January 06, 2004

宣告

どうにかできないものだろうか。
耐えられず、気を紛らわしている間にも時は過ぎていく。
このままでは、7ヶ月の間に僕らの神経は摩耗し、戦略に麻痺させられた
ままにその瞬間を迎えることになるだろう。

事務所よ、撤回する位の勇気を持ってくれ…。あれからと言うもの、現実
について考えると、肩の力が抜けてぐたりと、何もできなくなってしまう。
死刑宣告を回避することはできないのかも知れないけど、僕はせめて全て
を言い尽くしたい。僕は圭ちゃんの時のような敗北感、無力感をもう味わ
いたくは無い。

今回の発表と言うのは、言ってしまえば最終的には娘。の解体を意味する
こと、事務所が娘。を解体するのに何のためらいも持ってはいないと言う
ことだ。今までの(姉さん以降の)脱退だって絶対に納得できないものばか
りだったけれど、ヲタはその度「未来」を信じて、無理矢理に、歯を食い
しばって自分を納得させてきたように思う。

しかし、今回の発表はその「未来」への希望も、想像さえも奪い取る死の
宣告だ。モーヲタと呼ばれる人達ならば分かっていると思う。なっちが、
辻ちゃんが、加護ちゃんが、娘。の根幹がこのように通り魔的に奪い去ら
れていくということが、何を意味するのかを。それは、残された娘。達も
同じように残酷に奪われていくと言うことなのだ。それは、今回と同じよ
うに乱暴な理屈を連れて突然に現れるだろう。

モーニング娘。とはシステムであり、ソロ養成機関であると言うのは、あ
まりに非人間的で不自然な理屈だ。それは、僕らが知っていたモーニング
娘。や、彼女達と過ごした幸福な時間からあまりに遠くかけ離れている。



どのメンバーを奪っていくかは、結局事務所の金勘定にかかっている。
「実力の評価による卒業」だなんて、これほど嘘臭い台詞は無いと思う。
圭ちゃんは未だに活躍の場も与えられていないんだ。事務所が必要として
いるのは、結局、辻加護と言う手早く稼げる強力なパブリックイメージだ
けであって、長期的なビジョンは相変わらず何一つ持ってはいないだろう。

なによりも、モーニング娘。という幸福な関係性の中から産まれた奇跡を
強引にパブリックイメージに落とし込んでしまうこと、それがどんなに取
り返しの付かない愚かなことか、それがどんなに決定的に娘。を損なって
しまうことか…。

目先のことばかり考えず、娘。達の未来を本気で考えて欲しい。脱退を卒
業と言い換えたり、嘘の言葉と嘘の笑顔でそれらを誤魔化すことは、もう
終わりにして欲しい。写真集などを含めたユニット、ソロでのアイテムの
乱発は、結局モーヲタと言うものを囲い込み、縮小していくことに他なら
ない。破綻は、既に目に見えているようなものじゃないか。

娘。達に本当に必要なのは長期的なはっきりとしたビジョンであり、この
ように、いつ誰がやめるのか分からない生殺しの状態を続けることは、誰
にとってもプラスにならない。このようなヲタ自身もついていけていない
狂気的サイクルに、一般層から誰が飛び込んでくると言うのか。

脱退と加入を繰り返し、パズルのように人員を配置するそのシステムは、
誰の眼から見てももはや決定的に破綻している。それはただ、全ての娘。
に関わる人達を不幸にしていく。



…ファンサイトが辻加護卒業企画をやるのも結構だろう。それは気持ちの
問題だから何も言わない。だけど、もし娘。のことを扱うテキストサイト
と言うものがあったとして、それがファンサイト的な、思考停止の応援状
態と一線を画すものであったなら、なぜ「こちら側」からの反動的な運動
がちっとも起こらないのだろう?僕は情けなくて、情けなくてしょうがない。

僕らが脱退の度いくら前向きになろうとも、理不尽に娘。を奪っていくシ
ステムはその度に強固さを増していくんだ。

全てを許し続け、娘。達を追い続け、いつか、自分の中で何かが死んでい
ることにヲタは気づくだろう。その頃には、モーニング娘。というものが
何であるのか、誰にも分からなくなっているかも知れない。

もしあなたがメンバーの脱退について某かの違和感や、やりきれない思い
や、絶望を感じているのなら、この場所を使って、今こそ、思いきり吐き
出して欲しい。署名だけにでも、参加して欲しい。



