第3回 グローバル化社会の教育研究会の概容 .
開催日時 :  2003年12月 5日(金)  午後2時〜4時半
開催場所 : (財) 国 際 文 化 フ ォ ー ラ ム
 (新宿区西新宿2−7−1新宿第一生命ビル 26階)
 * JR「新宿駅」西口より徒歩10分、都営地下鉄「都庁前」より徒歩2分
研修テーマ: グローバル化社会のコミュニケーションスキル
  話題提供: 井 上 敏 之 (スピーチ・ディベート研究所 代表)
★ 出席者: 1944年 東京生れ。慶応義塾大学経済学部卒。 在学中に日米学生会議に出席。 1966年 ミキモト入社。 1975年 ユニバーサル葉煙草会社 在日代表。 1995年 (有) スピーチ・ディベート研究所を設立。 2000年 全日本トーストマスターズ英語スピーチコンテスト優勝。 2002年 AIDAディベートジャッジ資格取得。 所属団体は日米協会、城南ロータリークラブ、国際文化会館、ALTMトーストマスターズなど。
15名。 司会 = 山田 峰子 (異文化間教育センター/事務局)
T. 話題提供者の話

1.スピーチ・ディベート教育を始めた理由

  スピーチはさておき、ディベートについては 馴染みのない方も多いと思う。簡単に言うと、 ディベートはゲームである。 討論と違って、審判がいる。 話し手は、頭をよく回転させて、いろんなもの の見方を述べて、最後に、どちらの方が よりよく話を展開できたかを、審判に勝ち負けを決めてもらう。 討論には審判はいないし、勝ち負けということはない。 つまり討論は、「みんなでアイディアを出し合う」みたいなものだから、その辺りがディベートは異なったものということができる。 今日は、それを皆さんに体験してほしい。
 最初に自己紹介を兼ねて、私が何故、ディベートやスピーチに興味を持ったかについて話したい。

(1) 話す前から質問する米国の小学生
 第一のきっかけは、1975年に 日本たばこの駐在員として米国ノースキャロライナの片田舎に赴任した時のことである。 同僚のケニスに、自分の子どもが通っている小学校に来て日本の話をしてほしいと頼まれた。 小学校3年生のクラスなので、折り紙などを持って張り切って行った。
 そして、話そうとしたら、既に5〜6人が手を挙げている。何故 手を挙げているのかと思ったら、質問があるという。困惑して先生を見ると「(質問を)受けてくれ」と ニコニコしながら言う。 仕方がないので、手を挙げている男の子に当てると「Do you know John Steevens?」という。 私が「I don't know him.」といえば、「He is my uncle. He lives in Tokyo.」と、「伯父さんを知らないなんて、とんでもない」みたいに食ってかかってくる。 次の質問は「Do you speak Spanish?」で、「No, I don't.」というと、「I speak!」と得意になっている。 他愛無いといえば 他愛無い質問だけど、次々に質問してくる。「Do you eat fish everyday?」「Why are you here?」などなど。
 私は すごくショックを受けた。日本では、こういうことはあり得ない。 日本の学校でゲストを呼んで、何も話さない前から質問をすることは まずないし、あれば先生が制止すると思う。「まず聞いてからにしなさい」「静かにしなさい」とかいって。 ある本に、ユダヤ人のお母さんは 子どもを学校に送り出す時「学校に行ったら、先生にたくさん質問をしておいで」というと書いてあったが、日本では「学校に行ったら、先生のいうことをよく聴きなさい」という。
 大人になって いろんな会議に出るが、日本人の質問の仕方は下手で、答え方も無茶苦茶である。 質問をしても、質問になってなくて 自分の意見を言ったりして、二人だけで言い合いになったりする。 あるいは、質問された方が真っ青になって 立ち往生したり、しどろもどろになったりする。 ところが、外国人だと「I don't know. That is a good question.」などと相手を誉めたり、「Mr.…、あなたは どう思う?」と他の人に振ったりして、さばき方が上手だ。 西洋は質問をする文化で、話が双方向になっている。
 それで、米国の「質問のセミナー」というのにも参加してみた。 そういう練習をすると、さばき方も分かってくる。 日本は、やはり暗記型で、言われたことを覚えていく---質問の仕方も、質問への答え方も分からないので、話が双方向にならない。 そこら辺をまず、これからの日本は変えていかなければならないなぁと思ったのが、最初のきっかけである。

