昭和36年
昭和36年 2月5日 池袋西口マーケット
昭和36年 2月5日  大きな社会問題として全国に注視されている池袋西口マーケット五百九戸が時代の新しい波と当局の説得にあい、ついに二億円の補償で取り壊されることになった。二月一日から着手し、住民の自主的な取り壊し作業で今月中旬までに整理される。「東京のカスバ」といわれ「黒い地帯」として全国にその名をはせた池袋西口マーケット五百九世帯(九〇〇〇平方b)がいよいよ壊され、明るい街に生まれ変わる。戦後のドサクサ時代に不法建築されてから十五年。池袋東口の区画整理から遅れること七年、難航を重ねた区画整理だが、三十七年の春までには近代的な駅前広場としてお目見得する。この整備後、広場は更地にした後、東西に三〇b、南北に二五bの新道路を設け、この道に面して商社ビルが並び、近代的な街が池袋副都心計画の顔として出来上がる。
昭和36年 3月5日 地方のお客を誘致
昭和36年 3月5日  区の提唱で近く豊島区観光協会の設立準備会を結成することになった。地方のお客さんをもっと積極的に誘致し、買い物や見物、宿泊の世話までして豊島区の繁栄策はかろうという。 この気運を盛り上げたのは、区画整理の実施、東京拘置所と学芸大付属小学校の移転計画などで、いよいよ待望の副都心としての条件が池袋に整ってきたためである。すでに西武、三越、東横をはじめ、計画中の東武会館などの百貨店や、浅草や新宿に次ぐ商店街、興行街、さらには巣鴨のとげぬき地蔵尊、雑司が谷の鬼子母神堂など、全国的にも有名な寺院が散在して、観光としての価値がある。これに加えて、上信越に通じる国鉄や埼玉方面を結ぶ西武、東武鉄道、さらに中央へは地下鉄、都電、バス、トロリーなど交通機関が発達し、一日の乗降客は百万人を突破する勢いにある。こうしたすべての条件は、他区に比べて劣っていないと関係者は見ている。 このため、観光事業は一部の商店街が中心になって力を入れてきたが、区側があまり乗り気でなかったため、伸び悩みの状態にあり、せっかくの地方からのお客さんも、PR不足から豊島区を素通りして隣接区に宿泊したり、銀座や新宿、浅草で買い物をしているのが現状。その一例として、五年前に豊島公会堂で全国市町村長会議が開かれたおり、豊島区にも割り当てで三十人の市町村長が各旅館に宿泊した。旅館組合の矢島博文さんがアンケートしたところ、豊島では宿泊代千八百円しか使わず、他区で六千円もの買い物をしていることがわかった。他区ではこの観光事業に力をいれているところが多く、特に盛り場を持つ台東区は、商工振興会に二千万円、そのうち二百万円を観光事業に当てている。近接する新宿、文京区でも三十万円、千代田区では三十五万円の観光事業補助金を業界に出している。今度結成される「豊島観光協会」は、区の商工課が中に入って結成されるもので、かってない力の入れよう。昭和三十六年度当初予算に四万円を計上している。
昭和36年 3月5日 入学児童に計算器袋
昭和36年 3月5日  要町一丁目婦人会(稲富照子会長)でこのほど、町内の要町小学校に入学する児童八十六人に、入学祝として「計算器袋」を贈った。この袋はビロード製で、二月中旬ごろから同婦人会のお母さんが奉仕で作ったもので、一個の原価は七十円という立派なもの。費用は全額同婦人会で負担している。
昭和36年 3月12日 全教室に鉛筆削り器
昭和36年 3月12日  「刃物を持たない運動」に区が予算を計上。この中から区立小・中学校全校に鉛筆削り器と切出し小刀を備えることになった。内容は鉛筆削り器が小学校に二百六十五個、中学校に二百十五個、切出し小刀が千二百七十二本で、いずれも学校の備品として先生が管理し、児童や生徒には危険な刃物を一切持たせないようにする。
