昨年の暮はベートーヴェンの音楽に明け暮れた。そのことについて感想を少しばかり書いてみた。

■ 偉大な作曲家と指揮者    3月に更新したが、マエストロが亡くなられたので7月に追悼を書き加えた。
                     


プログラム表紙から抜粋
指揮者の岩城宏之氏は私と同年代だ。氏がオーケストラ指揮者としてデビューしたのはもう50年も前のことだ。
初演は確かチャイコフスキーの「悲愴交響曲」だと思う。オケはN響だ。何かの雑誌で読んだことがある。私はこの演奏を公開録音か何かで生で聴いた記憶がある。ものすごい迫力で美しい音楽だった。今やわが国を代表するマエストロである。
池袋の東京芸術劇場は至近距離にあり、ぶらぶら歩いても30分とはかからない。散歩がてらここで演奏会情報を仕入れるのだがこの企画を知り秋にチケットを購入した。
大晦日、一杯飲んで年越しそばを食い、全くくだらない「紅白」かなんかで過すより思い出になるだろうと考えたからだ。
但し、9曲全部を通して聴くことはちょっとムリと思い、家族で手分けして聴いた。この演奏会は長丁場なので各曲の間に休憩があり、出入り自由だったからだ。私は3曲聴いた。素晴らしいベートーヴェンだった。オーケストラはN響主体で演奏そのものは勿論「マエストロ岩城」の執念はもの凄い。正にスーパーマンだ。
私は、聴きながらはらはらした。マエストロが演奏中に倒れはしないか…という心配だ。しかしそれは杞憂に過ぎなかった。一度指揮台でタクトを握ると、実に颯爽としていた。すべて暗譜だったが動きに無駄が全く感じられなかった。最後の「第九」は正確には新年に演奏されたことになる。この企画は世界でも例がないそうだ。ロビーは和服姿の女性もチラホラ見受けられ華やいだ雰囲気だった。大晦日は近年に無く寒かった。

★以下はマエストロがパンフレットに書いた手記の一部
左の新聞テレビ欄の切り抜きは2006/1/6「テレビ朝日」の番組の抜粋だ。上記パンフレットで「命を落としても云々」 は納得できる。
何でも名医師団数名が待機し、ある時は点滴をしながらマエストロを見守り、最後までタクトを振りぬいたとの事。その執念に驚嘆し、感動した。

当日、なんとロビーにも血圧計が10台くらいずらりと並んでいた。休憩時間に血圧を測る聴衆のためか。こうなると聴くほうも命がけかも…  演奏会でこんな風景見たこと無い。
なんだか怖ろしい気がした。
朝日賞の受賞
年が明けた1月末、朝日新聞にマエストロの「受賞の弁」が載っていた。

それによると岩城さんは日本人の現代曲を努めてプログラムに採り入れたが、それには気力とパワーが必要と述べている。
仕事を絶やさないために、チャイコフスキーなどの人気のある名曲も懸命に取り組んだとの事。

更に指揮者は仕事のバランスをとるためには人気が必要とも…
そしてベートーベン全曲演奏にに取り組み、この作曲家の前衛精神に死ぬまで挑戦し続けたい…と今後の抱負を語られている。

そうか、ベートーベンも当時は前衛的な現代作曲家だったのだ。


■ スクロバチェフスキーの「第九」演奏会


1923年ポーランド生まれ。
13歳でピアニストとして
活動開始。
戦争で負傷し、作曲と指揮
で音楽家の道を進んできた。
アメリカで大活躍している。
わが国には毎年のように
来日、読売日響、N響を指揮
している。
昨年暮れも押し詰まった26日に読売日本交響楽団の名曲シリーズで「第九」を聴いた。
演奏会場は自宅に近い東京芸術劇場だった。スタニスラフ・スクロバチェフスキ指揮の演奏会だ。彼の指揮は確か5月だったと記憶しているが、サントリーホールでも聴いている。その時の曲目はベートーベンの第一交響曲とブルックナーの第7番だったと思う。
私はブルックナーの作品は苦手で殆ど聴いたことがない。
だらだらと果てしなく続く、わけのわからない音楽だからだ。だがこの時聴いたブルックナーは素晴らしいものだった。このマエストロのすごさを感じた。

