健康政策は、医療・衛生的な観点に立ったお年寄り等への対策に重点が置かれていると見られます。更に幅広く、健康の中にスポーツも体系化し、部間の相互乗り入れのなか、高齢者、若者など誰でもがスポーツに親しめるような施策とし、アピールすることが必要だと思います。引きこもり対策や体力向上だけではなく、集団種目を通じた連帯感や汗をかくことによる精神ストレスの発散等、子どもからお年寄りまで、スポーツはあらゆる点で有効だと思います。このような点についてお考えをお聞かせ下さい。

 次に、団塊の世代への対策についてお伺いいたします。

 私は、前年の一般質問でもこの対策についてお聞きいたしました。

 本区においては、管理職も含め急激な段階退職は生じなく、行政の円滑な移行が可能であるとのお答えだったと記憶しております。

 各メディアは、連日のように団塊元年を報じております。団塊人口推定七百万人、退職金五十兆円という、これまで日本が経験したことのない、大量の六十歳還暦人口が数年間続くことになります。大きくは社会保険制度、財政基盤等の問題がありますが、身近かな豊島区として考えると、団塊世代への体制的な対応がどのようになっているかであります。

 多くの方は六十歳退職以降も六十五歳くらいまでは働きたいという意欲を持っているということです。勿論、基本的には雇用者である企業の問題でありますが、例えば、シルバー人材センター等での受け入れ体制はどうなっているのでしょうか。

 また、社会との繋がりの面から見た場合、多彩な経験と能力を持った人材が、ボランティアとして社会に貢献するために能力を発揮する機会として、NPOのあり方はどのように考えているのでしょうか。

 更には、地縁や血縁に関わるもので、新たな地域力の担い手としての活用についてはどのように考えているのでしょうか。団塊対策として、区の対応の考え方をお聞かせ下さい。

 最後は、定番となっております教育についてご質問を致します。

 昨年九月、小泉前首相からバトンを受け安倍晋三内閣が誕生しました。安倍首相は総理となる前から教育について強い関心を抱き、政権構想においても教育改革を掲げています。そして、昨年、教育の憲法と言われる「教育基本法」が五十九年目で初めて改正され、私どもがこれまで主張してきました伝統と文化の尊重、国と郷土を愛する等が教育目標として定められました。

 まこと真に当たり前のことが、正式に定められたということであります。この改正を受け、今後、「学校教育法」や「学習指導要領」等の見直しが進められることになります。

 そこで、教育長は今回の教育基本法の改正を、どのように受け止めているのかお聞かせ下さい。

 特に伝統と文化の捉え方、また、国と郷土を愛することへの捉え方、更に、私が重要と考えている「奉仕」についてであります。これまで「奉仕」というと何かボランティア的なもので終わっていますが、「人が人としてすべきことを実行する」ことが本来の姿だと思います。うまく表現出来ませんが、これまでの「奉仕」は、何か表面的なものでしたが、それを、人が生きる上で行う本質的なものとして位置付けていくことが必要であると思います。改めて、教育長の「奉仕」についての考え方をお聞かせ下さい。

 次に、今後、具体的な検討が進められていると思いますが、学校評価システムについてであります。

 昨年、足立区で学校の学力等に応じて学校予算を配当する提案が撤回されました。私は、この動きを見て、改めて「公立学校」の役割は何かと考えざるを得ませんでした。お金をもって公立学校の現場に格差をつけることは、公立学校としてあるべき姿に矛盾するのではないかと思います。

 しかし、一方、学校経営という視点から見ると、努力している学校とそうでない学校が全く同一の扱いを受けることが、時代の流れとして正しいかどうかについて疑問があります。そこで、学校評価についてどのようにお考えなのか、お聞かせください。

 昨年、豊島区の教育は「いじめ問題」に苦労いたしました。勿論、豊島区で起こったことではありませんが、そこに見えてきたのは、教育委員会や区の苦悩の姿であります。昨今の風潮は、何かあると自治体の責任であるとされます。確かに、自治体の責任の部分も多々ありますが、「いじめ」を見ると果たしてすべてが自治体の責任といえるかどうかであります。

 子どもにとって一番身近なものは「家庭」でありますが、昨年の騒動でも、家庭の姿が見えてこないと感じました。昔は、「躾」、「食」等は家庭が大きな役割を果たしていたのに、今日では、全てが学校の責任のように見受けられます。子どもの教育に対する「家庭」の責任や役割についても積極的に進めることが必要と考えますが、その点はいかがでしょうか。

また、家庭や社会が変化するなか、子どもを廻る課題は、複雑・多岐となっております。区の子ども施策は、大きく「子ども家庭部」と「教育委員会」が担っておりますが、両組織が連携・融合し、より豊かな「豊島っ子」づくりのために、区が一丸となって取り組むべきと考えますが、教育長のお考えをお聞かせ下さい。

 私は、昨年ですが藤原正彦氏の「国家の品格」を例に、「愛国心」についての質問を致しました。昨年の流行語大賞にも選ばれた、まさにタイムリーなこの「品格」という言葉を、区長は、最近たびたび使用しています。また、戦略プランの中にも豊島区が目指す姿として「品格」が使われております。

 一方、区民から見ると、これまで区長が「文化」という重点テーマとして掲げている言葉との整合性はどうでしょうか。「文化」と「品格」とでは、方向性としては一致すると思いますが、「文化」のイメージが定着しつつあるなか、新たに「品格」というイメージを出されますと、区民が混乱する向きがあります。

 また、「品格」は私なりに考えますと、自ら使うものではなく、ひとつひとつの積み重ねや有りさまが、結果として周りから見て「品格」として認められ、評価が与えられるものであると思います。芸術などの世界においても、どんなに上手く真似ても、真似はマネであり、そこにその人の魂や本当の真意までは到達できないといわれています。

 高野区長に在られましては、是非、存在感のある、豊島区の「品格」を創造していただきたいと思います。

 以上をもちまして、質問を終わらせていただきます。

ご静聴有難うございました。





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