October 05, 2003

Caroline, No


 あの長い髪はどうしちゃったんだい?
 僕の知っていた女の子は、どこへ消えちゃったのかな?
 しあわせいっぱい輝いていたのに いったいどうなっちゃったの?

 ああ、キャロライン、こんなことってないよ
 きみをこんなにしてしまったのは誰?
 きみはいつか言っていたじゃないか
 私は絶対に変わらないって、でもそうじゃなかった

 ああ、キャロライン、きみは、僕の心を引き裂く
 僕はどこかに行ってしまって泣きたいよ
 あんなにも素晴らしかったのに
 何もかも駄目になっちゃうなんて
 あまりにもひどすぎるよ

 ああ、キャロライン、どうしてなの
 昔僕をあんなにも夢中にさせたもの
 もう一度きみの中に 見つけだせるんだろうか?
 消え去ってしまったものを
 僕らは再び取り戻すことができるだろうか?
 ああ、キャロライン、だめだよ
 

 「Caroline, No」 Written by Brian Wilson, Tony Asher (訳:中川五郎)
 

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なっちの脱退が、何を意味するのかなんて、分からない。

でも、それが「悲しい」事実であるのは、確かなんだ。

色々なところから聞こえてきた「おめでとう」の声。

僕にとっては、全然祝福すべきことじゃないよ。

変わり続けるって、そういうこと?

変わるってことは、「失う」っていうのと同じこと?

一度失われたものを取り戻すことって、出来ることなの?

ねぇ? 教えてよ! お願いだから!

Posted by あれっくす at 11:29 PM

September 11, 2003

悲しみの理由

「別れ」とは、お互いに、常に葛藤を導くものである。
 
「去る側」と「残る側」、お互いに、お互いのことを思って、様々な思いが交錯する。
 
それは、いつになっても、同じこと・・・・・・。
 
モーニング娘。、初の公式本「5+3-1」の冒頭、中澤裕子は、こう語っていた。
 
「私、ずーっといってましたもん、『辞めるのやめときや』って。4月18日になってもいっていたし、最後のコンサートが終わった後でも『マジで辞めんの? エエで、このままおっても』って。(中略)ほんま、あの日は来て欲しくなかった・・・・・・」
 
福田明日香の時代から、「残される側」の気持ちは、いつも、同じであるのだ。
 
このサイトにおいて、あいのロック氏が書いた文章の中(「オレたちの気持ち」)で「保田の時に、加護に十字架を背負わせた」と言う表現。
 
あの時、自分が加護の側に立っていたのは明白だ。
 
なぜなら、あの一言を聞いた途端、涙が頬を伝っていたから。
 
そして、「自分の気持ちを代弁してくれて、ありがとう」と言う感謝にも似た感情を、遠く離れたステージに立つ加護に対して抱いていた。
 
加護だけではない、保田に最後の言葉をかけようとして、ステージ上で崩れ落ちてしまった高橋。
 
あの高橋を見て、何も思わない、なんてことは出来るはずがない。
 
自分の心の奥底に、「別れとは、どんな形でも、悲しいんだ」という気持ちを、強く強く印象づけた出来事だったのかもしれない。
 
あくまで、勝手な推測だが、加護があの時「やめないで欲しい」と発した言葉は、加護自身の中でも、中澤、後藤、と2度の脱退劇を体験し、「3度目の正直」ともいえる「本心」だったのではないだろうか。
 
今まで、「旅立ち」の時は、自分の気持ちを押し殺してでも、祝福の言葉を送らなければいけない、という不文律が、メンバー間でもあったのかもしれない。
 
今まで、ラストのコンサートの時、あそこまで端的に「やめないで!」と言ったメンバーは、居なかったと思う。
 
しかし、2003年5月5日の加護は、自分の気持ちを保田に伝えることを優先した。
 
この時の加護の発言は、「場をわきまえていない」発言だったのだろうか?
 
せっかく「モーニング娘。を卒業できるようになた」保田に対しての「後ろ向きな発言」だっただろうか?
 
僕は、そうは思わない。
 
あの時、あの場所で、加護亜依という一人の少女が、自分の気持ちを、本当に素直に、本当に正直に伝えた、「心を打つ」場面だったと思う。
 
自分も加護と同じ気持ちであったから、余計にそう感じるのかも知れない。
 
そう考えると、自分の気持ちは、「去る側」でなく「残る側」の立場で、物事を考えているのだろう。
 
 
2002年夏、「仔犬ダンの物語」の記者発表があった時、時期が時期だっただけに、後藤の脱退に関する会見となった。
 
そこで、矢口真里は、「そんな日が、来て欲しくはないんですけど・・・・・・」と、目を真赤に腫らし、自分の気持ちを語っていた。
 
そして、小川麻琴は、溢れ出る涙を止めることが出来ず、自分の言葉をしっかりと口にすることが出来なかった。
 
冒頭で引用した、中澤の発言を繰り返すまでもなく、「残る側」の意識は、変わりがないのだろう。今から考えると、そう言った意識が、端的に表れた会見だったのかもしれない。
 
 
それは、今回の件に関しても、まったく同じように思える。
 
だから自分は、9月7日放送の「ハロー!モーニング」における、「卒業やめちゃえば」という飯田の発言に、激しく共感し、その話の流れで安倍が流した涙に、過剰なくらいに反応したのだろう。
 
冒頭で引用した、中澤の言葉と同じようなことを、(冗談めかして言ってはいたが)飯田は、安倍に面と向かって言っていた。
 
あの言葉は、果たして「冗談」なのか「本心」なのか。
 
それは、飯田本人にしかわからないことなのかもしれない。
 
しかし、中澤の発言を始めとして、加護、高橋の発言、矢口、小川の発言、そう言ったものを考えると、飯田圭織という「残される側」の人間からの「本心」だったと受け取るのが、自然だと思う。
 
たとえ、それが恣意的な解釈だとしても、自分には、あの言葉は、飯田の本心にしか、思えなかった。
 
そんな風に考えるのは、ファンの身勝手な思い入れなんだろうか?
 
そして、そんな言葉に同調する発言を繰り返すのは、「旅立つ安倍なつみ」へ向けての背徳なんだろうか?
 
あと半年後に迫っている「その日」へ向けて、自分がどのような感情をもって、毎日を過ごせばいいのか、全くわからないでいる。
 
ただ、悲観的になっても仕方ないし、あからさまに楽観的な態度を取るのも、自分の本心とは違う。
 
やはり、ただ、ただ、そのことを「事実」として受け入れるしかないのだろうか。
 
しかし、その「事実」が、自分にとって、どんな意味を持つのか?
 
 
答えなんか、簡単に見つけるワケないよ・・・・・・。

Posted by あれっくす at 11:37 PM