ヲタとして、モーニング娘。と相対するファンとして、自分の意志の表明だけは
しておいて欲しいのです。現状の分析で無く、詳細な未来の予想でも無く、
逃亡的な容認でも無く、現象論で無く、僕はただ、みんなの意志が知りたい。
本当に感じたことを知りたい。

もし世界を変えるものがあるとするなら、それは僕達の意志以外にはあり得
ない。それが、この現実世界でどんなにちっぽけで、現実的な力を持ち得な
いものだったとしても、僕達は言わなければならない。

終わりが近づいているんだ。

終わりが近づいているんだ。

Posted by うたか at 11:59 AM

December 22, 2003

閉ざされた世界で

僕は、ちょっとした付き合いで、最近娘。の応援団体というものに名
を連ねている。10代が中心の完全現場系の応援団体で、僕は多分その
中で最年長だ。参加していると言っても掲示板に書き込みをしている
だけで、実際に会ったことはない。2~3年前だったらそういう場所に
も平気で出かけていっただろうけど、もう僕はあまりヲタの友達と言
うものを必要としていない。僕はモーニング娘。と関わるということ
において、戦略的にはなれず、分析的にもなれない。オタク的にもな
れず、現場系と言う訳でも無い。ただ、非生産的に萌えを享受し、数
人の友人とそれを分かち合うだけだ。

世間から見れば、僕らのような振る舞い、娘。との付き合い方は陰気
で、理解し難いものに映るだろう。いや、ヲタの輪の中から見てもきっ
とそうに違いない。

そのように閉鎖された空間では、誰しもが自分を掘り下げる作業に取
り掛からざるを得ない。自分の眼が、耳が、感じとったもの。感じな
がら、言葉にならなかったもの。言えなかったもの。今までいい加減
に部屋の片隅に追いやっていたものを、1つ1つ片づけていく。そし
て整理すればする程、その先には自分と娘。しか居ないことが分かる。
世界は開かない。世界はただ閉じていく。

…友達のことを言えば、僕はそのような閉鎖された空間の中で、彼ら
一人ひとりに、類は、彼らと集まるその心地よい空間に、無意識に娘。
性のようなものを見出しているのかも知れない。

娘。は開かれ、そして分断された。
やはりあの幸福な時代はどうしたって忘れられないし、「どうして?」
と思う気持ちは今でも心の奥底に残っている。もちろん、現実は認識
している。回り出した車輪を止めることはできないし、川の流れを逆
に変えることもできない。いや、それより、むしろ萌えメンバーは増
えているし、現状に対してのフラストレーションは急激に軽減されて
いる。僕は多分、娘。に満ち足りている。

しかし、本当はあの頃とはなにかが違うこともわかっている。僕には
その「なにか」を言葉にすることはできない。その「なにか」は、僕
を更に閉ざされた場所へと導いていく。ハロプロ無人島妄想や、ハロ
プロ学園妄想。閉ざされた、僕と仲間達、そして娘。達だけしか居な
い場所へ。



そこはひどく心地よい。
そこには優しげな死の香りが、甘く、哀しく、いつまでも漂っている。

………僕にはなっち先生の弾くピアノが聞こえるんだ。生徒達は皆帰っ
てしまって、僕しかその演奏を聴くことはできない。僕は目を閉じて、
なっち先生の情感を、そのタッチから感じ取る。なっち先生が泣いて
いるのが分かる。先生は、何かを思い出している。先生は、その一音、
一音を惜しむように、慈しむように撫でていく。

僕は一人で泣いている。
なっち先生の悲しみは決して癒されることは無いし、先生はこれから
も自分を失いながら生きていくのだ。そして、先生にはそれが分かっ
ている。僕は、それを心の奥の方で感じることができた。僕は、音楽
室の扉を開けて先生に会いたかったが、なぜだかそれは、とてもいけ
ないことのような気がした。僕は、ドアを開けられなかった。そして、
遠ざかる先生の演奏を聴きながら、僕は階段を降りる。

そして、下駄箱の前で僕はふと気づく。
僕には帰るべき場所が無かったことに。

なっち先生のピアノが、今でも小さく僕の耳に聞こえる。
僕はふと、落ちていく陽に目を留める。



なっち先生はいつまでもそこに居る。
そして、僕は彼女にいつでも会いに行くことができる。



所属した応援団体から、あるメールが来た。
白いサイリウムと言う単語を見つけた瞬間に内容は分かった。

そして、僕はまた悲しくなった。おそらく彼らには悪気は無いだろう。
それは、彼らにとっては正しいことなのだ。なっちも、それを受け止
めるだろう。僕も、それを見て泣くだろう。…でも、僕はその場に入
っていくことはできない。

