2010年 第1回定例 一般質問
全 文 掲 載

 
 私し、吉村辰明は、自由民主党豊島区議団を代表致しまして、平成22年第一回定例会の一般質問を致します。

 私は、二年間にわたり、豊島区議会の議長を務めさせていただきましたので、今回の一般質問は平成19年の第一回定例会以来となりますので、いささか緊張をいたしております。 議員になってからの15年間、皆様の一般質問を拝聴させていただき、それらの一般質問は、その時代を反映し、区民の声を伝え、政治としての区政の方向を提示する議員活動が議会の原点であることを改めて実感させていただきました。

 また、私が、初めて議長職を務めさせていただいた年は、新しく議員となられた方々の晴れやかなデビューでもあり、一般質問に臨むそれぞれの気迫と新鮮さ、そこに新しい風を感じ、初心を忘れることがないよう改めて自ら心定めたところでございます。

 このような観点から、今回の一般質問に当たり、これまでを振り返ってみました。今でこそ、一般質問に、サブタイトルを多くの方がつけておられますが、その、先駆者が私ではないかと思っております。初めての副題は「風と緑と友がいっぱい ふるさと豊島」であります。今思いますと、なにか気恥ずかしい感じもいたしますが、その後も、豊島区を思う気持ちをベースに「夢」・「情熱」等の言葉が多く副題に使ってまいりました。なぜなら少しでも、豊島区を身近に感じていただき、そして、区民の暮らしが少しでも良くなればとの表れであったと思います。

 私が生まれた昭和の時代、終戦直後は日本の復興・発展に、国も社会も個人も不安定な日々でありましたが、将来に夢を持ち、今日貧しくても、明日が豊かになるため、国民みんなが努力をしてきました。

 行政サービスの量・質、そして公共施設も今日と比べると、雲泥の差でありましたが、そのことに、不平・不満を持った記憶は全くありません。
 東京タワー・新幹線が出来、みんなが汗をかいて、世界で冠たる国を形作ってきたのであります。

 時代は移り、世界も日本も大きく変貌を遂げようとしています。特に、これまで世界をリードしてきた潮流から新たな流れへとの転換期であり、その言葉がチェンジであります。
 チェンジには、新しいものを始める夢や希望が込められているのですが、残念ながら言葉が先行し、現状は戦後の力強さやエネルギーはなく、目標もない閉塞感が日本に漂っている観がします。

 それは、経済の低迷や不況だけでなく、教育・家庭・社会人の倫理や価値観の喪失などがあるのではと思います。

 昨年、悔しくも政権交代がありました。私と致しましては断腸の思い、そして、耐え難きものでありますが、将来を見据えると、日本の新たな政治体制の創出につながるものと考えられます。

 自民党も、現在の政権党が盛んにPRしています政治主導で戦後の日本をリードしてきましたが、いつしか、官僚主導と言われるようになってしまったのです。権力は自ら常に気をつけても、年月を重ねることにより、少しずつ金属疲労が生じますし、そこには、隙間が生まれ、周囲も腐食しマンネリ化して来ます。そこに年金や天下り問題等、国民から乖離した、信じがたい行政が行われて来たのです。最初は、高い理念と目標により制度は出発したと思いますが、月日を重ね、ずさんな年金処理、天下り法人に至ってはなにをいわんやであり、こうしたことが、たまたまでなく、構造的であることが問題であり、そこにおごりが生じて、国民の批判を招いたのであります。結果として、政権党の責任は厳しく問われましたが、役人は無傷であります。

 議院内閣制のもと、結果について、責任が問われるのは必然的ではありますが、変わったのは政界だけではだめであります。それらを遂行した役人・天下りに安住したものに対して、一定の責任をとる仕組みを作り上げていかないと、変わったのは政界だけで終わる懸念があります。

