ときどき帰ってくる 勝手に曲目紹介

〈文責〉怠惰な管理人

 今年はサンクトペテルブルグ建都300周年の記念の年。ロシアではさまざまなお祭りが企画されているようです。

 そこで遠き練馬の地からささやかなお祝いの意味を込めて、今回の演奏会は、サンクトペテルブルグにゆかりのあるロシア音楽を特集してみました。

 ここまで標題付き音楽を集めた演奏会も珍しいかと・・・(^^;)

 ちなみに左の写真はキエフの寺院の写真です。本文とは関係ありません。でも、なんだか“サンクトペテルブルグの雰囲気”でしょう?

 (本当のことを白状しますと、選曲の時点ではそんなことは全然知りませんでした。偶然です。それが証拠にコーカサスの風景だけは、サンクトペテルブルグとは関係ありません。知っていたら「レニングラード」やるんだったなぁ。。。)

 


ムソルグスキー/交響詩「禿山の一夜」(リムスキー=コルサコフ版)

MUSSORGSKY / Symphonic Poem "Night on the Bare Mountain"

 まずは曲名表記上の諸注意。“はげ山”とか“ハゲ山”とか書かずに、“禿山”と書きましょう。でも「禿げ山」と書くと、いっそうハゲがひきたってしまいますので、ご注意願います。
 などとくだらないことはさておき。では、作曲者と編曲者のご紹介から。
ムソルグスキー
Modest Petrovich Musorgskii 1839-1881

 ロシア5人組の一人。「5人の名前を列挙せよ」という問題が出ても、リムスキー=コルサコフ、ボロディンまではすぐに言えますが、バラキレフとキュイ、特にキュイはでてこないですねぇ。某国立系音楽大学の楽理の期末試験で、“キュイ”が書けなかったばかりに落第した人を私は知っています。
 ボロディンはあまり作曲をしていないので、ボロディンをのけ者にして、ロシア国民楽派という言い方もあります。

 地主の息子として生まれ、裕福なはずなのに陸軍士官学校に入学。のちに軍隊に入隊。そこで5人組のメンバーと出会う。1861年ときの皇帝アレクサンドル2世の農奴解放令により、実家は没落。
 除隊後は貧乏と戦い、役人にまで落ちぶれたこともあったそうです。
 結果、無一文・アル中で42歳で没。左の絵を見てください。上は30歳前後、下は入院したときの肖像画です。なかなかいい男だったのに・・・。人間、こんなに変わってしまうものなんですね。

 1881年に指揮中に倒れ、病院に収容されるが、誕生日の前日に付き添っていた友人が、誕生日祝いのつもりでブランデーを差し入れし、それを飲んだとたんに容態が悪化、帰らぬ人となった。つーか、アル中の人にブランデー飲ませるなよな〜。なんだか身につまされるお話でした。

 独学で音楽を学び、いわゆる音楽理論を知らなかったことが、彼独特の作風に生かされてます。前例のない野蛮な響き。農民への共感に見られるような、ロシア大地に根ざしたような重厚な和音。運指や伝統的技巧を無視したピアノ曲。オーケストレーションのためのスケッチともいうべき「展覧会の絵」は後年、多数の人によって編曲されることとなります。

 彼はまた、「編曲されやすい作曲家」第1位でもあります。有名な展覧会の絵(編曲者多数)、禿山の一夜(リムスキー=コルサコフ)の他にも、ホヴァンシチナの前奏曲(ショスタコーヴィッチ)、ソロチンツィ市(リャードフ)など。そうそう、ボリス・ゴドノフもリムスキー=コルサコフ版でしたよね。まぁ、未完に終わった作品が多いことが原因なんですけど。

 ボリス・ゴドノフのピアノ譜がフランスへ渡ったとき、ラヴェルやドビュッシーが驚嘆したと伝えられています。
 ムソルグスキーの影響は、ヤナーチェクやバルトークばかりでなく、ドピュッシーにも見られます。ムソルグスキーのピアノ曲についてドピュッシーは次のように書いています。「われわれの内にある最上級の感性を、彼ほどに優しく切実な口調で語った者はいない。彼は唯一無二である。そして、干からびた様式を持たない。前例のないその芸術のために、いつまでも唯一無二のままありつつけるであろう。かつてこれ以上に洗練された感受性が、これほど単純な方法で翻訳されたことはない。」