別れについて考えた時、僕はぎりぎりまで誠実でありたい。僕は、最
終的に、絶対にそれを認めることはできない。僕にはなっち先生のピ
アノが聞こえているし、その演奏に感じた、決して癒されることのな
い悲しみを自分の内にしまい込まなければならない。

でも、本当はそれだけではない。
娘。達は、閉ざされた幸せな少女達の空間は、それでも彼女を祝福す
るだろう。そこにあるのは善悪では無く、僕らを圧倒する、ただの風
景であるはずだ。光景であるはずだ。そして、僕らはおそらくその風
景に敗北するしか無い。

彼女達はその美しさによって、損なわれる。
彼女達の神々しい輝きは、暴力的な獣達にとってたまらなく美味な餌
なのだ。僕達は彼女達を損なわせたものが、この世界にあると言うこ
とを忘れてはならない。僕達が生きている、この血腥く醜い現実から
与えられたものであると言うことを忘れてはならない。

彼女がそれを、望んだ訳ではないんだ。
どうしてみんなそのことに平気なんだ? その瞬間の娘。達と建て前で
向かい合うことなんて、僕にはできない。

絶対的な恋愛は、いかなる狡猾な、残忍なシステムからも逃げうる筈
だ。僕達にできるのは、彼女の気持ちを信じること。そして、崖の縁
で、彼女の本当の気持ちを感じようとすることなんだ。


僕達がシステムに搦め捕られてしまったら、それは本当の終わりなん
だ。本当の、本当の終わりなんだ。

Posted by うたか at 09:30 PM

September 12, 2003

きりり

あなたは「きりり」のポスターを見たことがあるだろうか?
あなたがモーニング娘。が好きなら、このポスターのことを覚えているだろう。
白地で、娘。達がこちらにチューしてくれている、一度見たら忘れようもない
萌えインパクトを与えてくれるポスターだ。

僕は、いつものように酔いどれて酒屋に切れたビールを買いに行き、そこでこの
ポスターを見て、酔った勢いで「あの、剥がす時になったら、表のモーニング娘。
のポスターをくれませんか?」と言ったのだ。
そして数日後、僕は運の良いことにそのポスターを手に入れた。

上段になっち、りかっち、圭ちゃん。
下段に圭織、よっすぃー、ごっちん、まりっぺと並び、みんなで唇をとんがらかせている。

なっち、りかっち、まりっぺは目を開け、
圭ちゃん、圭織、よっすぃー、ごっちんは目を閉じている。

僕はこの七人の娘。のことをみんな美しいと思っているが、目を開けた娘。と
閉じた娘。の対照はとても面白い。りかっちのキュートは言うに及ばず、右下
のまりっぺのちょっと驚いたような表情が、まるで、陸上競技の幻の追い風参
考記録のように意表をついて美しく、そして、なっちがあえて我々から目を
反らしているのが、全体の美しさを却って際立たせている。

目を閉じたメンバーの不格好さがまた愛おしい。
普段あれだけの輝きを放つメンバーが、初めてキスをする女の子のように
ぎこちなく、こちらに無防備な表情を向けている。こちらで一番不格好なのは、
言うまでも無く圭ちゃんである。そして、僕は圭ちゃんのそんなところが大好きだ。

僕は部屋の模様替えを良くする方なのだけど、このポスターだけは本当に気に
入っているから、ずっと貼り続けたままで居る。


例えば好きなメンバーのことを考える時、反射的に部屋のポスターを見たり
するのは僕だけのことじゃないと思うのだけど、このポスターに対して、僕は
一つだけ不安を抱いている。

それは、加護ちゃんが居ないことであり、辻ちゃんが居ないことだ。

僕は、加護ちゃんのことを考える時、モニターから向かって左に首を曲げる。
それは、僕が無意識に娘。がそこに居ることを知っているからであり、無意
識に加護ちゃんがモーニング娘。だと思っているからだろう。