 新政権は浮世離れしたお金の問題も山積し、また、これまでのように、前政権の批判と隙間を埋めることから、財源問題を含め、景気対策外交など、たびたび言われている官僚主導から政治主導の具体化等を含め、その手法が試され、これから評価されます。
 私たちも謙虚に反省するところは反省し、『政権奪還』を果たし、出てきた膿を正していくため頑張ってまいります。

 前置きが長くなりましたが、こうした大きな政治・社会変革の中、経済も悪化し、更に冷え込み、先行き不透明な状況下において、地方自治体は、行政運営の根幹である財政問題はもとより、新たな公務の在り方等、その、舵取りは一段と厳しくなっております。また、近頃、色々な首長がお茶の間に登場し、地方自治について発言され、地方行政が身近になり、わが町・わが村の行政の在り方が比較される場面も多くなりました。

 全国自治体を見ると、23区はあらゆる点では豊かでありますが、課題も山積しております。豊島区民にとっては、23区の中で、どうであるかであります。財政危機の時も、どうして豊島区だけが、という声も忘れておりません。豊島区も現在まだ問題克服の途上でもあり、そうした中、先ほどから申し上げております現下の社会・経済・政治等の環境を踏まえ、今後の行政運営を中心に教育問題などについて尋ねるものであります。

 最初は、平成22年度予算についてであります。既に予算内示会等でも説明がありましたし、資料についても過去との比較や特徴が記載されていますが、約26億8千万の財源不足を賄うため、歳出は投資の先送りと経常経費の削減、歳入は財政調整基金を取り崩し、起債をし、一家の生計に例えると、やり繰りのため、貯金を下ろし、借金をして、必要最低限の物以外は買い控え等を行い、どうにか帳尻があうような非常に厳しい家計であると受け止めております。今月はどうにか賄えても、預金通帳には殆ど残金がなく、借金は増え、来月はどうするかであります。

 そこで、改めて、本予算についての社会状況の据え方、予算の特徴、重点はなにか、評価について、そして子ども手当等、国の事業方針による本区予算への影響、住民税が減り、法人税等が厳しい中で、プラスの都区財調の見積もりの考えなど、予算全体の状況についてお聞かせ下さい。

 私は、平成19年第一回定例会の質問で、19年予算が明るい兆しの中で、新規・拡充事業に取り組んでいるが、このまま拡充の傾向が続くと、財政危機を招いた道を再び歩くことの危惧があるとして、転ばぬ先にとの思いから、今後の行革の取り組みの決意をお聞きしています。

 その直後、心配が的中し、米国の金融危機から端を発した世界同時不況に見舞われましたが、世界の多くは回復する中、日本の景気回復は遅れ、デフレ宣言がされるように景気の落ち込みは更に厳しくなっております。

 このたび、国の補正予算が成立しましたが、各界とも、景気回復に対して、時期・内容等厳しい見方となっておりますし、新年度予算についても、国債の増発、財源裏付けのない施策等の評価があり、景気回復の兆しは見えておりません。
 こうした状況の中、各自治体は、税収等の落ち込みにより、事業の見直し、先送りは当然とし、財政調整基金の取り崩し等により、新年度予算編成をしておりますが、今後、経済の冷え込みのことを考えると税収は更に落ち込み、全国の自治体の中で恵まれている特別区でも、来年度以降の状況は大変厳しいものがあると聞いております。

 そこで、本区の予算は今年度はプラスでしたが、今後の財政収支については、どのように捉えているのかお聞かせ下さい。歳入面で、区民の方々から異口同音に相当厳しい景気状況であると聞いており、区民税等の更なる減が見込まれますし、企業の業績も同様と考えられます。私は、先に述べた家計のような状況と考えますが、いかがでしょうか。

 そして、本区の財政的数字は現在、23区の中でどのような状況であるのか、(公債費比率・人件費比率・財政調整基金・借入金額等)、更に、借金返済とも係わります将来負担比率はいかがなのか、今後の財政収支から、どのような数値を予測されているのか、これまでの目標があれば、その比較もお聞かせ下さい。