(2) スピーチ好きの英国人
 二つ目のきっかけは、タバコの買い付けでローデシア(現在のジンバブエ)に行った時のことである。 商売相手は英国人たちで、商売が終わった後、豪華なパーティーを催してくれた。 彼らは食後に、葉巻を吸いながら小話の交歓をする。「ああ、こういうふうに彼らは食後に酒を飲みながら話を楽しむんだな」と思っていたら、急に、相手側の会長が立ち上がって、スピーチを始める。「今日は日本からお二人がいらしたので、歓迎の辞を申し上げたい」という。 皆シーンとなって 素晴らしいスピーチを聞いた。「英国人はスピーチが好きだし、上手いもんだなぁ」と感心していたら、お前も何か話せと言われた。
 急に言われてもねぇ(笑)。しかし、皆、私の方を見ているので、仕方なく立ち上がって「Thank you very much. It's my great pleasure.」と言ったものの、後が続かない。「It is not our custom to make a speech like this......This is my first experience to make a speech....So,...」とまあ、「あー、うー…」で終わってしまった。 私は かなり英語に自信をもっていたし、日本語でのスピーチは結構やっていたけど、英語ができることとスピーチができることとは 全然違うんだということが解って、その日は冷や汗が出て、ホテルに帰っても自己嫌悪で眠れなかった。 スピーチというのは、やはりキチンと学ばなければいけないと痛感したのが 2つめのきっかけである。

(3) 1分1ドルの米国人ビジネスマンの話
 最後のきっかけは、1975年に米国に赴任してすぐのことである。 会議に出て話をしたら、その後で米国人の上司がやってきて、「言いたかないけど、あんたの話は長い。 私は1対1なら1分間1ドル稼げるから、こういうふうに20人もいる所で話すと、1分間20ドルだ。 それだけの価値があるか考えてから話せ」と酷いことをいわれた。 それで見回したら、エグゼクティブの中で「1分いくら」で仕事をしている人がたくさんいる。 彼らを見ていると、話の展開が速いし、ポイントを突いてくるし、日本の会社の会議とは全然 違う。
 それで困って、「そんなこと急にいわれても困る」というと、「1年間猶予をやる。1年トレーニングすれば上手くなるから、なるべく早く手短に簡潔に話す練習をしたらどうか」といわれた。 彼もやはり、話し方のトレーニングを受けたという。「だから、トレーニングを受けないで自己流でやったって、いつまで経っても上手くならない」といって紹介してくれたのが、トーストマスターズのワークショップだった。 世界的にプレゼンテーションとかスピーチを勉強しようという会である。 今でもそこで勉強を続けているが、私がこういう仕事ができるようになったのも、トーストマスターズのお蔭である。

2.トーストマスターズで学んだこと

(1) 教え方が科学的で合理的
 トーストマスターズの勉強は、とても楽しい。 だから長続きする。 そして、教え方が非常に合理的で、科学的である。 全員がコーチみたいになって、アドバイスをし合う(supportiveな)雰囲気で行われる。 私は、このメソッドが素晴らしいものだから、50歳になった時に会社を辞め、自分の体験を活かして子どもたちを教えてみようと思った。 それがスピーチ・ディベート研究所である。 口コミで、子どもからお母さんのトレーニングへ、さらに今では 企業研修にまで広がった。
 今はスピードの時代で、会議ならば、すぐにその場で意見や提案を出しなさいといわれる。 根回しだとかいってられないのに、日本人は「ちょっと時間をくれないか」とか、「準備が必要」とかいっている。 米国の会社の会議なんか ピンポンみたいで、話そうと思ってメモを作ったら、もう話題が変わっているので“入れない”。 これには 私は苦労した。 よく聞いて、聞きながら反論と質問を考える訓練をしないと、聞いてから考え、それから資料を探して……みたいなことをやっていたら、付いていけない。 そのスピーディーな形は 結構グローバル化してきていて、日本人もディベートのやり取りが要求されていると思う。
 実は、江川ひろしさんの「話し方教室」に 3年間通ったことがある。 江川さんの弟子が先生で、一人ひとりのスピーチを聞いては コメントしてくれるが、周囲の仲間同士でコメントすることはない。 ところが、自分に当たった先生と相性が合わないということもあって、コース半ばで、半分以上が止めていく。 また、先生が一人ひとり聞いてコメントするが、最初の3〜4人は良いとしても、段々後ろの方になると 先生も疲れてきて「なかなか良いですよ」と手を抜いたりする。 もっといけないのは、他の人がスピーチしている間、ほとんどの人が聞いていなくて、「自分の番になったら何を話そうか」と考えている。 だから聞く力が全然身につかない。それに、質問することはご法度なので、先生に質問をしたりということは一切ない。
 ところが、トーストマスターズには、先生はいない。 全員が先生であり、全員が生徒であり、互いにいろんなことを言い合う形なので、最初から最後まで眠れない仕組みになっている。 率直にストレートに、相手の良い点・悪い点を言い合う。 その前提に、「意見と人格とは、まったく別である」と考えている。 だから、ワー ッと言い合っても、終わった後は握手をして「今日、一緒に食事をしないか?」とやる。 日本では普通、そうはいかない。 反対されて、ムカついて、自分の人格まで否定されていると思ってしまいやすい。 その点が全然異なっている。