リムスキー=コルサコフ
Nikolai Andreevich Rimsky-Korsakov 1844-1908

 チャイコフスキーがこんぺい糖の踊りでチェレスタを使用する際に、「私が最初に使いたいから、(この楽器の存在を)他の人にはナイショにしておくれ」と楽器屋に言ったというエピソードは有名ですが(松尾さんもいつだったか、コンサートMCで紹介してましたね)、「他の人」とは実はリムスキー=コルサコフこの人のことでありました。ことあるごとにチャイコフスキーはリムスキーをライバル視していたのでありました。

 ムソルグスキーと一時同居し、午前中ムソルグスキーが役所に勤めに行っているときには、ピアノを弾いて過ごし、彼が帰ってからは彼がピアノを弾いていた、なんてこともあったようです。う〜ん。あやしい。ムソルグスキーは生涯独身だったし。あっ、でもグリンカの妹さんと仲良かったらしいです。

 生涯にわたって、ボロディンの作曲の後始末をしたり(イーゴリ公)、ムソルグスキーの世話をしたりしていたので、自らの作曲はあまりすすみませんでした。

 オーケストレーションの大家でもあり、著書「管絃楽.法原理」は作曲家のバイブルでもありました。ペテルブルク音楽院の教授時代にはプロコフィエフやストラヴィンスキーを教えていたこともあります。

 ではいよいよ禿山の一夜のお話・・・

 この曲ほど紆余曲折のある曲も珍しいです。

  最初の構想・・・メグテンの戯曲「妖婆」を題材とした、歌劇「裸の山」の作曲を計画。「地下に響く不思議な声。闇の魔物の登場。続いて闇の魔王の出現。魔王への賛歌とミサ・・・」というようなあらすじだったようです。

 原典版・・・その着想を具現化したのが、まずは1867年にとりあえず完成した、「聖ヨハネ祭のはげ山の夜」。いわゆる原典版というのは、この曲を指します。1968年にキルコールという人が、自筆譜ファクシミリを元に“多少”書き直したものがモスクワのムージカから出版されました。いっとき、この版を使用するのが流行しましたけれど。。。
 曲はティンパニの乱れ打ちに始まり、1.魔女の集会、魔女たちの議論とおしゃべり、2.サタンの行列、3.サタンへの呪わしい賛辞、4.サバト と描写されていきます。つまり、リムスキー版と違って、「朝日が差してきて魔物たちが去って」いかないのです。おどろおどろしさの自乗ですね。

 コーラス版・・・1872年完成。5人組の合作オペラ「ムラダ」の音楽の一部分として作曲されますが、このオペラの合作は失敗し、結局はリムスキー=コルサコフの単独作曲のオペラとなります。
 曲はバリトン、児童合唱と合唱のためのカンタータ版ともいうべき構成になっています。冒頭、いきなり男声合唱の「エロイム、エッサイム・・・」みたいな呪文がとなえられ、原典版よりさらにおどろおどろしくなっています(実際には「サヴァナ!ベゲーモト、アスターロト・・・」とか意味不明の悪魔語を叫んでいるらしい)。

 コーラス版その2・・・1878年完成。オペラ「ソロチンスクの市」の間奏曲「若者の夢」として、コーラス版を手直し。オペラはまたも未完に終わる。

 これだけ何年にもわたって改訂を重ね、大切に育ててきた(?)にもかかわらず、ムソルグスキーは生前演奏を聞くことはありませんでした。死後最初に演奏されたのが、リムスキー=コルサコフ版なのですが・・・もしこれをムソルグスキーが聞いたら「俺の曲になんてことをしてくれたんだ!」と怒ったかもしれませんね。

 リムスキー=コルサコフ版・・・「(ムソルグスキーの書いた楽譜には)出版・演奏にふさわしいものはひとつもなかった」と言い切って、彼はせっせとリミックスにいそしんでおりました。原典版を基本としながらも、コーラス版からメロディーを切り貼りし、オーケストレーションを書き直して、ほとんど独自の音楽ともいってもいい曲として再構成しました。1885年完成。サンクトペテルスブルグにて1886年に初演。

 曲は一言でいうと「山に魑魅魍魎が集まって大騒ぎ」。一応は恐怖の音楽です(まぁ、恐怖と笑いは紙一重なんですけどね)。
 『リムスキー=コルサコフがさんざん手を加えているんだから、今さらもうひとつふたつ手を加えてもいいやんけ』と、恐怖を更にあおるために、ウィンドウ・マシーンや(余計なところに)スネアを加えたりする指揮者もいました。