 区長は区の抱えた借金を三年間で返済する予定と、決意を示しております。私も区長が将来負担に対して、強い決意で借金の返済について、これまでの、借金も財産のうちと言うような財政運営から脱却し、負のバトンを子孫に渡すことをしない、借金返済を支持いたしました。
 しかし、今日の経済状況や予算編成を踏まえると、予定される返済の達成への厳しさを感じますが、いかがでしょうか。

 状況により、予定年次の延伸も考えてはいかがですか。
 特に、先に延べましたように、今年度の予算は、財政調整基金の充当と起債の追加発行により、対処されたと理解しております。財政調整基金は、高野区長就任時ゼロ円と同様の有様の中、本当に必死に貯めたものであり、起債についても、いわゆる箱もの行政を過大に整備して来た結果、膨大な借金を作ったと理解しています。

 財政調整基金があると言っても、他区の基金の潤沢さとは異なり、本区は少額であり、数年度にわたり、取り崩せば底を突くと思います。また、起債はある意味借金であり、将来重い返済となります。そこで、財政調整基金・起債について、捉え方、今後の方向についてお聞かせ下さい。

 併せて、補助金についてお伺いいたします。補助金は、功罪両面あるとの話がありました。それは、自治体が全額負担しなくても、その事業なりが出来る一方、事業を進める中で、自治体の負担が多くの場合生じ、その負担が足かせになるとのことでした。新規・拡充事業にも補助金を見込んだ事業が見受けられます。これまで、補助金がいただけるから良しとしていた事業のことも考えさせられます。 改めて、補助金についての見解をお聞かせ下さい。

 次に、今後の財政歳出ですが、社会保障費の支出についてどのようにとらえているのかです。このままいけば二〇五〇年の高齢化率は、約38%、社会保障費の支出は今の支出の五割程度の増と想定されています。新政権は子ども手当等無差別給付の拡大をしていますが、財源もなく、負担もしないで給付を上げればその先の財政は見えてきます。

 社会保障費の今後については、国も当然ですが、地方自治体も避けることは出来ません。 区として、どのように分析し、また、給付と負担の在り方についてどのように考えているか、お聞かせ下さい。

 種々、基本的なことも述べてきましたが、私は、これからの時代を考えますと、今より景気は改善されますが、戦後の一貫とした右肩上がりや経済繁栄は望まれないと思いますし、これまでのように国も含め、借金をしながら拡大・拡張の手法から、財政に応じた行財政を考え、実行することが必要と思います。
 そうしたことから、事業について、区長が言われているように、あれも、これもではなく、選択・集中が不可欠であります。未来戦略推進プラン案により示されております事業についても、起債・補助金の在り方や財政状況を踏まえ、絞り込みも必要と考えます。また、先に述べたように給付と負担も一度整理し、改めて何を優先するのか明確にすることが必要と思いますがいかがでしょうか。

 次に行政改革の取り組みであります。

 先に申し上げましたように、私は高野区長が初就任直後、破産寸前の区の財政立て直しを至上命題として、危機感迫る思いで取り組まれたことを忘れておりません。区民の方も同じだと思います。その結果が財政改善となり、将来への道を開きました。行革はどこでも取り組みをしていますが、その強弱、トップの意思により、改革の中身は変わります。

 マスコミで大きく取り上げられております大阪の橋下知事が行った職員給与のカット、定員の削減、聖域なき事業の見直しなど、行政改革に民間人区長としていち早く取り組み、その結果、最悪の事態を招くことなく今日に至っています。

 併せて、十分とは言い難いこれまでの財政状況の情報公開も含めた、高野行政改革への取り組みは新鮮であり、画期的でありました。
 今思えば、あの苦しみを断行しなければ、今日の状況の中、豊島区の放漫財政はどうなっていたのかと思います。

