『おい丼』
 校門斜め前の、値段と量で定評のある定食屋のメニューにあるその文字は、仲間うちでは興味の的だった。
 焼肉定食が320円という値段に比べ、それだけは5の後ろにゼロが4つも付く値段だったのもその理由だろう。たまに食べる豪華な天丼でさえ380円だったから、この値段は脅威だ。
 そんな大金をたかが昼飯にかけるよりは、彼女とのデートに使った方が有意義だったし、腹が膨れればいいという我々に手が出せるはずがなかった。
『おい丼』という位だから、どんぶり物には違いないだろうが、一人前だからいくらなんでも量での値段ではないだろう。オイキムチというあのキュウリの事ではないだろうが、『おい』が何なのか判らない。まさか自分を意味する方言とは無関係だろう。
 店のオヤジは「注文しなけりゃ教えられない」とガンとして譲らない。
 しかし、いくらなんでも5万円もする料理を、おいそれとは注文出来ない。きっと「おいしいどんぶり」の略だろうという事に落着いてはいたが、まぁ、宝くじでも当たったら食べてみよう。仲間うちではそんな風に取り決められていた。もっとも宝くじなんか買う殊勝な奴なんかいないから、それは無理だろう。
 当然周りの奴らも同じようなものだったから、誰も注文したのを見た事はなかった。
 結局卒業するまでに『おい丼』は食べられなかったし、社会の荒波に揉まれているうちに、忘れていった。

「定食屋の、おい丼って覚えてるか?」
 10年振りに皆が集まった時、その話が出た。
「実はな、今日外回りで学校が近かったんで、あそこへ行ったんだ」
 加藤の話はみんなの注目を集めた。
「メニューにあれはあったのか?」俺は勢い込んで聞いた。
「あぁ、あった。それよりも、値段が時価になってた」
「じ、じかあ!?」全員の口が半開きになった。
「あぁ、で幾らなのか聞いたんだよ。そしたら俺の顔見て20万だとさ。流石に頼めなかったよ」
「20万かぁ…」
「誰も頼まねぇよ」
「それがな、20万じゃ注文ないでしょって聞いたら、昨日1食出ましたって言われた」
「マジかよ、おい」
「凄えなぁ」
 みんな思い思いの感想を口にし盛りあがっていると、今まで端の方で静かだった小川が、身を乗り出した。
「あの親父、外見で値段決めてるんだなぁ。俺が注文したら30万だったぞ」
「えぇ! 小川だったのか? でどんなだった?」
 みんな口々に問いかけると、小川はニヤっと笑った。

「注文すれば、判る」