 (余計なこと)
 某PS2のゲームのブラボーミュージックでは10曲目がこの曲になってます。ファイナルコンサートは、クリアした全34曲をノンストップですべて演奏しなければならないため、この曲のあたりで指に痙攣が起こります(テンポ速いしねぇ〜)。


カバレフスキー/組曲「道化師」op.26

KABALEVSKY / THE COMEDIANS, op.26

カバレフスキー
Domitri Borosovich Kabalevsky 1904-1987

 全生涯にわたりソヴィエトに仕えた、今は亡き『ソヴィエト連邦御用』作曲家。
 ショスタコーヴィッチのように党から批判されることもなく、音楽院の要職につき、いわゆる社会主義リアリズムの音楽の王道を歩みました。ああ人民よ永遠なれ。たたえよ社会主義カレー。といったところでしょうか(←いや、これ悪口じゃぁないんですよ)。

 ピアノ音楽、とりわけ子供のためのピアノ教材の作曲に心血を注ぎました。筆者もご幼少のみぎりにお世話になりました。

組曲「道化師」

 児童劇「発明家と喜劇役者たち」という、田舎まわりの喜劇一座を扱った劇に音楽をつけたのが、この組曲のもとになっています。全16曲の中から10曲を抜粋して、1940年にレニングラードで初演。もとの劇音楽のほうは1938年にモスクワの中央児童劇場(東京でいうと、青山劇場?)で初演されました。

 譜づらがやさしく見えて、ギャロップが派手なので、ジュニアオケなどがよく演奏します。また、ショスタコーヴィッチの重いシンフォニーがメインの場合(第9番や森の歌)の中プロとしてもよく取り上げられます。

 しかしながら、簡単かというと、これが侮れません。練習すればするほど、重厚かつ重い響きになっていくのを、どうやって軽いところで押しとどめられるかが鍵でしょう。

 来年はカバレフスキーの生誕100年なので、フライング選曲でありました。(ロメオとジュリエットとか、マイナーな曲があちこちの演奏会で取り上げられるかな?)

第1曲 プロローグ(道化師の前口上)
 道化師の前口上といいますと、レオンカヴァッロの歌劇の1幕冒頭をと思い出してしまいますが、この曲の場合はなんだか早口ですよね。この旋律がこれ以降の曲にさまざまに形をかえて現れます。

第2曲 道化師のギャロップ
 何も解説の必要はないでしょう。ザイロフォンの独壇場。

第3曲 行進曲
 
行進曲なのに、なぜかテンポはモデラート。後半に第1曲のモチーフが出てきます。

第4曲 ワルツ
 
クラリネットが優雅に旋律を奏でます。ここらへんのポリホォニー的な旋律がカバレフスキーの特徴です。

第5曲 パントマイム
 
劇中のピエロの一人芝居の場面。コミカルなシーンに重い音楽という対比に道化師の哀しみが表されています。

第6曲 間奏曲
 
ここらへんでメロディーが枯渇してきたのか、第1曲のモチーフの変奏のオンパレード。

第7曲 短い叙情的場面
 ようやくホルンさんの出番。子守歌だと思われますので、間違っても赤ちゃんを起こさぬように。

第8曲 ガヴォット
 古典様式のガヴォットそのものです。直球勝負。

第9曲 スケルツォ
 なぜかスケルツォなのに2拍子です。ここらへんのひねり方が、カバレフスキーの面目躍如といったところでしょうか。

第10曲 エピローグ
 
なんだか動物の謝肉祭のフィナーレのような。。。登場人物勢揃いで、舞台挨拶しているような場面です。
 そういえば、雰囲気が懐かしくありません?そう、芥川也寸志の交響三章、そのFinaleと似ています(とゆ〜か、芥川さんのほうがカバレフスキーの影響を受けていると思われます)

余談

ギャロップが終わると、ネッケ作曲の「クシコス・ポスト(クシコスの郵便馬車)」の音楽が頭の中を駆けめぐるのは私だけ?