「第九」は期待通りの素晴らしい演奏だった。テンポは歯切れ良く早めだったが、第三楽章は美しくたっぷり聴かせてくれた。「第九」の演奏会は毎年必ず聴いているが、今回の演奏で少し変わっている点があった。
それは第4楽章「歓喜の歌」の独唱者がステージに登場するタイミングだ。通例と異なりオケが音を出している最中、最初のバリトンが歌い始める寸前に4名が上手から順次登場する点である。
合唱は武蔵野音大の学生で文句無く上手かった。才能あふれる若い人々であり「ジジババ・コーラス」とは声のツヤやハリが全く違う。しかし、難を云えばベースのパートは少し「重々しさ」が足りないように感じた。ソリストはS・佐藤しのぶ他実力者揃いだった。

■ 「第九」合唱のステージ

毎年わが国では12月に入ると全国、あちらこちらでアマチュア合唱団の「第九・狂騒楽」が始まる。日本独自の一種の社会現象、乃至は風習となっている。ベートーヴェンが知ったらさぞ大喜びしただろうな…と想像してしまう。彼は結構カネと人気に執着していたから。
大いに歓迎すべきことで日本のクラシック業界にとっても暮のボーナスの稼ぎ時だ。やらなきゃソンソンというところだろう。


昨年12月11日にステージでテノールの合唱パートを歌った。今度で4回目のステージだった。稽古には7月から週一回のペースで参加した。大体歌えるのでサボったことも多かったけれど…

合唱指導のS.T氏は若手の指導者だがきめの細かいユニークな指導振りで、大変勉強になった。

演奏会当日、私は体調不良だった。勿論すべて自分自身の体調管理が出来ない未熟さが原因だ。舞台でふらついたが倒れなくて良かった…
危なく「恥さらし」になるところだった…

歌い終わって「これで私の第九も終ったかな…」
と思った。これを歌いきるには体力が必要だ。この暮にはもうムリかもね…

プログラム

ホール玄関前

男性パート
(オトコは少ないなぁ)
演奏会のあらまし
財団法人・新宿文化・国際交流財団主催の演奏会で、出演は広上淳一氏指揮の東京都交響楽団、独唱者はS・澤畑恵美、A・手嶋眞佐子、T・水船桂太郎、B・福島明也(敬称略)というわが国、クラシック界を代表するそうそうたるメンバーである。
合唱は団員新規募集による「新宿文化センター「第九」合唱団・総勢230名」である。私はこれに応募し、指導者による発声テストの結果、トップテノールのお墨付き?をいただき、5ヶ月にわたる苦しい?稽古を重ね当日を迎えたのだ。

広上先生の指揮は我々合唱団には細かい事は要求せず、ポイントを抑え、たっぷり歌わせてくれた。ダイナミックでスケールの大きい「第九」だったと思う。私自身は11月頃からカゼをこじらせ、のどが痛く、おまけにゲネプロで精力を使い果たし、後半は声にならなかったが、来場してくれた友人、家族からの評価は上々だった。ソリストは全員声量が実に豊かで、よく通り、素晴らしい出来だった。それはバックに位置する私にもよく分かった。

写真について
1月半ば、プロの写真家が撮影したスナップの展示会が新宿の文化会館ホールであり、そこで何点かを購入したものの一部である。
数多い写真が展示されていたが、これ等を見ていると当日の高揚した気分がまたよみがえってきた。(06/03/03)

                      岩城宏之さん さようなら


東京芸術劇場




偉大なマエストロが亡くなった。

私は一瞬呆然となった。暮から正月にかけてこのPageでも書いたようにBeethoven「振るマラソン」を聴いたこともあり、まさか…と信じられない想いだった。
亡くなる少し前に車椅子姿で指揮されていたのをTVで見たので心配はしていたのだが…
私は奇しくも彼のデビューと最後とも言える大演奏会を聴くチャンスに恵まれたことになる。

勿論マエストロの演奏会はこれ以外にも何回か聴きに行った。しかし、最後の「振るマラソン」は特別の想いで聴いた。その時、何故かもう2度とは聴けないだろうというヘンな予感がしたのだ。
マエストロはBeethovenの第8番の交響曲が大好きだったそうだがこの日の8番も素晴らしく、生き生きとして美しかった。最後の「第9」よりはるかに感動的で音楽的だった。
一人で10時間もBeethovenを一晩で指揮する…病身でこんな無茶するから命を縮めた…という説もあるようだ。
あるいはそうかもしれないが、プロの音楽家として本望であったのだろう。