(2) トーストマスターズで学んだ 4つの基礎
時間管理>が滅茶苦茶うるさい--- スピーチの基本は 30秒単位で考える。例えば、「2分で話す」といわれたら、「2分±30秒」で話さなければならない。 目の前に信号機を置かれて、初めの1分間はグリー―ンが点いていて、1分前に橙が点灯する、2分で赤が点灯し、2分30秒になると赤が点滅してブザーが鳴るので、それ以上は絶対しゃべれない。 そして、誰のスピーチが一番良かったか、無記名で投票して、3位まで決めるが、その時に、時間オーバーした人は選ばれる資格がない。
 これで何がよいかというと、まず、前置きをいわなくなる。そうすると、聞いている人は 本当に楽だ。日本人は、背景や歴史から入り、言い訳を言い、そのうちに段々興奮してきて、自分でも何を言っているのか判らなくなって、どこで終えたらいいか判らなくなるなんて例は、結婚式のスピーチにもたくさんある。 そういうことが、時間を管理していれば、ほとんど起こらない。
 人間は 他人の話をどれくらいの時間聴いていられるかというと、大体2分である。 NHKの鈴木健二さんも、そういっている。 2分という時間は、その人の話が面白くなくても、まあまあ聞ける。 ところが、笑いも取らないで、トーンも同じ感じで3分間もやると、長い。下手でも、1分で終われば「まあ許してやろう」と思う。 そこで、キッチンタイマーを用意して、1分か2分で話すようにすると、話の構成を考えるようになる。 構成を考えて話せるようになった人は、話す力が向上する。 これは非常に役立つ。 とくに会議やディベートで相手を説得するのが巧くなる。 構成を考えて説得しないと、とてもディベートには勝てない。その意味では、時間を区切るということは必要である。

フィードバック>--- 相手から必ず評価(evaluation)が返ってくるし、相手に評価を返す。 日本人同士で辛辣なことを言われたら、ガクッときたり恨まれたりする。 それが怖いから、誉めてばかりいる。 しかも具体的じゃないから、ただ「良かった」といわれても、どこが良かったのか解らない。 トーストマスターズでは、この評価の仕方が全然違うので、辛辣なことを言われてもガクッとくることはない。 これは大きな発見だった。
 他人の話を聴いて、その人がやる気になるような誉め方、「これを直すと、もっとよくなるよ」というアドバイスをするのが、如何に難しいか。 この評価のフィードバックを、日本の教育の中に採り入れなくてはいけないと思う。 あるいは、評価に日本人は慣れていないから、ちょっと誉められたら大喜びするし、ちょっと評価が低いと反論できないから、仕方なく帰りに赤提灯で悪口を言う…… そういう文化になってしまう。 それを、もう少しストレートに、気持ちを明るく「あんた、こうなんだけど、こうやると、もっと良いよ」「そうだね、ありがとう」といえるようになると、すごく良くなるのだが、なかなか簡単ではない。
 フィードバックの時に、話の内容についてディスカッションしてはいけない。「内容が非常に解りやすかった」「すごく生き生きとしていた」「話し方が明るくてフレンドリーだった」など、何でもよい。 とにかく 自分が気が付いたことを相手に教えるということが 大事である。
 それと、「肯定―否定―肯定」のサンドイッチ方式も大事だ。 肯定で入って(「ここが良かった」)、否定に行って(「こうすると、もっと良くなる」)、最後に肯定で終わる---「最後は、期待と感謝で終える」というのが鉄則である。 評価は必ず「どうもありがとう」「次、期待しているよ」で終わるべきで、「下手でしたね」で終わってしまうと、言われた方は古傷(トラウマ)として残る。 だから、批判的なことを言ったら、最後は必ず期待と感謝で負えるという癖を身につけたい。 そうすると、コミュニケーションが素晴らしくなる。