 区長は、その後も機会あるたび、不断の行革を口にされております。未来戦略推進プラン案にも行革の項目があります。

 平成12年当時から見ると職員2千人体制の実現という大きな柱は推進されてきております。区長は、19年度の予算にあたって、今後を見据え、安定的な行財政改革を目指すとしておりますが、この間の区長の意思・努力により、大きく人員が削減されました。予算書を見ても、特別区民税の90%相当が人件費分ですし、委託料とか補助金等の中にも人件費分が入っており、実質だと恐らく同額近くになるのではと想定します。この数字を見ても、行革の最たるものが人員の抑制であります。 今後について、新定員管理計画案が出され、五年間で二百人の削減数が示されました。課題、そして実現の方向性と言いますか、考え方が細かく示されていますが、その二百人削減の数字の根拠をお聞きいたします。 

 人員削減と事業との相関はどうなっておりますでしょうか。これまで、人員削減と新規拡充のバランスにおいて、仕事が増え、人員だけが減って、それを埋めるため、アルバイトを採用しているとの声も聞きます。新定員管理計画案の中に二百人の削減達成に向け効率的な事業執行体制や民間活力の活用等、その方法が記載されています。その通りだと思います。しかし、電算等の導入は、利便性は高めたが、人員削減にまで結びつかないことや、民間活力、指定管理者制度など、既に色々尽くしており、実現までは、難しいのが現状であります。今後、具体的に業務量と人員との関係は、どう捉えているのか。

 私は、ここで行政の仕事について、全て整理をしてみたらどうか、行政自らが実施するものは、計画等限られるのではないか、各事業についても、官が高く、民が低いということはなく、経費も安価、サービスや接遇等民間の方が行き届いていることもあります。

 そこで、事業について直営から民間移行等、本当に出来るか出来ないかではなく、なぜ直営でなければならないのかも十分にチェックをした上で、今後の削減計画を出したらと考えますが、いかがでしょうか。
 殆ど、直営の事業はなくなる可能性もあり、経費の削減にも寄与できるのではないかと考えます。

 新定員管理計画案で、職員の採用計画が示されておりますが、採用から退職まで40年間とした場合、40年後の職員数・定員はどのくらいと考えているのか。公務員は途中での解雇は基本的になされませんので、将来を見ての採用も必要と思います。

 恐らく、殆どが、コンピュータ処理で、在宅勤務、議会もテレビ会議等、民間委託が更に進み、職員は殆どいらない役所が想像できます。そうしますと、採用数も違ってきます。この様なことは、極端とも思いますが、職員数の抑制を、退職者数で調整するということが行革なのかどうかです。

 次に、サービスの考え方であります。これまで行政は、住民に給付、そして施設を造るなどが行政の使命と捉えてきました。確かに、戦後の物もない時代の行政の在り方だと思いますが、今や事足りている中、事業を増やし、拡大・上昇の時代にすることから、物が足り、消費が厳しい時代や高齢化社会という現状に、遣るサービスから、名古屋市や杉並区のように税の削減という新たなサービスもあるという考えも生まれます。

 そして、これからの時代、政策・事業の絞り込み、そして、成果の薄い事業の廃止の徹底を計ることが、職員の厳選化や少数精鋭化につながり、人件費の縮減、そして組織のスリム化にも結びつき、行財政改革の目指す行政の効率・効果という好循環を作り出すように思います。そこで、今後の行革を踏まえ、行政サービスについてどのように捉えているかお聞かせ下さい。

 行政改革が効果的・効率的行政の実現を目指すものであれば、現職員のスキルアップも行革と思います。現職員の現状はいい意味で変わってきております。

 しかし、そうは言っても、全て良しではありません。民間がこうした厳しい経済状況の中、公務員の場合、危機意識に違いがありますし、更なる意識改革を期待しておりますが、その点はいかがでしょうか。

 次に、地元の巣鴨地区まちづくりについて若干お伺いいたします。

 内閣府が今年1月に発表した景気の実感を示す「街角景気」では、現状の判断指数が三ヶ月ぶりに上昇に転じたとのことでありますが、昨年は、消費者物価指数が連続したマイナスとなり、日本経済がデフレ状況にあることを裏付ける結果でありました。