余談その2

 ネットでカバレフスキーを検索していたらこんなものを見つけました。

<<平成12年度 小学校教員資格認定試験>>より

問16 次の楽曲は,これまでの小学校学習指導要領(音楽)で示されてきた鑑賞教材である。曲名と作曲者名の組み合わせがすべて正しいのは,下のアからオのうちどれか。一つ選んで記号で答えなさい。

ア 「おもちゃの兵隊」-F.J.ゴセック
  
「おもちゃのシンフォニー」-J.ハイドン

イ 「おどる子ねこ」-F.E.ミーチャム
  
歌劇「軽騎兵」序曲-F.v.スッペ

ウ 「かっこうワルツ」-J.E.ヨナッソン
  
「ノルウェー舞曲」第2番イ長調-E.H.グリーグ

エ 「白鳥」-C.サン・サーンス
  
「春の海」-八橋検校

オ 「スケーターズワルツ」-F.レハール
  
組曲「道化師」-D.カバレフスキー

 これ、意外と難問ですよねぇ。筆者は「おどる子猫」がワルツィング・キャットだと気づくのにしばらくかかりました。さて、正解はどれでしょう?

小学6年生「道化師」を聞いたあとの授業要領

Q1 誰が作曲しましたか(カバレフスキー)

Q2 何曲で構成されていますか(10曲)

Q3 幾つかの曲を集めて,一つの曲にしたものを何といいますか(組曲)

Q4 組曲には他にどんなものがありますか

  ペールギュント(グリーグ)

  白鳥の湖(チャイコフスキー)

  胡桃割り人形(チャイコフスキー)など

Q5 それぞれの曲に自分で名前を付けましょう

Q6 自分でつけた名前を一つにまとめて,組曲に名前を付けましょう

Q7 物語を考えましょう

Q5〜Q7は、ぜひみなさんも考えてみてください。
\(^◇^)/


イッポリトフ=イワーノフ/

 組曲「コーカサスの風景」第1番 op.10

Ippolitov-Ivanov / Eszuisses Caucasiennes op.10

イッポリトフ=イワーノフ
Mikhail Ippolitov-Ivanov 1859-1935

〜郷愁と哀愁の旅〜

 イッポリトフ=イワーノフは、コーカサスなどの中央アジアの民謡の採譜をライフワークとし、集めた素材を素に作曲にいそしんだ人でありました。でも、作風はオリエンタリズムにあふれたメロディーになっています。中央アジアの民謡は、東洋に似たものだったのでしょうか。実は(どこにでも顔を出してお節介を焼く)リムスキー=コルサコフの弟子でもあります。

 “組曲「コーカサスの風景」第1番”という言い方は聞いたことなかったでしょう?“第1番”ということは、第2番もあるということなんです。筆者もつい最近存在を知ったばかり。曲の印象は・・・アルメニアン・ダンスPartIに対するPartIIともいうべきでしょうか。映画でもなんでも続編は「なんだかなぁ」というものが多いというのは、普遍的な法則だと思われます。

 黒海からカスピ海にかけて5,000mを越す山々が連なるコーカサス地方。そこには果てしなく続く険しい山々が人間の前に立ちはだかっています。しかしながら、古くからアラブ・イスラム・アジアの多くの民族が入り交じり、交易の重要拠点でもありました。

 その山々は、アルプスのように雄大ではありますが、ハイジが裸足で走り回っていると、足の裏が血だらけになってしまいそうな、そんな厳しい雰囲気がただよっています。

第1曲 峡谷にて

 コーカサスのダリ峡谷を見下ろす峠。駅馬車のポストホルンのこだまから始まり、川のせせらぎが流れていく・・・という自然描写の曲です。
 これ、アルペンホルンに聞こえるんですけど・・・本当は違うはずですよねぇ。ただ、山々にこだまするホルンということだけは確かです。

第2曲 村にて

 コーカサスというよりはトルコやイランなどの、アラビア風の旋律によるイングリッシュホルンとビオラの掛け合いから始まります。最近、中近東方面司令長官バリバリ臍出し的某奏者にとっては、腕の見せ所でしょう。
 中間部はこれこそコーカサスの民謡ですね。ちなみに、黒澤監督の「夢」の「水車のある村」のエンドタイトルでこそっと−−−効果的に−−−使われています(うろ覚え。違ってるかもしれない)。

第3曲 回教寺院にて

 日没のイスラム風寺院の尖塔(モスク)から聞こえてくる祈りの音楽です。木管とホルンだけで曲は進行していきます。どうせならラッパにも吹かせてくれ〜と思うのですが、ラッパがまざるとお祈りにはふさわしくなくなってしまいますね。もっとも、お祈りとは縁遠い某木管奏者がまざっていたりもしますが。

