昭和33年
昭和33年 1月12日 入学試験のはしり
昭和33年 1月12日   入学試験のハシリともいえる立教小学校の入学考査が松もとれぬ七日、同校で行われた。今年は定員八十人のところ百九十三人の希望。校門前には自家用車がズラリと並んで一般には縁の遠い風景。子どもより付き添いの親の方がソワソワ。「落ち着いてやるんですよ」と子どもを激励していた。
昭和33年 1月12日 暖冬異変に頭を抱える業者 
昭和33年 1月12日   暖冬異変が続いているため、年末年始の景気をよそに頭を抱えている業者が多い。去る六日、池袋の白雲閣で開かれた豊島燃料商組合の新年会もまるでお通夜のよう。組合の話では、近く倒産するものも出るのではないか、と心配している。
昭和33年 1月26日 開会時間守れ
昭和33年 1月26日  豊島区婦人団体協議会(武部りつ会長)から区議会宛に「区議会の開会を一般区民が傍聴できるような時間にしてほしい」旨の要望書が提出された。区議会は通常午前十時から全員協議会を、午後一時から本会議を開催することになっている。ところが実際はこの時間に開会されたことはほとんどなく、早くても午後四時、人事問題などでこじれると夜半の十二時寸前の開会と言うこともある。三年前の本会議では、深夜の議会が祟り、加藤議員が軽い狭心症を起こして倒れたり、新聞記者が取材後の深夜に自動車にハネられて死亡するという事件がおきている。
昭和33年 2月2日 自転車荷車税の廃止を
昭和33年 2月2日   昭和三十三年度国家予算は、地方税の減税として、市区町村の自転車荷車税の廃止を考えている。豊島区の場合は約三万台の自転車、リヤカー、荷車などが減税になり、その額は約七百万円に上るのではないかと考えられている。この減税分に対して都は、煙草の消費税を二十三区に交付金としておろすことで解決しようとしている。
昭和33年 2月16日 豊島子供銀行大会
昭和33年 2月16日   貯蓄奨励の精神運動として昭和十五年から子供銀行(郵便局)が各校、各地域団体を単位に設立されている。現在二十三団体(会員一万人)で、貯金高は千二百万円に達し、都内では最高の成績をあげている。このため区では二十二日、豊島公会堂で「子供銀行大会」を開いて、全校に奨励賞を贈り、さらに一層の努力を求めることにした。
昭和33年 2月23日 小りす保育園閉鎖
昭和33年 2月23日   池袋西口にある「小りす保育園」がこの三月で閉鎖することになった。その理由は毎月の赤字がかさみ、資金難で経営ができなくなったという。しかし、同園には親が働いていて日中家にいられない子どもが六十人もいる。園長もこの問題で悩んでいる。相談を受けた豊島福祉事務所では、事態を重視し、保育園の園長と打開策について相談した結果、都融資委員会から五十万円の融資を受けて設備を改善し、収容人員を五十人に減らして継続することを決めた。
昭和33年 3月2日 宇宙時代の新しい衣料
昭和33年 3月2日   宇宙時代の衣料品として注目を浴びているナイロン(東レ)の宣伝売り出しが、西武百貨店で行われている。このナイロンは、強い、軽い、弾力性がある、吸湿性が少ない、虫がつかない、染色しやすいなどの特徴がある。
昭和33年 4月27日 「勤務評定」反対で
昭和33年 4月27日   東京都の教育委員会と勤務評定をめぐって闘争をつづけてきた都教職員組合は、交渉決裂となった現在、二十三日には全学校の教師側の一斉休暇戦術を取る公算が大きくなった。豊島区教育委員会では、この勤務評定問題は、単なる教職員だけの問題ではなく、教育を逆もどりさせ、日本の教育の将来を大きくあやまらせるものとして「教育者の良心にかけて阻止する」と連日街頭に立ち、各家庭を回り、会合をもって父兄に訴えている。豊島区教職員組合は、二十三日に一斉休暇を決行。午前八時半から、長崎小学校体育館に千二百人の教師が集まり、勤務評定
