昭和48年
昭和48年 1月30日 かち取った区長選挙
昭和48年 1月30日 自治省は一月の末に再開された特別国会に「地方自治法の一部を改正する法律案」(特別区関係)を提出する。これによって、保健所をはじめ大幅な事務事業が都から区に移され、現在区に配属されている職員(身分は都吏員)は四十九年四月一日付けで自動的に区の固有職員になる。特に区長は住民の直接選挙になるなど、大幅な改正になる。この改正案を迎え入れる区側としても、機構改革をはじめその準備は大変な作業になりそうだ。特別区が「市なみ」になることによって、区の自治の幅がぐんと広くなるが、都民意識から区民意識への転換も区民に要求される。
昭和48年 1月30日 都営競馬、区が肩代わり
昭和48年 1月30日  一月二十日に大井競馬場で行われた都営競馬を最後に、東京都が主催者となっている競馬の幕を閉じた。 美濃部都知事は「都営ギャンブルが来年度から廃止されるので、そのため特別会計がなくなったことが何よりうれしい」と自画自賛しているが、現実には都がやめる年四回、二十一日開催の競馬は四十八年度から二十三区がそっくり肩代りして開催することになっており、各区の四十八年度予算収入の中では、それぞれ競馬益金は増額して見込んでいるはず。
昭和48年 3月13日 巣鴨ごみ輸送駅は白紙
昭和48年 3月13日   国鉄巣鴨駅の貨物取り扱い駅がごみコンテナの集積輸送駅になるという話が地元に伝わり、大騒ぎになっている。 この問題について九日に三和銀行巣鴨支店ホールで清掃局企画部副参事の安田幹郎さんと地元住民ら七十人、それに豊島区議会の的場ごみ対策委員長が懇談した。 「都としては、現在この計画はない。今後の可能性としては考えられるが、その場合はまず住民の説明会を開く」と都の見解を明らかにした。ごみの処理場を持たない豊島区としては、当然ごみ集積の積み替え中継地を持つように都から要請されているが、ごみ輸送のコンテナ化が進めばそれにつれて山手環状線のどこかの駅がその役目を引き受けさせられることになる。一時は四月から―、と騒がれていたこの話に、地元町会では「ごみの輸送車は中山道を通さない」など、強い声が上がっていた。 東京都には現在具体的な計画はないということで一応ケリがついたが、今後の動きが注目される。
昭和48年 3月20日 姿を消す千川上水
昭和48年 3月20日   豊島区内で千川上水の最後の姿を残している西巣鴨三丁目の「掘割」(沈殿池)にフタがかけられ、その姿を消すことになった。 この「沈殿池」は千川上水児童遊園の隣にあり、ここに水をためて六義園へ流しているが、既にドブ池となって昔の面影はない。東京都が危険防止と児童遊園の拡張のため、三月中旬に着工、五月中旬に完成の予定でフタかけ工事行う。これによって現在五二〇平方bの児童遊園が約二倍の一〇〇〇平方bになる。
昭和48年 4月24日 池袋副都心ビル(仮称)構想
昭和48年 4月24日   「自然博物館について十年間の累積欠損が八十二億円と想定され、一民間会社が経営することは非常に困難なので勘弁願いたい。そのかわり児童文化センターをはじめメディカルセンター、ホール、住宅情報センター、ピロティ、体育施設、物産館などの施設を最大限に計画し、豊島区の要望に応えたい―」と十七日、株式会社新都市開発センターが豊島区議会との正式会談の席上でのべ、同時に同社が現在計画をしている「池袋副都心ビル(仮称)」の公的、社会的施設の内容を明らかにした。 東池袋三丁目の東京拘置所跡地に地上六十階という日本一の超高層ビルを中心にした副都心再開発プランが練り上げられてきたが、去る十三日に第一期工事(地上一二bまでの人工地盤)の建築確認もおり、いよいよ副都心作りの建設工事のツチ音が聞かれるのも間近になった。 計画中の公共・社会的施設は@公共の駐車場A公共バスターミナルB高速道路インターチェンジC周辺道路の拡幅D広域変電所E地域冷暖房プラントF自然史博物館G体育施設H全国郷土芸術物産展IピロティJ児童文化センターK都市計画公園の造成など。
