告訴
告訴とは、被害者が、捜査機関にたいして、犯罪の被害を報告して、その処罰を求める意思表示のことだ。
私が受けたある恐喝事件を東京地検に告訴し、脅し取られた会社のカネを取り戻すと共にその人物の処罰を求めた。

これはその時の概要を記したものである。

保険金恐喝事件が起きた!
かつて自動車事故の保険金を脅し取られた。ホケン屋の事故係として全く情けない出来事だった。
今思うと忸怩たるものがある。
普段、部下には「不当不正請求や暴力には負けるな!」などと、えらそうなこと云っていたが、結局自らが{「脅し」に屈したのだ。何故そうなったのか今更詳しい事情を述べても始まらない。しかし、部下が脅されてにっちもさっちも行かなくなった案件の解決にいやいや現場に出かけ、大金を脅し取られたのだ。
こうなると「ミイラ取りがミイラになった」というのか正にお笑いだ。 真にブザマな話だ。
(注)現在は当時と異なり、ホケン商品や仕組みも変わり、このような特殊なケースはお抱えの顧問弁護士に対応を一任することが多いと思われる。


その時、私は当該部署の責任者と共に西新宿のマンションの一室にいた。
何故ノコノコとこんなところへ出向かねばならないのか、因果な商売につくづく嫌気がさした。

部屋に入ると「脅し屋」は壁に貼られた大きな「日の丸」の旗を背にして座っていた。傍に日本刀が置かれ、カーキ色の戦闘服を着た若い者が二名、彼を護るように立っていた。何故か「脅し屋」は黒帯の柔道着をつけていた。入り口には別の若い者が見張りをしていた。「脅し屋」の風体はずんぐりした坊主頭で目が青く異様に光り、顔つきは日本人離れしていた。毛むくじゃらの太い腕が見るからに怖かった。彼の声は馬鹿でかく、いきなり怒鳴りつけられた。「同行の所長は席を外せ!」と‥ 

暴力団が何故日本国の国旗をかざしているのか?「日の丸」を脅しの小道具に使うとは何事だ‥と思ったが、私はすっかりビビッてしまい、同行の所長に席を外すよう指示し一人になった。彼と突っ込んだ話になったが、最終的に約100万円の上乗せを認めてしまった。とても怖く生きた心地がしなかったし、何らかの解決の道を見出せないまま、帰して貰えないと思った。また、これ以上の部下への執拗な脅しや嫌がらせは何としてでも避けなければならなかった。
私はそれまでもこのようなヤカラから数え切れないほどの脅しを受け、場数を踏んでいた。体験上彼等は脅しのプロではあるが、警察(刑事課)から得た知識もあり、我々のような立場の人間に直接暴力を振るうことはありえないと確信していた。
だが、この時は非常に怖かった。今までにない異様な雰囲気がありそれにすっかり呑まれてしまったのだ。
外で待っていた当該部署の責任者に成り行きを告げた。彼は「止むを得ませんね‥」と答え少し安堵したようだった。脅し取られた後味の悪さと空しさだけが残った。
こんなヤバイ案件は、もっと早い段階で顧問弁護士に、「まる投げ」してしまえば良かったのに‥と後悔したが総て後の祭りだった。

警察署からの照会

  保険金の支払も済ませ、そのことも忘れかけたある日、S警察署から突然書状が届いた。
内容は「○○の口座に○○○万円の振込みが成されていることに関して、如何なる類のカネなのか回答せよ」という捜査上の職権による照会だった。

この○○なる人物は私を脅した人物であり、カネは正に脅し取られた保険金だった。愕然とした。総てばれてしまったなと思った。
事実をありのまま報告すると程なくして警察から連絡があり、事情聴取に来社したいとの事だった。やがて4名の刑事が来社していろいろ聞かれた。
脅し屋は別件で逮捕され取り調べられていたのだ。押収した通帳を調べているうち当社からの入金が明記されていたので「事件との関連を聞きたい」というものだった。
チーフはS警察暴力犯捜査係長警部補のK氏であり、部下3名が担当していた。K氏は機動隊出身のバリバリの警察官で年齢はまだ若かったと記憶している。
態度は穏やかだったが追求は鋭かった。私の話を一通り聞いた後、彼は「この件については正式に被害届けを出すべきだ」と云った。私は即座に了承した。

