September 19, 2003

卒業するということは、その中からいなくなってしまうということ

 この五万枚のCDを手売りできなければ明日はないと言う状況で、泣きながら明日を夢見ていました。その中に彼女はいました。

 なかなか心開くことができずぎこちない笑顔しかできなくても、みんなはすべて分かりあえる仲間でした。その中に彼女はいました。

 女同士、ときには本気にけんかしたり、ときには恋愛話に盛り上がったり。楽屋ではいつもそうやって、バカなことばっかりやっていました。その中に彼女はいました。

 ひとたびステージに上がれば完璧なフォーメーションのダンスを披露し、美しいハーモニーが会場中に響きわたります。そこにしかない幸福感。そこにしかない一体感。お互い目を合わせたとき自然にこぼれる笑顔。お互いをいとおしく思う今までで最高の信頼感。そこにしかないラブ&ピース。その中に彼女はいました。

 長い長い人生の中でもこれほどまで楽しい時間なんてもうこないのかもしれない。これほどまで本気になって喧嘩する相手なんていないのかもしれない。これほどまでお互いの強いところも弱いところも女の子らしいところもだらしないところも許しあえる仲間なんて出会えないのかもしれない。その中に彼女はいました。

 

 卒業するということは、その中からいなくなってしまうということ。卒業することで手に入れられるものに比べて、失ってしまうものは遙かに大きい。ああ、このまま時が止まればいいのに!

Posted by yiye at 11:45 AM

September 18, 2003

なっちの子守歌

眠れ よい子よ 庭や牧場に 鳥も羊も みんな眠れば 
月は窓から 銀の光を そそぐこの夜 よい子よ 眠れや

なっちの子守歌

Posted by 辻ちゃん博士 at 11:30 PM

なっちがいなくなること。

 なっちがいなくなること。
それはモーニング娘。が薄くなる事だ。
初期のメンバーが抜けることによる、「モーニング娘。的なもの」の喪失。
オレがモーニング娘。の事を好きなのはどうしてだろうと考えると、
いつも頭に浮かぶのは「日本」だ。正確に言うと「失われた日本」。

 昔日本では、若者は若者同士で生活をする風習が各地にあった。
ある年齢になると、年長者を長とする若者(少年)だけの中で暮らすのだ。
そこで彼らは村の決まりや大人として当然の態度などを身をもっておぼえる。

 オレの中では「なっちやめないで!」ってのは、「なっち」だけの事を言って
いるのではない。それは「なっち」に象徴されるモーニング娘。的な何かの事を
言っている。 もし今の卒業制を加速させたらどうなるだろう。
いや、もう加速してる。この1年でごっちん、圭ちゃん、そしてなっちだ。
人数が少なく、濃密にメンバー同士が絡み合っていた頃、
それは彼女たち一人一人が、同じ価値観をもって自分の核にして成長していったはずだ。

 大所帯になったモーニング娘。は、メンバー全員が揃うことがなかなか難しくなった。
そう考えると、以前は揃わなかったハロモニ。が現在全員参加でやれているのは
だれのおかげなんだろう。感謝したい。
 話を戻す。年齢差でいったら最初の5人も今の15人も
さほど変わりはない。だから、モーニング娘。的なものを継承するのは決して
難しいことではないはずだ。しかし、上のメンバーが少なくなった事で
モーニング娘。がどうなって行くのか、心配でしょうがない。
このスピードで意図された脱退が進めば、モーニング娘。はそこらへんに
腐るほどいる、「いくらでも換えがきくアイドルグループ」に成り下がって
しまうだろう。継承されるべき大事なモノがおざなりになり、
個人の幸せしか考えないグループになって行きそうで怖い。

 なっちがやめれば、カヲリのモチベーションはどうなるだろう。
オレは個人に向かうと思う。22歳の女性なんだからそれは当たり前だと、
考える人はいるだろうが、オレにとってそれはモーニング娘。の崩壊と
捉えてしまう。

Posted by あいのロック at 09:21 PM

September 12, 2003

きりり

あなたは「きりり」のポスターを見たことがあるだろうか?
あなたがモーニング娘。が好きなら、このポスターのことを覚えているだろう。
白地で、娘。達がこちらにチューしてくれている、一度見たら忘れようもない
萌えインパクトを与えてくれるポスターだ。

