昭和45年
     
昭和45年 1月20日 公園面積23区で最低
昭和45年 1月20日  快適で安定した都民生活を送るために必要な最低条件(シビルミニマム)を達するため、都は昨年十二月十九日に第二次中期計画(一兆二千三百億円)を発表した。この中に、都民一人当たりの公園面積を三平方bにする計画が盛り込まれている。 公園の造成は世界各国に比べて日本の行政面でもっとも遅れた部門といわれている。豊島区は、四十四年度末までの計画を加えても児童遊園が四十四か所の二万六千八百八十平方b、公園は十五か所の四万二千三百五平方b、合わせて六万九千百八十五平方bで、区民一人当たり〇・一八平方b。これは二十三区の中で最下位の公園保有面積。都の計画にはほど遠い数字。 土地の地価は上がる一方、公園を造ろうにも土地がなく、まったく公園行政はお手上げの状態。
昭和45年 4月14日 池袋日活が和解
昭和45年 4月14日  焼けただれた姿を十一年間も副都心池袋ののど元にさらしていた池袋日活が、ようやく権利関係を解決して新しく動き出した。「これが池袋の姿か」と非難されながらも、訴訟事件のゴタゴタから仮処分されたまま十一年も赤錆と焼けボックイのみにくい姿を駅頭にさらしてきたが、どうやらまともな姿に立ち直るようだ。
昭和45年 4月21日 競争率、数百倍か
昭和45年 4月21日  北大塚一の十五、十二階建ての都営住宅地元割り当て分の入居希望者募集が二十四日から始まる。この都営住宅は十月の入居予定で、公募数は五十戸、使用料は八千八百円から九千八百円。国電大塚駅からわずか二分で、間取りは六帖、四・五帖、三帖のほか台所兼食堂付という理想的なもの。それだけに今年一月に都が公募したときは八百倍という競争率だった。
昭和45年 7月21日 一日歩行者天国
昭和45年 7月21日  八月の第一日曜日から、池袋をはじめ銀座、新宿、浅草の四繁華街の目抜き通りで、朝の十時から夕方の五時まで、車乗り入れ禁止の「一日歩行者天国」が実施される。警視庁のアイディアで、歩行者にとっては「ようやく道路が人間のものになった。たとえそれが週に一度だけでも」と歓迎一色。池袋は、駅東西の半径約三〇〇b二十八路線、二九一〇bが「車抜き」になる。「歩行者一日天国」というアイディアは、新任の本多警視総監の考えばかりでなく、昨年春に美濃部都知事が銀座の商店会に働きかけた経緯があるが、そのときは商店会から断られている。これが実施された場合、地元商店会はどうだろうか。 池袋東口商店会の服部修会長は「問題は多いですよ。生鮮食料を取り扱っている商店は車が店につかなければ困るでしょうし、地方からのお客様が、駅周辺の駐車場に車を預けられないで困るとか。しかし、せっかくの話ですから全面的に協力しようということになりました」という。
昭和45年 7月21日 ランドセル廃止  
昭和45年 7月21日   小さな児童の肩に重くのしかかるランドセル。これを廃止したら児童の肉体的な負担が軽くなるばかりか、学校と家庭教育の正常化がはかられるのではないか、という問題に取り組んでいる区立椎名町小学校(高橋継夫校長)は半年の準備の末、今年四月の入学児からランドセルを廃止した。 都内では五校、豊島区内では部分的に実施している学校はあるが、長期的に実施に移行したのは椎名町小学校が初めてとなる。その後四か月が経過し、一学期が終了した時点で、その成果をアンケートなどでまとめ 「ランドセルを廃止した児童には、一年生特有の疲労感はなくなり、教室には明るさがみなぎっており、予想以上の成果がえられた」という結論を出した。
昭和45年 8月4日 「光化学スモッグ」で連日被害
昭和45年 8月4日  ことしの夏最大の関心事は「光化学スモッグ」という新公害。 鉛公害につづいて新たな追い打ちをかけられた東京は連日、オキシダント濃度という耳なれぬ言葉が都民を不安におとし入れている。去る七月十八日に杉並で起きた「光化学スモッグ」は、その後二十三日に都が体制をととのえてからも連日、注意報・警報の連続。二十七日にようやく住民への周知体制がととのった。しかし現状では警報がでたら、じっとしているだけ―というお粗末さだ。
昭和45年 8月11日 津田さんの遺言をめぐって区が本訴
昭和45年 8月11日  故津田亨さんの遺言によって、その遺産(土地一六五〇・二一平方b・他に鉄筋三階と木造二階の建物)の一部を豊島区が寄贈を受ける権利がある、として訴訟の準備を進めていた豊島区(都法務部が代理人)は八月四日、本訴に踏み切り「所有権移転登記抹消等請求事件」=津田事件=として当日東京地裁民事十七部で受理された。 この事件は、今年一月五日、巣鴨四の二二の一七、津田医院院長の津田亨さん(当時八三歳)が死亡した後に発見された遺言書が発端。それによると「区長公宅として居住用の土地・家屋を豊島区に寄贈する」と記されていることから豊島区が権利を主張しているもの。 この遺言書は二月二十四日に東京家裁で正式な遺言として検認を受け、要町一の四九土屋豊弁護士が遺言執行者(三月二十三日に家裁で選任)として処理に当った。土屋弁護士は、この遺言が、tudasanno最後をみとった谷峰清子さんへの包括遺贈(第一項に記されている)であり、このうちの一部の土地、建物を豊島区に寄付するという考えから、四月中旬に豊島区役所を訪問して区長、議長に会って遺言の意を伝えたところ(この解釈が、土屋弁護士は正式な会見だとし、区長は一般的な座談だとしている点に問題がからんでいる)豊島区には、区長公宅として条件付寄付を受ける意志はないと判断して、この土地、建物全部を五月十一日に谷峰清子名義に登記変えをし、さらに同月二十五日に豊島青果株式会社(小泉小太郎社長)に売り渡し、同社は登記をすませている。
