『さるかにの水』
「すると『さるかに合戦』で、柿にかけた水が今回のターゲットっ
て事?」
「あぁ、そうだ」
 俺は苦笑いして、呆れ顔のマリエを見た。
「さるかには、佐渡の民話とされているが、敵討ちになる前の話は、
長野県の猿沢村が発祥の地らしい」
「植物だけの成長液ねぇ」
 巨漢のモーリスが、伸びをしながら欠伸口調でちゃちゃを入れた。
「しかも依頼主の話によると、持ち出された水の一部は、豆の木に
も使われたという事だ」
「こりゃ、いいや」
 佐助がニタッと笑った。
「目的の、水についてはいいな?」
「それより、場所が判ってて、何故我々が…?」
 右前足を舐めながら、ワトソンが要点を突いてきた。
「うん。行けば判るが、今そこには建物がある。これだ」
 プロジェクターで映し出されたスクリーンには、塀の高い建物が
正面から映っていた。門には『オメガ研究所』と書かれている。
「おっと。あれってヤバイ奴じゃなかった?」
 寝そべったモーリスが、しっぽをパタンパタンさせて唸った。
「その通り。あそこに入って戻った奴はいないという噂もある」
 マリエは俺に身体を摺り寄せ、しっぽを絡めてきた。
「ふん。それはそうと、水が出る場所の特定は?」
 ワトソンが話を進めろと、しっぽで床を鳴らす。
「あぁ。これだ」
 ポンと置かれた様に、3メートル程の高さの岩が、スクリーンに
映った。大写しになった岩の上の窪みには、水が溜まっている。
「ヒトは気づいてないのか?」
 金色の左目を光らせ、ワトソンはヒゲの手入れをしている。
「雨水だと思っているようだ」
 競争相手は、又イヌ族になるだろう事を知らせ、俺達は作戦を開
始した。

 俺達は、配送会社に住むミーばあさんに調達して貰った車に乗り
込み、身体を休めた。

『そいつを捕まえろ』
 気がつくと、周りをヒトが囲んでいた。手当たり次第に引っ掻い
て戦ったが、結局捕まってしまった。放り込まれた檻の隣には、既
に仲間達がいた。逃げ出す方法を検討していると、マリエだけが檻
から連れ出され、扉の向こう側へ消えた。
「おい。もう着くぞ」
 ワトソンが皆に声をかけている。目が覚めた俺は伸びをすると、
荷台から外の景色を覗いた。まったく嫌な夢を見ちまった。こうい
う夢はよく当たる…。

 着いた車から降りると、まずは仲間に挨拶。それが掟だ。
 ちょうど通りかかったレディーに、俺は声をかけた。
(彼女、俺達ゃ東京から来たんだが、長老に挨拶したいんだがね)
 女は目をパチパチさせ、ちょっと興奮した声で案内してくれた。

(おぅ。はるばる東京からのう)
 長老が挨拶の終わった俺達を眺め回した。
(ところで長老。オメガ研究所へ行きたいんで、案内をお願いした
いんですよ)
 途端にざわついた。
(オメガって、あの、動物実験のかい?)
(そうです)
 長老は迷った様だが、ダンスというぶちを案内に付けてくれた。

 俺達はダンスを先頭に山道を、走りに走った。昼を過ぎた頃、突
然ダンスが立ち止まった。
(わ・私が案内できるのは、こ・こここ迄です。この坂を下ると建
物が見えます…。そ・それがオメガです。そ・それじゃ…)
 最後まで言わずに、ダンスは振り返りもせず、来た道を物凄い勢
いで帰って行った。
(なんだあの野郎。こんな所にほっぽり出しゃがって)
 佐助は毒づいたが、オメガの恐ろしさが染み付いた彼らを、責め
られはしまい。

 坂を下ると、研究所の前だった。
 突然イヌ供がまわりを囲んだ。風上だったから気がつかなかった
が、どうやら奴等は入れないでいたらしい。俺達は仲間の身体を踏
み台代わりに、門を跳び超え中へ入った。身体の小さい佐助だけは
門の隙間から、中へとすり抜ける。
(おあい憎様)
 俺達が奴等にしっぽを振っていると、バラバラとヒトが現れた。
「ミャー!」
 俺達は慌てて逃げ出した。