数日後、彼を始め2〜3名の刑事が来社し、会議室一室を当てて調書の作成に入った。当然この事案の担当者や責任者も同席する大掛かりなものだった。調書の作成は我々関係者が事実関係や脅しの状況を資料に基づき説明し、来社した刑事がそれぞれ調書に書き上げ最後にそれらを読み上げOKなら記名捺印するという形式だったと記憶している。
朝10時ごろから始まり昼食をはさんで午後4時近くまでかかった記憶がある。最後にK係長から捜査に対する協力について謝辞が述べられた。
私は恥ずかしい思いで一杯だったがこうなった以上、今後の捜査には全面協力することを約束した。
そして送検されることが決まったのだ。もう後には引けなかった。

告訴

この脅し屋は逮捕され警察に拘留されたものの罪状を確定し、相応の刑に服役させる必要があった。
そのために警察は東京地検に送検した。私は被害者として出向き告訴の手続きを取った。担当はI検事だった。
検事の部屋に初めて入った。かなり広い部屋だった。彼は40歳前後の人物だったが名刺の交換後、書類をパラパラめくり、私の顔をしばらく無言で見た上「本当に告訴する意思があるのか?」と尋ねた。
意外だった。思わずムッとして「誰がその気もないのにわざわざこんな所に来るものか!」‥と反発した。先方は分かったとうなづき、正式に脅し屋を起訴することに決定した。この期に及んで告訴を取り下げるようなバカなマネは何が起ころうとも出来ないことだ。

何のためにここまでやってきたのか。総てがフイになってしまうのだ。彼が何で最終意思の確認をしたのかはわからないが、「それなりの覚悟をしなさい」と云う事かも知れなかった。

<検察庁の役割> 以下検察庁の公式ホームページから引用
 
一般的に犯罪が発生した場合,第一次的に捜査を行い,被疑者(犯人,容疑者)を逮捕したり,証拠を収集したり,取調べ等を行うのが警察です。なお,警察は,被疑者を逮捕したときには逮捕の時から48時間以内に被疑者を事件記録とともに検察官に事件を送致しなければなりません。検察庁では,警察から送致された事件について,検察官が自ら被疑者・参考人の取調べを行ったり,証拠の不十分な点について,警察を指揮して補充捜査を行わせたり,自らが捜査を行い,収集された証拠の内容を十分に検討した上で,最終的に被疑者について裁判所に公訴を提起するかしないかの処分を決定します。このように被疑者を起訴するか否かを決定するのは公訴の主宰者である検察官だけの権限です。また,起訴した事件について公判で立証し,裁判所に適正な裁判を求めたり,裁判の執行を指揮監督するのも検察官の重要な仕事です。


東京地方検察庁
入り口付近

刑量の確定と新聞沙汰
しばらくしてから判決が行われた。懲役3年の実刑判決だった。
脅し屋は他にもかなりの余罪があった。暴行傷害、恐喝、詐欺横領などだ。私は少し軽いなと思ったが、この手の犯罪ではそうでもないらしい。3年後に出所した後「お礼参り」されるのではないかと恐れた。
数日後、この事件のことがA新聞の3面に載ってしまった。新聞記者が来社したわけでもないのに何故だろう‥と不審に思った。裁判所に詰めている記者が情報をキャッチしたものらしい。
記事そのものは小さいもので、確か十数行、気をつけてみないと見落とす程度の記事だったが、その中に判決理由が簡単に書かれていた。「大手損害保険会社の責任者を脅した罪は重い云々‥と」

勿論彼の氏名等は明記されていたが、会社や私の名前、職位はどこ探しても見当たらずホッとした。
しかし、ショックだった。真に不名誉極まりない話で、穴があったら入りたかった。
面目丸つぶれで、プライドは大き傷ついた。