昭和33年 5月4日 「踊るお母さん」たち
昭和33年 5月4日   五月二十四日から神宮の体育館で開かれるアジア大会に、豊島区婦人団体協議会(武部りつ会長)から二百二十人のお母さんたちが、他区のお母さん約二千人に交じって民謡踊りを披露することになり、その結団式が雑司が谷公園で行われた。この大会のために揃えた浴衣を着ての結団式は、平均年齢四十歳とは思えない華やかな結団式となった。
昭和33年 5月25日 区立図書館オープン
昭和33年 5月25日 振興会館三階の区立図書館が六月一日にオープンする。区内に学校図書館は多くあるが、一般向きの図書館は初めてのもので、木村区長の悲願だった。この図書館建設にあたっては、区議会から次期尚早の手強い反対があった。
昭和33年 6月1日 親の無理解で不就学
昭和33年 6月1日  青少年問題協議会は、区立小中学校の長期欠席児童(五十日以上)の調査を行い、その結果を発表した。小学校の長欠不就学児童は百九十二人。その内容は病欠が百五十七人、経済的な理由が四人、親の無理解が十一人、その他が二十人。特に親の無理解には「宗教上の迷信にこって通学させない」、「貰い子したのは働かせるのが目的なので通学させない」というもの。 中学生では、十三校で百二十六人。原因は病気が三十九人、経済上の理由が四十二人、親の無理解が二十九人、その他が十六人。この調査の結果、家庭を訪問して指導することになった。親の
昭和33年 6月1日 暗渠工事で井戸が枯れる
昭和33年 6月1日   昨年九月から施工されている豊島区の西端・千川上水の暗渠工事は、同地域の発展を約束するものとして書く方面から期待を集めているが、この暗渠工事が進むにつれて、付近の井戸水が次々に枯れ、特に水道もなく、井戸水だけに頼っている千早町四丁目一帯の四百戸は、洗濯物はおろか飲料水にも事欠く深刻な水飢饉に陥った。たまりかねた町会代表は二十八日、区及び水道局に、早急に事態を解決するように要望した。区側は、施工前に「同地域の井戸には大な支障なし」と結論して行っただけに意外な表情を示し、場合によっては給水車の出動も考慮しな
昭和33年 7月20日 赤痢、雑司が谷で猛威
昭和33年 7月20日   池袋保健所管内の赤痢の発生は、昨年同期の三割も増加、七月十四日現在百六十三人に達している。特に多く出ている地域は雑司が谷四丁目を中心とした目白、高田本町方面で、この地域では五月以降爆発的に発生し、周囲一キロ以内に二十名も続発している。このため池袋保健所では雑司が谷四丁目約千世帯に対し、八月上旬、伝染病予防法に基く臨時清掃を実施することになり、同地域住民の協力を求め、徹底的な殺虫、消毒を行うことになった。
昭和33年 7月27日 池袋観光協会生れる
昭和33年 7月27日   池袋観光協会が二十六日、区の振興会館で創立総会を開いた。この観光協会は三年前から池袋東口「時習堂」小島宗三郎氏らが発起人となって進めていたもので、創立総会には発起人として恩田初太郎、熊沢伊三郎、佐藤悌次郎、岩崎賢吉、大曽根_治、勝山好象らの名前を連ね、会長には徳川義親氏を推している。
昭和33年 8月10日 中学校の修学旅行不参加百余名
昭和33年 8月10日  今年度の中学校修学旅行調査がまとまった。これによると、区立中学校三年生生徒五千二百二十四人中、不参加は一割弱の四百五十八人。その理由は、健康上が半数の二百三十四人。経済上の理由が百三人となっている。池袋日雇労働組合では、修学旅行に経済的な理由で百三人の不参加者を出していることは「教育上悪い影響を与える」として、要保護家庭の生徒に対し、区で旅費補助をするように運動している。