第4曲 酋長の行列

 ピッコロとファゴットの3オクターブのユニゾンから始まります。ご幼少のみぎりに初めてこの曲を聴いた筆者は、「なんてエキゾチックでキュートなオーケストレーションだー!」と思ったのですが、あまりに特殊な組み合わせゆえ、ほかの曲ではこんな組み合わせはありません。
 中央アジアの草原を隊列を組んでいく行列。遠くからだんだん近づいてくる様子だと思うのですが、食料や交易品が届いたうれしさからか、最後は大騒ぎして終わります。

 初演は1895年、(残念ながら)モスクワのロシア音楽協会の演奏会にて。唯一、サンクトペテルブルグとは縁のない曲でありました。


ムソルグスキー(ラヴェル編曲)/展覧会の絵

Moussorgsky-Ravel / Tableaux d'une Exposition

 友人のヴィクトル・ハルトマン(画家兼建築家)の遺作展(サンクトペテルブルグで開催されました)に感銘を受けたムソルグスキーは、1874年にわずか数週間でこのピアノ曲を書き上げました。
 「五線譜に殴り書きするのももどかしい」と言ったとも伝えられています。ハルトマンは友人というより、唯一無二の親友と言った方が正しいようです。だからこそ、遅筆(というか、すぐに作曲を中断してほったらかしにする)の彼にしては珍しく筆も進んだのでしょう。

 その7年後にムソルグスキーは亡くなります。ピアノ曲としては、あまり技巧的な曲ではなかったために、忘れ去られようとしてましたが、例によっておせっかいなリムスキー=コルサコフが死後5年後に手を入れて出版しました(ムソルグスキーの原典版は実に死後50年の1931年になってからようやく出版される)。その際には、やっぱり大幅に手を入れられています。

 ・ビドロがppで開始される
 ・ひよこの踊りの「尺」が違う(Codaに飛ぶ箇所が異なる)。
 ・シュミイレの最後の音がC-Des-C-B(原典版ではC-Des-B-B、でもこれはムソルグスキーが書き殴ったため、どちらともとれるという説もある)
 ・キエフの(ラヴェル版では木管で始まる)コラールの初めの音が違う

 他にもカタコンブが2つの曲に分けられたり、シュミイレの(ラヴェル編ではラッパソロの部分の)リズムを変えたりシャープをダブルシャープにしたり・・・

 その50年後、ボストン交響楽団の指揮をしていたクーセヴィツキーの依頼によりラヴェルが編曲。この編曲が(当然原典版は出版されていないため)リムスキー版のピアノ譜に基づいて編曲を行ったために、後生の人々が頭を悩ますことがらが発生することになりました。

編曲のいろいろ

 原曲のピアノ譜は「ダイヤの原石のようだ」と表現されたように、いろいろな人の想像力を刺激しました。よってクラシック史上もっとも編曲が多い曲となっています。
 そのうちのほんのわずかをご紹介します。

トゥシュマロフ編・・・最初にオーケストラに編曲したものです。ただし、黒幕にはリムスキー=コルサコフがいました(グラズノフやリャードフなどもよってたかって手伝っていたようです)。結局はかなりの部分がリムスキー=コルサコフの手が入っているようです。大幅に曲がカットされているのが残念なところ。キエフのトライアングル連打が印象的です。ラヴェル以前に編曲されたため、当然のことながら「ラヴェルの呪縛(冒頭のラッパや、その他の管楽器の用法)」から逃れています。

ストコフスキー編・・・冒頭のプロムナード、「ラヴェルの呪縛」から逃れようとして、弦楽合奏で開始されてます。でもこれは誰でも考えつく原点であり、ストコフスキーにしては至極まともです。でも華やかさにかけます。やっぱりつかみが大切でしょう。
 テュイルリーの庭、リモージュの市場をカット。なんとなく「おフランスの香り」の漂うラヴェル版と違って、全体にロシア風味がいっぱいです。特筆すべきは、バーバ・ヤーガからキエフへの盛り上がり方と、フィナーレの音の洪水。いったい金管何本使ってるんだ?それから、意外なのが、シンバルを一発も使っていないこと。これもラヴェルの呪縛でしょうか?
 ストコフスキー爺なんてシンバル好きそうなのにねぇ。

アシュケナージ編・・・ラヴェルでカットされた最大のプロムナードを復活、というのが唯一の特徴でしょうか。あとは semple a la ラヴェルです。本人は「原典版のピアノ譜に基づき、ラヴェルの編曲を見直した」と主張しています。

