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ハプキド創始者の謎に満ちた軌跡 3


吉田幸太郎の時代背景


実は崔龍述が誰から大東流を習ったかについての有力な証言がある。
吉田幸太郎の弟子であった米国の空手家リチャード・キム(沖縄の人ですので「金武」と表記すると思います)が、ハワイのハプキド道場の指導者の問い合わせに対する回答されたものだ。
その中で彼は吉田幸太郎と崔龍述=吉田朝男との縁組関係は否定したものの、崔龍述が吉田幸太郎の優秀な弟子であったことを述べている。

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dated November 26, 1984:

The founder of Hapkido, Mr. Choi -- Japanese name Yoshida, is not related to Yoshida Kotaro, Samurai extraordinary.

Mr. Choi was a student of Yoshida Kotaro. In fact he was an excellent student. You must realise that before Japan surrendered in August 15, 1945, all Koreans had Japanese citizenship and names.

Mr. Choi returned to Korea and taught Daito Ryu Aiki Jujutsu. He named it Hapkido which in Japanese is Aikido. Since his time Hapkido has become modified with a distinct Korean flavour. It is an excellent art.

I would that the thrust and direction of Hapkido where it is different from what originally Mr. Choi had taught is in a number of sophisticated kicks which is unique to the Korean style of fighting. Probably, according to some, it may have improved the art for modern day consumption. That would be a matter of debate.

You are learning a good art. Stay with it and practice until perfection.

Sincerely,

Richard Kim, Hanshi
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吉田幸太郎のことを簡単に書けば以下のとおり。

明治16年(1883)生。帝国大学卒。元海軍少尉。北見市で北海道新聞社を経営。1915年武田惣角の下で大東流合気柔術を学び、北海道遠軽にある久田旅館で植芝盛平を武田惣角に紹介。武田惣角から代理教授を許される。戦後東京豊島区で大東流を教えた。門人に極真会空手の大山倍達、大東流合気柔術の近藤勝之、全日本柔拳連盟会長の地曳秀峰がいる。英語は得意であった。また政治結社・黒龍会のメンバーであった。

崔龍述が何ゆえ「自分は武田惣角の一番弟子」と語り、この吉田幸太郎のことを語らなかったかは本人の事情であったろうと考えるほかは無い。
武田惣角のほうが武術家として名を知られた人物であったからという単純なものであったかもしれない。
また吉田幸太郎門下でどのような生活を送っていたかも、今となってはわからない。

雑誌「秘伝」2001.2号「謎のハプキド創始者 崔龍述と大東流合気柔術」では「大東流と韓国の意外な接点」として次の一文を書いた。

『韓国近代史は日本と因縁が深い。また大東流との奇妙な遠縁もある。
韓国には、日本の政治結社黒龍会の内田良平、武田範之らと政治的活動を連携しつつ、東学党(攘夷運動)→独立協会→一進会(対日協力)→三一独立運動→親日派→(日本の統治への協力者)と変遷した人々がいた。そして内田良平は武田流合気術を習得していた人物でもあったとされる。(武田流系譜より)
また、講道館四天王の一人で、姿三四郎のモデルであり、大東流の継承者・西郷頼母の養子でもあった西郷四郎にも、朝鮮のクーデターに失敗し、日本に亡命した金玉均と朴泳孝を長崎でかくまったり、朝鮮の天道教を助けるために韓国へ渡ったという話がある。この宗教団体の道主は孫秉熙であり、後に三一独立運動の指導者となった人物だ。朴泳孝もまたこの独立運動に参加している。
崔龍述には独立回復後、外国帰りの独立運動家が政権を牛耳り、ナショナリズムが高まった韓国では、売国奴を意味する「親日」と弾劾されかねない経歴があり、それを隠す目的があったのではないかと筆者は想像している。』

実はこの黒龍会の吉田幸太郎を意識して書いた文である。同時に左翼的傾向の強い日本のマスコミにもその時代に関しての遠慮やタブーがあることを考えて、直接的な表現を避けたものだ。

韓国がらみの歴史の検証の難しさは、彼らのルーツへの執着癖、存在しない信頼できる資料(やたらに日帝が焼いたというが、もともと作成・整理されていないので存在しないだけの場合が多い)、常に再生産される新たな伝説(論理が破綻していて新たに作ったものであることがすぐにわかる)、韓国が国家の存在理由を確立するためにタブーとして抹消している歴史事項などに原因がある。
そのタブーは日本の左翼言論と不思議にエリアが重複する。