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プロフィール
はじめまして、しんそう池袋西口代表の深澤です。
代表といっても私一人だけです。
劇団ひとりならぬ、代表ひとりで切り盛りしています。
ここでは、私のプロフィールやお気に入りのモノについてもご紹介しています。

代表 深澤健一
1967年7月5日生まれ (かに座)
生まれも育ちも池袋です
血液型 O型
好きな食べ物 イタリアン
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- 1990年4月 : 工科系大学卒業後、設備機器メーカーに就職。
- 2002年11月~ : しんそう方之会が主催する研修会に参加。
しんそうの勉強を 始める。
- 2007年1月30日 : 16年9ヶ月勤務した会社を退職。
- 2007年3月19日 : 生まれ育った池袋に 「しんそう池袋西口」 を開院。
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《 インタビュー形式のプロフィールの始まりです 》
Q:生い立ちを教えてもらえますか?
A:はい。
私は昭和42年7月5日に深澤家の長男として生まれました。
赤ちゃんの頃はよく女の子と間違われたそうです。
それを聞いた祖父が「モノを見せてこい!」と言っていたそうです・・・。
生まれも育ちも池袋です。
Q:なるほど、ずっと池袋なんですね。
A:はい。池袋っ子です。
Q:では、話が長くなりそうなので、略歴を教えてもらえますか?
A:はい。
1990年に理系の大学を卒業後、設備機器のメーカーに就職。
主に、製品の基礎試験や設計を担当していました。

広報部へ行った時、不意を突かれて激写された私です。

ボール盤で試作部品の穴を大きくしているところです。
思わずクシャミをしてしまったところを撮られてしまいました・・・。
Q:ほう、でも何で施術の仕事をやろうと思ったのですか?
A:仕事に従事しながらも本当にやりたい仕事を探し求めていました。
ある時、腰を痛めて整骨院に通ったんです。
その整骨院は若い先生ばかりだったんですね。
私はスポーツクラブに通っていて、結構人間の体には興味もありまして、
先生との会話がすごく楽しかったんです。
それで、施術師という仕事に惹かれました。
Q:なるほど、でも、すぐになろうと思わなかったんですよね。
A:はい。
その時は、施術師になるには昼間の学校に何年間も
通わなければならないと思っていました。
その後、会社員が土日を使って勉強できる事がわかったんです。
そうすると俄然気分も盛り上がり、施術師を志すようになり、
「これが自分を生かす道」と思うまでになっていったんです。
Q:それで、整体の学校などを探したんですか?
A:そうです。いろいろな学校の資料を取寄せて検討しました。
しかし、どれも似たり寄ったりだったんです・・・。
・土日だけで勉強できます・・・
・直営の施術院で働けるので就職も安心・・・
・独立開業もサポートします・・・
このようなフレーズが並んでいます。技術もみんな似たり寄ったりでした。
もうその頃、池袋には整体、マッサージ、カイロなどが沢山ありました。
これらのありきたりな技術では淘汰され、生き残っていけないな・・・
という危機感がありました。
Q:それで、どのようにして「しんそう療方®」に出会ったんですか?
A:身に付けるなら本物の技術を!という事で、
本屋さんでいろいろな民間療法の療法家の本を買って読みました。
その中で、しんそう療方®の創始者 林先生の本と出会ったんです。
ゆがみを直すのに、ボキボキせず、
手足の軽い操作だけで直してしまうんです。
ゆがみを直すのなら無理な力を使わないに越した事はないな、
「これは、合理的な方法だな」というのが最初の印象でした。
そして、直感的に「これは本物だ!」と思ったのも事実です。
それもそのはず、林先生の本は、しんそうの考え方が沢山、
詳しく書いてあったのです。
(それ以降も、林先生は何冊もの本を出されていますが、
しんそうの考え方を広めるという主旨が貫かれています)。
他の療法家の本は、「○○が良くなった!」 的な内容の本も多く、
内容的には薄いものが多かったのです。
理系(機械系)出身の私にとって、
・考え方がしっかりして、一本筋が通っているのは大変魅力でした。
・内容が全て解剖学で証明できる事、検査・検証手段がある事に
信頼性を感じました。
・対症療法ではなく、症状の原因を取る事が気に入りました。
・人間の体を動く機械として客観的に見て、
その構造異常としての「ゆがみ」を直すことに共感を覚えました。
だから、しんそうを勉強をし始めたのです。
Q:なるほど、それで「しんそう療方®」の勉強を始めたんですか?
A:そうです。
2002年の11月に初めてしんそう療方®の研修会に参加しました。
2003年2月~3月の短期集中講座も受け、
「基礎科」の課程を一気に勉強しました。
その後も毎月の研修会には欠かさず出席し、
「基礎科」⇒「普通科」⇒「高等科」⇒「研究科」と
順調にステップアップしました。
かけがえのない仲間にも恵まれました。
気が付けは、もう9年も勉強しているんですね。
早いものです。
Q:9年も熱心に勉強したんですね。それで自信も深まったと。
A:ありがとうございます。
はい、そうですね。しんそうの技も決まるようになり、
休日にいろいろなかたにしんそうをさせていただいて、
その効果に驚きつつも、自信を深めました。
しんそうの体験会にも積極的に参加し、参加者のかたに施術もしました。