一人のクラシックファンとして、心からご冥福をお祈り申し上げます。





マエストロの遺した言葉   Beethoven全曲演奏会の舞台裏から

遺徳を偲んでの演奏会や「お別れの会」が全国各地で行われている。ネットで見ていたら「お別れの会」で生前親交の深かった
指揮者の外山雄三さん(75)は


「飛び抜けた指揮者としての才能やすてきなお人柄を忘れることは不可能です。ずっとわれわれと一緒にいてください

と、祭壇上に掲げられた笑顔の遺影に語りかけた…とある。


筑紫 哲也さん
「棒ふり旅がらす」逝くという一文を寄せている。その最後の一部を引用させていただいた。

旺盛な好奇心と冒険精神に加えて、いつも何かを面白がろうとしている人で、初演演奏が(おそらく)世界一多い指揮者だったのもその表れだが、年末のベートーベン全交響曲演奏指揮という暴挙も、当初は33曲ずつだったのに、他の2人が指揮している間、待っているのが「面白くない」というのが理由だった。

 練習中も、演奏中も、暖か味のある指揮者だったが、「独裁者」に見えないようにしながら「独裁者」をやっている、と打ち明けたこともあった。さようなら、マエストロ。

去る6月6日にNHKで放映した「追悼番組」を見た。なかなか見ごたえがある放送だった。
この番組の中でマエストロ岩城は、ベートーベンについてこんな事を言っている。
ほんの一部だが紹介しておきたい。非常に興味深く面白かった。(録画したものを再確認したので以下の内容はほぼ正しいと思う)

◆交響曲の中では3番、5番、7番を一番多く演奏した。
◆ベートーベンの演奏はヒドク疲れる。曲の構成に遊びが無い。ちゃんとやらないとコワイ顔したベートーベンに怒られるような気がする。だから.今までは余りやりたくなかった。
◆1番2番はハイドンの域を出ていないが、3番「英雄」は革新的で不協和音が多く使われ、素晴らしい曲だ。当時の聴衆はビックリしたろう。
◆一番好きな曲は第8番だ。曲はさらりとしていているが複雑に出来ている。自信作だろう。
◆「第九」の第四楽章は、1から3楽章を否定し、突然バリトンが♪フロイデ…などと謳いだす、「くだらないバカバカしい劇」だが、.俗物的にはよく出来ている。だからベストセラーになったのだ。本当はベートーベンもここは27年間も「器楽のみの楽章」を考えていたのだ。
◆オーケストラの指揮について
若いときは100で済むものを200の力で大暴れし大汗をかいたが、カラヤンに指導を受けたとき
「指揮はドライブではなくキャリーすべきものだ」と言われた。この意味が最近やっとわかるようになってきた。
◆ベートーベンの「マラソン演奏会」はおそらく他に例を見ないだろうが、これを振ってみて彼の音楽にのめりこんだ。他の作曲家のためならイヤだが、ベートーベンの演奏なら舞台で死んでもよいと思っている。
◆この企画は聴衆のためでもなんでもなく、自分自身が楽しくやりたいから2年続けたが向こう10年は続けたい。そのときは80何歳で考えられないことだが…しかし今や私には歩くことにも息をすることすら細心の注意が必要であり、指揮をすることだけしか出来なくなってしまった…

ざっとこんな調子で、やや不明瞭な口調だが機嫌よく語っていた。最後は少し寂しそうだった。
すごいと思ったのは全曲暗譜だったが、自分が間違った小節を的確に覚えており、「悔しい…」と言っていたことだ。これこそ正真正銘のプロだと思った。

また、「第九」の4楽章を「くだらない、バカバカしい劇だ…」とはっきり口にしたことは意外な気がしたが大変率直で面白かった。
わが国では暮れになると素人の「ジジババ コーラス(かく云う私も、そのはしくれだが…)が猫も杓子も随喜の涙??を流して「調子っ外れな歌」を臆面も無く謳っているさまはご存知のはずで、一種の皮肉のようにも思える。
このすごいマエストロだから平然と言えるのであるが、とても説得力があると思った。
(06/07/30)    このページの先頭にもどる