昭和35年
昭和35年 1月31日 要町バタ屋部落の火事
昭和35年 1月31日  二十六日の午後七時頃、要町三の三三の通称「バタや部落」仕切屋伊藤正次さん(52)方から出火、三十四世帯約五〇〇平方bを全焼。焼け出された被災者のほとんどは身寄りもないため、区と社会福祉協議会は直ちに毛布や見舞金を贈るなど、救援活動を行った。
昭和35年 2月21日 図書館に長蛇の列
昭和35年 2月21日  入学試験シーズンを迎え、豊島区立図書館は連日押すな押すなの盛況で、開館は九時というのに早朝の七時頃から並びはじめ、八時には延々長蛇の列をなし、二百五十六席の奪い合いになっている。
昭和35年 3月27日 禁酒同盟が誕生
昭和35年 3月27日  日本禁酒同盟豊島支部の結成総会が二十五日、豊島振興会館で行われた。最近特に池袋の盛り場に飲食店が増えるに従って悪質な酔っ払いが横行し、善良な通行人にからんだり、犯罪の原因になったりしている。これを見て区内の有志が禁酒を誓って池袋の街を明るくしようと起ち上がった。支部長には目白の大野徹氏、副支部長には巣鴨の杉浦喜三郎氏、長崎の楠窪六郎氏が就任した。
昭和35年 4月26日 箒を持ってデモ
昭和35年 4月26日  街をきれいにしようと、豊島区婦人団体協議会のお母さん約百人が、池袋の盛り場で箒を持ってデモ行進を行った。これは街の美化運動の一つ。午前十時に公会堂前へ集合。プラカードや箒、さらには道に落ちているごみを入れる道徳袋を手に、割烹着姿のお母さんたちが池袋東口から西口へデモ行進。歩行者に街の美化を呼びかけた。
昭和35年 6月5日 姿消す千川の桜並木
昭和35年 6月5日  桜の名所として知られている千川の桜並木が近く姿を消すことになりそうだ。この桜並木は、交通量が多いため道路の痛みが激しく、かって地域住民から「震動と砂塵で苦しめられているから至急舗装にしてほしい」と署名陳情が出されたほどだった。区ではこの地元の要望に応えて東京都と折衝した結果、同道路を舗装することになったが、都側ではこの道路を都市計画道路として一挙に完成させたい意向から、先に暗渠にした千川の上も同時に舗装にする計画を立てたため、どうしても邪魔になる桜並木を伐採する必要が生じてきた。 現在区側から地元住民の意見を聞いているが、住民の中には桜並木を保存しようという意見も強く、最終決定までには時間がかかりそう。
昭和35年 6月26日 廃品回収で御神輿
昭和35年 6月26日  九月の祭礼を控えて、廃品回収で子ども神輿つくろうという計画が日出町二丁目文化会(会長金谷勇氏)の婦人部で進められている。 この町内は、大鳥神社の氏子で毎年九月に祭礼を行うが、中学生程度の神輿が一つあるだけで、小学生はいつも太鼓の曳き役。このため小学生向きの子ども神輿を購入しようという計画がもちあがり、婦人部が廃品回収で資金を集めることになった。
昭和35年 7月3日 池袋マンモスプール
昭和35年 7月3日  本格的な夏を迎えようとしている一日、池袋スケートセンターのインドアマンモスプールがオープンした。このプールは、今までのスケート場そのままをプールに改装したもので、長さ七二b、幅三六bの大きさ。水深は一・二b、水温調節、完全浄化、ロッカーなども完備している。 プールの真中には南国情緒豊かな浮島があり、ヤシの木や熱帯の花が植えられ、プールサイトにはデッキチェア―なども置かれている。さらにこの島では、ハワイアンバンド演奏が行われ、泳げない人でも水着を着てバンド演奏を楽しむことができる。
昭和35年 7月10日 無縁故者の墓