昭和36年 3月12日 池袋パーキングセンター 
昭和36年 3月12日  池袋の交通地獄と駐車難を解決する地下パーキングセンターがいよいよこの夏に着工することになった。このパーキングセンターは、池袋東口広場の地下に出来るもので、地下二階が百八十台収容の有料駐車場、地下一階が商店街でデパートと地下で連絡ができる。この計画は、昭和二十七年に池袋地下街株式会社が設立されてから十年目で、その後改称した池袋地下駐車場株式会社と銀座パーキングセンターの間で技術提携がなり、着工することになった。総工費は十億円。
昭和36年 3月29日 廃品回収で防犯灯増設
昭和36年 3月29日  刃物や古雑誌など、廃品を回収してその売り上げで防犯灯を増やして街を明るくしようという、一石二鳥の効果をねらった「防犯運動」が三月十一日から二十日まで、池袋警察署と池袋防犯協会、池袋母性協会、それに各町会の協力で行われた。その結果、近く池袋警察署管内に明るい防犯灯が増設されることになった。
昭和36年 4月9日 町中を花いっぱいに
昭和36年 4月9日 「町を美しくしよう」を合言葉に長崎一丁目婦人会(新村繁子会長)は、四月から「花いっぱい運動」を展開し、町内の希望者に百日草やパンジー、天人菊などの種を無料で配布し、町内を花で埋め尽くそうと張り切っている。この長崎一丁目婦人会は、会員が千三百五十人。町会と密接な協力関係を持ち、昭和三十年の設立以来、婦人の地位向上のため衣・食・住問題や教育講座、レクリエーション、さらには青少年育成、老人慰安など活発な活動を起こしてきた。この花いっぱい運動は、昨年同地区が新生活運動指定地区に指定された意義を一般に広めるための試み。「新生活推進委員」のたすきをかけた二十五人のお母さんが中心になって、毎日熱心に町内を回って花の種を配布し、お寺の境内や空き地に種まきの奉仕をしている。
昭和36年 4月16日 虚弱児の学園
昭和36年 4月16日 体の弱い子を丈夫にしながら勉強させる豊島区の千葉県竹岡養護学園で四月二十日、今年度の入園児を迎える。 この施設は、昭和二十一年に開設されたもので、毎年三年生以上六年生までの虚弱児童を約五か月間預かって合宿させる。その日課は、朝六時三十分起床、検温、海岸散歩、朝食、学習、そして午後も学習し、途中でおやつ。夜は入浴して八時に就眠と、十分な健康管理のもとに規則正しい生活。その中で健康度に応じてグループ活動もする。 一期間約五か月で大半の児童は体重も増え、見違えるほどの健康体になる。また、一番心配された学力の低下もほとんどみられず、学校復帰後も他の児童と比して劣っていないという。
昭和36年 6月11日 清掃事務所の「利用袋」
昭和36年 6月11日  豊島清掃事務所はこのほど、区内四つの婦人会にテストケースとして「利用袋」約千枚を無料配布した。 この「利用袋」は、セメント袋大の丈夫な紙でできており、各家庭で袋の中に紙屑や鉄屑、空きビンなどを入れてもらい、集荷員が随時巡回して時価で買い上げるといった仕組みで、いわば資源愛護と清掃の能率を向上させようという一石二鳥の効果をねらっている。この袋は婦人会筋からは好評を持って迎えられているが、一方で区内の資源回収業者側からは「この方法は業者の死活問題につながる」として強い批判の声が起こり、清掃合理化政策に一つの問題を投じている。
昭和36年 6月11日 びっくりガードの工事
