2018年2月

第3200号 2018年2月21日号


池袋に息づく信仰
 商売繁盛、家内安全願い初午祭


 池袋のパワースポットとしてすっかり有名になった池袋東口駅前公園の一角にある四面塔尊で2月19日午後、奉賛会など地元の人たちによって稲荷大明神の初午祭が行われた。

 池袋東口美観商店会の服部会長はじめ駅前の西武百貨店、パルコ、ビックカメラ、池袋ショッピングパークや東京信用金庫、巣鴨信用金庫、また池袋駅等の関係者多数が集まり、雑司が谷・法明寺の近江正典住職のもと、商売繁盛、家内安全、交通安全など祈願した。

 法要のあと、すっかりおなじみとなっている近江住職の法話。羽生、小平の両選手の金メダル獲得にふれ、「ともに大変な努力と苦難を乗り越えて、金メダルという成果を上げたふたりだが、『支えてくれた皆のおかげ、みんなのメダル』という気持ちを表して喜びを表してくれていた。実にすがすがしくて感動した」「いまの世の中、『独り占め』の風潮が強すぎる。富であれ、地位であれ、勝ったものがすべて独り占め。勝者と敗者がいて世の中は成り立っている。金メダルだって銀、銅がいるから成り立っている。勝者はその人たちを称える気持ちが必要である。小平選手がとった韓国選手への対応は素敵だった。すべてのことで独り占めをやめて、皆は一人のために一人はみんなのために、そういう世の中を我われはもう一度作っていかなければならない。こうしたことが社会へのお返しとなる」と諭した。

 四面塔尊には地元奉賛会(服部洋司会長)が3・11震災復興と街づくりへの思いを「命の言葉」として月替わりに張り出している掲示板「心のともしび」が設置されている。四面塔尊の縁日は毎月12日。

 四面塔尊の由来

 今から約二百八十年前の享保の頃(徳川幕府八代将軍吉宗の頃)高田雑司ケ谷と板橋を結ぶ街道と礫川と東長崎を結ぶ街道付近(現在の西武線池袋駅東口)は、夕方になると追いはぎや辻斬が出没し、夜はその難を逃れる為、通行する人が途絶えた。享保六年の夏、一晩で一七名の辻斬残骸があり、この不祥事を憂いて、池袋村民有志六十四人が雑司ケ谷鬼子女神威光山法明寺第二十二世日相上人に供養をお願いし、享保六年九月、法華経のお題目を刻した石塔を建立して無縁仏の霊を供養した。正面にはお題目、右側面には北方板ばしみち、左側面には、南方高田雑司ケ谷道が記され、道標としても使われた。この塔は四面塔尊と称され、以来、法華経の功徳により災難は解消された。

 明治時代になり池袋周辺は近代化の開発の波が襲い、東武鉄道と西武鉄道の開業により四面塔が在った場所は区画整理を受けて塔は駅前に強制移動された。移動に関った作業員が相次いで事故死したため、毎年四面塔を秦じる祭が在ったが、太平洋戦争の勃発により祭は中断し周辺は空襲や戦後混乱で荒廃。戦後混乱も終息し再び駅周辺は開発が始まり、1955年(昭和30年)駅前に丸物デパートの建設により、駅前から現在の土地にまた強制移動された。丸物デパートの建設中事故が頻発した為、デパート関係者は地元の有志と協力して四面塔を新装し、祟りの終息を祈願した。しかしその後、デパートは完成したものの丸物デパートは潰れた。人々は「塔を動かしたから」と噂したという。

【池袋四面塔尊奉賛会】
名誉会長=宮田和昌、会長=服部洋司、世話人=大熊良幸、津島徳男、石井浄丈、清水泰子、菅澤省吾


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