December 28, 2003

モーニング娘。から、メンバー個人を切り離して考えることはできない

僕は、モーニング娘。が好きだ。そして、僕と同じく、モーニング娘。を好きだという人は多くいる。しかし、好きだと言うのは簡単だが、実際のところ、どういうふうに好きなのだろうか。

モーニング娘。を好きになる過程というものを、ここで少し仮定してみたいと思う。

一つ目の仮定。テレビで見て、モーニング娘。のメンバーのうち、誰か一人のことを「かわいいな」と思う。そして、その子に注目するために、モーニング娘。がテレビに出るたびに見るようになる。そして、その子が、モーニング娘。の中でどんなポジションにいるのか、どんな役割を持っているのかが気になる。すると、必然的に、その子をとりまく、他のメンバーたちのことも気になってくる。他のメンバーたちの個性も少しずつわかってきて、一人一人が、それぞれ異なった魅力を持っていること、そして、それらの魅力が絡み合って、「モーニング娘。」という総体が出来ていることがわかってくる。こうして、一人のメンバーに注目していたのが、いつの間にか、他のメンバーのことも好きになり、総体としての「モーニング娘。」が好きになっている。

二つ目の仮定。これは、一つ目の仮定の逆方向だ。グループ全体としての「モーニング娘。」に、「なんか面白そうなグループだな」と興味を持つ。そして、モーニング娘。に注目するようになる。そのうち、モーニング娘。のメンバーの一人一人の個性に興味が向く。そうして、一人一人のメンバーのことが好きになっている。

一人一人のメンバーが好きだったのに、いつしか総体としてのモーニング娘。も好きになる。総体としてのモーニング娘。が好きだったのに、いつしか一人一人のことも好きになる。そうして、「グループとしてのモーニング娘。が好きだし、そのメンバー一人一人も好きだ」という状態になる。モーニング娘。を見ていると、自然にそうなってしまうんじゃないだろうか。これは、モーニング娘。というグループが持つ魔法だと僕は思う。

もちろん、「メンバー一人一人が好きだ」と言っても、その「好き」のレベルは、その人の好みによって、メンバー一人一人について異なってくるだろう。だけど、少なくとも、「一人一人、みな個性を持っていて、みな必要な存在なのだ」という認識はできるようになると思う。

また、上に書いたことは、楽曲を評価するときにも言えることだと思う。例えば、「真夏の光線」という楽曲を聴き、その美しさに感激したとする。その美しさの理由を掘り下げようとすれば、必然的に、そのパート割り、すなわち一人一人の声の組み合わせに耳を向けることになるだろう。そうして、一人一人の声の良さという点にも気付くことになり、ひいては、「このメンバーがここの部分を歌っているからこそ、総体としてのこの歌は素晴らしいんだ」と思うことになるだろう。

上に書いたことから、僕は何を言いたいのか。それはつまり、モーニング娘。を愛するときに、「一人一人のメンバーを愛すること」と「全体としてのモーニング娘。を愛すること」を分離することは出来ないし、「一人一人のメンバーを愛すること」と、「モーニング娘。の楽曲を愛すること」を分離することもできない、ということだ。モーニング娘。においては、一人一人のメンバーの魅力と、全体としてのモーニング娘。の魅力と、モーニング娘。の楽曲の魅力とは全てつながっていて、渾然一体となっているのだ。

そして、この考えを突き詰めていくと、僕は、モーニング娘。という存在が、奇跡であるようにさえ思えてくるのだ。モーニング娘。という存在も、モーニング娘。が歌う歌も、今この時に、このメンバーが、ちょうどめぐり合ったからこそ成立している。そして、今、僕はそれと同時代に生きているからこそ、それをリアルタイムで見ることができる。それは、いくつもの偶然の一致によって起こったことであり、奇跡というほかないことだと思うのだ。そして、その奇跡をただ喜ぶ以外に、僕にできることは何も無いと思えてくるのである。

僕は、モーニング娘。を、上に書いたような見方で愛してきた。だからこそ、僕はなっちの卒業に反対するのだ。

「メンバーの誰か一人が卒業しても、モーニング娘。はちゃんとやっていける」という考えを、僕は持つことが出来ない。上に書いたとおり、一人のメンバーが抜けるということは、総体としてのモーニング娘。もまったく変わってしまうことを意味する。確かに、モーニング娘。は、名前の上ではちゃんと存続する。だけど、その本質はまるっきり変わってしまうのだ。それは、紛れも無い事実だと僕は思う。

その事実に対してどう振る舞うか、というのは、場合による。そのメンバーが誰であるかとか、どういう理由で脱退するのか、ということを考えなければならない。だけど、今回卒業するのは、なっちなのだ。モーニング娘。に最初からいて、モーニング娘。の最も重要な一部分を担っているなっちなのである。そのことだけを考えても、安易に、「卒業おめでとう」とは言えない。否定したくなるのが自然な感情であると思う。

ましてや、その理由がはっきりしていない。なっち本人が決めた決断だとは聞かされていない。「安倍なつみは、モーニング娘。を卒業できることになりました」ってどういう意味だ? モーニング娘。が、そんなふうに簡単にメンバーを抜けさせられるものじゃない、ましてやメンバーの卒業を前提に作られているものでもないと僕が思っていることは、上に書いたとおりだ。

繰り返し言いたい。モーニング娘。は、メンバーが抜けても、何の変わりもなく存続していけるような集団じゃない。そんな集団じゃないんだ。

Posted by かわべ at December 28, 2003 12:34 AM