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| モンローを救った指(HPへ戻る) 日本指圧学校校長 浪越 徳治郎 昭和29年のある日、午前5時に電話で起された。かけてきたのは フランク・オドール。サンフランシスコ・シールズの監督(以前、ゴルフで痛めた キックリ腰を癒してやったことがあった) オードルは、新婚旅行にきたジョー・ディマジオとマリリン・モンローの 付添いだった。そのオドールの話によれば―― マリリン・モンローが1時間ばかり前から胃ケイレンで苦しみ出した。 医者が来て、痛み止めの注射をしようとしたら、「オー、ノー、ノー」と 言ってさせない。前に注射でショックを受けたことがあるからだ。 医者は飲み薬を置いて帰ったが、依然として七転八倒の苦しみが続く。 見るに見かねたフランク・オードルが、私のことを思い出した というわけだった。 私は早速タクシーを拾って帝国ホテルに向った。 武者振いというのか、気持ちの昂ぶりを私は感じていた。 指圧師としての自負もあった。世界のあらゆる男性があこがれる肉体 20世紀の恋人――。それにひとり親しく触れ得るのだという期待 それも確かにあった。 ホテルにつく。目指すは205号室。 フランク・オードルが廊下に出て私を待っていた。 ヤアヤアと言うことで握手。 彼が205号室のドアをノックする。と、ジョー・ディマジオが顔を出した。 フランク・オードルの紹介で彼とも握手。にっこり笑って迎えてくれたが、 ジョー・ディマジオはいかにも弱り切ったという表情だ。 部屋の中に入る。マリリン・モンローは、ベッドの上でしきりに身を よじってはうめいていた。紫色のシルクのガウンをまとっている。 裾から大腿までこぼれ出た脚が、白蛇ののたうつ様を思わせる。 ジョー・ディマジオはオロオロしている。私は彼に言った。「OK、ここは 私にまかせて、あんたは外に出て待ってなさい」 ジョー・ディマジオが出て行く。と、私はマリリン・モンローの傍に 跪まずき、ガウンを剥ぎにかかる。彼女はおとなしく、されるがまま。 ガウンの下には何もつけていない。これがシャネル・ナンバー・ファイブ というのだろうか。馥郁(ふくいく→良い香りがする様子)たる香りが 私の鼻孔をくすぐる。 ――かくして私の目の前に、”世紀の肉体”が身に一糸もまとわぬ姿 で、うつぶせに横たわることになった。 しかし鑑賞しているいとまは、ない。私はやおら背中の上に馬乗りに またがり、左の肩甲骨の下に指をあてる。ここらへんに、胃痛を癒す ツボがあるのだ。力を加える。と、彼女は、かすかにうめく。 私は指先に全神経を集中して、一心不乱に押さえた。祈りすらこめて 押さえた。10分間ほど押さえただろうか、痛みに堪えて固くなっていた 筋肉がほぐれ、四肢の力の抜けていく様子に私は彼女の痛みが去った ことを知った。 (中略) 次の日、再びフランク・オードルから電話かかってきた。 マリリン・モンローがまた御所望だ、という。喜んで私が出掛けていった こと、いうまでもあるまい。今度はマリリン・モンローと、あれこれの話を した。聞けば案の定、睡眠薬を常用していると言う。それが胃ケイレンの 原因だった。 問われるまま、私の息子がアメリカに留学している、というような話も した。私の1回の治療代は当時2千円だった。彼女は昨日の分と 合わせて4千円と、さらに5ドル紙幣2枚を差し出し、「アメリカに留学 している息子さんに送ってあげなさい。あちらは物価高で、いろいろと ものいりですから(物要→出費がかかる)・・・・・」といった。 私は有り難く頂戴した。手の切れるような紙幣だった。 また次の日も依頼の電話がかかってきた。 こうして私は、間に朝鮮戦線慰問の期間を挟んで前後7回 マリリン・モンローを指圧する機会を得たのである。その都度、二千円に 加えて5ドルの紙幣を彼女は差し出すのだった。 7回分で35ドル。これを私は、アメリカに出掛けるは早川雪州に托して 息子に届け出た。それを息子は友人に見せびらかし、宝物のように 大事にしていたものだ。 上記。日本の「指圧」から世界の「SHIATSU」へ)の雑誌から 日本指圧専門学校創立60周年記念実行委員会より原文掲載 (文芸春秋、昭和42年6月号特別号、掲載) |
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| 私(西谷)は平成元年に浪越徳治郎先生の門を叩き入学しました。 浪越徳治郎先生の門を卒業しました。 (浪越徳治郎先生平成12年9月25日肺炎のため東京日立病院で逝去 された。享年94歳昭和58年に勲四等旭日小綬章このたび正六位に叙 せられた) 1年3回ぐらい浪越徳治郎先生の実技指導と講義(90分)ありました。 3年間だから9回は浪越徳治郎先生の実技指導と講義を受けました。 浪越徳治郎先生の実技指導は60分ぐらい真剣な目つきで私たち弟子の 指に視線がいく。眼光から弟子の指圧に集中して、弟子たちは緊張 しながら、先生の姿が気になる。 30分が講義である。 マリリン・モンローの話が出ました。 浪越徳治郎先生曰く。朝早く電話が鳴った。こんな早くなんだろうと、 電話を取ると、アメリカの友人だった。ホテルオークラのある一室で マリリン・モンローが苦しんでいる、医者の注射はイヤだと言う。浪越さん すぐ来て指圧治療してくれと言う。 マリリン・モンローの指圧依頼、どきどきしながら、ホテルオクラに タクシーで行きました。その友人がおろおろしているので、私にここは 任しなさいと伝え、部屋に入ると、マリリン・モンローがガウンにまとい 横たわっているではないか、早速馬乗りになり指圧しました。またその ガウンがはだけて、マリリン・モンローはパンツをはいていないんですね。 なるほど、美人はパンツハクメイ(美人薄命)・・・(弟子達が笑う) (浪越徳治郎先生は人様を笑わすのが得意です) すっかり元気になりよかったと言ってました。
「一笑一日長生き、一怒り、一日短命」と言う先生の話しもある。 浪越徳治郎は「笑う会会長」に就任依頼され受けた。苦しい時ほど天を 見あげ、ワッハハ、ワッハハ、笑う所に福来ると言っていました。 浪越徳治郎が参議院選挙に出馬し落選しました。その話も自ら話され そんな事も有りましたと言い笑っていました。
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