昭和36年 6月11日  池袋の東西を結ぶ交通のポイント「池袋架道橋」(通称雑司が谷びっくりガード)は、総工費三億五千万円で鉄道建設興事株式会社が請負、工事を進めているが、いよいよ六月十日から通行を禁止し、来年の二月九日まで現ガードの拡張工事に着手。この工事は、西武鉄道と国電、国鉄貨物線の下を貫通する難工事。これによって車両の迂回や雑司が谷地区の地域住民が西武池袋駅に行くために大回りをしなければならないなど、問題が山積みしている。
昭和36年 6月18日 「たらちねの鐘」
昭和36年 6月18日  豊島区の総合庁舎もあと一か月あまりで完成するが、この庁舎屋上に取り付けられることになっている愛の「たらちねの鐘」をめぐって区内の婦人層から強い反対運動が起こっている。十六日の区議会には、阿部静江、服部スミエ、粕谷みや子、山家和子の各議員を介して設置反対の請願書を提出、各地で激しい賛否の論争が起きている。しかし、この「たらちねの鐘」はすでに百万円の予算で発注もおわり、木村区長自身も鐘に揮ごうしているだけに設置の可否は政治問題化する恐れもあり、なりゆきが注目されている。「たらちねの鐘」はかつて池袋母性協会(菱さのい会長)と池袋警察署が中心となって、夜遊びをする青少年の不良化防止のために池袋東横の屋上にとりつけ、夜十時になると自動的に鐘が鳴り、青少年に帰宅を呼びかける。青少年の不良化に悩む池袋母性協会にとって会のシンボル的な価値を持っていた。 しかし、区の新庁舎が計画されてから母性協会では、区にも青少年問題協議会(会長は木村区長)があり、当然不良化防止の運動を推進する立場にあることから「たらちねの鐘」を愛のシンボルとして取り付けようという意見がでて、各方面と打ち合わせの結果、内諾を受けたので独自に総額百万円の予算計画を立て、富山県高岡市の老子製作所に発注、七月二十日に引渡しを受けることになっている。
昭和36年 7月9日 上信越線を池袋駅に
昭和36年 7月9日 「上信越線を池袋に」ということは、ここ十年来言われてきたが、国鉄路線の関係や上野の反対などで実現は無理と考えられていた。しかし、最近になって国鉄がスキー列車を品川から発車させるなど、観光ブームにのって列車ダイヤの再検討をはじめていることから、池袋から上信越線の列車をだすことがまんざら夢ではなくなった。池袋の地元婦人会や旅館組合、町会などがあつまって「東鉄友の会池袋支部」(大内直吉会長)を結成。上信越線誘致をさらに進めることになった。この会では、今年の秋に池袋から臨時観光列車を仕立てる予定で、事務所を池袋駅の鉄道総合案内所内において会員の拡張をはかり、六月二十三日に発起人総会を開き、秋の臨時列車を一つの実績として国鉄に働きかけていこうという。
昭和36年 7月23日 豊島区観光協会結成
昭和36年 7月23日  豊島区観光協会の結成総会が二十二日、西武百貨店七階で行われた。 城北の副都心として豊島区がしめる位置は非常に大きいが、観光地としての計画性に欠けていたことから、観光協会の結成が叫ばれていた。このため区のきもいりで、区内の観光事業に関係のある人が集まり、協会の結成にこぎつけた。 豊島区の観光宣伝と旅客の誘致につとめ、区の飛躍的発展を期そうという。初代会長には矢島博文さんが就任した。
昭和36年 8月1日 区の新庁舎完成
昭和36年 8月1日 昨年の七月二十三日の起工式以来、東池袋一の一八の旧豊島区役所跡に建築地中だった豊島区総合庁舎の全工事が完了し、二十四日に落成式が行われた。 この豊島区総合庁舎は、豊島区役所のほか、都税事務所、都福祉事務所、都出納室などを含めたもので、総合庁舎としては千代田区と文京区についで三番目の総合庁舎。その規模は都内最大の建物で、区民ホール、小会議室、全館暖房、一部冷房、エレベーター二機などで、総工費は四億二千二百八十九万二千円。特にロビーや一階の壁面などには、区内美術家の共同制作によるブロンズ像が飾られるなど、文化豊島を表現する建物。