『そっちにいるぞ』
 気がつくと、俺は仲間とはぐれ、ヒトに囲まれていた。みんな大
丈夫だろうか。…だが、後は夢と同じだった。マリエはヒトに連れ
られ扉の向こう側へ消えた。早く助けなければ…。俺は焦った。

 気が付くと、オリの向こうにネズミがしゃがんでいた。
「おい、ネズ公。ちょっとここを開けちゃくれないか」
 不埒にも、奴は歯向かった。
「おや、猫は喋れたのか。俺はもっと低能だと思ってたよ。だがな
頼み事をする態度じゃないねェ」
 カチンと来たが、ここで怒ってしまってはチャンスが無くなる。
俺は内懐からソフトイカの束を出すと、オリの外に放った。
「これで、何とか頼むよ」
 ネズ公は、俺を食うんじゃないぞと言いながら、オリを開けた。
本来はこんな奴にバカにされたままではいられないが、緊急の場合
だから目をつぶった。仲間をオリから出すと、マリエが連れ去られ
た扉へ…。

 隙間から滑り込むと、マリエはヒトに抱かれて食事をしていた。
どうやら切り刻まれる事はなさそうだ。さすがにペルシャは違う。
俺達はマリエに目配せし、部屋を抜け出した。マリエは機会を覗っ
ていたが、結局逃げ出せたのは夜中だった。

 脱出したのはいいが、外にはイヌ供が待ち構えていた。奴等もさ
すがに中に入れた様だが、目的の水が高い所にあるので、確保出来
ないでいたらしい。準備もしていないとは、知能程度が知れるとい
うものだ。
 だが俺達も、奴らがいては近づけない。睨み合いが続いた。

 東の空が赤くなり、夜が明け始めた。あせってきたのだろう。奴
らは秘密兵器を出してきて、膠着状態は終わった。
「ほーれ」
 奴らの一人が、つり竿の先についたポンポンを目の前にぶら提げ
た。
 くーっ。我慢できない。どうしてもジャレてしまう。俺とワトソ
ンは二人で、ポンポンを取り合った。
 向こうでは、マリエが毛糸玉を前足で右や左に動かしている。佐
助やモーリスも、ネコじゃらしで操られていた。
 俺は気力を振り絞り、隠していたホネを出すと、奴らの目の前に
掲げた。思った通りやつらの目は、早く投げてくれと輝いている。
 俺がホネを遠くへ放ると、奴らは一目散に走り始めた。勝ちは貰
った。
「佐助、ワトソン。頼むぞ」
 そう言うと、俺はボールとフリスビーも置いて、モーリスとマリ
エを従え、目的の岩に向かった。

 持ってきたビンになんとか岩の水を汲んでいると、イヌ供がやっ
てきた。
 さすがに数で有利なイヌ供だ、長い時間は騙せなかった様だ。
「そのビンを、こっちに渡して貰おうか」
 俺は抱えていたポンポンを落とすと、ビンのふたを閉め、岩から
飛び降りた。
「ほらよ」
 俺はビンを奴らに渡し、仲間同士で固まった。

 イヌ供は岩に取り付き、各々小便をすると、ロープを掛けた。
 何をする気か知らないが、もう直ぐヒトが起き出す。
 イヌ供はロープを持ち、引っ張った。
 倒れた岩は、以外にも、あっさり砕けてしまった。
 奴らも水を奪われない様に考えたらしい。念入りなこった。

 高笑いしてビンを持っているブルに、俺は声をかけた。
「今回は負けたよ」
「当たり前だ。イヌはネコより強いんだよ。ヒッヒッヒッ…」
 俺は落ちていたホネを拾うと、奴に放った。
「ほら。プレゼントだ」
 奴は目の前に放られたホネを、慌てて受け取った。
 短い手が災いしたのか、ビンの水は地面に染みこんだ。
「おっと。引き分けだったね」
 俺達は、さっさと研究所を後にした。イヌにもヒトにも、捕まり
たくはない。

 俺は、逃げる時に拾ったポンポンを、染みこんだ水と一緒に依頼
主に送った。後は彼らが分析するだろう。依頼は達成した。