昭和35年 7月10日  豊島区内で自殺したり、行路病死したとかで身元引受人のいない無縁仏の墓が雑司が谷の法明寺にある。七年前に区費によって建てられ、戦後から現在まで百十一体の遺骨が埋葬されている。その中に多くの若い男女がはいっているのが哀れだ。 区内で自殺や行路病死すると区に照会され、身元を捜し、不明の場合は区が火葬にふして、ここに埋葬。官報で公示する。 先日は、二十一歳の女性が池袋の旅館で自殺、身元不明のまま埋葬されたが、後日、四国にいる家族が上京し、涙ながらに区の丁重な扱いに感謝し、遺骨を引き取って帰った。
昭和35年 7月17日 豊島消防署が2分割
昭和35年 7月17日  八月一日から豊島消防署が二分割される。国電山手線と赤羽線で東西を真二つに分断し、現在の豊島消防署が東側を、池袋消防署を本署に昇格させて西側一体をそれぞれ行政区域にしようというもの。豊島消防署傘下には巣鴨、高田出張所、池袋消防署には長崎出張所と明年要町方面に出張所を増設して、両消防署の消防力の均衡を保つことになっている。
昭和35年 7月24日 総合庁舎着工
昭和35年 7月24日  豊島区総合庁舎起工式が七月二十三日午前十時から、池袋東口の旧庁舎あとの建設地で、区内各界の名士多数が参列して行われ、木村区長、山下区議会議長、大成建設の宮原専務の三氏が鍬入れを行った。 豊島区の総合庁舎は、旧庁舎が終戦後の建築物で、維持修繕費に要する費用が年々かさみ、三年前から年度継続事業として二十三区特別区区営競馬の収益金を庁舎建設費として積み立て、昨年四月に地鎮祭を行い、本年度予算で実質的な予算を上程して五月に仮庁舎を雑司が谷公園に立てて旧庁舎を壊した。十一の業者による入札の結果、大成建設が落札し、着工した。工期は一年。
昭和35年 8月7日 ハエや蚊の根絶へ
昭和35年 8月7日 池袋五丁目町会(関根幸之助会長)は、かねてから夏の衛生運動に力を入れてきたが、近く区内の町会では初めての動力噴霧器を購入し、害虫駆除を徹底的に行うことになった。この噴霧器の購入費は八万二千円で、町会費から支出さらる。これによって従来人夫を雇って月二回程巡回していたものが、数倍の機動力を発揮することになり、町内からハエや蚊が一掃される日も近いと、同町では期待している。
昭和35年 8月14日 浴槽で海水浴
昭和35年 8月14日  夏休みというのに海にも山にも行けない子供たちのために、風変わりな浴場での“海水浴”が八月二日、高田南町のお風呂屋さん三軒で行われた。この海水浴を考えたのは目白母の会高南支部(星野スヰ支部長)のお母さんたち。高田南町一丁目から三丁目までの子ども約二百五十人が参加した。 付添いのお母さんはシミーズ、子どもたちはパンツというスタイル。支部長の星野さんから入浴のエチケットを聞いた後、プールならぬ浴槽に飛び込んでバチャバチャ思う存分楽しんだ。
昭和35年 8月28日 少年野球連盟結成へ
昭和35年 8月28日  最近、少年の間に野球熱が高まり、盛んに対抗試合を行っている。この少年野球チームを一つに統合して「豊島区少年野球連盟」を結成しようという計画が区体育協会を中心に進められている。
昭和35年 8月28日 豊竹保育園に暖かい援助
昭和35年 8月28日   お母さんたちだけの力で建てられた豊島区婦人団体協議会(武部りつ会長)の乳児施設「豊竹保育園」は九月七日の落成を前に、内部工事を急いでいる。この乳児施設に各方面から暖かい寄付金が寄せられ、協議会のお母さんたちを感激させている。
昭和35年 9月4日 危ないパチンコ遊び
昭和35年 9月4日  最近、区内の住宅街で子どもたちのパチンコ遊びが流行し、民家の窓ガラスが割られたり、人が負傷するなどの被害が出ている。このパチンコ遊びは、ゴムの弾力を利用してビー玉を飛ばすもので、力も強く、破壊力もある。子どもたちは、雀などを落とすために使っているが、時おり玉が民家に入てしまう。 被害者の千川二丁目の志村三郎さんは「子どもらは、ガラスを割るとすぐ逃げてしまうので、注意することが出来ない。学校でこんな危険な遊びはしないように、注意してほしい」と訴えている。
