『がんばりまーす』
 改札を出ると大学時代の知り合いが声をかけてきた。
「久しぶり、どこ行くの?」
「キャンプだよ。今ボラやってるんだ。」
「いい格好しいだな」
 むかっと来て挨拶もせずに別れた。ボランティアのどこがいい格好しいなんだ。

(新宿駅西口交番裏8時集合)

 活動を始めて1年。やっと慣れてきたところだ。今日は障害児と一緒に山中湖へ行く。
 今日の担当は悟君だ。悟君は知的障害児で養護学校に通っている。もう6年生だから体格もいい。でも3才児位の知能だというから、親は大変だろう。お母さんがよろしくお願いしますと挨拶に来た。注意事項や薬の飲ませ方など再確認してバスに乗り込む。

 悟君が蹴ってきた。ちょうど脛にあたって非常に痛い。
「こら」
 怒ったら、目の下を引掻かれた。血が滲んできてヒリヒリする。
「着いたらツメきらなくっちゃな」
 もう一人の担当の女性のボラさんじゃなくて良かったが…。こりゃ大変そうだ。血が出てきたからか、悟君は静かになった。
「大丈夫?頑張ってよ。」
 班長が声をかけて来た。
「あっ、はい。」

 だが、何故ボランティアをやっているんだろう。いい格好しいと言われた時には腹が立ったが、こんな目に合うとそう思ってしまう。
 手助けをしたい。単純にそう思ったから始めた。
 希に交通費が出るときもあるが、殆ど自腹だからカネの為ではない。
 手助けの影に隠れている優越感の為でもない。
 障害児の親からありがたがれ、自分が良いことをしているんだという気持ち良さ『快感』を求めているのかも…。いや。そんな事の為に続けているんじゃないはずだ。

 自分で出来ない事を手伝ってやることで、障害者達が少しでも普通の人に近づける。近づいたときの感動。達成感。そういう事を味わって貰いたい。ただ単純にそういう気持ちだけだ。

 そういう話しが、ボラの会議になったことがあった。『一種の新興宗教だね。動機なんか不純だっていいよ。ただ相手の気持ちを考えて、一生懸命やって欲しい。相手に不快感を与えたり、重荷になっちゃ困るけどね。』
 班長はそんな事をいっていた。

 肘を揺すられて、はっとした。
「ごめんなさ…」
 悟君が小さな声でいった。
(面倒みるはずの子に、心配かけさせちゃダメじゃないか。)
「あーっ、ごめん。大丈夫だよ。悟君、仲良くしようね。はい。握手。」
(一生懸命やらなくっちゃ。反省。)