2005年11月に仙台で開催された体験会で参加者のかたに施術する私。
そして、勉強を進めるうちに、しんそう療方®を選択するという事は
単なる民間療法の技術の選択ではない、という事に気付きました。
しんそうという、他とは考え方、目的、手法に至るまで全く異なる療法を、
他の療法に惑わされず、いかにブレずに一本筋を貫き通せるか。
正に、「生き方の選択」 だと思うようになりました。
その位、しんそう療方®は奥深く、素晴らしいものだと思います。
私の直感は間違っていなかったんです!
Q:でも、会社を辞めるのは勇気がいりますよね?
A:そうですね。2年間くらい迷いました。
その間、部内の人がひとり辞めていきました。
ですが、決断するチャンスが巡ってきたんです。
会社で能力給制度を導入する事になりまして、
その人の能力を発揮するにも適性にあった職場に配置換えも検討
することになり、面接をしたんです。
その時に、しんそう療方®で治療院をやりたい事を伝えました。
Q:まさに、「求めよ、さらば与えられん」ですね。
A:そうですね。
決断するのは今しかない!と思いました。
以前、しんそうの研修会で司会を務められていた先生が、
「チャンスの神様には前髪しかない」という事を仰っていました。
まさにこの事だ!と思いました。
チャンスでもあり、年貢の納め時でもあるな、と思いました。
Q:それで、いよいよ会社を退職して 「しんそう池袋西口」
を開業したんですね。
A:はい。
2007年1月末で会社を退職。
自分なりの施術院を具現化するための準備期間を経て、
2007年3月19日に 「しんそう池袋西口」 を開業しました。
 
Q:おめでとうございます。
A:ありがとうございます。
毎日、傾いたり、曲がったりし体を1mmでも真っ直ぐになるよう、
格闘しています。
Q:では、しんそう士としての深澤さんの目標を教えていただけませんか?
A:はい。
しんそう療方®でひとりでも多くのかを健康に戻して差し上げたいです。
それで、「しんそうで人生が変わりました!」
と来ていただいたかたに言っていただくのが目標です。
Q:なるほど。では、最後にひと言お願いします。
A:はい。
私は生まれたとき仮死状態で「オギャー」と泣かなかったんです。
それで一晩、保育器に入れられていました。
それを心配した両親と祖父が、「人間、健康が一番!」という事で、
「健一」と名付けられました。
「名は体を表す」という言葉の通り、自分でもその通りに生きてきました。
そして今は人々の健康をお手伝いする仕事に就いています。
・名前、生き方、しんそうという仕事、
全てが健康という言葉のもとに一貫性がある事。
・しんそう療方®自体も考え方、手法、目的に一貫性があり、
自分が一貫性のある生き方を選択した事。
この二つに、この上ない喜びと誇りを感じ、
日々からだの形を直す事に全力を注いでいます。
Q:長々とありがとうございました。
A:こちらこそ、長々とお話してしまいました。
最後まで読んでくださったみなさん、ありがとうございます。
私のお気に入り
手入れしながら使っていたら、かなり長い時を一緒に過ごしているモノ達です。我ながら、モノ持ちの良さに感心します。これらのモノとの付き合いを通じ、モノと人間の身体の決定的な違いがわかりました。
全てのモノは傷が付いたら傷を直し、減ってしまった部品は交換してやらなければなりません。
でも、人間の体は自ら治す力があるのです。基本的に部品交換なしで一生もつようにできています。だから、この素晴らしい体を手入れしながら愛着を持って使わなければなりません。
| 1965年 アルファロメオ ジュリアスプリントGT |
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私より2歳年上ですが、元気です。整備はキチンとしているので故障もほとんどありません。ガソリンさえ入っていれば走ります。
エンジン音やダイレクトな乗り味など、現代のクルマにはない味があります。2速、3速でエンジンを上まで回した時は最高です。
スプリントGTの物語は下から。
物語1 物語2 物語3 物語4
物語5
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左から18年、16年、3年愛用している靴です。左の2足は、ほころんだ所を修理したり、オールソール張り替えをしたり、気が付けばこんなにも長い間履いていました。もう手放せません。
ローファーの物語はこちらから。 |
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