昭和42年 3月14日 PTA学校後援費やめぬ
昭和42年 3月14日  都では、教育正常化の一つとしてPTAの公費負担軽減のため、四十二年度に十四億円の教育費予算を増額。これによってPTAの公費負担を解消、PTAは本来の成人社会教育団体としての活動にはいるべきだ――との基本方針を打ち出した。この都の方針に対して区教育委員会では当然のあり方としながらも、具体的な面ではどうPTAに説明するかその取り扱いに苦慮。とりあえず三月中に都で作成した「PTAの手引き」を各単位PTAに配布するとともに、予算説明会を開く準備を進めている。 一方、豊島区小学校PTA連合協議会(望月幸一会長)は「都のやり方は、教育の実情を無視したPTAへの不当干渉で、場合によっては厳重に抗議する」と激しい憤りをみせている。
昭和42年 7月4日 住居表示で訴訟が三件
昭和42年 7月4日  豊島区では、住居表示をめぐって目白を主張する西池袋二丁目の旧上り屋敷地区、東目白を主張する旧高田本町地区、さらに南池袋では困るという池袋東口駅前地区と三つの訴訟事件がおきている。法で定められている住居表示の完了年度努力目標は、今年の三月三十一日だというのに豊島区の実施率は四四・五%。残りの五五・五%については総合計画を立てて区民の納得を得られたところから進めていくという。二分の一も終わっていない中で、三つの訴訟を抱え、住民の納得が得られず後回しになっている要町、問題が起こる可能性がある七・二二平方`bを残しているだけにまだまだ時間がかかりそうだ。
昭和42年 7月18日 増える遺骨の置き逃げ
昭和42年 7月18日  豊島区内で病気や自殺などで死亡し、引き取り手のないまま無縁仏になった人たちの慰霊供養が十三日、雑司が谷の法明寺で木村区長と山口区議会議長が施主となって行われた。 法明寺にある「無縁仏の墓」には戦後から百五十四体が合祀されているが、この一年間で無縁になった八体のうち三体は遺骨の置き逃げだという。計画的なためか、証明する「埋葬許可証」もなく、誰の遺骨かまったく調べようがない。これは増加傾向にあるという。
昭和42年 8月15日 住居表示陳情第一号
昭和42年 8月15日  「住居表示の行き過ぎを是正し住民の意見を尊重する」ために、住居表示法の改正法が七月十二日に参議院を通過した。法が発効されて十一日の朝、かねて訴訟をおこしていた旧目白上り屋敷の住民代表が美濃部都知事を都庁に訪ね「目白を返して―」と陳情した。 現在、都内で住居表示に関する訴訟は四件(豊島区が三件、杉並区が一件)出されているが、新しい改正法による陳情の第一業となった。
昭和42年 8月22日 スーパーの宣戦布告
昭和42年 8月22日  最近池袋や大山、板橋に大型スーパー・ヨーカ堂が「奥様、あなたは合理的ですかー」というチラシによるキャンペーンを行い「調味料はスーパーで買う、と決めただけで、一年間に三百三十九円の節約になります」と、バターや調味料、菓子などの食品を一般小売店やデパートでの買い物と数字を具体的に示してPRした。一部から「これはスーパーの一般小売店に対する宣戦布告だ」という声が上がっている。 もちろん、一般小売店でもそれぞれ値下げ販売を行っているが、それが組織だっていないため、スーパーの進出に任せている形だ。大量仕入れで大量販売という少ない利潤で回転の早いスーパーにどう対抗するのか、豊島区商連の大きな課題になっている。
昭和42年 10月10日 戦死者を慰霊
昭和42年 10月10日  かねてから地元の募金で移転整備が進められていた長崎神社内の「招魂社」の作業がこのほど終わり、十三日に太平洋戦争で戦死した氏子七百三十六柱の合祀祭と十五日に長崎小学校で慰霊祭が行われることになった。 戦死した人を神社に祀ることは、戦後“タブー”とされていたが、長崎神社の氏子である二十八町会と長友会、郷友会、氏子会が戦死者の慰霊と平和への祈念をこめて諸宗派を超越して行うことになったもので、純然たる民間人によるこの種の祀りごとは都内では数少ないという。
昭和42年 10月17日 十中ブラスバンド 全国大会へ
昭和42年 10月17日  豊島区立第十中学校(中村治幸校長=生徒数七百十五人)のブラスバンドは、三十八年と四十一年の全国大会で優勝。ことしも十月一日の東京都大会で一位になり、八日のNHK大会でも一位になるというすばらしい成績をおさめ、十一月二十五日に新宿の厚生年金会館で行われる全国大会での活躍が期待されている。 十中ブラスバンド(酒井正幸さん指導)は、現在四十人の編成だが、予備メンバーの層もあつく、区の教育委員会やPTA・OBの応援も盛んなので、恵まれた環境の中で練習を続けている。
昭和42年 12月19日 ゼロ歳児を保育
昭和42年 12月19日  豊島区は、区民生活の福祉対策として、保育園の増設計画を進めている。その中で、かねてから要望の多かった一歳未満の、いわゆる「ゼロ歳児」の保育を来年五月に完成する池袋二丁目の仮称「池袋地区保育園」で試験的に実施することになった。さらに近く着工の高松一丁目と要町三丁目の保育園も続いて「ゼロ歳児」保育を行う計画を立てており、区の保育対策は更に一歩前進することになる。 現在区内には、私立保育園が未認可を含めて十三か所、区立保育園が十か所あり、合計千七百七十人が保育を受けている。区立保育園の平均では、一保育園の定員は九十人で一歳から三未満が二十三人、三歳以上が六十七人で、乳児はなし。 これは、乳児の保育が困難で、健康管理などに自身がもてない、保母の定員措置が厚生省の基準で二歳未満は五人に一人となっているだけで、乳児についてはまったく触れておらず、実際上は乳児二人に一人の保母を必要とするため、人員の確保や配置、人件費の問題、それに幼児の保育希望者が多いことなどから、乳児まで手が回らないというのが現状だった。