質疑応答>に慣れる--- 質問をしようと意識する、されたときのことを考えることで、思考力や論理力が磨かれる。 例えば、相手から「Why? (何故?)」と言われたら、「Because…(何故ならば…)」で答えなければならない。 だから、考える。 それから、「What? (何が?)」と聞かれると、現状がどうなっているかとか、理解するための知識は何かとかの、いわば分析をすることになる。 それから、もう一つ「How? (どうやって)」である。「では、どうしたらいいのか」「問題は分かった。じゃあ、どうやって解決するんだ。その方法は……」とやっていく。
 質疑応答の時は、だいたい「Why?」「What?」「How?」の3つを、自分で質問をする、あるいは答えていく練習をしていくと、ほとんどのことは解決する。 ところが、日本の場合、そういう習慣がないものだから、「何故ですか?」なんて質問されると、まるで自分が責められているように思って、「失礼な!」と感じる(全然失礼じゃないのに)。だけど、理由が分からなかったら、なかなか説得はできない。 そういう意味では、やはり「グローバル化」という社会の要請があるなら、質疑応答に強くなるための訓練が必要である。

アイ・コンタクト>--- 相手の目を見ながら話すようにする。 これも訓練なのである。 私も米国に行った当初は、相手は身体がでかいし、目線も高いし、何だか威圧された感じがして、なるべく相手の目を見ないようにしていたら、上司から注意された。「相手の目を見ながら話さないと、どういうことになるか知っているか?」と言われた。「一つは、言っていることに自信がない。二つ目は、嘘をついていると思われる。もし、自分の言っていることが本物で、自信をもってそれを主張する人だったら、目を見ないと絶対に信用されない。アメリカは、そういう社会だ」と。
 それで、私もトレーニングをやった。 どういうことをやらされたかというと--- 私が「3分間話をする」というと、先生は「では、井上さんが3分話しますから、全員手を挙げておいてください。そして、井上さんと目が合ったという人は、手を下げていいです」という。 最初、簡単だと思ったが、誰も手を下してくれない。“目が合った”ということは、その人とコミュニケーションできたということなので、心の中で対話をする意識をもって一人ひとりに「お願いします」という目で訴えていかないと、「よろしい」と思ってもらえない。 これは良い訓練で、私は右側ばかり見る癖があることも分かった。 左側の人はずっと手を挙げていなければならないので、疲れてくるから「おーい、早くしてくれよ」と手を振る。「あっ、いけない」と左側の人も見て話すようになる…… こういう訓練をしていって、段々、目を合わせるということができるようになった。

U.ワークショップ(指導内容の要点)

(1) 練習は不可能を可能にする
 要は、トレーニング、練習である。 慶応大学の日吉キャンパスに、小泉信三さんの「練習は不可能を可能にする」という言葉を刻んだ石碑がある。 学生の時に この言葉に出会って感動した。 それからというもの、いろんなことを練習して達成したという経験が ずいぶんある。 だから、私の研修では、「私は下手なんで」なんて言っている暇があったら練習してごらんなさい、と指導する。 そうすると、結構みなさん上達する。
 今日は、その一端を体感してもらいたい。 決して「恥をかいてもらう」ということではなくて、こういう方法論で楽しくやっているということを 知ってもらいたい。 そして、この方法は別に特許があるわけではないので、皆さんも「ちょっと学校でやってみよう」とか 「じゃあ、子どもたちを集めてやってみようか」とか思っていただくと、非常に嬉しい。

(2) スピーチを体感する
 2人一組になって、ジャンケンをして、勝った人から2分間話をする。 できるだけ手を動かし、表情も豊かにやる。 その次に、もう一人の人が2分間話す。
 テーマは何だってよいが、2分は結構長いので、使い切ってほしい。 2分経つと、私の方でタイマーを鳴らすが、時間が余ったら、ひたすらニコニコしていること。 あるいは、繰り返して“まとめ”をするとよい。 ディベートなどでは、終わりに“まとめ”を入れるのは、すごく重要なことである。
 とりあえず「2分間で自分の意見を伝える」というのが終わったら、それぞれ1分ずつ、「相手の話し方はどうだったか」「話の組み立てはどうだったか」というフィードバックの時間がある。 だから、「自分の番になったら、何を話そうか」なんて考えてないで、聞くときは聞く。 あとで相手の人に対して、どういった点が良かったかをいわなければならないのだから、集中して相手の良い所を探す努力をする。
 そして、フィードバックの仕方は、先ほど話したとおり、「肯定―否定―肯定」の形で、1分間ずつやる。 必ず良い所はあるので、まずそれを伝え、次に「もう少し声を大きくすると良かった」など、相手の成長のためのアドバイスをする。 そして最後に、「どうもありがとうございます」「大変楽しかったと思います」といったことで終える。 この型のとおりキチンとやっていくと、本当に気持ちよく練習できる。