僕は、いつものように酔いどれて酒屋に切れたビールを買いに行き、そこでこの
ポスターを見て、酔った勢いで「あの、剥がす時になったら、表のモーニング娘。
のポスターをくれませんか?」と言ったのだ。
そして数日後、僕は運の良いことにそのポスターを手に入れた。

上段になっち、りかっち、圭ちゃん。
下段に圭織、よっすぃー、ごっちん、まりっぺと並び、みんなで唇をとんがらかせている。

なっち、りかっち、まりっぺは目を開け、
圭ちゃん、圭織、よっすぃー、ごっちんは目を閉じている。

僕はこの七人の娘。のことをみんな美しいと思っているが、目を開けた娘。と
閉じた娘。の対照はとても面白い。りかっちのキュートは言うに及ばず、右下
のまりっぺのちょっと驚いたような表情が、まるで、陸上競技の幻の追い風参
考記録のように意表をついて美しく、そして、なっちがあえて我々から目を
反らしているのが、全体の美しさを却って際立たせている。

目を閉じたメンバーの不格好さがまた愛おしい。
普段あれだけの輝きを放つメンバーが、初めてキスをする女の子のように
ぎこちなく、こちらに無防備な表情を向けている。こちらで一番不格好なのは、
言うまでも無く圭ちゃんである。そして、僕は圭ちゃんのそんなところが大好きだ。

僕は部屋の模様替えを良くする方なのだけど、このポスターだけは本当に気に
入っているから、ずっと貼り続けたままで居る。


例えば好きなメンバーのことを考える時、反射的に部屋のポスターを見たり
するのは僕だけのことじゃないと思うのだけど、このポスターに対して、僕は
一つだけ不安を抱いている。

それは、加護ちゃんが居ないことであり、辻ちゃんが居ないことだ。

僕は、加護ちゃんのことを考える時、モニターから向かって左に首を曲げる。
それは、僕が無意識に娘。がそこに居ることを知っているからであり、無意
識に加護ちゃんがモーニング娘。だと思っているからだろう。

しかし、そこに加護ちゃんはなぜか居ない。
まりっぺの真っ直ぐな瞳と視線が合い(座っている位置から、ちょうどそうな
るのだ)、一瞬僕は不安になる。もしや、加護ちゃんは僕の知らない間にどこ
かに行ってしまったのかと。そして、そのまりっぺの真っ直ぐな瞳は、僕に
向かって何を訴えかけているのだろう、と。


…もちろんそれは一瞬の感覚の出来事であって、それはスケジュールだかなん
だかの関係で一緒に撮影できなかったんだよ。加護ちゃんも、辻ちゃんもちゃんと
モーニング娘。だ。みんな一緒にいるよ…ってことをちゃんと理解できる。

でも、感覚的なレベルで言えば、僕が「モーニング娘。とは何か」と言うことを
無意識の中で強固に意識していると言うことだし、その世界においてメンバーの
不在と言うのは、とんでもなく不安な状態なんだろう。

ポスターの中での娘。の不在は、僕には納得できる。
それにはちゃんとした現実的理由があり、それを僕は理性で掴み取ることができる。
自分の不安を納得させることができる。でも、僕はなっちの不在と言うのは、
なっちが居なくなるということはどういうことなのかが、全く分からない。


なっちが消えたら、それがポスターの中の出来事で無かったら。


…みんなそうだと思うけど、正直を言えば、あの時からもう全ては分からなかった。
でも、僕や、ある種の人々はそれなりに自分を納得させたと思うんだ。

僕なんかみたいにいい加減じゃなく、もう本当に必死で娘。達を愛してる人達が一杯居る。
本当に必死な人達の不安って、それこそ理性だけで抑え込めるものだけでは無くて、
みんなが、全てのヲタが「ザ☆ピ〜ス」に感じたような、圧倒的なポップによってしか
癒されないと思うんだ。みんな、そんな圧倒的なポップを信じて、無理矢理それを抑え
込んだと思うんだ。