昭和36年 8月1日 ダンスは健全で、盆踊りは不健全
昭和36年 8月1日  豊島区教育委員会で夏季体育レクリエーション行事の一つとしてフォーク、スクェアーダンスの講習会を各所で開いている。この講習会をめぐって地区委員会から「区は青少年の不良化防止として民踊につながる盆踊りを不健全なものとして抑制を考えているようだが、フォークダンスとどう異なるのか」という質問がだされた。これに対して区の教育委員会の社会教育課長と社会教育主事は「盆踊りはその地域で自然発生的に普及したもので、統制も取りにくく、酒も入りやすい。体の動きも手足の部分的動作で、体育的とは言いがたい。しかし、フォークダンスやスクェアーダンスはテンポも早く、体育的で、グループのまとまりもあり、リーダーの統制が確保される。こうした点から教育委員会ではフォークダンスを指導しているが、民踊を毛嫌いしているのではない。ただ、民踊は衣装を自慢したりする傾向があり、健全とはいいがたい」と区の指導方針を明らかにした。
昭和36年 8月13日 大洋社母子寮の訴え
昭和36年 8月13日 「私たち貧しい母子寮には僅か一台のラジオがあるだけです。せめて一台のテレビがあったらどんなにみんなが喜ぶことでしょう。古くなったものでもけっこうですから、どなたか寄贈していただけないでしょうか」という切実な訴えが社会福祉事務所に寄せられた。訴えたのは、長崎一丁目の社会福祉法人「大洋社母子寮」に入居している母子たち。 この「大洋社母子寮」は、昭和十七年に開設された母子寮で、当時は夫に死別したり、離縁されたりした浮浪母子の一時収容施設として利用されていた。しかし、最近では、生活保護を受けている不幸な母子の厚生施設として利用されている。現在十九世帯、六十八人の母子が生活保護費を受けながら、その日暮らしの生活を送っている。どの世帯も財産といえば風呂敷包み一つ。二十五人の学齢児がいるが、長欠者が多い。 十九人の母親のうち三分の二は仕事に出て厚生の道を歩んでいるが、大半は手のかかる子どもを抱えているため、留守を預かる寮母さんの苦労は大変なもの。それでも昼間はみんなで遊んでいられるが、夜は母親の残業で暗い部屋で一人で過ごしている子が多く、退屈でテレビ見たさに近所の電気店や商店に入り、テレビを見ている子どもがいるため「商売のじゃまになる」と商店から苦情が出ている。「せめて一台のテレビでもあれば」と、寮長の武藤美枝子さん。
昭和36年 8月20日 民踊連盟から抗議
昭和36年 8月20日 豊島区教育委員会の社会教育課長が、当社の質問に対して「フォークダンスは健全に運営され、区でも力を入れているが、盆踊りにつながる民踊は不健全な面がある」と回答した件で、豊島区民踊連盟(大島市子会長)は「民踊を侮辱するものだ」と事態を重視し、十六日、区教育委員会に宗像教育委員長、斎藤教育長を訪ね、要望書を提出、区の理解を求めた。民謡連盟側からは大島会長以下三十人、それに婦人団体協議会副会長の関敏子さん、粕谷みや子さんらが同席し、社会教育課長の発言を非難するとともに、民踊にも力を入れて支援して欲しいと訴えた。
昭和36年 8月30日 テレビがきた
昭和36年 8月30日 大洋社母子寮に十三日、思いがけなく新しいテレビとラジオが届いた。贈り主は、巣鴨駅前で三十余年電気商を営んでいる村上電気の社長・村上茂樹さん。十三日付けの豊島新聞の記事を見て「不幸な母子のお役に立てたら」と、寄贈を申し出た。同日、当社竹内雷男社長の案内でテレビなどを届けた。「豊島新聞を見てすぐに贈る気持ちになりました。こんなに喜んでいただけて贈り甲斐がありました」と村上さん。 武藤寮長は「まるで夢のようです。おかげさまで寮内も明るくなり、喜びでいっぱいです」と。