 巣鴨地区は、まだまだ下町情緒が溢れる人情と心が生きている商店街の町でありますが、個人消費が落ち込む中で、苦戦の連続であったというのが、私の実感であります。

 しかしながら、こうした景気低迷にも負けず、次の時代に備え、着々と準備を始める「逞しさ」を兼ね備えているのが、巣鴨の街だと思っております。

 例えば、平成20年4月には、巣鴨駅前商店街でソーラーシステムが完成したことや、平成21年6月には、巣鴨地蔵通り商店街で、LEDを使用した商店街灯が設置されましたことなど、どちらも不景気風に負けることなく、来訪者に対して、「おもてなし」と「環境配慮」を強くアピールするものとなりました。このような地元の頑張りは、二代目、三代目を交えた巣鴨地区のまちづくりの原動力でありますが、今後の人口減少と超高齢化という大きな社会変動を見据えた場合、更に計画的な「腰を据えた」まちづくりが必要ではないかと考えております。現在、地元では、白山通りの拡幅事業を契機として、平成10年、「巣鴨地区街づくり協議会」が設立され、将来の地域の環境変化に対応するため、検討が重ねられています。

 また、私が議長を務めさせていただいた時に、「巣鴨街づくり協議会」から「巣鴨地蔵通り周辺区域の総合的なまちづくり促進に関する請願」が提出され、昨年の第二回定例会において、採択されたところであります。今年3月には、JR巣鴨駅の駅ビルが完成し、小売店舗「アトレヴィ巣鴨」がオープンする予定です。商業が集積することは、巣鴨にとってマイナスとは考えておりませんが、地域のまちづくりも急がなければならないと強く思うのであります。

 そこでお伺いいたします。巣鴨は、旧中山道に沿って巣鴨駅から明治通りへ向けて、我が家を過ぎる堀割交差点までの間、巣一商店会、巣鴨駅南口一番街、巣鴨駅前商店街、巣鴨地蔵通り商店街、庚申塚商栄会が続き、途中、庚申塚では栄和通り商栄会、お岩通り商店会、大塚方面へ下れば折戸通り商栄会につながる、豊島区の中でも珍しい商店街の町であります。

 とげぬき地蔵の高岩寺、江戸六地蔵の眞祥寺はもとより、猿田彦大神の巣鴨庚申堂や延命地蔵など、歴史と文化の散歩道でもあります。出来れば、すべての商店街に活力を与えるようなまちづくりを進めたいと思いますが、地元協議会からのご要望を受け、今後、どの様にまちづくりに取り組まれるのか、その進め方や課題をお聞かせ下さい。

 また、地元協議会から請願の中身を改めて拝見しますと、巣鴨地蔵通りを中心に来訪者や地域住民が快適にゆったりと寛げる休憩スペース、公共トイレ、街歩きガイドの拠点、町の名産品・魅力の紹介など、街の交流センターの整備が掲げられております。

 こうした点についてですが、現在、旧巣鴨休日診療所の建物は、あまり利用されていない状況が見受けられることや、北側の巣鴨四丁目第三児童遊園も利用者が少なく、白山通りに面する公共用地をこのような形にしておくのは、とても勿体ない気がしてなりません。こうした公共用地を地域のまちづくりに積極的に活用し、活力と魅力に溢れ、住人にも来訪者にも快適な街を築いて行くことが、これからのまちづくりの姿ではないかと思うのですが、今後の敷地活用の考え方など、区長のお考えをお聞かせ下さい。

 最後に教育について質問いたします。

 言うまでもなく、教育は国家発展の基礎であり、我が国のみならず、諸外国においても政策上の最優先課題であるとともに、各国の歴史や、社会的、文化的伝統を踏まえ、行われるべきものであります。特に天然資源に乏しく、国土が限られている我が国においては、人材育成は必要欠くべからざる重要政策であり、今後の社会発展の礎となる、未来への先行投資であります。こうした教育活動においても、近年の地球規模のグローバリゼーションの進行や、知識主導型経済の浸透、情報通信技術をはじめとする科学技術の進歩など、世界的な潮流にさらされています。