昭和48年 5月1日 春のアラシ∴皷゚
昭和48年 5月1日  連休前のスト騒ぎで、都民の足は大混乱。「大幅賃上げ」と「スト権奪還」、「年金問題」をスローガンに、今年の春闘は二十四日から闘争に入り、二十七日の山場を迎えて最高潮に達した。  国鉄や私鉄をはじめ、郵便局、電話局、電報局、学校、都道府県庁、ハイヤーやタクシーなど、天井知らずのインフレや当局の締め付けに何とか抵抗しようと、朝から決起集会を開いたため、国民の足は止まり、池袋をはじめ、都内の各駅は大混乱。駅前広場は通勤客で埋まった。
昭和48年 6月19日 生かされない善意
昭和48年 6月19日   「戦時中に貯めたお金ですが、換金して福祉のために役立ててください」と、豊島区社会福祉協議会に寄付されたアルミ製の硬貨が、古銭ブームにもかかわらず価値がない≠ニいわれ、寄付者の善意が宙に浮いている。 戦時中といっても国で発行した貨幣。「三十年近くも眠り続け、覚めて役に立てようとしたとき、時代の変動でその価値を失い、存在すら否定されてしまうのか――」。 寄付をしたのは北大塚三丁目の井上栄さん(50)で、父親の磯太郎さん(91)が戦時中にこつこつ貯めたもの。硬貨はいずれもアルミ製で、昭和十五年から十七年に鋳造られた一銭と五銭、十銭玉で総額四十円。井上さんが社会福祉協議会にこの「古銭」を持ち込んだのが昨年の十月で、この善意を生かそうと、古銭の即売会に持ち込んだりしたが、どこも「戦時中のアルミ貨は価値がない」とことわられ、やむを得ず「もしこの善意を引き受けてくれる人がいたら、なるべく高く買い取ってください」と一般に協力を求めた。
昭和48年 6月26日 「戦時硬貨引き受けます」。萬盛堂の藤平さんが五万円寄付
昭和48年 6月26日   社会福祉協議会は、北大塚の井上さんから寄付された硬貨の引き取り手を捜していたが、本紙の記事を読んだ池袋西口の萬盛堂薬局の藤平泰司さんから二十日「人の善意を無にできない。その効果は私が引き受けます」と五万円を寄付した。 この戦時中の硬貨は、総アルミ製で「水に浮かぶ硬貨」といわれた粗悪品。古銭ブームの現在でも市場価格なしといわれている。
昭和48年 7月10日 「そよ風文庫」スタート
昭和48年 7月10日 寝たきり老人と身体障害者を対象にした豊島図書館の「そよ風文庫」が七月一日から訪問貸出しを開始した。 区内の寝たきり老人は四百三十九人、重度身体障害者は四百十七人で、この中からアンケートによる読書希望者百六十人を登録し、月に二回、家庭訪問をして希望の図書やカセットテープを貸出しする。寝たきり老人では、浪曲や小説、懐メロ、身体障害者は、教養書や娯楽書、文学書が人気。豊島図書館では三人の職員がつきっきりでサービスにつとめている。
昭和48年 8月7日 区の木と花が決まる
昭和48年 8月7日   豊島区の木と花の住民投票の結果がまとまり、その選定会議(多田敬三会長)が七月二十六日、区役所全員会議室に各界代表十七人が出席して行われた。その結果、住民投票と同じ区の木は「染井よしの桜」に、区の花は「つつじ」にすることを十七人の委員中十二人の委員の賛成で決定。次点は、木が「いちょう」、花は「山吹」が選ばれた。 区では、この結果を広報で発表し、制定記念として「染井よしの桜」と「つつじ」をあしらったビニール製のシオリ一万枚をつくり、小学生や一般区民に配布することにした。
