♪2008年・合唱のステージ♪
数年続けてきた合唱団参加は今年二回体験した。  その模様について感じたことを述べてみたい。

また、今年聴衆の一人として聴いた音楽会の雑感についても少し述べておきたい。


★ゴールデンウイークに「第九」を歌う
2006年秋に 「9条がんばれ 弁護士と市民がつどう第九コンサート」が文京シビックホールで開かれステージに上がった。
このコンサートの趣旨については省くが、この時、私が所属していた合唱団に、弁護士の方々が稽古に参加されていた関係で主催者側から参加要請があったのだ。 演奏会当日、改憲論者の安倍晋三氏が首相に指名されたので、このコンサートはいろいろな意味でかなりの盛り上がりを見せていた。このときの指揮者は外山雄三氏だったが、マエストロがステージから聴衆に対して平和の大切さを訴えた言葉を今でも鮮明に覚えている。お客さんの関心は高く、ホールが超満員だったのを今でも覚えている。

それが縁で今年5月4〜6日にかけて千葉の幕張メッセ、イヴェント会場で行われた「9条世界会議」の「第九」コンサート参加の呼びかけに応じ、初日のオープニングコンサートで第九合唱を歌うことになった。
稽古は四月に数回行われたが、合唱団参加者が総勢500人近くになったとのことで練習会場は数箇所に別れていたようだ。私は大久保の労音の会場に3回ほど通い、最後に指揮者である内藤彰さんの直接指導を受け参加した。歌いなれている人が多かったようだ。

9条世界会議の趣旨、その模様等については省略するが、一言で云うと、日本実行委員会が主宰し、世界各国から類を見ないわが国の戦争放棄憲法第9条のすばらしさをたたえ、その精神をわが国のみではなく世界に広めようとする運動である。護憲派の弁護士各位が企画を立案、実行し、「第九」を歌った。

幕張メッセのイベントホールは優に一万人は入るだろうと思われる会場であったが、それでも満員で入れない人々が長だの列を作っていた。。「平和憲法」に対する人々の関心の高さに改めて驚いた。



入場できない?

第九のステージ

合唱団メンバーは東京周辺のアマチュア合唱団の有志であり、いろいろな面で制約もあり、当日の演奏の出来がどんなものであったのか合唱団の一人としては知る由も無いが、聴衆の反応は良かったと記憶している。ソリスト4名の中でテノールだけはアマチュアで元判事の方だった。
当日のオーケストラは東京ニューシティ管弦楽団、指揮は常任指揮者の内藤彰氏だったが、演奏後のお話だと「ゲネプロの時あまりにもバラバラなので修復できず困惑したが、本番の出来は思ったりずっと良かった… 本番に強いのかなぁ」とお褒めの言葉を頂いた。。

演奏は「第九」の第四楽章のみだったが、他に「ねがい」という曲が、演奏された。指揮は池辺晋一郎氏が務めた。短い曲だが感動的なすばらしい曲だった。この曲も数回稽古を重ねた。以下はプログラムの一部である。



11月に「ヴェルレク」を歌う
私にとっては正に画期的な出来事だった。「第九」は数年来、年に二回の割合で歌い続け、生意気にもバスとテノールを適当に歌い分けていたが、まさか三大ミサ曲の一つを歌うことになるとは… しかも初心者には非常に難しいと思われる曲だからだ。

今年、在住している豊島区の区民合唱団が取り組むという連絡があり、エイやとばかりに応募したのだ。6月から都合20回ほど稽古に通ったが、第九の場合はサボることが多かったが流石に皆勤した。
この間、自分なりに稽古の録音を繰り返し聴いたり、パート譜をかなり克明に読んだり、CDを繰り返し聴いたり、それなりの努力を重ねた。
しかし、初心者が夜間2時間程度の稽古を20回程度やったから歌えるほど甘くはない。



以下のような趣旨のメールを当日聴きに来ていただいた数名の友人に配信した。率直な感想なのでそのまま引用する。
当日の模様について合唱団員の端くれとしての感想を少し述べてみたいと思います。

演奏の方は合唱はともかくとしてソリスト,オケ演奏ともに熱演だったと感じました。
指揮者、坂本和彦氏のお話話ではテノールのN、ソプラノのS氏の二人は初めてこの曲を歌ったとのことでした。意外でしたが若手の歌い手が簡単にこなせるような歌ではないのかもしれません。

打ち上げバーティで、初体験の ソプラノSさんからこんな話がありました。
出演依頼があったとき大いに迷い、先生格であったバスのT氏に相談し、やっと決めたこと、歌う直前「怖くて体が震えた…」など…リハーサルの時、固い表情でニコリともしなかったのに満面笑みでいっぱいでした。気持ちは分かるような気がしました。さすがにプロですので堂々と歌っているように感じましたが…
Nさんはリハーサルで指揮者から数箇所、指摘を受け頭をかいて苦笑いしていましたが…
何かいつもの元気が無いようにも感じました。バスのT、アルトのS両氏はさすがにベテランらしく落ち着いて余裕すら感じました。
前日のオケ合わせの時、順不同で私は最前列に位置し、ソリストは本番とは異なり合唱団の直前で歌いましたので、至近距離で、表情やしぐさ、生の声を見聞きすることが出来ました。楽譜が書き込みでいっぱいになっているソリストも居りました。