 諸外国においては、近年、教育改革の動きが加速されており、文部科学白書によりますと、アメリカではブッシュ政権下で、これまで州政府任せの教育制度を改め、連邦政府が教育スタンダードを定め、州統一の学力テストの実施や公表を義務づけており、オバマ政権においても、教育が連邦政府の最優先課題に位置づけられております。イギリスではブラウン政権のもと、全国テストの実施及び学校の実績公表が、フランスでも、義務教育段階の習得内容の規定や学力調査の実施などの取り組みが行われております。

 一方、バブル崩壊後の景気後退や、アメリカの大手証券会社の破綻を契機とした景気低迷は、我が国の経済活動を停滞させ、雇用情勢を悪化させております。所得格差の拡大や、家庭の経済力の違いによる進学機会の不平等化など、本来、誰もが安心して教育を受けられる環境が損なわれることも懸念されています。こうした状況のもと、我が国においては教育基本法が改正され、伝統文化の尊重、我が国と郷土を愛すること、公共の精神の尊重などが明文化され、更に、平成20年7月には国の教育振興基本計画が策定されております。この振興基本計画では、社会全体で教育の振興に取り組む必要性を明示し、教育投資に必要な財源の確保や、個性の尊重、社会の一員として生きる力の基盤の育成などが示されております。

 しかしながら、先月も江戸川区で小学校一年生が両親から虐待を受けて死亡するなど、痛ましい事件が続いており、これまで日本人が美徳とし価値観を共有してきた、子どもへの愛情や親を敬う心、家族の絆や道徳心などが失われつつあります。また、公共の秩序や規律の尊重より、自己の自由や権利を主張する風潮も強まり、公共の精神をわきまえず、社会的な連帯感や道徳観の希薄化が進んでおり、今の若者の精神的な弱さを指摘する識者もおります。
 こうした中、教育委員会においては、今後、10年間の本区の教育行政の指針となる豊島区教育ビジョンの改定作業も最終段階を迎えており、ホームページで公開されている新ビジョン案では、第二章の「計画の基本的な考え方」の中で、本区の教育の新たな将来像である「教育都市としま」の実現を目指すとの提案もございます。

 新しい教育ビジョンの中で、様々な教育課題の解決が図られるものと考えておりますが、今後の10年間の指針である新ビジョン案では、日本の社会の基軸とすべき郷土愛や、公共精神の尊重、道徳心の育成などをどのようにお考えでしょうか。教育長のお考えをお聞かせ下さい。また、新たな「教育都市としま」の具体的内容や、その実現に向け、どの様な決意をお持ちか、お聞かせ下さい。

 次に、隣接校選択制の検証についてお伺いいたします。

 隣接校選択制は導入から10年間が経過し、本年度は、教育ビジョンの改定に併せて検証作業が行われており、昨年の子ども文教委員会でも、検証結果が報告されております。そもそもこの制度は、入学に際して通学の利便性など通学区域の弾力化を図り、保護者の意向を尊重するとともに、開かれた学校づくりや、創意工夫を活かした特色ある教育活動の推進を目指して、導入された制度であります。

 選択制の趣旨から保護者の意向が尊重され、保護者からの支持が高いのは当然であり、根本的な制度見直しが困難であることは、十分理解しております。また、小・中学生の児童・生徒数が減少しており、ある程度の学校の小規模化は回避し得ないものであることも仕方のないことであります。しかしながら、学校の小規模化が著しい地域では、地元の町会活動や、様々な地域行事においても参加する児童が限られること、子どもたちが成人した将来において、地域に友達や知人がいなくなることなどを、指摘する声は少なくありません。そして何よりも、特定の学校の小規模化を助長する弊害は、看過し得ない重大な欠陥であります。
 こうした厳しい地域の状況は、教育委員会も十分承知していることと思います。
 こうした学校の小規模化を少しでも改善するためには、教育委員会の総力を挙げた取り組みが是非とも必要であり、そうした取り組みを熱望するところでありますが、対応の状況をお聞かせ下さい。併せて、選択制の継続に対して、地域の実情や説明をどの様に考えているのかお聞かせ下さい。