昭和35年 9月25日 結核地区の汚名返上
昭和35年 9月25日  都内で人口密度が二番目という長崎保健所管内(要町、千早町、千川、高松、長崎、椎名町)は伝染性疾患も多く、特に結核の場合は、人口十万人に対して年間五百から六百人の都平均を遥かに上回る新患者を出している。これは医師から届出があった数字で、潜在患者を含めると更に増加する。 長崎保健所では、この汚名を返上するため、九月十九日から十月三十一日まで、豊島区医師会の協力で住民検査を実施。検査を受けた人は家庭の主婦が多く、十九、二十の二日間だけで昨年の倍の五百六十二に達した。
昭和35年 10月2日 生徒の失明事件
昭和35年 10月2日  九月三十日に開かれた豊島区議会全員協議会で、加藤太一、服部スエミ、的場茂の各議員から、学校の秘密性に鋭い追及が行われた。直接の原因となったのは、区立某中学校における集団不良事件で、女子生徒が失明。ついに警察の立ち入り調査となり、父兄は不安にかられ、生徒はおちついて勉強ができないという。加藤議員はこの問題で教育長の見解をただしたところ、斎藤教育長は「学校側から何の報告もない、至急調査する」と回答したことから、学校の秘密性と指導制に強い批判が出た。
昭和35年 10月9日 失明事件は誤解
昭和35年 10月9日  九月三十日の区議会全員協議会で加藤議員から某中学校の「失明事件」についての質問に対して、斎藤教育長は「報告を受けていない」と回答したため、学校の秘密性などに強い批判が起きていたが、この事件を抱えていた千川中学校のPTA(服部信輝会長)では、加藤議員の発言を重視し「著しく事実がゆがめられている」として十月七日、加藤議員、斎藤教育長、竹内豊島新聞社長らを千川中学校に招いて真相を話した。その結果、千川中学校の事故は過失事故で、集団不良事件とは関係がなく、警察の立ち入りもなかった。学校側が事故後、教育委員会に適切な報告書を提出し、その指示に従っているなどの事実が明らかになった。
昭和35年 10月16日 乳児の天国
昭和35年 10月16日  豊島区婦人団体協議会経営の「豊竹保育園」(武部りつ園長)が十日から正式に開園した。定員二十五人を遥かにオーバーする申込み。いざ保育となると泣き出す児も多く、保母さんの苦労は予想以上。日当りの良い部屋に、各方面から寄贈されたたくさんのオモチャがありここだけは「幼児天国」のよう。
昭和35年 11月20日 早く自由通行を
昭和35年 11月20日  池袋駅の東西を結ぶ中央地下道は、十月一日に開通。さらに十一月六日には西口からも地下鉄に乗車できるようになったが、肝心の東西を自由に通行できるのはまだ先のこと。このため地下鉄西口乗り入れ促進期成同盟(山田西男委員長)では「現在でも自由通行できるのになぜ通せんぼするのか」と、近く大々的な自由通行署名運動を展開する。 この中央地下道は、地下鉄西口乗り入れとともに、池袋東西間の交流を円滑にするため、西武、地下鉄、国鉄、東横、東武が共同出資して着工した総工費約十億円にも達する大事業。九月末に地下一階、十一月初旬に二階の地下鉄ホームが完成、池袋構内を一変させる。
昭和35年 11月27日 待望の暗渠工事
昭和35年 11月27日 長崎二丁目と三丁目の中央部を東西に流れる下水道は、悪臭がひどく、更に道路際にあるため、子どもが落ちるなど、地元の人から多くの苦情が寄せられている。区の強い要請を受けて都は近く、この下水道の暗渠工事を施工することになった。現在、委託設計により「日本水道」が具体的な調査を行っているが、都水道局では、工事に着手するのは来年度になるという。