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豊島 ふくろう・みみずく資料館
TOSHIMA OWL MUSEUM
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利用案内
開館日 毎週土曜日・日曜日 (年末年始を除く)
開館時間 10時~12時 13時~17時
入館料 無料
フクロウはなぜ知の象徴とされるのか
森の奥深く瞑想するような表情でたたずむ姿、そして生物学の研究によって明るみにでた彼らの緻密な知覚や行動は、知の象徴としてのフクロウのイメージにふさわしいものである。
ところで、フクロウが知の象徴とみなされるようになった由来を探ってゆくと、人類の文明や社会を反映した、思いがけないドラマが浮かびあがってくる。それは遙か遠く紀元前の古代ギリシャの時代にまで遡る。古代ギリシャで覇権を誇った都市国家アテナイでは、女神アテネが守護神として祀られ、当地に多産するコキンメフクロウと呼ばれるフクロウが、その従者と見做されていた。ではなぜこのフクロウが従者の役を担ったかというと、話はさらに女神アテネの由来にまで遡る。古代の農耕社会では、大地の豊穣をつかさどる神として、地母神が広く信仰されていた。実は女神アテネも、アテナイが農耕集落だった時代に、クレタ島からもたらされた地母神の一つが定着したものである。フクロウが女神アテネの従者になったのはその頃と考えられる。肉食性で畑鼠や害虫を補食するフクロウが、農業に恩恵をもたらす益鳥として、農耕社会で親しまれている例は、世界の各地に見ることができる。ところで時代が進みアテナイが都市国家として発展するにつれ、本来農業神だった女神アテネが、外敵から都市を守る軍神へとその性格を変えた。当時の絵では従者のフクロウが、兜をかぶり槍をかざしたアテネに従う姿で描かれているのを見ることができる。さらに時代が進み紀元前5世紀になると、アテナイは国力を増し、その支配地域はギリシャ全域から周辺地域にまでおよび、古代ギリシャ文明の中心都市へと変貌した。それにともなって女神アテネも学芸の守護神としての性格が強くなり、従者のフクロウも知の象徴として親しまれるようになったのである。紀元前4世紀に入ると、古代ギリシャもアレキサンダー大王による征服を蒙るが、幸いなことに大王はギリシャの文明を受容する政策をとったので、その影響はギリシャを超えて地中海域から遠くインドにまで広がった。女神アテネのフクロウ図柄がある古代ギリシャの貨幣は、西部インドの古代遺跡からも発掘されている。古代ギリシャに代わってローマが勃興し文明の主導権を握るようになっても、ギリシャの神々は完全に絶えることなく、ローマの神々と融和され、学芸の女神としてのアテネの性格はローマの女神ミネルバに引き継がれた。それから後女神アテネのフクロウはミネルバのフクロウとして知られるようになった。その後、一神教であるキリスト教がヨーロッパを支配するようになると、多神教に根ざす女神達やその従者は、文明の表舞台から一旦影をひそめるが、中世を過ぎて文芸復興期に入り、古代ギリシャ文明が再評価されることによって、知の象徴としてのフクロウのイメージも復活した。そして近代ヨーロッパ文明の伝播の波にのって、そのイメージはヨーロッパはもとより全世界に広まった。日本にも明治初期の文明開化の風にのって「知の象徴としてのフクロウ」が飛来したのである。興味深いことに、本来知の象徴とされたのはコキンメフクロウだったが、世界各地に伝播するにつれてイメージの拡散が起こり、それぞれの地域での特有のフクロウが知の象徴の対象となり今日にいたっている。
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