昭和45年 9月15日 学校で酒を飲むハレンチ教師事件
昭和45年 9月15日  さる八日午後七時すぎ、区立富士見台小学校の六年担任K教諭(二四)が学校で飲酒、さらにハシゴ酒をして自宅付近の練馬区富士見台一の一八先で若い女性に抱きつき、強制わいせつ罪で逮捕された。この事件は学校、PTA、区教育委員会に大きなショックを与えたが、その後、校長が被害者の自宅を訪問して監督不行届きで陳謝するなど、責任を明らかにしたことから、被害者側も好意的に受けとめ、またPTAの中からも、K教諭の日ごろの教育が真面目で児童からもしたわれているところから同情の声も強く”減刑”嘆願の動きも起っている。 しかし区教育委員会では、神聖な学校内で酒を飲むことを再三固く禁じているのにもかかわらず、それを破ったこと、行動がハレンチであることだけに沈痛な表情でその後の始末に苦心しており、とりあえず十一日に開かれた小中学校校長会で「校内での飲酒は絶対避け、社会への信頼を失うことのないよう」訓示し、協力を要望した。
昭和45年 10月6日 鬼子母神のケヤキの葉が年に三度落ちる
昭和45年 10月6日  都市禍公害の被害を受けて、鬼子母神のケヤキの葉が年に三回も落ちる―。ケヤキはニレ科の落葉樹、落ち葉は年一回と決まっている。ところがことし、豊島区雑司が谷・鬼子母神のケヤキ並木は六月に一度、八月に一度、そしてそれぞれ落ちては新しい芽をのばし、本番の十一月には三度目の落ち葉が参道に散ることになる。いうまでもなく、東京の大気汚染が犯人だ。農林省林業試験場の実験によれば、1PPMの亜硫酸ガスで葉の先が黄色に変色し、3PPMになると大部分は枯れるといわれるが、知らず知らずのうちに、人間もこの亜硫酸ガスの影響を受けていることになる。カネやタイコの公害さわぎでない、根本的な解決策を―。ケヤキの落ち葉をみながら”そこに人間が生きられるかどうか”を考える。
昭和45年 11月10日 豊島区の人口35万人
昭和45年 11月10日 第十一回国勢調査が十月一日から全国でいっせいに行われた。全国七大都市のトップをきって十一月六日、豊島区の集計がおわり、調査票が総理府へおくられた。この調査を担当した統計調査係の発表によると、豊島区の人口は三十五万一千四百五人と、四十年度に行われた第十回の国勢調査の時点に比べて二万千七百二十一人の減となり、めざましい発展の中にある豊島区だが、居住人口は年々減少していくという逆の現象が現れている。
昭和45年 10月27日 予防接種の実施へ
昭和45年 10月27日  予防接種(混合ワクチン)後の幼児死亡事故で品川の医師二人がその責任を問われ、送検されたことは全医師に大きな衝撃を与え、各地域で予防接種拒否の動きも出てきている。こうした中で豊島区医師会(小岩誠会長)では、一部の反対はあったものの「幼い生命を伝染病から守るためには現在の予防接種を欠かすことができない。副作用による不測の事故は予診の徹底で防止し、それ以上の不可抗力的な事故は厚生省の措置とともに、場合によっては医師が事件上の責任を負うこともやむお得ない」と結論。人命優先のもとに十月十九日から区内の各会場でジフテリアと百日咳、破傷風の三種混合の予防接種を開始した。小児マヒの予防接種は一日から実施している。なお、地検では二十四日、品川の二人の医師を不起訴とした。
昭和45年 12月1日 九年間で六千円
昭和45年 10月27日  駅前の早朝清掃奉仕を続けながら、人に見向きもされず落ちている一円玉などを拾い集めたら九年間で六千円近くになった。このお金を「不幸な人のために使ってもらえれば」と社会福祉協議会に届けた人がいる。この人は、駒込一丁目の碁盤店主の岡村力さん(七〇)。 岡村さんが駒込駅前の早朝清掃奉仕をはじめたのは昭和三十六年四月。当初は三人でやっていたが、現在は一人。駅前は自動車の乗降が激しく、特にタクシーを降りるさいにばら銭を落とすことが多い。これが一円だとほとんどの人が拾わず、そのまま放置され、下水などに流されて埋もれてしまう。岡村さんは駅前清掃のかたわら、一円玉救済をしていた。
昭和45年 12月8日 四面塔、苦難の歴史に終止符
昭和45年 12月8日 戦後”受難”続きで邪魔ものあつかいされ、一時は立退きを迫られた池袋駅前公園内の「四面塔」が、都と区の話し合いの結果、史跡として同所に永久に安置されることになった。これに伴って、地元の奉賛会(美濃福太郎会長)は「四面塔」の守り神として、隣に「稲荷大明神」の神殿などを総工費四百万円で建立、十二月十二日から盛大な鎮座祭を行う。池袋に新しい名所ができる。