昭和32年
昭和32年 1月27日 神武以来の好景気
昭和32年 1月27日   池袋公共職業安定所の十九日の集計を見ると中卒の求職者は男千七百二名、女千七百廿六名で、計三千四百廿八名。これに対して求人は男二千二百九十七名、女千八百四十一名の計四千百卅八名で、この求職に対する求人の割合は、男一三四・五%、女一〇七・五%、平均で一二〇・五%と上回り、二月一日から十六日、十七日から廿八日と二期に分かれて行われる求人開拓の結果を含めると、開所以来のトビ抜けた数字になりそうだ。
昭和32年 2月10日 待望の区立図書館
昭和32年 2月10日   東京二十三区を見渡したところ、区立の図書館をもっていない区は豊島区を合わせて四区。豊島区の場合は、振興会館の二階にかろうじて一室を確保して図書室という名で開かれてはいるものの、わずか八百二十冊の本で、三十人も入れば満員になってしまう。こうしたことから各方面で図書館建設の声が上がっていた。これについて区議会と豊島公会堂、振興会館運営委員会において検討した結果、賛否両論はあるが、振興会館の三階に区立図書館を設けようという案が出され、昭和卅二年度の当初予算に実現するのではないかと注目されている。
昭和32年 2月16日 豊島子供銀行大会
昭和32年 2月16日   貯蓄奨励の精神運動として、昭和十五年から子供銀行(郵便局)が各学校、各地域団体を単位につくられている。現在、豊島区では二十三団体(会員一万人)で、貯金高も千二百万円に達し、都内では最高の成績を上げている。このため区では「子ども銀行大会」を開いて、全校に奨励賞を贈り、さらにいっそうの努力を求めることにした。
昭和32年 3月10日 赤痢昨年の三倍
昭和32年 3月10日   今年は伝染病が昨年よりも多く憂慮されている。池袋保健所館内の昨年同期との比較で、赤痢は二十六件で三倍に、ジフテリアは十二件で二倍、腸チフス二件、それに流行性脳脊髄膜炎がすでに一人出ている。
昭和32年 3月17日 愛の一針一針
昭和32年 3月17日  区内被保護家庭の入学児に贈る学童服が区営授産場でつくられている。可愛いセーラー服、学童服約三百五十着分が、十人のお母さんの手で次々と裁断され、ミシンで縫われていく。貧しい子どもたちのためにと思えば「仕事の疲れも苦になりません」とお母さんたちは言う。
昭和32年 6月2日 作家と古老が昔を偲ぶ
昭和32年 6月2日   本紙と区役所が共催する「豊島の歴史を語る」座談会で。秋田雨雀氏「その昔、泉鏡花や夏目漱石と故人の墓をたずね、緑をたずねて池袋から雑司が谷あたりをさまよい歩いてが、それら多くの人は、今はたずねられる墓の下に眠っている」と感無りょうな語りぶり。三角寛氏は「敗戦後日本人の心をよみがえらせるために人生坐をたて、巣鴨プリズンの星条旗に肩をならべて日の丸の旗をたてた。その旗竿は長いのがなくて、わざわざ大菩薩峠からきってきたものだった」と。
昭和32年 6月16日 春の六大学野球で立教大学が優勝
昭和32年 6月16日   十日午後五時半、選手一同は天皇杯を手に豊島公会堂前に到着。六時沿道の歓呼の中を学校へ。本屋敷キャプテンの顔も、長島も、杉浦もみんな感激を内にひめて涙をこらえているようだ。夜は一万人の提灯行列が立大正門から池袋西口の商店街を通って要町から長崎の合宿へ。
昭和32年 7月21日 自殺者が急増
昭和32年 7月21日  今年に入って自殺者がめっきり増えた。しかもその八割が池袋西口で起きている。豊島消防署の救急車の出動記録で見ると一か月百余件の出動のうち自殺者は二十回を下らないから五回に一回は自殺とみていい。これは表面に現れた騒ぎだが、家庭内で起こったものは家人によってかくされてしまうから実数は月に三十件を下らないと見ている。年齢は二十代から三十代が一番多く、半数は女性で、ほとんどが薬物自殺。原因については遺書もなく不明だが、家族から離れて生活している旅館や下宿先に多いことから、生活苦によるものと見られる。
昭和32年 8月25日 要町に少年窃盗団
昭和32年 8月25日   区立小中学校生九人組の窃盗団が十九日、目白警察に補導された。調べによると、区内要町二丁目在住の千川中学校二年生某(13)をリーダーとする平和小学校二年生から五年生の九人組で、七月の夏休みに入ってから前後六回にわたり「さつまや綜合食品市場」から缶詰、西瓜など十数品を窃取、十九日には、同市場内の川添乾物店に忍び込み、現金千円を盗み、山分けしたというもの。
昭和32年 8月25日 雑司が谷公園夜の立ち入り禁止
昭和32年 8月25日   夜の雑司が谷公園では、売春行為が半ば公然と行われており、地元で大きな問題となっている。加えて浮浪者が集団で寝泊りするなど、街の秩序は全く破壊されるに至り、ついに地元は「もうこれ以上我慢ができない」と自衛手段として夜の公園の出入を禁止しようという動きも出て、問題を投げかけている。
昭和32年 9月8日 松下立大総長の都知事選出馬で波乱 
昭和32年 9月8日   次期東京都知事の後任問題で悩んでいる自民党は最近、安井現都知事の談話として立教大学総長松下正寿氏の候補推薦を発表した。先に、現代議士中村梅吉氏の都知事候補を岸首相が独断で発表し、当の梅吉氏を驚かせたのもつかの間の話。革新派連合の有田八郎候補の対抗に苦肉の策、と話題を呼んでいる。この問題について立大教授会、同窓会、評議員らから「知事候補を辞退して母校再建に尽力されたい」と言う意見が強く、これらの意見をいれて松下総長は正式に知事候補辞退を表明した。
昭和32年 9月15日 池袋に天然温泉
昭和32年 9月15日  池袋東口の映画館街に区内では初の鉄筋四階立ての天然温泉場ができることになった。この天然温泉の場所は、池袋東口日活映画劇場の裏で、一昨年九月に日本温泉株式会社の手で試掘が行われ、地下千二百bまでボーリングしたところで三十度の天然温泉が噴出した。この温度は、温泉法による温度二十五度を上回り、相当有効成分をふくんでいるという。
昭和32年 9月22日 池袋西口二十七戸に除去命令
昭和32年 9月22日   池袋西口の区画整理地の区画整理は東口に比べて遅々として進まず、依然としてブラック・マーケットが建ち並び、暴力の町の汚名をかぶせられているが、第四区画整理事務所ではいよいよ五年越しの懸案に取り掛かろうと、東横前の二十七戸に今月二十六日までの期限つきで「自発的に」立ち退くよう、最終警告を発した。
昭和32年 10月27日 国鉄池袋駅の乗降客、日曜日は40万人
昭和32年 10月27日  城北の関門池袋駅周辺の発展とともに、国鉄の乗降客の数もうなぎのぼり。そこえ最近のデパートラッシュとあわせて空前の人出。五年前に比べて約倍の一日平均三十八万人という驚くべき数字になった。
昭和32年 11月24日 銅がざくざく
昭和32年 11月24日  二十日の昼下がり、池袋西口バス通りの中垣写真館前の街路灯工事をしていた人夫が“銅の山”を掘り当てた。ここは戦時中に防空壕があったところで、掘り出してみるとリヤカーに三台分で、時価五千円。誰が埋めたのかわからず、人夫の焼酎代でケリがついた。