あの長い髪はどうしちゃったんだい?
僕の知っていた女の子は、どこへ消えちゃったのかな?
しあわせいっぱい輝いていたのに いったいどうなっちゃったの?
ああ、キャロライン、こんなことってないよ
きみをこんなにしてしまったのは誰?
きみはいつか言っていたじゃないか
私は絶対に変わらないって、でもそうじゃなかった
ああ、キャロライン、きみは、僕の心を引き裂く
僕はどこかに行ってしまって泣きたいよ
あんなにも素晴らしかったのに
何もかも駄目になっちゃうなんて
あまりにもひどすぎるよ
ああ、キャロライン、どうしてなの
昔僕をあんなにも夢中にさせたもの
もう一度きみの中に 見つけだせるんだろうか?
消え去ってしまったものを
僕らは再び取り戻すことができるだろうか?
ああ、キャロライン、だめだよ
「Caroline, No」 Written by Brian Wilson, Tony Asher (訳:中川五郎)
■□■□■□■□■□
なっちの脱退が、何を意味するのかなんて、分からない。
でも、それが「悲しい」事実であるのは、確かなんだ。
色々なところから聞こえてきた「おめでとう」の声。
僕にとっては、全然祝福すべきことじゃないよ。
変わり続けるって、そういうこと?
変わるってことは、「失う」っていうのと同じこと?
一度失われたものを取り戻すことって、出来ることなの?
ねぇ? 教えてよ! お願いだから!
「別れ」とは、お互いに、常に葛藤を導くものである。
「去る側」と「残る側」、お互いに、お互いのことを思って、様々な思いが交錯する。
それは、いつになっても、同じこと・・・・・・。
モーニング娘。、初の公式本「5+3-1」の冒頭、中澤裕子は、こう語っていた。
「私、ずーっといってましたもん、『辞めるのやめときや』って。4月18日になってもいっていたし、最後のコンサートが終わった後でも『マジで辞めんの? エエで、このままおっても』って。(中略)ほんま、あの日は来て欲しくなかった・・・・・・」
福田明日香の時代から、「残される側」の気持ちは、いつも、同じであるのだ。
このサイトにおいて、あいのロック氏が書いた文章の中(「オレたちの気持ち」)で「保田の時に、加護に十字架を背負わせた」と言う表現。
あの時、自分が加護の側に立っていたのは明白だ。
なぜなら、あの一言を聞いた途端、涙が頬を伝っていたから。
そして、「自分の気持ちを代弁してくれて、ありがとう」と言う感謝にも似た感情を、遠く離れたステージに立つ加護に対して抱いていた。
加護だけではない、保田に最後の言葉をかけようとして、ステージ上で崩れ落ちてしまった高橋。
あの高橋を見て、何も思わない、なんてことは出来るはずがない。
自分の心の奥底に、「別れとは、どんな形でも、悲しいんだ」という気持ちを、強く強く印象づけた出来事だったのかもしれない。
あくまで、勝手な推測だが、加護があの時「やめないで欲しい」と発した言葉は、加護自身の中でも、中澤、後藤、と2度の脱退劇を体験し、「3度目の正直」ともいえる「本心」だったのではないだろうか。
今まで、「旅立ち」の時は、自分の気持ちを押し殺してでも、祝福の言葉を送らなければいけない、という不文律が、メンバー間でもあったのかもしれない。
今まで、ラストのコンサートの時、あそこまで端的に「やめないで!」と言ったメンバーは、居なかったと思う。
しかし、2003年5月5日の加護は、自分の気持ちを保田に伝えることを優先した。
この時の加護の発言は、「場をわきまえていない」発言だったのだろうか?
せっかく「モーニング娘。を卒業できるようになた」保田に対しての「後ろ向きな発言」だっただろうか?
僕は、そうは思わない。
あの時、あの場所で、加護亜依という一人の少女が、自分の気持ちを、本当に素直に、本当に正直に伝えた、「心を打つ」場面だったと思う。
自分も加護と同じ気持ちであったから、余計にそう感じるのかも知れない。
そう考えると、自分の気持ちは、「去る側」でなく「残る側」の立場で、物事を考えているのだろう。
2002年夏、「仔犬ダンの物語」の記者発表があった時、時期が時期だっただけに、後藤の脱退に関する会見となった。
そこで、矢口真里は、「そんな日が、来て欲しくはないんですけど・・・・・・」と、目を真赤に腫らし、自分の気持ちを語っていた。
そして、小川麻琴は、溢れ出る涙を止めることが出来ず、自分の言葉をしっかりと口にすることが出来なかった。
冒頭で引用した、中澤の発言を繰り返すまでもなく、「残る側」の意識は、変わりがないのだろう。今から考えると、そう言った意識が、端的に表れた会見だったのかもしれない。
それは、今回の件に関しても、まったく同じように思える。
だから自分は、9月7日放送の「ハロー!モーニング」における、「卒業やめちゃえば」という飯田の発言に、激しく共感し、その話の流れで安倍が流した涙に、過剰なくらいに反応したのだろう。
冒頭で引用した、中澤の言葉と同じようなことを、(冗談めかして言ってはいたが)飯田は、安倍に面と向かって言っていた。
あの言葉は、果たして「冗談」なのか「本心」なのか。
それは、飯田本人にしかわからないことなのかもしれない。
しかし、中澤の発言を始めとして、加護、高橋の発言、矢口、小川の発言、そう言ったものを考えると、飯田圭織という「残される側」の人間からの「本心」だったと受け取るのが、自然だと思う。
たとえ、それが恣意的な解釈だとしても、自分には、あの言葉は、飯田の本心にしか、思えなかった。
そんな風に考えるのは、ファンの身勝手な思い入れなんだろうか?
そして、そんな言葉に同調する発言を繰り返すのは、「旅立つ安倍なつみ」へ向けての背徳なんだろうか?
あと半年後に迫っている「その日」へ向けて、自分がどのような感情をもって、毎日を過ごせばいいのか、全くわからないでいる。
ただ、悲観的になっても仕方ないし、あからさまに楽観的な態度を取るのも、自分の本心とは違う。
やはり、ただ、ただ、そのことを「事実」として受け入れるしかないのだろうか。
しかし、その「事実」が、自分にとって、どんな意味を持つのか?
答えなんか、簡単に見つけるワケないよ・・・・・・。