そして、その無理矢理な納得は救われたかと言うと、僕は救われていないと思う。


だって、なっちの脱退なんて信じられる訳ないじゃないか。



僕は、圭ちゃんの脱退の時に本当に危機感を感じたんだ。

絶望は時間によって癒される。僕らは現実的にそんなに長く絶望している
訳にもいかない。いつかは、否が応にもそれを納得してしまうんだ。

そして、それは事務所の戦略なんだ。
ファンは、そういう生き物だって言うことを全て分かってやっているんだ。結局、
姉さん以降の脱退は根本的に事務所によってもたらされたものだし、それは全て
事務所の理屈なんだ。娘。の思いによるものでも無いし、ファンの思いを納得さ
せるものでもない。

そして、僕はそれを卒業と言う言葉によって美化し、つんく♂にあんなことを言わ
せて、日本では何年か前のそこらから流行った「プロデューサー」と言う名の下に
全てを請け負わせようとしている事務所に本当の怒りを感じる。プロデューサーっ
て言うのは、そういうものじゃない。それは、自分の行動に自分の責任を負うって
言う、本当にシンプルなことなんだ。

事務所に理由があるなら、それなりのきちんとしたものを示して欲しい。
小手先の、週間少年漫画の最終回みたいな無意味なポジティブ、まやかしなんかじゃ
なくて、ちゃんとしたことを、ちゃんとした言葉で喋って欲しい。社長の意向なら
社長が、会長の意向なら会長がきちんと喋るべきだ。僕は、つんく♂がこんな酷い
ことを繰り返すような人物にはどうしても思えない。それでなければ、あんな詞は
絶対に書けない。でっかい宇宙に愛があるなんて。



そして、僕のようなダメ人間のできることと言ったら、納得できないことに対して、
徹底的に反対することなんだろうと思う。違和感をそのままにしていてはダメなんだ。
かたちにして行かないと、ダメなんだ。メロンライブや野外ライブが一部の暴徒のグ
ラウンドになっているのも「かたち」だし、悪質な転売屋のせいで(しかもそいつは
自身でヲタを名乗っていると言う。糞だ)、熱心なファンが後ろの席に追いやられて
いるのも「かたち」だ。

ファンはその「かたち」を美しいものにしていかなくてはならないし、事務所によっ
てその「かたち」が歪められようとする時、破壊されようとしている時、それに反対
するべきだと思う。みんな、もっと自分の「娘。を好きだ!!!」と言う感情を信じるべ
きだし、発するべきだ。そこに渾沌が生まれる程、事務所はなっちという存在の本当
の重さを肌に染みる筈だ。

愛するものの不在に対して、もっと張りつめてみるべきじゃないのか。
少なくとも、それぞれの一日分の日記に対しては。自分が自由になれるフィールドでは。

Posted by うたか at 05:31 PM

September 11, 2003

悲しみの理由

「別れ」とは、お互いに、常に葛藤を導くものである。
 
「去る側」と「残る側」、お互いに、お互いのことを思って、様々な思いが交錯する。
 
それは、いつになっても、同じこと・・・・・・。
 
モーニング娘。、初の公式本「5+3-1」の冒頭、中澤裕子は、こう語っていた。
 
「私、ずーっといってましたもん、『辞めるのやめときや』って。4月18日になってもいっていたし、最後のコンサートが終わった後でも『マジで辞めんの? エエで、このままおっても』って。(中略)ほんま、あの日は来て欲しくなかった・・・・・・」
 
福田明日香の時代から、「残される側」の気持ちは、いつも、同じであるのだ。
 
このサイトにおいて、あいのロック氏が書いた文章の中(「オレたちの気持ち」)で「保田の時に、加護に十字架を背負わせた」と言う表現。
 
あの時、自分が加護の側に立っていたのは明白だ。
 
なぜなら、あの一言を聞いた途端、涙が頬を伝っていたから。
 
そして、「自分の気持ちを代弁してくれて、ありがとう」と言う感謝にも似た感情を、遠く離れたステージに立つ加護に対して抱いていた。
 
加護だけではない、保田に最後の言葉をかけようとして、ステージ上で崩れ落ちてしまった高橋。
 
あの高橋を見て、何も思わない、なんてことは出来るはずがない。
 
自分の心の奥底に、「別れとは、どんな形でも、悲しいんだ」という気持ちを、強く強く印象づけた出来事だったのかもしれない。
 
あくまで、勝手な推測だが、加護があの時「やめないで欲しい」と発した言葉は、加護自身の中でも、中澤、後藤、と2度の脱退劇を体験し、「3度目の正直」ともいえる「本心」だったのではないだろうか。
 