レナルド編・・・残念ながら聞いたことがありません。噂によると、ピアノ協奏曲になっているそうです。マイナーなものが得意なナクソスでも、CDが出ていません。。・゜゜・(≧∀≦)・゜゜・。聞きたいです。

チェリビダッケ編・・・別にチェリビダッケが編曲をしたわけではなく、ラヴェル編曲のものを指揮しているだけなのですが・・・彼曰く「適正なテンポとは演奏空間を満たすものであるべきで、音ひとつひとつがすべて聞こえるようなテンポでなくてはいけない。」その言葉のとおり、まったく別の曲に聞こえるようなテンポであります。
 冒頭のプロムナードはラッパ吹きがアーバンを練習しているように聞こえるし、ラストのキエフに至っては・・・金管連中の頭のてっぺんから血しぶきが上がっているのが目に見えるようです(音を出したままCDプレーヤーが故障して止まっているかと思った)。

番外編1・・・山下和仁編 12弦ギターのための。プロムナードひとつをカットしただけの意欲作です。ただ、音色が変化しないため、筆者はコンサートで爆睡しました。「ギターは小さなオーケストラである」という名言が嘘であるとわかる一品。正確には「ギターは小さなオーケストラに聞こえるときもある」というのが正しいと思います。

番外編2・・・冨田勲編 シンセサイザー版。知る人ぞ知る往年の名盤です。ニワトリの親子と猫が追いかけっこをする、ひなどりの踊りや、貧乏人と金貸しが逆転するシュミイレなど、聞き所いっぱい。冒頭のプロムナードが男声合唱で始まるのは、ラヴェルの呪縛を逆手にとっていて、新鮮に聞こえます。

番外編3・・・ELP(エマーソン・レイク&パーマー)によるもの 筆者と同年代の人にとっては極めつけのバージョンでしょう。高校生の時に聞きまくっていました。古城のギターソロをコピーしていた友達は多かったです。

番外編4・・・PJBE編(E.ハワーズ編曲) これを生本番でやったら、ラッパの4人は倒れるでありましょう。金管楽器だけで30分演奏するのは、ある意味凄すぎます。

番外編5・・・ロシア国立バラライカオーケストラ編。一部をFMで聴きましたが、キエフは意外と大迫力です。でも全体に漂うロシアの哀愁が〜。古城はぴったり合うんですけど、ひな鳥のダンスはちょっとねぇ。

 他にも松居嬢のオルガン編(意外とイケてます)、パーカッション・アンサンブル編、マンドリン・オーケストラ編などなど・・・全部聞くには、一生が短すぎる! ヘ(^^ヘ)(ノ^^)ノ

 それでは各曲のご紹介・・・ノ゜ο゜)ノ

プロムナード Promenade

 ご存じラッパのソロで始まります。ラヴェル以降の編曲者は、このあまりに効果的な楽器の使い方〜ラヴェルの呪縛〜から逃れようとして四苦八苦することとなります。

 組曲全体に統一感をあたえているライトモティーフ〜絵と絵の間を歩く様子を描写した作者自身〜です。カタコンブの後半から絵の中にひっこり顔を出したりして、非常に効果的です。

小人 Gnomus

 グノムスとは、ロシアのおとぎ話に登場する愛嬌のある妖怪です。地の底に住み、がに股で歩き、宝を守っています。
 ハルトマンの原画はくるみ割り人形のためのスケッチになってます。曲のイメージとは遠く、キューピー人形のようにかわいらしく描かれています(この写真じゃぁそうは見えない?)。

 

 

プロムナード Promenade

 ホルンと木管の対話です。ラヴェルの編曲の妙ここにあり!といった音色の変化が聞きどころです。

古城 Il Vecchio Castello

 一般に「中世の城。かたわらで静かに歌う吟遊詩人。」を描いていると言われていますが、ハルトマンの展覧会の図録(展覧会の主な絵と解説を載せた冊子)には古い城と人をテーマにした作品はありません(ただし歌劇「ルスランとリュドミラ」のための舞台スケッチは存在します)。だが、最近になって、サンクトペテルブルグ郊外のプーシキン民族博物館に所蔵されていた、3枚の城の絵が発見されました。