新聞沙汰になったのは後にも先にもこの時だけだ。監督部署や担当役員等からは何のお咎めもなかったが、記事を見落としたのかも知れない。
このことは周りにも知らん顔していたが、知っている人はかなりいたはずだ。

後始末
これで刑事事件としては一件落着した事になるが、脅し取られた保険金は返してもらわねばならない。
これは不当利得の返還請求であり、懇意にして頂いたH弁護士にお願いした。割の良い仕事ではないが快く引き受けてくれた。
方法については総て一任だったので詳細は不明だ。一般的には内容証明郵便で期限を明記して返還請求を行うことからスタートするものと思われる。経緯は覚えていないが、脅し取られた保険金は100%を回収することが出来た。
その後、警察には勤務先が変わるまで年末になると会社のカレンダーを持参して挨拶に行っていた。

株主総会
瞬く間に3年が過ぎた。彼は刑務所で満期を迎え出所したとの情報を得た。何となく不安になったのは私だけではない。何かヘンな電話がかかってこないかビクビクした。
この頃会社の株主総会の時期が迫っていた。このことについてS警察に相談に行った。
責任者のK警部補は、万一のことを心配してくれ、総会の当日数人の警察官を会場付近に張り込ませ警戒することを約束してくれたのだ。本当に有り難い話だった。このことについては、余計な心配をかけると判断し、総務部長には内緒だった。

当日、私も社員株主の1人として総会に出席した。事前に入り口付近で私服のK係長その他顔なじみの刑事と顔を合わせた。総会を妨害するような出来事は何一つ起こらず総て杞憂に終わった。
私は正直言って警察がここまで対応してくれるとは考えていなかったので心から感謝の気持で一杯だった。
極道の世界ではよく「お礼参り」などということが云われるが、まさかと思っても不安な気持があったことは確かだ。イザとなったら助けてくれるのだという確信がもてた。勿論その後も今日に至るまで何事も起こらなかった。この時以来、私の「日本の警察に対する信頼」はゆるぎないものになった。

後日談
数年前にあるところで顔見知りの現役の営業拠点長にばったり出会った。しばらく立ち話をしたが、その際彼が言うには私の話がS警察主宰の「地区防犯講習会」で出たというではないか。

警察は「被害にあっても泣き寝入りすることなく不正を告訴しキチンと対応した」と褒め上げ、会社名や実名を上げたので直ぐに分かったという。事件当時のことはこの若い拠点長は全く知らなかったとのことだった。
しかし、よく話を聞くと、警察は少し褒めすぎだなと思い面映かった。
決して褒められるような話ではないことはこれを読めば明らかだ。要は保険金支払屋としての管理者能力の無さがこのような恐喝事件につながったものだ。
勿論恐喝する方が悪いに決まっているが、脅される方にも隙があるからだ。こんな騒ぎにまで発展したのは自分自身の無能力をさらけ出すようなものだ。やりようによっては避けられたと思われる。今更いくら反省しても始まらないが‥

この事件は警察が別件逮捕した犯人を取り調べているうちに偶々、芋ずる式に発覚したものであり、私が自分の意思で告訴に及んだものではない。そのことが無ければヤミからヤミに葬り去られていただろう。
このような話は残念ながら、生損保業界では日常茶飯事の出来事といってよかろう。保険金に関わる詐欺、恐喝、傷害、はおろか殺人まで起きていることはマスコミ報道などで明らかだ。そして、犯人が事件として検挙され起訴にいたる案件は氷山の一角に過ぎないことを云っておきたい。
(巧妙かつ凶悪な保険金詐欺の手口や実態等については、いずれ稿を改めて述べてみたい)

事実、私自身がかつて会社の総務部長の強い要望で、ある協力的な?有力総会屋の事務所に出向き、彼が関係する事故処理に「有利になるよう取り計らう」ことを約束?したことがある。
これを実行すれば、れっきとした犯罪だ。仕方なく渋谷に近い総会屋の事務所で彼に「あいさつ」はしたが、私は担当者に対して一切特別な指示はしなかった。総会屋への「約束」は実行しなかったことになる。通常のケースと全く同じように処理されたが何のクレームもつかなかった。当たり前の話だ。(04/04/30)
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