大正12年関東大震災
淀橋貯水場(新宿西側)近くから
見た最初の黒煙

千住方面から見た9月1日
午後の都心部の黒煙

線路上を進む避難者の群
千住方面に向かうものか?

壊れた浅草凌雲閣(12階建ビル)


この写真の説明は右原文参照
被服廠跡は今の両国、震災祈念堂

本所被服廠跡の白骨の山
(半月間ぐらい焼き続けたという)

吉原公園の池
この池に飛び込んだ多くの女郎が窒息死

吉原の池から引き上げた
女郎の死体

木と共に焼け木炭化した死体
これ以上はストップする

隅田川永代橋付近

隅田川下流で繋留された死体

大川端に引き上げられた焼死体
対岸は柳橋か?

浅草公園のひょうたん池から
引き上げられた死体

焼け跡のわずかの水で沐浴
一幅の絵であるが発売禁止になり公開不能となる

震災記念堂(両国の東京都慰霊堂)
ここには当時と東京大空襲のときの
犠牲者の遺骨約17万体が安置されている
-合 掌-

<地震のデータ>
・・・・・・1923年(大正12年)9月1日午前11時58分44秒、マグニチュード7.9の激震が関東一円を襲った。
死者行方不明14万2800人 (東京10万7500人、神奈川3万3000人、他県2300人)。関東大震災である。 ・・・・

<あとがき>
かつて「地震,雷、火事、親父」は怖いものの代名詞であったが、今でもオヤジ以外は依然としてオソロシイ。中でも地震は飛びぬけておっかない。大地震の被害は戦争に匹敵するかそれ以上に及ぶことがある。

若い頃、私はある損保会社に在籍し、地震損害の調査に加わったことがある。
その時は北海道札幌の支店に転勤していた。まだ30代の前半であった。地震はたしか十勝沖で発生し、釧路や函館でかなりの被害が出た。
私は会社からの指示で支店から函館へ向かい「地震特約付帯契約者」を回り損害状況を調べて回った。
幸い倒壊するような被害にあった契約者は居なかったが、市内のあちこちでレンガの煙突やブロック塀の損壊がひどかった。傾いたり湾曲した建物は無数に見られ、中にはペシャンコにつぶれた建物も散見され地震のコワサを目の当たりにした。しかし、火災が発生しなかったのは不幸中の幸いだった。本当に怖いのは火災による損害だ。関東大震災や近年の阪神淡路大震災の例を見れば明らかである。
確かに昔と異なり大火の危険は無くなったと言えるが、メガロポリスならではの予想外のリスクは昔とは比べ物にならないほど増えているのではないか。

現場を見てもう一つ思ったのは非常事態のときの逃げ方だ。
二階建ての家では仮に一階部分がペシャンコにつぶれても二階はそっくり残っている。地震の時二階に居たらあわてて飛び降りたり退避しないほうが得策ではないか。あわてると大怪我をするか下手をすると命を落とす事にもなりかねない。特に夜間だと瞬時に真っ暗になるからだ。
少しゆれが収まるまで二階にとどまり、仮につぶれても二階が一階になるだけなので容易に逃げられる筈だ。ただ、理屈はそうであってもイザとなると行動に移すことは難しいかも知れない。
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関東大震災サイトの後日談(2008/9月更新)
このサイトは私のHPの中では飛びぬけて反響が大きい。

特に震災が起きた九月前後や国内に大地震が発生した直後にアクセスが増加する。
実際、過去複数のテレビ局から取材依頼がありまた不特定読者の方々からのメールを頂くことも多い。
この中で最近私自身がエェー!!と驚くような出来事があったので紹介して見たい。
事の発端
今年(2008)のゴールデンウイークの頃、私の上記サイトに関して、パリ在住の日本人フリージャーナリストのKKさんという方に引き続いて朝日新聞、編集局記者のTIさんという方々から突然メールを頂きました。

趣旨は、「フランスの有名新聞、ルモンドに「広島原爆の惨状未公開写真」として10枚の写真が公開されたが、これらは私のサイトの「震災写真」に酷似しており少なくとも二枚は同じものである…」などと書かれ、私の親父が撮ったものか、または出版社名など、写真の入手経路を聞いてきました。
また朝日新聞のほうは「米国スタンフォード大のフーバー研究所がこのほど、広島で見つかったという写真を公表しました。日本占領軍にいたロバート・キャップ氏が偶然見つけ、同研究所に寄贈したものの、10年間の非公表を条件としたそうです。米メディアや欧州メディアがそのように報じた10枚の写真の一部が、指方さんのサイトの写真のものと同一でないかと思われるのです…」と書かれ、真相を明らかにしたいと協力依頼を受けました。

エェー!と驚き。教えられたURL でルモンドの記事を調べてみますとその通りでした。これらの少なくとも一部は原爆未公開原爆写真などではなく正に私のサイトに乗っている大震災の写真そのものでした。これはインチキだと思いました。
米国の一流研究機関がこんなことするのだろうか…疑問にも感じました。

