最近あるメディア関係の方から取材の一環として私の親父のことについて情報提供の依頼があった。

そういわれても簡単に応ずるわけには行かない。知っていれば総て教えたいぐらいだが、彼に関することは殆ど残っていないし、記憶もいい加減だ。

また、当時私はオヤジに反発し、断絶状態?で、殆ど話し合った思いでもない。
このことを契機にして、また古い本棚の引き出しをゴソゴソやっていたら、戦後のドサクサ時代に、親父が出版していた雑誌が何冊か出てきた。

ナントもう50年以上昔の話だ。その内のごく一部を紹介し当時の世相を思い起こしてみたい。

どんな雑誌なの?
この雑誌の奥書によると刊行物は「日本ユーモア」という雑誌である。出版社は「豊文社」と云い、所在は豊島区j○町○○番地である。発行年月は昭和24年(1949年)となっており、定価は55円也と読むことが出来る。何故か判らないが地方の値段は5円高くつけられている。この定価が高いか安いか判らないが、当時としては結構なお値段という気がする。これは週刊誌ではなく月刊誌だが発行部数は不明だ。

何時からはじめたのかは定かではないが、前年の昭和23年頃ではないかと思われる。そして昭和25年頃には早くも売れ行き不振で窮地に陥り、その後倒産した筈だ。親父は発行人兼編集者であった。
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(注)ユーモア(hnmor)とは「おっとりした滑稽」の意味であり、「ユーモア文学」は笑いを誘う滑稽や、軽い風刺性をもつ文学作品のことだ。一例を挙げると西洋では「ガリバー旅行記」、わが国では夏目漱石の「坊ちゃん」などだ。


表紙は美人画?でサイズは現在の週刊誌より一回り小さいB5である。ページ数は現在の週刊誌の約半分の70ページ程度である。紙の質は真にひどいものだ。ザラザラした黒っぽい紙で当時「せんか紙」と呼んでいたと記憶している。今の週刊誌や新聞とは雲泥の違いだ。製本もお粗末で、今は素人でもこんな粗悪品は作らないだろう。
だが、表紙は画家が実際に画いたもので原画は大きく非常に美しく、色っぽかったので本当は何枚か自室にこっそり隠し持っていたかったのだが‥バレルとまずいので‥
折角ならこの原画を残して欲しかったのだが‥どこ探しても見当たらなかった。家の改築の際、ゴミだと思って廃棄してしまったのかもしれない。今になってみると惜しい気がする。

雑誌の中味
これは上掲左端の「刷新飛躍号」の目次である。

「日本ユーモア」という誌名に恥じない?内容になっているが‥まあ比較的上品だ。

記事の「最近の性問題から」云々は笑わせる。読者の気をひこうとするのがミエミエだと思うなぁ。

ところが売れ行きが芳しくなかったのか中味が突然変異する。
「ユーモア」とはとてもいいがたいなぁ。


これは上の表紙の真ん中に当たる「猟奇読み物特集号」の目次だ。

当時よく売れたエログロ・ナンセンスの記事が満載だ。
目次の絵も少しいやらしく、如何にも思わせぶりだよね。

力作は「性に目覚める処女」なのか?
ここでもまた「処女の性行為と肉体の変化‥」だと?
如何にも見え透いているなぁ。


グラビアの一部
各号共に目次に続いて2〜3枚の写真?らしきものが入っている。
映画の紹介も行われているが左のアメリカ女優と右端の山田五十鈴はなかなかチャーミングだ。映画の題名は「恋狼火」真ん中の写真は意味不明。当時はこんなもので満足していたのか。


グロリア・デ・ヘブン嬢

脚線美

山田五十鈴

漫画と挿絵の一部
漫画は他愛が無い。しかし、当時の世相を風刺したものが多いので見ているとなかなか面白い。
読み物は推して知るべしだ。少し拾い読みしてみたが、ピンとこない。エログロにしては突込みが不足しており、セックスシーンなども、現代の雑誌は単刀直入だが、それに比べるとお上品だ。
連載ものより読みきりが多いのは当然だ。むしろ挿絵のほうが上手で色っぽく面白い。原画を見たことがあるが、白い画用紙の上にペンや筆で美しく画かれていた。残念ながらこれ等も残っていない。


広告その他
雑誌の裏面は広告だが、これによると単行本も出版していたらしい。例えば竹田敏彦氏の「映画女優」という本は250ページ定価100円也の美装本となっている。
そして何故か目次の裏は「民謡めぐり」と題され、可笑しな絵と共に各地の民謡が紹介されているのだ。
右下の民謡は「鹿児島おはら節」となっている。

全体的にはチャチな雑誌だ。しかし、当時は本当に何もなかった時代だ。それまで人々の得る情報は新聞とラジオだけであり、官製の「間違いとウソ」に糊塗されたニュースだけを一方的に与えられていたのだ。ある意味で今の北朝鮮と同じ状況だったと云ってよかろう。
現在はこの手の「エッチ情報」は街にあふれており、書店の店頭に堂々と並べられている。そのものずばりの画像もネットでさえ簡単に見ることが出来る。そのこと自体がいいか悪いかは別として隔世の感がある。

当時国民は本当の情報や人間らしい色恋話に飢えていた。戦後の憲法が制定され、言論、表現の自由が権利として法的に保障された。大衆文芸に飢えていた人々はこんなものにも飛びついたのだ。
今眺めているとお世辞にもデキは良いとはいえないが、実際に何もなかった戦争直後にれを創り上げるには相当な困難と努力が必要だったものと思われる。親父は根っからの編集者で本が大好きだった男だ。

カストリ雑誌とその運命や如何?
カストリとは昔の「粗悪品の合成酒」のことらしい。実は私も意味はよく判らなかったのでネットで調べてみた。以下は this is TKYM speaking  第173話 カストリ雑誌
http://homepage2.nifty.com/tkymcoffee/essay/kasutori.htmlからそっくり引用させていただいた。
戦後、それまで戦争遂行のために規制されていた出版が自由になり・雨後の筍の如く雑誌が創刊されたという。それらの中で、創刊されたもののすぐに廃刊になる粗悪な雑誌も多く、「カストリ雑誌」といわれた。ココロは「3号(3合)で(酔い)潰れる」である。
つまり カストリとは焼酎やエチルアルコールに酒粕で日本酒風の味付けをしたものだったようで、アルコール度の高さというよりも質の悪さで3合で腰が抜けたのであろう」
‥と なかなか面白い話だ。
オヤジの「カストリ雑誌」は3号では終わらなかったが3年後には倒産の憂き目をみている。
最初は景気が良かったらしい。ドンドン売れたが、この種の出版が増え競争相手が激増した。2年目ぐらいになると返本が多くなり、やがて返本の山が出来た。これ等を廃棄するのではなく「ぞっき本」として大幅な値下げを行い、大量に売りさばくルートがあり、それを利用するようになっていった。
こうなると先は見えている。坂道を転げ落ちるように倒産へと突き進んで行った。(04/08/30)
当時親父の商売敵?は如何なる雑誌を出版していたかについては以下のサイトをご参照されたい。
いい絵が満載ですぞ!お楽しみに。
★カストリ雑誌 へのリンク            もどる


親父のカストリ雑誌