しかし、そこに加護ちゃんはなぜか居ない。
まりっぺの真っ直ぐな瞳と視線が合い(座っている位置から、ちょうどそうな
るのだ)、一瞬僕は不安になる。もしや、加護ちゃんは僕の知らない間にどこ
かに行ってしまったのかと。そして、そのまりっぺの真っ直ぐな瞳は、僕に
向かって何を訴えかけているのだろう、と。


…もちろんそれは一瞬の感覚の出来事であって、それはスケジュールだかなん
だかの関係で一緒に撮影できなかったんだよ。加護ちゃんも、辻ちゃんもちゃんと
モーニング娘。だ。みんな一緒にいるよ…ってことをちゃんと理解できる。

でも、感覚的なレベルで言えば、僕が「モーニング娘。とは何か」と言うことを
無意識の中で強固に意識していると言うことだし、その世界においてメンバーの
不在と言うのは、とんでもなく不安な状態なんだろう。

ポスターの中での娘。の不在は、僕には納得できる。
それにはちゃんとした現実的理由があり、それを僕は理性で掴み取ることができる。
自分の不安を納得させることができる。でも、僕はなっちの不在と言うのは、
なっちが居なくなるということはどういうことなのかが、全く分からない。


なっちが消えたら、それがポスターの中の出来事で無かったら。


…みんなそうだと思うけど、正直を言えば、あの時からもう全ては分からなかった。
でも、僕や、ある種の人々はそれなりに自分を納得させたと思うんだ。

僕なんかみたいにいい加減じゃなく、もう本当に必死で娘。達を愛してる人達が一杯居る。
本当に必死な人達の不安って、それこそ理性だけで抑え込めるものだけでは無くて、
みんなが、全てのヲタが「ザ☆ピ〜ス」に感じたような、圧倒的なポップによってしか
癒されないと思うんだ。みんな、そんな圧倒的なポップを信じて、無理矢理それを抑え
込んだと思うんだ。

そして、その無理矢理な納得は救われたかと言うと、僕は救われていないと思う。


だって、なっちの脱退なんて信じられる訳ないじゃないか。



僕は、圭ちゃんの脱退の時に本当に危機感を感じたんだ。

絶望は時間によって癒される。僕らは現実的にそんなに長く絶望している
訳にもいかない。いつかは、否が応にもそれを納得してしまうんだ。

そして、それは事務所の戦略なんだ。
ファンは、そういう生き物だって言うことを全て分かってやっているんだ。結局、
姉さん以降の脱退は根本的に事務所によってもたらされたものだし、それは全て
事務所の理屈なんだ。娘。の思いによるものでも無いし、ファンの思いを納得さ
せるものでもない。

そして、僕はそれを卒業と言う言葉によって美化し、つんく♂にあんなことを言わ
せて、日本では何年か前のそこらから流行った「プロデューサー」と言う名の下に
全てを請け負わせようとしている事務所に本当の怒りを感じる。プロデューサーっ
て言うのは、そういうものじゃない。それは、自分の行動に自分の責任を負うって
言う、本当にシンプルなことなんだ。

事務所に理由があるなら、それなりのきちんとしたものを示して欲しい。
小手先の、週間少年漫画の最終回みたいな無意味なポジティブ、まやかしなんかじゃ
なくて、ちゃんとしたことを、ちゃんとした言葉で喋って欲しい。社長の意向なら
社長が、会長の意向なら会長がきちんと喋るべきだ。僕は、つんく♂がこんな酷い
ことを繰り返すような人物にはどうしても思えない。それでなければ、あんな詞は
絶対に書けない。でっかい宇宙に愛があるなんて。



そして、僕のようなダメ人間のできることと言ったら、納得できないことに対して、
徹底的に反対することなんだろうと思う。違和感をそのままにしていてはダメなんだ。
かたちにして行かないと、ダメなんだ。メロンライブや野外ライブが一部の暴徒のグ
ラウンドになっているのも「かたち」だし、悪質な転売屋のせいで(しかもそいつは
自身でヲタを名乗っていると言う。糞だ)、熱心なファンが後ろの席に追いやられて
いるのも「かたち」だ。

ファンはその「かたち」を美しいものにしていかなくてはならないし、事務所によっ
てその「かたち」が歪められようとする時、破壊されようとしている時、それに反対
するべきだと思う。みんな、もっと自分の「娘。を好きだ!!!」と言う感情を信じるべ
きだし、発するべきだ。そこに渾沌が生まれる程、事務所はなっちという存在の本当
の重さを肌に染みる筈だ。