肝心の合唱ですが、藤原歌劇団合唱部の数人の助っ人(アルトを除き各パート数人〜10程度)が中段にいましたので、歌いやすかったのですが、個人的には最後の「サンクトウス」と「リベラメ」はかなり、しどろもどろでした。難しい歌なので都合20回程度の稽古で覚えるのは土台無理とも感じました。
合唱団の約半数がこの曲は初体験であり、指揮者のS氏が、自分の息のかかった他の合唱団から経験者を集めて今年の「豊島区民合唱団」を結成したものです。従って特に女性の人数が多く、ステージに並べるのに大騒ぎで関係者が四苦八苦でした。

長大な曲を前日、東京音大のホールでオケ合わせ、当日午前中にゲネプロでいずれも全曲を歌い、更に本番となりますとさすがにご老体にはこたえます。私としましては本番よりゲネプロの時のほうが声の調子が良いと感じましたが… 本番は緊張しすぎたかも…

体力の限界を感じました。しかし本番を含めオーケストラと向き合い歌うと確実に進歩を感じます。それは真剣さの度合いが普段のお稽古とは全く違うからだと思います。 
★♪今年印象に残った音楽会♪
今年も20回程度の音楽会を聴きに行ったが、例年より少なかったと思う。
私にとってこれは是非聴いてみたいと言う音楽会が少なかったのも事実だ。従来から絶対に聴かないのが現代音楽、古楽器の類だが、今年はオペラや室内楽も聴かなかった。在京のオーケストラ演奏会が中心だった。

印象に残るような演奏会は数えるほどしかなかったが、その中で、もっとも面白かったのは毎年必ず聴きに行く「ラ・フォルジュルネ」である。今年はシューベルトをテーマに取り上げていた。
この音楽祭は毎年ゴールデンウイークに有楽町の東京国際フォーラムを本拠にして行われているが、本当に楽しい催しである。
演奏家のレベルは高い。 つまらない説明はやめにして、当日撮ったデジカメ写真を少し掲載しておきたい。季節は最高だし周りにはお祭り気分十分で写真を撮るだけでも楽しくなる。

会場入口

周辺で憩う

無料のコーラス

このコンサートで二つの公演を聴いたが、中でも良かったのは5月5日のローザンヌ室内管弦楽団(スイス)演奏会で、クリスティアン・ツァハリアス(ドイツ)がビアの弾き振りをしたベートーヴェンのピアノ協奏曲第二番であった。さすがに有数の室内オーケストラとピアニストの演奏は美しくすばらしい音楽だった。今でも心に残っている。他の演奏会でシューベルトのハ長調のシンフォニーも聴いた。

後はイタリアの人気テノール歌手のラ・スコーラが東京都交響楽団をバックに歌ったオペラアリアのコンサートである。
パバロッティの後継者と言われる美声に酔いしれた。同時出演のソプラノ並河寿美 さんもすばらしかった。今でも強く印象に残っている。




趣味のアマチュア合唱の参考になればと思い、9月にユニフィルの定期でヴェルディのレクイエムを聴いた。指揮は常任指揮者の三石精一氏であり、ソリストも実力者揃い、混声合唱団はオケの専属なのでレベルの高い演奏で大いに参考になった。

年末必ず聴きに行く「第九」は27日にサントリーホールで行われた「日フィル特別演奏会」だった。当日、専属合唱団の一員としてテノールで知り合いのKさんが出演したためであるが、合唱団のレベルは高く、熱演でよく訓練されていた。私は第九を聴くときには「アマチュア第九」ではなく「本格第九」を聴くようにしている。バラバラでオケと合わなかったり、音程が下がったり、音が濁ったりと、ハラハラするような演奏は真っ平ごめんだ。

心地よく元気が出るベートーヴェンを聴きながら今年一年のことをいろいろと振り返ることが出来た。この名曲はわが国では年末になると全国津々浦々で演奏される一種の風物詩だが、お祭り騒ぎでも良いと思う。ベートーヴェンが知ったら大喜びだろう。


上記第九の終演直後の様子

★一人の音楽愛好家の死
最後に大変残念で悲しい出来事について一言触れておきたい。
それは最近、長年の友人であるNさんが急逝されたことだ。彼は年間を通して100回にも及ぶコンサートに足を運ぶ根っからのクラシックファンであり、実に博識だった。勤めていた会社の同期入社だったこともあり、親しい間柄だった。コンサートホールで顔を合わせることも多かった。

音楽を聴く耳は確かで厳しく、私が歌うような「素人の第九」などには興味が無い様子であったが、私がヴェルディのレクイエムを歌うという情報を知り、演奏の10日ほど前に電話をしてきた。
「体調が優れないがお前が合唱する今度の演奏会はぜひとも聴きたい…」というではないか。私はその時「何の風の吹き回しか」程度にしか思わなかったが、演奏会の直前に「体調が悪くどうしても行けない…残念だ…」
と電話してきた。いつもと声の調子が異なり、最後には涙声になったので心配になったが、それ以上気には留めなかった。
数日後、突然の訃報に驚愕した。葬儀の当日、斎場には終始ワーグナーの音楽が流れ、出棺の時マイスタージンガーの前奏曲が勇ましく鳴り響いていたが彼との最後の別れにふさわしいものだったかもしれない。
享年75歳、彼が一年間聴いたコンサートのベストテンを毎年したためたユニークな賀状はもう来ない。
2008年は真に多くの友人知人が他界した年だった。年々寂しくなるばかりだ。