昭和36年 8月27日 牛乳協同販売
昭和36年 8月27日 求人難と物価の値上がりで経営を脅かされている豊島区内の牛乳屋さん三十一軒が団結してこのほど、全国で初めての共同販売機関たる東京牛乳卸販売株式会社を高松一の一八に設立、八月二十六日から業務を開始した。 この共同販売会社(吉野興次社長)の仕事は、加盟三十一店の牛乳屋さんが販売している牛乳のうち、家庭への配達を除いたデパート、パン製造、飲食店など大口を一手に引き受けて、オート三輪やトラックを使って機動的に配達や集金などを行い、経営を合理化しようというもの。 資本金は三百六十万円で、一店二万円から三十万円を出資。同地に百八十万円をかけて牛乳十万本を保管するマンモス冷蔵庫つくった。配達能力が倍になり、経営の合理化に大きな役目を果たすだろうと期待されている。
昭和36年 9月3日 目白通りの「イチョウ」並木が枯れる
昭和36年 9月3日 目白の学習院大学から椎名町方面に向かって通称目白通りに植えてある「イチョウ」の並木十数本が無残にも枯れはじめ、この辺の風情を楽しむ“目白っ子”を不審がらせている。特にひどいのは、学習院大学正門前で、樹齢二十年ぐらいの「イチョウ」四本がすっかり枯れてしまっている。 管理にあたっている区の土木課で調査したところ、地下に埋設してあるガス管からガスが地中に漏れているためとわかり、ガス会社に「責任をもってなおすように」と申し入れた。ガス会社は「自動車の通行が激しいため、どうしてもパイプのカシメがゆるんでしまう。人体には危険はないと思う」と話している。
昭和36年 9月3日 人気の区立結婚式場
昭和36年 9月3日  十月、十一月の結婚シーズンを迎えて、区立の結婚式場の申込みも徹夜で並ぶという状況で、係員を驚かせている。 区立の結婚式場は、振興会館の中にあり、挙式料千円、貸衣装は千円以上という安さで人気。すでに二千組以上の挙式が行われている。 九月一日に十一月分の予約を開始したところ、トップは前日の午後十一時から徹夜でならんだという。
昭和36年 9月3日 長崎の下水暗渠に
昭和36年 9月3日  長崎三丁目から環状6号線道路に至る暗渠下水工事がいよいよ九月から開始されることになった。 この下水工事は、同地区に流れる不衛生な在来下水の代わりになるもので、長崎三丁目二十五番地付近から東へ直線的に道路に沿って約七〇〇b、環状6号道路のしたをくぐって谷端川に流すもので、この間九〇〇_bから一、三〇〇_bの管を埋設する。総工費は約三千万円で、第一期から題三期に分けて工事を行い、完成は来年の春の予定。
昭和36年 9月10日 地下鉄向原線を早く
昭和36年 9月10日  「通勤地獄に悲鳴」。池袋西口から要町を経て板橋区向原に至る「高速度地下鉄向原線」は、当初三十六年中に開通する予定になっていたが、いっこうに実現しない。通勤地獄にたまりかねた沿線の住民が「もうこれ以上待てない」と地下鉄向原線促進期成同盟を結成し、活発な運動をすることになった。 向原地下鉄計画は、昭和二十九年、池袋からお茶の水方面の丸の内線が開通した当時から計画されており、路線も池袋西口から要町交差点付近、千川バス通りを経て、板橋区向原に達することになっている。 この線はすでに免許もおり、当初の計画では三十六年中に開通する計画になっている。 ところが、向原地区の用地買収難と都市計画による池袋から千川に至る道路拡張計画などで、地下鉄側では、当初の予定を変更し、他の地域の地下鉄工事に着手し、このままでは、向原線は早くても昭和四十一年以降でなければ着手できない見通しとなっている。