愛するものの不在に対して、もっと張りつめてみるべきじゃないのか。
少なくとも、それぞれの一日分の日記に対しては。自分が自由になれるフィールドでは。

Posted by うたか at 05:31 PM

August 18, 2003

友人の信念と僕の信念

ある友人と、このリンク(署名)集のことで話しあった。
彼はこのリンク集について、怒り、呆れているようだった。

彼の言う内容には、ちゃんと筋道が通っていた。

なぜ、言いたい事があるなら一人でやらないのか?
なっちが辞めなかったら、本当にそれで満足なのか?
あなた達がなっち以上に萌えてるメンバーが脱退する時、あなた達は
ずっとそのような運動を繰り返すつもりなのか?
ネガティブな方向へみんなを誘っても、何も解決はしないのではないか?
はっきりしたことが何一つ分かっていないのに事務所が全て悪いと言う
考えは、ただ仮想敵を自分で作っているだけではないのか?

自分たちがやっていることが及ぼす影響を全て考えた上で行動しているのか?
あなた達は過去の娘。達のかたちにこだわるあまり、今の娘。達の良い所を
見逃しているのではないか……?



僕は他者のマイナスな感情に対して、異常なほどの脅えを持っている。
頭に血が上り、身体が震え、会話のリズムについていけず、何から最初に
考えたら良いのか分からなくなる。だから、いつも以上に支離滅裂なこと
を書いてしまうかも知れない。でも、今ここで書いてしまわないと、僕は
きっとまた何も書けなくなる。だから、書く。

「ここで書いてしまわないと」と言うのは、もしかしたら彼に対する一つ
の答えになるかも知れない。僕は、圭ちゃんの時にも書こうと思って結局
書けなかった。感じたことのほぼ全ては、いつかは煩雑さと怠惰の間に埋もれてしまう。
僕は、今回だけはそれをどうしても避けたかった。普段、加護ちゃん、
よっすぃーばっかり連発している男がこんなことを言っても何も信じて
もらえないかも知れない。それに、自分でさえどうしてこういう気持ち
になるのかがわからない。感情的なレベルでしか、それを説明できないのだ。

「なっちが娘。なんだ」と感じていることの根拠を、僕は言葉で説明することができない。

僕はそのことについて、そのことを自分のフィールド外で、他者が集まる
場所で、もう一度確かめてみたかった。「なっちにやめて欲しくない」と
言うはっきりとした共通点の上で、他者の意見が聞きたかった。
これが、僕がリンク集に入った理由の一つ。

これはあやっぺの頃から思っていることなのだけど、脱退に対してなぜネガティブな
反応というものがあまり見受けられないのか…?ずっと不思議だった。
これは嘲笑されるべき言葉なのだろうけど、僕は僕のあるべき世界(=妄想)として、
みんなにそれを、もっと拒否して欲しかった。幼稚な感情を剥き出しにして欲しかった。

シンプルに、その声を、姿を奪われたことに対する悲しみを吐き出して欲しかった。

僕は、あった「事件」に対する感情をまず吐き出しきってしまわないと、その「事件」
について考える事もできないし、話し合うこともできない。僕は娘。について論理的
に考える事ができないのだ。感情的なレベルにおいてしか、それを考えることができない。

僕はアイドルとはアイドルのファンと言うのは究極的にはそういうものだと思っているし、
娘。達がいくら特殊だとは言え、そのフィールドから逃れられることはできないと思う。
そこに「萌え」が発生し、それに惹かれている以上、僕は感情的にならざるを得ない。

僕は、凡庸勝手極まりない消費者だ。そして、凡庸極まりない消費者を悲しませない
ような運営をするのが事務所の仕事だと思う。もしその「萌え」を否定するなら、
生写真を売る必要も無いし、そう言った気のある素振りは止めて欲しい。

そして、僕はこの事務所が、そういうファンの心情を理解しているものだとは
どうしても思えない。もし本当に理解してやっているのだとしたら、鬼だと思う。



「それ」は既に制度化され、一部の(どの位の人数がいるのか僕には分からない)
ファンはそれに慣れきって、祭りとしてさえ捉えているような気がする。それを
肌身に感じたのは僕自身、本当に萌えていた圭ちゃんの脱退だった。

