December 17, 2003

誤解を誤解のままで終わらせていいのか

モーニング娘。ほど、その本質を見誤られているグループは、他にはないと僕は思う。

どのような誤解か。それは、「モーニング娘。は、かわいいから売れたのであって、歌はおまけみたいなものだ」とか、「次々とメンバーの加入と脱退を繰り返して、話題性と新鮮さを保っていたから売れたんだ」という誤解だ。これらの考え方は、おそらく、以前あった「おニャン子クラブ」とかいうアイドルグループには、あてはまるのだろう(僕はそのグループを見たことがないので、あくまで推測だが)。

でも、僕は思う。モーニング娘。の歌はおまけじゃない。むしろ、歌こそが重要なのだ。ひいては、その歌によって、いろんなメッセージや、喜びや、その他いろいろなものを伝えることこそが重要なのだ。それらのものがあるからこそ、僕はモーニング娘。が好きなのだ。笑うなかれ、僕は、モーニング娘。の歌が、崇高だと思えることさえある。

そして、その歌を生み出すために、つんくは細心の心配りをしていた。それは、1、2期タンポポや、1期プッチモニによく表れている。それらユニットの構成は、メンバー一人一人の素質をうまく組み合わせるために緻密に組み合わせられており、素晴らしい歌を生み出すための土台になっていた。

しかし、それらの心配りは十分には理解されなかった。去年の7/31のハロプロ大改変によって、それまでのタンポポやプッチモニはあえなく破壊された。その後に発表されたユニットの構成は、1、2期タンポポや、1期プッチモニを作ったのと同じ人間が考えたとは思えない、ずさんなものだった。(あれはつんくの意図ではなく、他の誰かの意図だと、僕は信じている。)そこにあったのは、「ユニットの編成や、メンバーの出し入れは、話題性のための手段で、誰がどこに行ったって差はないのだ」という、最初に述べた、誤解された考え方だったと僕は思う。去年の7/31は、モーニング娘。に対する誤解を象徴するような日だ。そして、なっちの脱退も、その誤解の延長線上にあるものだと僕は思っている。

僕が、なっちの脱退に賛成しないのは、今までこのサイトに書いてきた理由のほかに、このような理由もあるからだ。なっちが脱退するということは、モーニング娘。に対しての誤解がさらに進むことを意味していると思うからだ。モーニング娘。本来の、喜びに満ちた姿が捨て去られ、旧態依然としたアイドルグループの枠に押し込められることだと思うからだ。僕はモーニング娘。を素晴らしいと思うし、かけがえのないグループだと思う。そんな素晴らしいグループが、誤解され、歪められていくのを見たくはない。

問いたい。誤解を誤解のままで終わらせていいのか。

Posted by かわべ at December 17, 2003 11:47 PM