昭和43年 1月1日 目白で杭打ち騒動
昭和43年 1月1日  西池袋二丁目の通称“上がり屋敷”から西武池袋線のガードをくぐり国鉄目白駅へ行く四b道路に、このほど太いコンクリートの杭が打ち込まれ、自動車の通行が遮断されるという事態が発生した。 この道路は、二人の地主の土地として登記、納税されており、杭を打った地主は「相手の地主から私権を守るための自衛策」と主張しているが、困ったのは長年この道路と使用してきた沿道の住民と最近同所の分譲地を買った人たち。このため目白三丁目町会(那口譲町会長)では、事態を重視し、目白警察署と相談しながら解決の方向を懸命に探っている。
昭和43年 1月16日 見事な「鐘楼堂」
昭和43年 1月16日  戦災ですべてを焼失した雑司が谷法明寺が、本堂の再建に続いて、総工費千八百万円で「鐘楼堂」と「山門」の復興工事を進めている。そのうちの「鐘楼堂」がほぼ完成した。 この「鐘楼堂」の台座は総みかげ石で、楼閣は総ケヤキ入母屋づくり。四足にはカラクサ模様と、芸術の粋をこらした木彫がみごとに調和し、昔ながらの重厚な感じを与えている。「鐘楼堂」の工事費は約六百万円で、ここに江戸時代の名鐘として、戦時中の供出を免れた高さ一・六b、重さ約二dの同寺保存の鐘をさげ、四個のスピーカーを装置して定刻に鳴らすことになっている。
昭和43年 1月23日 池袋警察署管内に問題少年が激増 
昭和43年 1月23日  豊島区青少年問題協議会(会長・木村区長)は、区内の巣鴨、池袋、目白警察署の協力で昨年一年間の三署で取り扱った「問題青少年」の状況をまとめ、二十一日にその内容を発表した。 これによると、不良などの行為で三署に補導されたのは二千百三十七人と、前年より二百十四人の増加。犯罪行為では、千六十九人と前年より五十一人減少しているが、池袋署管内だけでは不良行為で約二倍、犯罪行為では一五%増加している。昨年の秋に、池袋地区が青少年対策特別推進地区に指定され、補導に力をいれたためと見られるが、一般の生活向上とはうらはらに盛り場における青少年の指導に大きく問題を投げかけている。
昭和43年 2月13日 目白の杭騒動解決へ
昭和43年 2月13日 国電目白駅から西武池袋線ガードにいたる線路沿いの私道にコンクリート杭を打ち込まれ、地元で大きな問題となっていた。この問題は、解決が困難と思われていたが、目白三丁目町会の那口会長らの奔走で、地元住民が百八十万円を出して問題の私道を買収し、豊島区に寄贈することで話し合いがつき、自動車の通行を止めていた杭も十日に取り除かれた。
昭和43年 3月12日 学校給食ビタミン闘争
昭和43年 3月12日  漂白パン(白パン)は、化学処理によってビタミンが破壊されるから、無漂白パン(黒パン)がいい、というビタミン論争によって、文部省は小学校の給食パンを無漂白パンにするよう各都道府県に指示。豊島区もこれによって四月の新学期から、給食を無漂白パンにする準備を進めているが、「はたして無漂白パンを子どもたちが食べるかどうか」という論争が区議会の予算委員会でおこっている。 この論争は、漂白パンの栄養が破壊されるというのは、漂白する場合に「カサンカベンゾイル」を使うからで、これによってパンのビタミンAとB1が破壊され、無漂白パンに比べて栄養が落ちるということから、都も全区市町村に対して無漂白パンを使うことを指示してきている。 ところで論点は、たとえいくら栄養があるからといっても、子どもたちがそれを食べてこそ栄養があるわけで、まずいということで子どもたちが食べなければ、せっかくの栄養パンもまったく意味がなくなってしまうという点。 これに対して区教育委員会は「無漂白パンは、すでに国の施策として決められていることであり、また、原料である小麦粉に百c一円の国庫補助金がついており、豊島区としては四月の新学期から無漂白パンで給食をつづけていきたい」という意向を示している。