昭和48年 8月21日 町民だけの出資で高層ビル「巣一会館」建設
昭和48年 8月21日  巣鴨駅南口前の国道に面した旧東電サービスステーション跡に九階建高層ビル「巣一会館」の建設工事が進められている。このビルは、巣鴨一丁目町会(武藤国平会長)と巣一美観商店会(浦本利一会長)の会員の出資で建てられているもの。一つの町内の有志が株主になってこれほどのビルの建設は初めてのケースではないかという。しかも、ビルは社会への奉仕を目的に、貸店舗や貸事務所などからの収益は最低の配当を除いて地域に還元、建物の一部は集会場として地元に無料で提供するなどの構想もある。 一昨年十二月、東電巣鴨サービスステーション(土地面積一二二平方b)が合理化のため閉鎖されることになり、朝会と商店会は、東電に対して「奉仕価格で売却してほしい」と要望。東電側も、その使用目的に賛同して五千万円で払い下げを決定した。 これにもとづいて町会と商店会は、土地代金と会社設立の費用などを合わせて五千二百万円を目標に一口五十万円で町会員から出資者を募ったところ、たちまち八十人が協力を申し出た。そこで受権資本一億円、払い込み五千五百万円で株式会社巣一会館を設立。ビルの完成は三月の予定。
昭和48年 8月28日 ベビーホテル誕生
昭和48年 8月28日   豊島区内で初の「ベビーホテル」が東長崎駅南側に建設中の「西武診療所」の五階にオープンする。保護者が旅行や病気などで幼児の世話ができないときに一時預かり≠するところで、すでに都内に数ヶ所あり好評だという。 経営責任者は、前区議の服部スミエさんで、運営に当たっては診療所の坂本俊二院長と看護婦、それに子どもの養育の経験豊富な婦人会のお母さんらが協力する。
昭和48年 9月4日 住宅の国勢調査。豊島区は一住宅一三畳弱
昭和48年 9月4日   五年に一度の総理府統計局の住宅の国勢調査≠ニいわれる住宅統計調査が十月一日に全国いっせいに行われる。今年で六回目。 前回(昭和四十三年)の豊島区の住宅事情は▽持ち家と借家=持家三二%(全国五九%)、借家六八%(全国四一%)▽一人当たりの畳数と一住宅の畳数=一人四・九畳(全国六・一畳)、一住宅一二・九畳(全国二二・八畳)。
昭和48年 11月13日 給食で文部大臣表彰
昭和48年 11月13日  豊島区立西巣鴨中学校(河村良校長)が昭和四十八年度学校給食優良校に選ばれ、十一月十四日から十六日まで九州長崎市で開かれる「全国学校給食研究協議大会」で文部大臣表彰を受けることになった。今年東京都内で文部大臣表彰を受けるのは、小学校三校、中学校二校で、豊島区立としては三回目、中学校は初めて。 西巣鴨中学校は生徒七十六人、教職員五十人、調理従業員は栄養士を含めて六人で、週五回、年間百六十四回給食し、前年度中一人当たりの給食費は二万三百五十円で、一食当たり百二十四円になる。学校給食優良校としての推薦理由は「昭和四十一年の学校給食開始以来、一貫して給食を学校教育の有効な教育活動として受け止め、生徒の健康と体位の増進をはかるだけでなく、より豊かな人間関係を築くことのできる場として位置づけ、楽しく豊かな学校生活を目指して創意工夫を凝らし、給食を着実に実施している」点をあげている。
昭和48年 11月13日 石油危機で、電力ピンチ
昭和48年 11月13日   物価高騰、品不足。今度は石油危機だという。政府は十六日に、国民生活の全分野にわたる石油の抑制策を閣議で決めた。火力発電を主とする日本の電力もこの影響を受けて大混乱。町のネオンも消して節電に協力。大口需要も一〇%節電など異常な事態になっている。