今まで、「旅立ち」の時は、自分の気持ちを押し殺してでも、祝福の言葉を送らなければいけない、という不文律が、メンバー間でもあったのかもしれない。
 
今まで、ラストのコンサートの時、あそこまで端的に「やめないで!」と言ったメンバーは、居なかったと思う。
 
しかし、2003年5月5日の加護は、自分の気持ちを保田に伝えることを優先した。
 
この時の加護の発言は、「場をわきまえていない」発言だったのだろうか?
 
せっかく「モーニング娘。を卒業できるようになた」保田に対しての「後ろ向きな発言」だっただろうか?
 
僕は、そうは思わない。
 
あの時、あの場所で、加護亜依という一人の少女が、自分の気持ちを、本当に素直に、本当に正直に伝えた、「心を打つ」場面だったと思う。
 
自分も加護と同じ気持ちであったから、余計にそう感じるのかも知れない。
 
そう考えると、自分の気持ちは、「去る側」でなく「残る側」の立場で、物事を考えているのだろう。
 
 
2002年夏、「仔犬ダンの物語」の記者発表があった時、時期が時期だっただけに、後藤の脱退に関する会見となった。
 
そこで、矢口真里は、「そんな日が、来て欲しくはないんですけど・・・・・・」と、目を真赤に腫らし、自分の気持ちを語っていた。
 
そして、小川麻琴は、溢れ出る涙を止めることが出来ず、自分の言葉をしっかりと口にすることが出来なかった。
 
冒頭で引用した、中澤の発言を繰り返すまでもなく、「残る側」の意識は、変わりがないのだろう。今から考えると、そう言った意識が、端的に表れた会見だったのかもしれない。
 
 
それは、今回の件に関しても、まったく同じように思える。
 
だから自分は、9月7日放送の「ハロー!モーニング」における、「卒業やめちゃえば」という飯田の発言に、激しく共感し、その話の流れで安倍が流した涙に、過剰なくらいに反応したのだろう。
 
冒頭で引用した、中澤の言葉と同じようなことを、(冗談めかして言ってはいたが)飯田は、安倍に面と向かって言っていた。
 
あの言葉は、果たして「冗談」なのか「本心」なのか。
 
それは、飯田本人にしかわからないことなのかもしれない。
 
しかし、中澤の発言を始めとして、加護、高橋の発言、矢口、小川の発言、そう言ったものを考えると、飯田圭織という「残される側」の人間からの「本心」だったと受け取るのが、自然だと思う。
 
たとえ、それが恣意的な解釈だとしても、自分には、あの言葉は、飯田の本心にしか、思えなかった。
 
そんな風に考えるのは、ファンの身勝手な思い入れなんだろうか?
 
そして、そんな言葉に同調する発言を繰り返すのは、「旅立つ安倍なつみ」へ向けての背徳なんだろうか?
 
あと半年後に迫っている「その日」へ向けて、自分がどのような感情をもって、毎日を過ごせばいいのか、全くわからないでいる。
 
ただ、悲観的になっても仕方ないし、あからさまに楽観的な態度を取るのも、自分の本心とは違う。
 
やはり、ただ、ただ、そのことを「事実」として受け入れるしかないのだろうか。
 
しかし、その「事実」が、自分にとって、どんな意味を持つのか?
 
 
答えなんか、簡単に見つけるワケないよ・・・・・・。

Posted by あれっくす at 11:37 PM

September 05, 2003

続・モーニング娘。を支えるものは愛情だ。

これからここに書くものは、前回に書いたことの続きだ。

僕は前回、「モーニング娘。は、愛情を持ってサポートされなければならない」と書いた。

言い足りなかったところを補足すると、「モーニング娘。は、そのメンバー一人一人の意思や、そのメンバー達が織り成す関係性を保護するために、愛情を持ってサポートされなければならない」というのが、僕の主張なのだ。

それでは、なぜ、モーニング娘。のメンバー一人一人の意思や、その中にある関係性を、保護しなければいけないのか?それが、今回書きたいことだ。

少し話はそれるけれども、どうか読んで欲しい。

テレビには、様々な芸能人が溢れている。でも、彼らは本当に人間だろうか?いや、人間であることに間違いはないけれど、「人間性」というものを持っているだろうか?