昭和33年 9月7日 町会連合会結成
昭和33年 9月7日  豊島区町会連合の結成式が九月四日、豊島区振興会館で行われた。この町会連合会は、昨年来話があり、今年一月から準備委員会がもたれていたが、衆議院議員選挙などで遅れていた。この日は、議長団を選び、規約、年度計画などを協議。つづいて行われた役員選挙で、大曽根_治氏を選出した。
昭和33年 9月21日 悪質化する少年非行
昭和33年 9月21日  七月二十一日から八月三十一日までの四十日間にわたる青少年の一斉補導月間中に池袋警察署では、六百二十八人の青少年を補導、百六人を検挙した。これは、五月に行われた青少年保護育成期間中よりも三割以上も増えた補導・検挙数で、特に恐喝での検挙は三十九人(昨年同期十人)と、その実体も非常に悪質化しており、池袋警察署少年係では父兄の十分な監視と、愛情を望んでいる。
昭和33年 10月6日 台風22号で、七千戸が水浸し。
昭和33年 10月6日  室戸台風に匹敵し、戦後最大という前触れでやって来た台風二十二号は、東京の真上を時速六〇`のスピードで通過、四百_の豪雨を置土産にして去った。このため池袋六丁目の谷端川の護岸が約五〇bにわたって決壊。また、学習院の崖が崩れて土砂や根こそぎもぎ取られた樹木などが流れ出し、高田中学校の校庭を被ってしまった。この台風で区内の家屋約七千戸が浸水した。区の土木課はこうした事態によく対処し、三警察署、消防署と協力、大災害にもかかわらず区民から一人のけが人も出さなかった。豊島区議会では、災害対策委員会を設け、本部長に区長、委員長に議長をすえ、災害全般についての対策を協議、まず床上浸水の罹災者に対して金五百円、床下浸水には見舞いとしてタオル二本を給付することを決めた。またこの浸水地区に対してはただちに伝染病の発生が予想されるので、消毒液の配給を決定した。
昭和33年 10月26日 お母さんの芸能祭
昭和33年 10月26日  「今年で五回目、私たちの力でもうすぐ託児所が出来る」。豊島区婦人団体協議会(武部りつ会長、会員二万人)のお母さんたちが二十三日、婦人芸能コンクールをひらいた。毎年秋に行われるこの芸能祭の純益金を積み立てて、母子家庭のために託児所をつくろうという。この婦人団体協議会の悲願も五年目にして、ようやく先が見えてきた。
昭和33年 11月2日 巣鴨地蔵通りに都知事賞
昭和33年 11月2日  豊島区から四商店街・六十四店が応募した東京都商店コンクールは、十月三十日に産業会館で最終審査が行われ、巣鴨地蔵通り商業協同組合が最高賞の東京都知事賞を受賞した。
昭和33年 12月14日 純喫茶組合に「愛の鐘」
昭和33年 12月14日  豊島区純喫茶組合(矢島博文会長、加盟三十三店)は総会でこの十五日から加盟店が一斉に「愛の鐘協力店」として発足することを申し合わせた。協力店は、池袋母性協会(菱さのいさん)が十一月末から始めた母親パトロールに協力することに。また、冬休みの終わる一月十日までは午後十時を期して店内に「愛の鐘」の鳴る時間であることを知らせるなど申し合わせた。
昭和33年 12月21日 長身細胸型が多い
昭和33年 12月21日  今年の豊島区小学校児童身体状況調査が、小学校学校保健部の手によってこのほどまとまった。それによれば、当区の小学校児童の体格は全国平均よりも、また東京都平均よりもやや水準は上まわっているがいわゆる長身細胸型の多い、都会型という事で、案外キャシャな身体が多いようだ。