 先日、カナダのグルノーブルで冬季オリンピックが始まりました。日本選手の活躍を期待しているところです。

 昨年の12月17日文部科学省は、全国の小学五年生と中学二年生の男女を対象とした「全国体力・運動能力、運動習慣調査」いわゆる「体力テスト」の結果を発表しました。

 その結果は、昨年に続いて、一九八五年の開始以来の著しく低い数字となっています。東京都は47都道府県の中で、小学五年生で男子が38位、女子は35位。中学二年生では男子が46位、女子は43位であります。

 この体力テストは、民主党の事業仕分けにより、来年から大幅に縮減されますが、有識者では憂う声もあり、また、巷間、体力向上と学習意欲の向上は結びつくものであることが指摘されています。私自身、スポーツをこよなく愛し、「知力・体力」は一体と考える者にとっては安易な削減を憤っています。

 先ず、豊島区の公立の児童・生徒の体力は如何でしょうか。そして、教育現場では体力と知力の関係についてどのように捉えているのかお聞かせ下さい。
 こうした東京都の結果に、都の教育委員会はその一助として、区市町村対抗の駅伝を考えているようです。本年3月21日には晴海埠頭の特設会場で、初の中学生駅伝が開催され、男子は42.195キロ、女子は30キロで日頃鍛えた健脚を競い、豊島区からも男女の代表チームが参加するとのことであり、大変喜ばしいことであります。

 私もお役を頂いているときに、区の陸上連盟や三警察署の署長に区内の駅伝を提案した経緯があります。署長たちは協力も吝かでないとのお声は頂きました。しかし、その時の署長は三人とも異動で現在はおりませんが、区としても積極的に対応を考えてみては如何でしょうか。

 さて、こうした、体力の低下とも係わりますが、サッカーやバスケット・バレーボール等、外国から入ったスポーツが盛んになる一方、柔道や剣道等、学校から日本古来の武道が消えております。

 「文武両道」学問と武道にバランスのとれた人間形成の機会が失われていることを残念に思います。そこには、指導者不足などの原因もありますが、最近の売れ筋本の中に、「こつぶの日本人」があります。日本人が自分だけ良ければ、と言う社会的行動の欠如や、嘘をつき、人を馬鹿にしたりする心の貧困、信頼の喪失等学級崩壊も含め、現代社会の病の表れでもあります。

 政府は、早ければ二〇一一年度の中学校の武道教育必修化に向けて、公立の中学で武道を担当する体育教師の指導力強化に乗り出すということであります。武道学科を持つ体育系大学や民間の道場に体育教師を派遣して、指導方法を研修させることを検討していると聞き及んでおります。

 武道には、基礎体力の育成は勿論、その特徴的なのが、人間としての基本となる「礼に始まり、礼に終わる」と言われるように、礼儀・気配り・思いやりを身につけることであります。更に武道は、野球やサッカー等の球技とは異なり、広い場所を要しなくても学ぶことができます。冬型の気圧配置ではありませんが、区の施設計画は西高東低であります。予算のない中、新たな施設建設不可能ですので、統合校の一部を改良し、武道の環境を整えることができないかと考えます。

 古くから伝わる呼吸法や瞑想法など自分自身と向き合うこと、そして、対戦相手に対する礼儀はコミュニケーション能力も向上させることが出来ますが、そこには、教育現場でいかに武道を適切に指導できるかが、必修化の成否の鍵になりましょう。

 以上をもちまして、私の質問を終わらせていただきます。

ご静聴ありがとうございました。




戻る 戻る