僕は、持ってないと思う。

いわゆる芸能人ってのは、みんな、「毒舌」だとか「カワイイ」だとか「おもしろい」だとか、さまざまなキャラクターを持っている。

だけど、そのキャラクター以外の、別の側面を見せてくれる芸能人は、果たしているだろうか?僕は、いないと思う。みんな、いつもテレビに出ては、いつも同じ内容のことしか言わない。同じ方向性のことしか言わない。同じ表情しか見せない。退屈で嫌になる。

自分の生き方に自信が持てなくて思い悩んだりとか、あるいは、その苦悩から脱出して、以前よりもずっと魅力的な人間になったりとか、そういう過程こそが、「人間性」だと、僕は信じている。そして、そういう「人間性」を見せてくれる人間ってのは、テレビの中には一人もいない。

モーニング娘。を除けば。

そう、モーニング娘。こそが、僕の求める「人間性」を見せてくれる存在だと、僕は信じているのだ。ASAYAN を見ていた頃からずっと、僕はその視点でモーニング娘。を見続けてきた。

その頃から、モーニング娘。は、いろんな試練にぶつかっては、それを乗り越えようと必死に頑張り、何とか乗り越えたり、あるいは乗り越えることができなかったりもした。

そして、その過程で彼女らが見せる笑顔や涙を、彼女らの「人間性」を表すものとして、僕は記憶してきた。(もちろん、何年も前のことだから、今では忘れてしまったものも、非常に多いけれども。)

厳しい芸能界。
自分の意思どおりはいかない芸能界。
迷ったり、戸惑ったりしてる暇なんてない世界。

そんな世界の中にあって、「モーニング娘。」だけが、愛情深く守られた、ユートピアのような世界であってもいいじゃないか。

その世界の中で、モーニング娘。のメンバー達は、日々努力する一方、モーニング娘。という集団の中での自分の位置づけや、自分の進むべきあり方を考える。モーニング娘。の中で過ごしながら、みなそれぞれに変化し、成長していく。それを見守るプロデューサーが、「彼女らにしか表現できないこと」を考え、彼女らの歌うべき歌を提供していく。それこそが、僕の望むモーニング娘。の姿なんだ。またそれこそが、いわゆる、モーニング娘。の「物語性」ってやつじゃないのか。

だからこそ、モーニング娘。たちの意思は、尊重されなければならない。モーニング娘。の中にある関係性は、手厚く守られなければならない。僕はそう信じている。

「なっちは自分の卒業に対して、前向きな姿勢でいるじゃないか、だからこそそれを尊重しろ」という反論があるかもしれない。でも、僕は言いたい。なっちは、ソロで活動することに対して前向きなだけであって、「モーニング娘。を抜けたい」と言ったわけじゃない。なっちのソロ活動と、モーニング娘。としての活動を並行することだって可能だ。

それに、なっち以外のメンバーが、コメントを求められるたびに「まだ、卒業まで半年あるので・・・」と、しきりに口を濁すのはなぜだ。彼女らの意思が本当はどっちに向いているか、考えてみれば明白なことじゃないか。

Posted by かわべ at 09:11 PM

モーニング娘。を支えるものは愛情だ。

僕はモーニング娘。が大好きだ。

だから、モーニング娘。に敬意を払う。また、僕らファンも含めた、モーニング娘。に関わる全ての人は、モーニング娘。に敬意と愛情を持ってもらいたいと思う。

だけど、今のモーニング娘。に定着されつつある、「卒業」というものは、果たして、モーニング娘。に対して、敬意と愛情を持っているだろうか? 僕はそうは思わない。

まるで、流れ作業のベルトコンベアで押し出されるみたいに、「はい、あなたは卒業」と強制的に言い渡す制度。そんなものに、モーニング娘。への敬意や愛情があるはずはない。