「卒業」ってなんなんだ。娘。って言うのは卒業するものなのか。
そして、それはめでたいことなのか。みんな、本当にそういう風に感じているのか。
もしかしたら、この無意味な卒業はまた無意味なスパンで繰り返されるのではないか。
それは、みんなの望む事なのか。みんながモーニング娘。に求めていることは、
ポップ・グループとしての、表現としての熟成なのか。常に入れ替わるポップ・
グループとしての新しいかたちなのか。

僕は、どうしても。
どうしてもそのようには考えられない。

僕は幼稚園児のようになっち先生に「今までみたいに、みんなと一緒の幸せな姿を
見せてください」と、ねだることしかできない。今までの事務所サイドによる脱退
が、何のプラスになったのか僕には全く分からない。

少なくとも事実を言うならば、僕のバイト仲間や友達や、娘。達と関係無い人々は
一様にメンバーの増減に対して「なんだかなぁ…」と思っているようだ。僕はむし
ろ、そういう人達との方が感情を共有できたりする(僕が素晴らしいと思うZYXなど
については全く共感を得られないのも事実だが…)。



結局、娘。達は僕にとっての宗教なのかも知れないと思う。
メロディーと萌えを教義とした宗教。社会通念上の常識や善悪を飛び越えてもそれを
信じたいと思う気持ち。どう思われても、僕は突き詰めればそこに行かざるを得ない。
キショいと思われてもどうでもいい。

だから、僕は筋道だった論理に反論する事ができないのかも知れない。
議論にならないのかも知れない。僕は論理より、娘。達が与えてくれた物語を信じていたい。

そして、僕はそれを黙っているよりは、発する事の方が大事だと思っている。
それが、誰かにとってどんな醜いかたちに見えるにせよ。

作り笑いは本当に苦手なのだ。

Posted by うたか at 01:05 PM

August 15, 2003

なっち辞めないで!

生きているってくそったれなことだと思わない?
僕は何もしたくないし、何もされたくない。

最低限の権利を選び、最低限の義務と責任を果たしたい。
日本と言う国においては、多分、僕は最低の駄目人間だろう。
駄目人間は、広告と引き換えに様々な情報を享受する。
ゴミの中には、必要なものなんて殆ど無い。だけどある日、
僕らはモーニング娘。と言う情報を、ふと拾い上げた。
それに衝撃を受けた訳でも無く、それを役立てようと思った訳でも無く。

モーニング娘。は低俗なものであり、野蛮なものであり、
慰みものであり、そして、それは一過性のものである筈だった。
それは1998年の僕にとっての真実だった。

そして2003年の真実として、僕らは、モーニング娘。に心臓を貫かれ、
そこから身動き出来ないでいる。

モーニング娘。の歴史について、「推しメン」主観が入るのは間違いない。
またはサブカル的な視点や、音楽的な視点、ブロレス的な視点がその中心になったりする
のも当然なことだと思う。人の感じ方は人の数だけあるし、愛し方もまた同じだと思う。

でも、僕達はそれぞれの推しメンによって貫かれた胸の傷痕を眺める時、
その意味について考える時、無意識的に、最終的に、モーニング娘。とは何か
と言う命題に突き当たる筈だ。生理的な「好き嫌い」の背後にある大きな流れを
感じる筈だ。とても、とても大きな流れを。

そして、そこには間違いなく最初になっちの顔が浮かんだ筈だ。
娘。が何なのかと言うことを考える時、僕らの思考はそこで否応なくストップする。

僕は、それは思考の放棄では無いと思う。

僕は、それが答えなんだと思う。
なっちの存在が、僕らの伝えたい言葉なんだと。
僕らの心の中でかたちにならなかったものは、なっちとしてそこに存在しているのだと。


僕らの人生におけるある種の素晴らしさは、温かみは、存在によってしか伝えることが出来ない。
僕らはその欠片を言語によって修復していくことしか出来ない。


モーニング娘。は、萌えを超えた救済を与えてくれた。


なっちが、娘。なんだ。


楽に死ねる方法が有ったら、そのまま死にたい。

その訳が説明できないから苛々する。僕にはもう余裕が無い。
モーコーでPPPHなんてできないよ。

「ありがとう」も言いたくないし、「おめでとう」も言いたくない。
俺は、泣きながらこんなことしか言えない。

世界はファンとは無関係な方向に向かって流れていくんだろう。
何も変わらないかも知れないけど、嘘は言いたくない。

ずっと言えなかったけど、なっち、好きだ!


なっちのこと、大好きだ!!辞めないで!!

Posted by うたか at 10:56 PM