昭和36年 9月24日 鬼子母神を守ろう
昭和36年 9月24日  雑司が谷で生まれ育った、いわゆる雑司が谷を郷土としている人たちの間で、鬼子母神を守る運動が起こっている。中心になっているのは豊島区役所に勤務する増山力さんで、昨年「雑司が谷会」をつくった。この十月十三日には第一回の会合を開き、危機に瀕した鬼子母神を復興させ、昔のごとき繁栄を取り戻すにはどうしたらよいか、無形文化財とみられる「みみずく」の保護育成を図るにはどうしたらよいか、などを話し合うことになった。 参加者はいずれも郷土愛に燃える人たちばかりで、沈滞している鬼子母神に大きな刺激を与えるものとして、その動きが注目されている。
昭和36年 9月24日 美容教室
昭和36年 9月24日 「お母さんたちが美しくなることは児童、生徒の教育に大きな効果があるー」ということから、千川中学校PTA(堀部信輝会長)では、九月二十七日に同校体育館に美容研究家の山野愛子さんを招いて講演会を開く。
昭和36年 10月8日 喫茶店と少年
昭和36年 10月8日 池袋警察署では、かねてから青少年対策特別推進運動の一つとして、管内喫茶店の実態と少年への影響を調べていたが、このほどその結果をまとめて発表した。 この結果によると、喫茶店側の青少年保護育成運動に対する協力はきわめて薄いばかりか、モーニングサービスとして高校生や子どもにも見境なくタバコを出している店があり、調査官を唖然とさせている。同推進本部では、ちかく各喫茶店に対し、青少年へのタバコサービスをやめることと、「高校生お断り」の掲示をすることなどの協力を求めることになった。また、喫茶店の約三割が愚連隊やチンピラの根城になっていることもわかり、取締り強化の必要性を訴えている。
昭和36年 10月15日 豊竹保育園
昭和36年 10月15日  豊島区婦人団体協議会(武部りつ会長)が経営する豊竹保育園がこの十月で満一年を迎えた。多くの区民から募金や力強い激励を受け、区内で初の乳児施設として話題になったが、経営する婦人団体協議会のお母さんたちの苦労は大変で、保育の重労働から病人が続出したり、赤字で資金繰りに苦しんだりと、想像以上の難行だったという。
昭和36年 10月15日 オリンピック目指して
昭和36年 10月15日  二年半後のオリンピック競技場問題が騒がれている今日、オリンピック村の朝霞建設と池袋に屋内体育館を誘致しようという運動が起きており、巣鴨拘置所移転促進運動を推進する面から注目されている。 副都心池袋を推進する会(千野保久会長)では、オリンピック東京大会の開催に関する諸計画のうち、屋内総合体育館および付属屋内水泳場を、昭和二十七年に移転の決定している巣鴨刑務所跡地に建設する誘致運動をはじめた。これは、国家的見地と地元の発展という立場から、首都整備事業の中にこのオリンピック設備の池袋誘致を取り入れようという。この運動の成果が期待される。
昭和36年 11月19日 乱歩氏に紫綬褒章
昭和36年 11月19日  作家の江戸川乱歩氏(本名平井太郎、池袋三丁目在住)にこのほど、紫綬褒章が贈られた。
昭和36年 11月26日 女中さんらで「竹の子会」
昭和36年 11月26日  目白警察署と目白母の会(粕谷みやこ会長)は二十一日、目白署管内で働く女中さんと家内工業で働く青少年約百二十人を観光バスで江ノ島と鎌倉に招待した。この楽しい観光旅行をきっかけに、女中さんたちの会「竹の子会」が結成されることになった。この会は、親元を離れて働いている人たちで励まし助けあい、共通の悩みを解決していこうという友情の精神でつくられた。会の結成には目白警察と目白母の会が全面的に協力し、親代わりになって育成にあたる。