<スピーチ体験>

 それでは、これから、「こういうふうに工夫すると、1分とか30秒で話せますよ」というコツを教える。 今度は、それを使ってやってみると、自己流で話したのと理論を知って話すのとの違いが分かると思う。

まず「PREP」に気をつけてみる。
まず、言いたいことの「Points (結論)」---「〜は……だと思う」と最初に言ってしまう。
次に 「Reasons (理由)」--- 必ず番号をつけながら、一つひとつを挙げていく。@「一つには…」、A「二つには…」というふうに。
その次に 「Examples (事例・証拠・体験・事実など)」---@「先日こういうことが…」、A「横浜の○○大学で…」と、より具体的であることが大事。
そして最後に、「Points」---「@とAのことから、〜は……である、と思っている」と結ぶ。

 私にディベートをコーチしてくれたオーメンという人が、「子どもを躾するときは、必ず理由を3つ挙げさせる訓練をする」といっていた。 つまり、子どもが「あれを買って」といえば、「何故、それを買ってほしいのか」と質問して、理由を3つ挙げさせ、その一つひとつに根拠を求めていく。 子どもの頃から、「PREP」の訓練をさせられるのである。 ディベートも、端的にいうと「理由や事例を見つけるゲーム」の側面があり、これは良い練習になる。

 もう一つは「OBC」である。 これは、10分〜30分の長めのスピーチでも、大事なコツだ。
まず「Opening」で「話の道筋」をつける。いわゆる「Attention Getter(注意を引く)」で、最初の15秒間に工夫が必要である。
次は「Body」で、話の中身に工夫をする。感情を入れないで、原因・理由・事例などを挙げていくことと、論旨を一貫させていくことが大事である。また、別の立場や反対の意見も挙げ、それに対する自分の意見を入れてもよい。
最後は「Conclusion」で、結論をまとめる。

(3) ディベートを体感する
 皆さん、2分間スピーチはできるようになっているから、これをディベート形式でやってみよう。
 繰り返しになるが、ディベートは一種のゲームである。「この社会には、さまざまな考え方が混在している」ということを前提としているのであって、宗教・信条や「感情の入っているもの」は、ディベートのテーマに適さない(ゲームにならない)。ニクソン大統領の言葉に「人間は理屈で納得し、感情で動く」というのがあるが、そのことを認識しておかないと、ディベート教育は失敗することがある。
 アカデミックなディベートでは、論理と証拠集め、あるいは知識量で勝負がつくものだから、感情で反発される傾向が強い。 逆に、いわゆる「Parliamental Debate (議会ごっこ)」は“遊びのディベート”であって、ユーモアやウィットのセンスと、スピーチの力の差で、勝負がつく。
 ディベートの種類には、@「Value Debate」---好悪を競う(例:猫が好きか、犬が好きか)、A「Policy Debate」---政治家のディベート、B「Facto Debate」---事実かどうかを、証拠集めで競う、などがある。 今、どの種類のディベートをやっているかを踏まえてやることが、大事である。
 少し上級になると、「Point of Information」といって、相手の話している時に 質問を入れるテクニックもある。

 今日は、「Parliamental Debate (議会ごっこ)」を体験してもらう。
 最初に、“与党”が「政策」のスピーチをする。 次に、“野党”がその「政策」に反対の立場からスピーチをする。 それから、与党の提案理由に対して、野党が反証を挙げながら、あるいは疑問を投げかけながら、反対意見を述べる。 今度は、与党が、野党の挙げる反対理由について反論し、自らの「政策」のよさをアピールする。
 最初のスピーチは2分ずつ、次の反論は1分ずつ、とする。

<ディベート体験>

 実際の「Parliamental Debate」では、“議長”にあたる司会者(MC)がいて、進行していく。 与党→野党→野党(提案理由への反証・疑問)→与党(反対理由への反論)、と話していって、最後に与党の最終弁論(争点の整理)で締めくくる。 当然、与党の側が主導権を握る形になる。これから、経験者の3人で、モデル・ディベートをやってみるので、見てほしい。

<モデル・ディベート見学>

V.フィードバック・タイム                     
(以下省略)


H O M E