もっと、彼女らの意思を尊重したっていいはずだ。

あえて認めよう。確かに、今のなっちが、モーニング娘。を卒業するための条件は、いくらか揃っているようには見える。

15人と言う大所帯。焦点が当たるといっても、所詮15分の1だ。すでにソロデビューも果たしているし、これからのさらなる成長も見込める。「モーニング娘。」という枠組みが、彼女を縛り付けている部分もあるかもしれない。

でも、そこで卒業を決めるのは、あくまで、なっち本人であるべきだ。強制的に、「はい、あなたは卒業」なんて言う権利は、誰にもあるはずはない。いや、あったとしても、そんなことを言うべきではない。

なっちがモーニング娘。に居続けてるにしても、あるいはなっちがモーニング娘。から抜けるにしても、変わらずモーニング娘。に、歌うべき歌を与え、モーニング娘。が変わらず続いていくようにする。もし、なっちが自ら卒業を決意したときには、なっちに歌うべき歌を与え、うまくやっていけるようにサポートする。それこそが、モーニング娘。への敬意と、愛情あるやり方じゃないか。モーニング娘。の活動と、なっちのソロ活動を並行するという手段だってある。

僕が、そこまでして、彼女らの意思を尊重してもらいたいのはなぜか? 「愛情」なんていう甘っちょろいことを言うのはなぜか? それは、そういう体制であってこそ、モーニング娘。が持つ、「幸福感」を、表現できると思うからだ。

ザ☆ピ~ス!の、間奏の部分の振り付け。中央でセリフを言う石川に、四方八方から茶々を入れるメンバー全員。あれは、当時のモーニング娘。の中にあった、「石川イジリ」というものが根底にある。

メンバー内の人間関係なんて、彼女らが歌手であるという観点から見れば、「どうでもいいこと」かもしれない。だけど、夏先生は、その「どうでもいいこと」を巧みに楽曲の振り付けの中に取り入れたのだ。そこにあるのは、やっぱりモーニング娘。への「愛情」じゃないだろうか。

さらに話を発展させるなら、あの「ザ☆ピ~ス!」という楽曲が、幸福感に満ちているのは、つんくが、モーニング娘。一人一人のパーソナリティや、その中の人間関係に思いを至らせ、「彼女らにしか表現できないものは何か?」と考えて、あの楽曲を作ったからじゃないだろうか。そこにあるのは、やっぱり、「愛情」だろう。

例示が長くなったが、モーニング娘。は、愛情を持ってサポートされなければならない、と僕は思う。だからこそ、彼女らを、物か何かのように冷淡に扱う、「卒業制」というものには、強く反対する。


追記

僕は、これは、モーニング娘。を愛する全ての人にとって共通の論理であるはずだと思っている。だから、モーニング娘。を愛していながら、なっちの卒業に対して肯定的な人たちは、どこかで見落としや、思い違いをしているんじゃないだろうかと思ってしまう。

定期的な卒業が、モーニング娘。にとって不可欠だというのは、間違った思い込みだ。そんなものがなくたって、彼女らは、モーニング娘。の中で成長し、変化して、常に僕らに、新鮮な感動を与えてくれるはずだ。

Posted by かわべ at 04:29 AM

September 04, 2003

混乱

 この卒業で安倍さんはダメになってしまうのでしょうか?

 それはないと思います。自由な時間が増える分、今までよりもっと大きな仕事に取り組むことができます。新しいフィールドで更なる魅力が開花することでしょう。それはとても楽しみなことです。本格的にドラマに取り組んだり、心踊るようなソロライブツアーを行ったりできるんですよ。以前、バンドを従えてファクトリーのステージに一人立ち、チェインギャングを歌った安倍さんはとても輝いていましたから。

 では、この卒業でモーニング娘。はダメになってしまうのでしょうか?

 安倍さんの存在は大きかったとはいえ、確実に成長してきている14人がいます。僕たちが今まで見たことも聞いたこともないような、すばらしいステージを魅せてくれることでしょう。すばらしいモーニング娘。を魅せてくれることでしょう。

 でもこの虚しさは何なんでしょう。この不安な気持ちは何なんでしょう。みんなにとって良いことのはずなのに。安倍さんも笑顔で「心配しないでね」って言っているのに。他のサイトでもほとんどの人が「良かった」って言っているのに。

Posted by yiye at 02:08 PM