 該当しそうなのが、「チェルノモールの城」「ペリギューの風景」「イタリアの道」。雰囲気からすると、左の絵が一番あっているかもしれません。題名がCastelloとイタリア語でかかれていたことや、ファゴットで奏されるシチリアーナ風のオスティナートなど、ロシアというよりはイタリア風味たっぷりの曲です。

 アルト・サキソフォーンによるソロは、ラヴェルの呪縛のひとつ。ただし、グラズノフは「アルルの女のアルトサックスの使い方には劣る」とけなしたそうです。

 ラヴェル以降の人は、コールアングレ・フルートなどなど色々な楽器を用いて、ラヴェルの呪縛から逃れようとしています。ゴルチャコフ編曲版ではラッパのソロになっていて、意表をつかれます。が、古い城というよりは、まだ弾痕が生々しい戦国時代の城のようで、あまりよろしくないです。

 

プロムナード Promenade,

 転調してシャープいっぱい(古い城のgis mollと同じシャープ5つのE dur)なので、ラッパはなぜか音痴に聞こえます(本当に音痴なのかもしれないですが)。

テュイルリーの庭 Tuileries

 テュイルリーはパリの庭園です(東京でいうと小石川後楽園みたいなものでしょか?)。「遊んだあとの子供のけんか」という副題がつけられています。なぜいきなりフランスが舞台になっているかというと、ハルトマンはパリに2年間留学していたからであります。この絵も候補が2枚。

 

ビドロ Bydlo

 牛の群。凍てついた荒野をつきすすむ牛車が遠くから近づいてきて、また去っていく・・・。ご存じチューバの難曲(ただし、チューバで吹く場合。あたりまえか)です。

 ビドロとはポーランド語で
  
  1 家畜(牛や馬のような大型の)
  2 家畜のように虐げられた人々

と2つの意味を持ちます。しかし、いわゆる牛車を描いた作品は、ハルトマンの遺作展には出品されていませんでした(ここらへんの事情はNHKスペシャル「革命に消えた絵画」で詳しく書かれています。解説を書く人はNHKアーカイブスへ急げ!・・・って、もう遅いか・・・また、「追跡ムソルグスキー『展覧会の絵』」という本としても出版されていますが、すでに絶版)。

 リムスキー=コルサコフはピアノ譜の出版に際し、いわゆる牛車の描写音楽だと解釈して、ppで始まり、だんだんクレッシェンドしていくというように、ダイナミックスを書き直しています。

 そのピアノ譜を元にしたラヴェル版は、牛車が近づいてきてそして遠ざかる、という単なる描写音楽として編曲しているのです。

 ですが、本来ムソルグスキーはこの曲をffで開始しています。リムスキーが不思議に思って書き直してしまったように、そもそもこの曲が牛車の描写だと思っていたことが、間違いだったようです。

 ハルトマンの遺作の中から、ポーランドの反乱(ロシア帝国の圧政に蜂起したポーランド民衆をロシア軍が虐殺する)の様子を怒りと共に描いたデッサンが、最近になって発見されました(上の絵)。

 当時はポーランドに対する共感はタブーとされていたようです。
 ムソルグスキーは、友人にあてた手紙の中で、「ヴィドロはいまは牛車ということにしておこう」と、謎めいた言葉をを残しています。
 ハルトマンと親しかったムソルグスキーは、この絵の存在を知っていたはずで、でも公にしてしまうと、ハルトマンの遺族の立場も危うい。
 ということで、謎の手紙を残し、この曲の解釈も違ったものとなってしまいました。

 そう思って改めてこの曲を聴き直してみると、「怨嗟に満ちた民衆の声」が聞こえてきませんか?

プロムナード Promenade

 前の曲の重苦しい雰囲気を引きずりながら、次の明るいかわいい曲へのブリッジとしても機能しています。最後にひな鳥が一瞬顔を出す瞬間が可愛いです。

殻をつけた雛鳥の踊り Ballet des Poussins dans leurs Coques

 ハルトマンが描いたのは、バレエ「トリルビー」(どんなバレエかは知らないです)の、衣装のためのデザイン画です。
 オーボエがクワックワッとせわしなく鳴いていて、奏者の顔を思い浮かべるとなんだか微笑ましくなります。
 ラヴェルの編曲は、オーケストレーションの教材として使われるほど、見事なもの。ピアノの原曲は高音のトリルの連続。弾いていると右手小指が痛くなります。

 単なる描写音楽ではなく、「ハルトマン=威勢がよく、悪戯好きだが、動き回っているだけの建築家の卵」という、ムソルグスキーのウィットも含まれているかもしれません。

  