昭和43年 5月7日 PTAが教委に菓子折り 
昭和43年 5月7日 校舎を鉄筋化するために、PTAの陳情運動が盛んに行われている。そうした中で今年、鉄筋校舎を割り当てられた某PTAが校長の意見を入れ、そのお礼にと、教育委員会をはじめ十五か所に菓子折りなど、三千円ずつ計四万五千円の品を贈っていたことが明らかになった。これには、PTAの負担軽減とは逆行するものとして厳しい批判が出ている。
昭和43年 5月21日 「教育の信頼」回復を
昭和43年 5月21日  鉄筋校舎を割り当ててもらったお礼にと、PTAが校長の意見を入れて区の教育委員会など”功労者”に菓子折りを贈った問題は、全国各地で教育の汚職が話題になっているときだけに、各校に大きなショックを与えている。区議会文教委員会でも自体を重視し、岡田良一議員から「校長の猛省を求める」旨の申入れが行われた。教育委員会では九日の校長会で特にこの問題にふれ、全校長に教育の信頼と権威を守るため、厳しい自省を要望した。
昭和43年 6月11日 有害食品の規制で、厚生大臣に直訴
昭和43年 6月11日  最近ズルチンや着色、添加物などの有害食品が問題になっている。母親勉強会(代表島田美恵子さん、会員百十五人)の代表十人が六日、厚生省に園田厚生大臣を訪ね、ズルチンの全面禁止など五項目にわたる有害食品の禁止と規制措置の要望書を手渡し、懇談した。 同会の要望は@ズルチンの全面禁止A有害着色料の禁止B残留農薬許容量指定食品の増加C食品添加物三百八十種を五十種に規制D毒性試験を先進国なみの五項目で、というもの。 これに対して園田厚生大臣は、@ABについてはすでに手がけており、希望に添える努力をしている。CDについては毒性試験などを強める方向に持っていきたいと回答。
昭和43年 6月18日 脳性マヒに明るい職場
昭和43年 6月18日 子どものころ重症の脳性、脊髄性小児マヒにかかり、歩行すら不自由な人十五人が、事業主ら周囲の温かい愛情に支えられながら働いている。重症心身障害者に対する国や都の援護が一歩前進しているとはいえ、一民間企業が十五人もの障害者を雇用している例は他にない。 この職場は、池袋二丁目の「弘電社」(代表大川弘昭さん=二十六歳)。弘昭さんは、生後三か月目に脊髄性小児マヒにかかり、両足が不自由になってしまった。しかし、父母の愛情でそのハンデを乗越えてみごと立教大学を卒業。 それを前後して一家は肢体不自由児父母の会の役員として、重症心身障害者の生活保障を訴え続けてきた。そんな中で弘昭さん家族は、自立を考えて医学的な治療を終わった重症心身障害の青年二人を雇って、小規模な廃線処理の作業を始めた。作業は、廃線になった電線の皮をむいて中の銅線を取り出すだけの単純作業。ノルマや期限がないうえに、日給制や出来高払い、奨励金制度の併用などがあり、障害者の勤労意欲も旺盛。作業員も脳性マヒを中心に十五人に増えた。遠方からの電車通勤者もおり、社会人としての自信を深めている。収入は、下は月に七千五百円から上は一万数千円になる。
昭和43年 9月3日 霊園に植木泥棒
昭和43年 9月3日  秋のお彼岸前に墓地の植木を盗む泥棒が横行し、係員が必死で犯人を探している。場所は雑司が谷霊園。雑司が谷霊園は、明治五年に開設され、約十万平方bに著名な夏目漱石や島村抱月らを含めて五万六千余の霊が永遠の眠りについている。 この霊園から、最近になって植木がなくなっているのを参詣の人や管理事務所の係員が発見し、大騒ぎになった。 盗難にあったのは「沈丁花」や「しきび」、「ぼけ」のほか時価一万円もする「白ちく」などで、その巧妙なやり方からみて、植木に精通したものの犯行とみられている。管理事務所では「墓地の植木は、遺族が故人の好きな木を丹精込めて育てたもので、仏さまのものを盗むとはまったくあきれる」と怒り、警戒を強めている。
