2012年8月

第2956号 2012年8月22日号


「トキワ荘の夏」上演
 区制80周年、南大塚ホールリニューアル記念 9月1~3日


 昭和20年代にトキワ荘に集まった手塚治虫、寺田ヒロヲ、石ノ森章太郎、赤塚不二夫、藤子・F・不二雄、藤子不二雄A、水野栄子……若き天才漫画家たちーーー。豊島区制施行80周年と南大塚ホールリニューアル記念として、日本漫画文化の聖地とまでいわれる豊島区椎名町のトキワ荘を題材にした竹内一郎作・演出のオリジナル演劇「トキワ荘の夏」が9月1日から3日、南大塚ホールで上演される。主演は俳優座期待の若手俳優、頼三四郎(加藤剛氏子息)。

 「往時のトキワ荘には漫画を愛する若者たちが集い、悩みや葛藤を抱きつつ、夢や希望に向かって創作に励む姿がありました。新しい漫画の世界に挑む若き漫画家たちの活動はやがて動画となり、アニメへと進化し、いまや日本を代表する文化となっています。トキワ荘は豊島区の文化の一頁でもあります。ぜひ多くの皆さまにお楽しみいただきたい」と高野区長。

 上演時間は1日は午後1時30分からと同6時30分から、2日と3日は午後2時からとなっている。開演は30分前。入場料は一般3千円(としま未来友の会2千5百円)。チケットのお問合せはとしまみらいチケットセンター(3590-5321)まで。

   ■トキワ荘とは

 トキワ荘は1952年12月6日に上棟。老朽化により1982年11月29日に解体。賃貸された部屋のうち二階部分は十室で全て四畳半(押入れと入り口部分のスペースを除く)。その他、共同の調理場、トイレなどが存在した。

手塚治虫は1952年に上京してから東京都新宿区四谷の八百屋の2階に下宿していたが、やがて昼夜を問わぬ編集者の出入りの激しさについて八百屋の主人から苦情を言われるようになった。このとき手塚は、学童社の加藤謙一の次男・加藤宏泰から、宏泰の住む新築アパート「トキワ荘」に入居するよう誘われ、1953年の初頭にここの住人となった[2]。これを皮切りに、学童社が、自社の雑誌で連載を持つ漫画家の多くをトキワ荘へ入居させた(最も多い時期には7、8名の漫画家が居住し、その仲間の漫画家も出入りするようになったため『マンガ荘』というニックネームまで付けられた)。

才能ある漫画家たちがトキワ荘に集まった背景には、寺田ヒロオの「空いた部屋には若い同志を入れ、ここを新人漫画家の共同生活の場にしていきたい」「新人漫画家同志で励まし合って切磋琢磨できる環境をつくりたい」との思いがあった他、「漫画家が原稿を落としそうになった際、他の部屋からすぐに助っ人を呼べる環境が欲しい」という編集者側の思惑と「他の漫画家の穴埋めでもいいから自分の仕事を売り込む機会が欲しい」という描き手側の利害の一致もあったとされている。

それらの若手漫画家達は後に著名になり、その漫画家達によって同じアパートに住んでいたという事実が世間にも伝えられるようになった。

 トキワ荘自体は解体された1982年12月に再建され、赤塚不二夫作画の看板が掲げられていたが、バブル景気の最中に地上げに巻き込まれ、更地化。現在は日本加除出版の新館社屋となっている。近年、松葉ラーメン店が実行委員長となり記念碑の建立が計画され、2009年3月、トキワ荘跡地近くに位置する豊島区立南長崎花咲公園において着工。同年4月4日、完成した記念碑の除幕式が行われた。 2012年4月6日には、トキワ荘跡地に当時の建物をかたどった石造りのモニュメントが設けられ、除幕式が開かれた。


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