サミュエル・ゴールデンベルグとシュミュイレ Samuel Goldenberg und Shmuyle

 「ふたりのユダヤ人〜太った男と痩せた男」という副題がついています。
 ハルトマンの描いた2枚の別々の絵にムソルグスキーが勝手に名前をつけました。
 裕福な金貸しのゴールデンベルクと、彼に金を借りていて「もう少し待ってくれ...」と哀願しているシュミュイレ氏との対話。
 哀れな老シュミュイレ氏は、息継ぐ暇もなくお願いをしているので、ラッパ吹きも息をする暇がありません。よって、非常にデンジャラスなソロと相成っております。ラヴェルは本当に楽器の特性を知り抜いていましたねぇ。

 もうひとつの解釈。当時ロシア政府はユダヤ人の弾圧を始めていました。ゴールデンベルクは弾圧前の裕福な姿、シュミュイレは弾圧によって没落してしまった哀れな姿(助けを求めています)。そして後半2つの旋律が重なったとき、彼の怒りと逃げまどう姿が重なり合い、そして最後の一撃。

 

 

(本来はプロムナードがここに入る)

 全曲の折り返し点。ラヴェル版ではカットされてしまいましたが、ピアノ原典版ではffのtuttiで雄大に演奏されます。

リモージュの市場 Limoges - Le Mrche

 フランス中部の町リモージュの市場で、道ばたで井戸端会議を行っている、妙齢のご婦人たち(はっきりいうとオバさん)の会話を描写しています。

 これも原画が存在しないと言われていましたが、ロシア女2人が口げんかしている絵が発見されました(よく判別できないかもしれませんが、右の14枚組の鉛筆画スケッチ)。

カタコンベ Catacombae Spulchrum Romanum

 カタコンベとは、ローマ時代に弾圧されたキリスト教徒の地下の墓場であります(レスピーギのローマの松にもでてきましたよね)。
 ムソルグスキーは「ハルトマンの霊が彼を頭蓋骨のほうに導き、それに語りかける。やがて髑髏たちは光を放ちはじめる」と自筆譜に書いています。禿山の一夜といい、ムソルグスキーっておどろおどろしいのが好きなんですかねぇ。

プロムナード Cum Mortuis in Lingua Mortua

 哀れ、リムスキー=コルサコフによって二つの曲に分断されてしまった曲の後半部分です。
 たぶんリムスキーは、単に「次の曲へのプロムナードなのだから」と解釈したと思われますが、「死せる言葉による死者への話しかけ」と表題に記されているように、あくまでカタコンベでの祈りの曲です。

バーバ・ヤーガの小屋 La Cabane sur des Pattes de Poule

 ハルトマンは時計のためのデザイン画として、このスケッチを遺しました。

 バーバ・ヤーガはロシア民話で、風見鶏の上の小屋に住む魔女のこと。その魔女はほうきにまたがって空を飛び回ります。魔女の宅急便の世界ですな σ(^◇^;;

 この曲のテンポをゆっくりにすると、大変迫力のある曲になるため、冒頭グラーヴェ〜どんどんアッチェレランドなど、いろいろな指揮者がテンポをいじくっております。が、究極はやはりチェリビダッケでしょう。もはや空を飛びそうにない、重厚長大な魔女と化しております。

 ちなみに、リャードフにもラヴェルにもバーバ・ヤーガという作品があります。


キエフの大門 La Grande Porte de Kiev

 皇帝アレクサンドル2世の暗殺が未遂に終わったのを記念して(そんなもの祝うんじゃぁない!)、キエフ市が「勇者の門(黄金の門・栄光への門という翻訳もある)」を再建しようとして、門の設計コンテストが行われました。
 ハルトマンが応募用に書いたスケッチ、これが彼の最後の作品となりました。ちなみにコンテストの結果はハルトマンが最優秀賞。でも門は建設されませんでした。

 曲の壮大さに比して、意外とちゃちい門です。でも、ピアノ曲として聞くと、和音と和音の間に「ま」があるので、鎮魂歌としても聞けますので、納得です。

 鐘が鳴り響いてプロムナードの主題が戻ってくる場面、ホヴァンシチナの前奏曲・ボリス・ゴドノフでも使われている、ムソルグスキーの鐘の典型がでてきます。ラヴェルはムソルグスキーをよく研究していたと思われます。