昭和43年 10月22日 高校生に多いシンナー遊び
昭和43年 10月22日 豊島区内の池袋、巣鴨、目白の三警察署でこのほど、子どもたちのシンナー遊びに関する調査結果をまとめた。 これによると、今年の一月から八月までの八か月間に区内でシンナーやボンドなどで補導されたのは男子二百人、女子十七人で、年齢別では十七歳の高校生が最も多く、その内の三十%強。入手の方法では、自分で買ったが百三十九人、貰ったが六十六人。使用場所は、公園や路上、デパート内など。原因・動機については「人の話を聞いて好奇心から」が六〇%、後は「友達に進められた」など。どんな時にやるのかでは「ただ何となく」が約半数、次いで「気分がくさくさする」、「退屈」の順。やった後の体の調子については「ボートする」、「酒を飲んだよう」、「いい気分」、「気が大きくなる」、中には「吐き気がする」など。
昭和43年 12月10日 東商豊島支部が誕生
昭和43年 12月10日  商工業の振興と地域社会の福祉増進を目的とした総合経済団体「東京商工会議所」の支部を豊島区に誘致しようという話が数年前からあがっていたが、このほど豊島区としての受け入れ体制がととのい、十二月四日に豊島公会堂で盛大な設立総会が行われた。新宿、大田に次いで都内で三番目の支部。支部長には佐々木千里氏が就任した。
昭和43年 12月10日 池袋「子育て地蔵」時習小学校脇へ
昭和43年 12月10日  高速道路工事で移転を迫られていた池袋東口六ツ又交差点「子育地蔵尊」が道路公団や地主、区教育委員会の話し合いで時習小学校正門右側に移されることになり六日、地元奉賛会役員らが集まって地鎮祭を行った。 「この子育地蔵尊は」、旧鎌倉街道の道筋にあり、徳川時代から振興の対象になっていたが、高速五号線の道路拡張工事で土地が買収されることになり、奉賛会と公団、時習小学校の地主保坂徳一郎さん、地蔵尊の地主豊田志ん子さん、それに区教育委員会が話し合い、都市計画事業に協力する立場から時習小学校の借地権の一部を解除してここに「地蔵尊」を移すことになった。
昭和43年 12月17日 東池袋に場外馬券場
昭和43年 12月17日  東池袋に「場外馬券売り場」を設置するという話に、地元で賛否両論があがっている。この馬券売り場をめぐって、十三日の豊島区議会最終日に賛成派と反対派からそれぞれ陳情、請願が出され、総務委員会に付託された。 まず賛成派は地元町会長の大関豊次郎さんを代表者とする陳情で、東池袋一丁目に建設される予定の「レジャーセンター」内の地上四階までに、中央競馬会の場外馬券売り場を誘致しようという主旨。この地域が副都心といわれる池袋東口の繁華街のすぐ裏手にありながら発展がおくれている。競馬については無条件で歓迎されるとは思わないが、場外馬券売り場を誘致して町の活性化に役立てたいという。 一方反対派の請願は、豊島区婦人団体協議会(武部りつ会長)を中心に提出されたもので、十一月初旬から同会員らが農林省畜産局や中央競馬会に出向いて「場外馬券場の進出は、青少年への悪影響を考えるとき、決して望ましいものではない」と、その誘致反対を訴えたもの。 場外車券場が区につくられる場合には、前もって地方自治体の長に賛否が問われることになっており、正式に中央競馬会から豊島区に話があった場合は、議会にはかって回答したいと区長は話している。