その後、私からのメールを読んだ方々が真偽のほどを追求し、ルモンドは訂正記事を出したとの事ですが、犯人である本家本元のフーバー研究所の方はダンマリを決め込んでいるそうです。真におかしな話ですが私にとってはどちらでもよい話です。しかし、少なくとも私の写真は原爆の未公開被害写真ではありません。
確かにこれら写真は私のサイトでは飛びぬけて反響が大きく、ジャーナリストからこんな問題提起があるとは思ってもおりませんでした。真偽に関する最終決着はついていない様子ですが、改めてネットのすごさや恐ろしさを身を以って感じた次第です。
■ルモンドのHP
_http://www.lemonde.fr/web/portfolio/0,12-0@2-3216,31-1042879@51-
1043027,0.html
その後の展開
私のサイトの関東大震災の写真に関して複数のメディア関係者か
ら照会があったことをお伝えしましたが、最近のウェブに「ルモンドの記事は間
違っており訂正した」との記事がいくつか見られます。しかし、写真の出所であ
る「スタンフォード大学、フーバー研究所」のデタラメについては不解明のまま
です。写真の真偽については専門家の分析ですぐにばれたようです。私にとって
はどうでもよい話ですが、人騒がせなことでした。以下ご参考までにアサヒコム
の記事を載せておきます。それにしても名の通ったアメリカの大学研究所やフラ
ンスを代表するような新聞がこんなインチキ記事を平気で載せるとは… 新聞記
事だからといって頭から信用するのは考え物だと思いました。

◆記事内容の引用
広島原爆の写真…実は関東大震災 仏ルモンド紙「訂正」
2008年05月14日12時03分
 【パリ=飯竹恒一】仏ルモンド紙は13日、1945年の原爆投下直後の広島
市内の未公開資料として同紙がこのほど掲載した犠牲者の写真について、「23
年の関東大震災直後の東京近辺の写真だったようだ」と伝えた。

原爆投下直後の広島とされる写真を掲載した10日付の仏ルモンド紙。「誰も見
たことのない広島」との見出しがついている

 同紙は10日、焼け野原に死体が積み重なった光景など白黒写真2枚を掲載。
「犠牲者の写真を禁じた米占領当局の検閲で、こうした写真は公開されなかっ
た」と説明した。 同紙によると、当時の米兵士(故人)が98年、10年後の
公開を条件に米スタンフォード大学フーバー研究所に託した10枚のうちの2
枚。兵士は広島周辺の洞窟(どうくつ)で写真のフィルムを発見したという。ル
モンド紙は同研究所の許可を得て掲載したという。

 だが、13日の同紙は「極めて疑わしい写真」という大型記事を掲載。10枚
のうち少なくとも4枚が関東大震災直後のものとする専門家の指摘などを紹介し
た。犠牲者の帽子が20年代のものであることや、当時の広島にはなかった煙突
が見えていることなどを理由に挙げ、「フーバー研究所が、確認できていない写
真を公開するとは想像もしていなかった」と弁明した云々 とある。
新たな情報提供
ごく最近になってKHさんという方からメールを頂戴した。
私の返事に対して以下のような新たな情報を頂いたので御紹介しておく。
前略
それにしても、 Hoover Insutitution は何を考えていたのでしょうね?
Picasa Web Album と言うストレージ・サービス・サイトでは、下記のような説明をつけて添付ファイルの写真が公開されています。 私が今回の件を知った糸口は、このサイトに出ていた添付ファイルからです。その後、ル・モンド紙のことも知りました。
 
The Robert L. Capp collection at the Hoover Institution Archives contains ten never-before-published photographs illustrating the immediate aftermath of the Hiroshima bombing. These photographs, taken by an unknown Japanese photographer, were found in 1945 among rolls of undeveloped film in a cave outside Hiroshima by U.S. serviceman Robert L. Capp, who was attached to the occupation forces. Unlike most photos of the Hiroshima bombing, these dramatically convey the human as well as material destruction unleashed by the atomic bomb. Mr. Capp donated them to the Hoover Archives in 1998 with the provision that they not be reproduced until 2008. Three of these photographs are reproduced in Atomic Tragedy with the permission of the Capp family. The entire set is available below. Please contact Sean L. Malloy (smalloy@ucmerced.edu) if you have any information that might help identify the original photographer.
関東大震災の写真集
この間、古い本箱の整理をしていたら関東大震災の写真が出てきた。オヤジが残したものだ。この手の写真は他にも沢山現存しており、他のHPでも公開されているがこれはかなりどぎつい。
最近全国各地で大きな地震が頻発しており、大きな被害が発生している。
東京大震災も時間の問題だろう。毎年9月1日は震災記念日(防災の日)だ。

ちょっとショッキングな写真だが公開してみた。震災直後のおぞましくオソロシイ様子が写し出されている。写真には修正を加えていない。以下の写真のコメントは写真の裏にメモされていたものをそのまま転記した。見覚えがある親父の手である。なお、この写真の入手先等については不知である。また、あまりにも惨い写真は除外した。(03/08)

ここのコメントは

屍累々の被服廠跡

身内(夫か子か)をさがす老母。
真新しいカンカン帽は、探し当てた死体に目印においたものらしい。